Neetel Inside 文芸新都
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【長編】とある絵描きと夏の少女

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彼女が僕に見せるその笑顔は、夏に咲く、

ひまわりの花のようだった。




【 とある絵描きと夏の少女 】





「では、藤崎さんの病室はこちらになります。ナースコールは枕元の近くにあります。緊急の際にはこれを押していただければすぐに駆けつけます。それと…」

白い看護服を着た女性の口から出るいかにもマニュアル通りの説明を聞き流しながら、俺は窓の外に広がる海をただ、茫然と眺めていた。

その海の色は美しい青色とは程遠く、洗筆バケツに溜まった水のような濁った緑色をしていた。

海というものはこのような色だっただろうか。



それとも、俺にだけそう見えているのだろうか。





俺は幼いころからよく絵を描いていた。

幼稚園でも外で元気に遊びまわる活発な子供とは対照的で、休み時間にはいつも教室で絵を描く子供だった。

そして俺は中学、高校共に美術部に入部した。同じ絵を描く仲間たちと過ごす毎日は、俺にとってまさに青春そのものだった。

自分で言うのもなんだが、部内でも俺はズバ抜けて絵が上手かった。

その才能を先生に見込まれ、進路先で美大を勧められた。

俺は流されるままに進路先を美大にすることにした。



今思うとそこから、俺の絵を描くことに対する気持ちは変化してしまったのかもしれない。



俺は美大に入るため、必死に画力向上の努力をした。

来る日も来る日も絵を描く毎日。一体何枚の絵を描きあげただろう。

自分が満足いく作品を見せても、こんなのしか書けないのでは受からないと先生に罵倒された。

それでも画力向上のため何度も絵を描き続けた。


血の滲むような努力の末、俺は見事美大に合格した。

しかし、そのとき既に絵を描くことは俺にとって苦でしかなかった。

苦労して入った大学も、最初の方に何日か行っただけですぐに不登校になった。

大学側から学校に来いと何度も言われたが、無視し続けた。

俺は何もせず、家に篭りっきりになった。

両親はそんな俺を見捨てるかのように、何も言ってはこなかった。

灰色の時間だけが淡々と過ぎていった。



そして、俺はついに自傷行為に走った。

引き出しの奥に眠っていた彫刻刀を使って。

痛みに悲鳴をあげながらも、それを自らの左手目掛けて突き刺した。

何度も。何度も。何度も。

俺の悲鳴を駆けつけた両親がドアを壊して部屋に入ってきた。

母親の甲高い悲鳴が聞こえる。

親父は俺を殴りつけると、右手に持っていた彫刻刀を強引に取り上げた。

俺はそこで意識を失った。

それからの事は、記憶が曖昧であまり覚えていない。

この海辺近くの田舎病院に入院させられた。



ただ、それだけを除いて。




「さてと、説明はこんな感じかな。なにか質問ある?」

さっきまで堅苦しい敬語を話していた看護師が、急にため口で話しかけてきた。こいつ、どうやら本当にマニュアル通りにしゃべっていたようだ。

「いや、特にない...です」

小声でそう答えると、看護師はやれやれとでも言うように鼻で小さなため息をついた。

「あたし、加藤っていうの。ここ爺ちゃん婆ちゃんとかしかいない田舎病院だから、愚痴なり相談なりしたくなったら呼んでくれて構わないから。あ、でもそれでナースコールは使っちゃ駄目だからね?」

そう言うと、彼女は今言った自分の冗談に対してケラケラと笑った。こんな浮かれた奴に誰が相談などするものか。

「じゃあ、あたし行くから。」

さっさと出てってくれと念を送っていると、彼女はドアを半分開けたところで急に振り返った。

「そうだ、暇なら屋上にでも行ってきなよ。この病院解放してるんだ」

「…気が向いたら」

「そっか。今の天気ならきっと奇麗だよー。海とかさ」

そう捨て台詞のように呟きながら、彼女は退室した。




開けられた窓の外から、小さく波の音が聞こえた。


その音が『こっちにこい』と呼んでいるように聞こえ、俺は八つ当たりのように勢いよく窓を閉めた。


...続く。

       

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