Neetel Inside 文芸新都
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【 とある絵描きと夏の少女 】



加藤との約束を交わしてから数日間、俺は昼から夕方の検診までの数時間を
千夏と屋上で過ごした。

加藤に頼んでいるのだろうか、俺が屋上に行くと千夏は毎日ヒマワリの花を手に持って
海を眺めていた。

そして、お礼と言ってその花を一輪、俺に差し出すのだった。

俺たちは話に花を咲かせるわけでもなく、かといってお互い黙りこむこともなく、
心地いい程に少しの間を挟みながら他愛もない話をしていた。


俺が話す、千夏はそれに言葉を返す。少しの静寂。千夏が話す、俺がそれに言葉を返す。


お互いが作り出すそのリズムは、常に耳に入ってくる波のそれと同じように思えた。



そんなある日のことだった。千夏があの話を切り出したのは。



「藤崎さんは絵を描くことがお好きなのですか?」

太陽が徐々に傾き、太陽が次第に空を橙色に染め始めた時、千夏は俺にそう問いかけた。

些細な会話の中でその言葉が放たれた瞬間、俺の中で時が止まったかのような錯覚に陥った。

いつもならばすぐに言葉を返していた俺だったが、
その質問にはすぐに答えることができなかった。

「...どうしてそんなことを聞くんだ?」

「あ、えっと、何かすみません。初めてお会いした時、藤崎さん、
 絵を描いて下さいましたよね。なので、てっきり普段から絵を描くのがお好きなのかと。」

「...実際のところよくわからない」

俺は自然と千夏に対して本心をさらけ出した。

「そう...なのですか。」

俺たちの間にいつも以上の静寂が訪れた。

俺はその静寂に耐えられず、千夏から顔をそらして海の方に目をやった。

静寂はなぜか心と共に、左腕をきりきりと痛めつけた。



「あの...私、藤崎さんにお願いがあるんです」



その静寂を断ち切ったのは千夏の方からだった。

「藤崎さんに、私の絵を描いてほしいんです」




予想もしなかったその発言に俺はただ唖然として、再び千夏の方へ顔を向けた。

「今、何て言った?」

「わ、わかってます。わがままを言っているのは従順承知なのですが...
 ...是非、藤崎さんに描いて欲しいんです」

千夏の髪が、一瞬吹きつけた強い潮風にふわりと靡いた。

「...百歩譲って俺の絵が好きだから絵を描け、っていうのはわかる。
 でも、なぜ千夏の自画像なんだ?」

「別に私が自分大好き人間とかそんなナルシストという訳ではないですよ?
 ただ...藤崎さんに私がどういう風に見えているのか...それが知りたいんです。」

千夏は自分で車いすを正面へとゆっくり向き直して俺の目を静かに見つめた。



「藤崎さんには、私がどう映っていますか?」



そう言うと千夏は微笑んだ。静かに、ゆっくりと。

橙色の夕日がうっすらと射しこんでいたからだろうか。

俺にはそんな千夏の笑顔がとても悲しい顔をしている様に見えてならなかった。


「...少しだけ。少しだけ、考えさせてくれ。」


その千夏の問いかけに対して、俺はただ冷たい返事をすることしかできなかった。






加藤に千夏を預けると、俺はどこによる事もなく自分の病室へと向かった。

千夏は別れ際に、別にそこまで気にしなくていいとまた微笑みかけた。

そんな千夏の些細な気遣いに、俺はさらに胸が苦しくなった。






病室の前に着いて扉を開けた途端、そこに佇んでいた人物が俺の胸をまた苦しくさせた。



「......親父」


「...てっきり病室でまた寝たふりをしているかと思っていたんだが。
 その調子だともう随分、良くなったみたいだね」

「何しに...来たんだよ」

「何って、息子の顔を見に来ただけだよ。今日は早めに仕事が済んだからね」

「...そうやって...そうやって、俺が病んでから父親面かよ!」

俺はそう叫ぶと入り口の壁を左手で思いっきり叩いた。

痛みよりも、どこにぶつけたらいいのか分からない、やるせない感情でいっぱいだった。

「大学に行かなくなっても、俺の事、まるで気に留めなかったくせに!
 無視し続けたくせに!俺の事なんか、ほっといてくれよ!」

そういって俺はまた外へ駆けだそうとした。



「それはお前が決めた道だったからだ」



その父の言葉が耳に入った途端、俺の足は止まった。


「お前が、雄也が自分で、自分の意思でその道を歩むことを決めたからだよ。
 雄也が美大に行くって父さんたちに話した時、自分自身でその将来を口にした時、
 もう雄也に対してあれこれ言うのはやめようと思ったんだ。
 子供を育てるのが親の役目だけれど、自分で選んで歩み始めた道に対してまで
 口出しするのは、親のすることじゃない。
 親の役目はね、子供を一人の大人として育て上げることなんだ。
 自分で道を決められるようになったなら、それはもう大人なんだよ。
 あ、でも命にかかわる事に関しては口出しするよ?
 雄也は、父さんにとっての大切な家族なんだから」

親父は振り向きもしない俺の背中に向かって、決して怒鳴らず、
ただやさしい口調で話しかけていた。

「だからね雄也、お前はお前のやりたいようにやりなさい。
 行きたくないのなら、無理に大学に行く必要なんかない。
 無理に絵を描かされる必要なんかない。
 雄也自身が描きたいものを描ける道を選びなさい。
 雄也は心から絵を描くことが好きなことを、父さんは知っているよ」

親父はそう口にすると、また俺の返事を待つかの様に静かになった。

俺はゆっくりと振り返り、親父の方へ向き直った。

窓から夕日が射しこんで、病室内を橙色に染め上げていた。

窓に背を向けた親父の体を除いて。



「なぁ、親父。教えてくれよ。
 昔の..昔の俺は、本当に楽しんで絵を描いていたか?」


もう忘れてしまった遠い記憶を。

思い出せなくなってしまったその記憶を俺は親父に問いかける。



「ああ、雄也は絵を描いている時、とても楽しそうにしていたよ。今でも鮮明に覚えている」


「......そうか」




やっと確信ができた。

今までずっと不安だったんだ。本当に俺は好きで絵を描いていたのかって。

ただ、外で遊ぶ友達の輪に入れないからとか、大学を受験するためとか
そんな気持ちで最初から描いていたんじゃないかって。

でも、親父から直接そう言ってもらえたおかげで、
俺は好きで描いていたんだって確信が持てたよ。




だってここまで描けるようになったのは、幼いころから俺に絵の描き方を教えてくれた

父さんのおかげだから。




「なぁ、親父...いや、父さん。頼みたいことがあるんだが、いいかな?」













翌日、俺の病室に懐かしい油絵の一式が届いた。








...続く

       

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