Neetel Inside 文芸新都
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【 とある絵描きと夏の少女 】




看護師が出ていってからしばらくして、俺はきれいに整えられたベッドの上に仰向けになり、天井を見つめた。

かなり古くからある病院なので、目に入ってくる色は消して真っ白ではなく、どこか黄ばみがかった色をしていた。

以前は汚れなど一つもない、奇麗な色をしていたであろうその天井に少し親しみを感じ、ふと左手を伸ばした。

手首から肘のあたりにまで巻きつけられている真新しい包帯が視界に入り、すぐさま上げた左手を振り下ろした。

「雄也、入るぞ」

家に篭りきりの時に散々聞いたその低い声が、廊下から聞こえてきた。

俺は反射的に壁の方へ体を向けた。

天井よりも黄ばんだ病室の壁にいらだちを感じて、すぐに目を瞑った。

「雄也、具合はどうだ。落ち着いたか?」

さっきよりも大きくなった親父の声に対し、俺はただ黙って寝た振りをした。

「着替えとかいろいろお前の部屋からもってきた。荷物、ここに置いておくからな。母さんは…ちょっと、まだ落ち着いてないようだから。家で待ってるよう言ってきた」

静かな病室にとん…と微かな物音が響く。

「学校の方には私から連絡を入れておく。…とりあえず、何も心配することはない。今は休め。…いいな?」

そう言うと俺の返事を待っていたのか僅かな静寂の後、親父は病室を出て行った。

その間、俺は目を瞑ったまま体を動かすことさえできなかった。





親父が出て行ってから数分後、鞄の中身を確認しようと横たえていた体を上半身だけ起こして、ベッドの横に置いてあった鞄を膝の上に持ちあげた。

鞄の中には着なれている洋服が数着、近くのコンビニで揃えたであろうアメニティグッズ、そして



昔使っていた大きめのスケッチブックと色鉛筆が入っていた。



それを見た瞬間に堪え切れない苛立ちを感じ、壁に投げつけようと色鉛筆の箱を掴みあげた。

しかし再び目にした黄ばんだ壁を前に、俺の動きは止まってしまった。

そのもどかしさのあまり、膝の上に置いていた鞄をベッドの下に掃落した。

どんという大きな音と共に、中に入っていたものが一斉に床に撒き散らされた。

俺はこの黄ばんだ天井や壁のある部屋にいるのが耐えられなくなり、病室を飛び出した。


純粋な色に決して戻ることはないと、語りかけているように思えてならなかった。






俺はただひたすら廊下を駆け抜けた。この辛い気持ちから解放してくれる場所を求めた。

しかしどの階の廊下も、どの部屋の中も同じ色をしているように見えて、息が詰まった。

その時、ふとさっきの看護師が言っていた言葉を思い出し、俺は階段をただただ上へと駆け上った。





気がつくと屋上の扉の前にいた。

ここがこの耐えがたい辛さから解放してくれる確証はなかった。

ただ屋上は天井が無い分、他よりもましだろう。

俺は思い切ってドアノブを握り、扉を開けた。



一瞬にして俺の体は、天高く上っている太陽の日差しを浴びた。

顔を射すその強い光に目をそっと伏せた。

それとほぼ同時に、やさしく吹きつける心地よい潮風に体が包まれた。

髪が風に靡いている感覚と鼻をかすめる塩の香りが、目の前に大きく広がる海の存在を感じさせた。

次第に外の明るさに慣れていった俺は、ゆっくりと目を開けた。

そこには太陽の元、視界いっぱいに海が広がっていた。

そして海より手前の丘にはたくさんのひまわりが咲き誇り、今の季節を強く俺に感じさせた。

しかし、俺にはやはりそのどれもが色あせて見えるような気がした。

海の色は先ほど病室でみたものと同じ、薄黒いような複雑な色をしていた。




俺は落胆した。

他の人達にはこの景色はどのように見えるのだろう。

その時になって初めて、色鉛筆を握ったまま病室を抜け出してきてしまったことに
気がついた。

この色鉛筆の色のように色鮮やかな世界に見えているのだろうか…

俺は静かに、冷めた目で手に持っている色鉛筆を見つめていた。

海は透き通るように青く、丘の草原は温かい緑色で、そこに咲くひまわりは黄色を鮮やかに放つ。

そんな風に見えているのだろうか…






「どうして海は…青色ではないのでしょうか」






唐突に耳に入ってきたその声に、俺の体は一瞬びくついた。

声の聞こえた方に目をやると、そこには同じぐらいの歳の少女がいた。

真っ白なワンピースに、つばの大きい麦わら帽子を被った彼女は、車いすに座ったまま同じように寂しそうな目で海の向こうを見つめていた。



再び潮風がふわりと吹きつける。

それと同時に彼女の長い髪が風と共にゆらゆらと戯れていた。





…続く

       

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