Neetel Inside 文芸新都
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【 とある絵描きと夏の少女 】


葬儀は千夏が息を引き取ってから2日後に行われた。

幼いころから施設育ちということもあり葬儀に参列した人数は少なかった。

なので、葬儀はとても物寂しいものだった。

焼香を上げるところに置いてあった千夏の写真は、今に比べると少し幼かった。

それでもあの明るい笑顔は変わらなかった。


棺に入った千夏の肌の色は、着ている着物よりもとても白く思えた。

その千夏が手に持っていたものは、

いつまでも大切にしてくれていたあの乱雑な絵だった。

おそらく加藤がお願いをしたのだろう。

両手で大事そうに、胸の上に抱えていた。

俺は出来上がったあの油絵を枠から外して持ってきており、直前まで入れようと思っていた。



でも、できなかった。



千夏とのあの時間が。

屋上で過ごしたあの時間が。

無かったことになってしまいそうで。

俺は最後までポケットの中でその絵を、ずっと握りしめていた。


最後に皆で棺の中に花を手向けた。



千夏の大好きだった黄色いひまわり。



たくさんのひまわりに囲まれている千夏の顔は、とても幸せそうだった。




俺はその時、千夏のその表情がどこか笑っているように見えた。






「んじゃあ、父さん下の車で待ってるから。荷物まとまったら降りてこいよ」

「わかった。すぐ行くよ」

父からかかってきた電話を切ると、俺は途中まで描いていた絵を再開した。

窓辺の花瓶に挿された一輪のひまわり。

それを色鉛筆を使って描き上げていた。

青い花瓶の色を塗るために俺は箱から青色の色鉛筆を取りだした。

一本だけやけに小さい青色の色鉛筆。

開けていた窓から入ってきた心地良いほどの潮風が、カーテンをふわりと舞い上がらせた。

「あれ?まだいたの。下に止まってる車、あんたんとこの親父さんでしょ」

そう言いながら入ってきたのは加藤だった。

加藤はあの後も変わらずこの病院で勤務を続けていた。

「そうだけど。いまちょっと仕上げてるものがあってさ」

「なにー?また絵描いてるの?」

「ああ、もうすぐ完成。ほら、やるよ」

そう言って俺は描いていたひまわりの絵を加藤に手渡した。

「ほー、こりゃうまいもんだ」

「これでも元美大生だからな」


俺はあの後、美大をやめた。

父と母にも相談し、お前がそう決めたならそうしなさいと言われた。

しかし美大をやめたからといって何かが変わる事もなく、俺はその後も絵を描き続けた。

ただ自分が描きたいと思ったものを描き続けた。


「ここまでうまく描いてくれると、あたしが毎朝摘んできてやった甲斐があったってもんだ」

そう言って加藤はいつものようにケラケラと笑った。

「さてと、んじゃあ描き途中の作品も完成したし、俺はそろそろいくよ」

そういって鞄を持ち上げ、廊下に出ようとした。

「ああ、待った。渡したいものがあるのはあんただけじゃないよ」

加藤は俺に封筒に入った一つの便せんを手渡してきた。

「なんだよこれ。あんたからの別れの手紙なんかいらないんだが」

「んなのあげるわけないでしょ。とりあえず開けて読んでみなって」

そう言われ、俺は渋々持っていた鞄を足元に置いて封筒を開け、便せんを開いた。

それは誰かから俺に宛てられたものだった。

見たこともない字だったが、それが誰からのものなのかはすぐに分かった。



『藤崎さんへ

 退院おめでとうございます。
 あなたにどうしても伝えたいことがあるのですが、私はどうも話下手なので
 このように手紙に認めることにしました。

 私が初めてあなたに会った時、私があなたに話したことを覚えていますか?
 あなたには、この海がどんな風に見えますか、確かそんな感じでしたね。
 きっと藤崎さんは最初、こいつは何を言っているんだと思われたでしょう。
 私もなんて訳のわからない質問をしたのだろうと、今思うと少し恥ずかしくなります。
 でも、そんな質問から入った私の話に、あなたは無視をすることもなく
 逆に大声を出して私に怒鳴りつけてきましたね。
 正直、びっくりしました。
 でも、それ以上に驚いたのはあなたが私に見せてくれたあの絵を見た時でした。

 実を言うと私は今、治療法のない難病にかかっています。
 今まで黙っていたのは、藤崎さんに心配をかけたくなかったという私のわがままからです。
 本当にすみません。
 その難病のせいで体が思うように動かない上に、実は視力ももうほとんどありません。
 屋上でいつも外を眺めていながら、私には外の景色はほとんど入ってこないのです。
 そんな中、あなたの絵を見た時には本当に驚きました。
 今まで碌に見えていなかった私の目でも、とてもきれいで色鮮やかに見えたのです。
 あの絵を、最初に見た時の感動は今でも忘れられません。

 もう見ることができないと思っていたその色鮮やかな景色を
 あなたは絵で私に見せてくれたのです。
 本当に。本当に嬉しかった。
 あの絵は今でも宝物として大切に肌身離さず持っています。

 それから私はあなたに自画像を描いてほしいとお願いをしましたね。
 勝手なお願いを聞き入れてくれたこと。本当に感謝しています。
 私があなたにこんなお願いをしたのも、あなたのその素敵な絵で
 この屋上から見える景色をもっと見せて欲しかったからなのです。
 そしてこの私自身も、あなたにとってどのように見えているのか知りたかったのです。
 
 でも、ごめんなさい。
 私はもう以前にもまして目が見えていません。
 あなたが私のお願いを聞き入れてくれた夜にこうして今、手紙を書いているのですが
 もう字を書いている手元さへも怪しいくらいに病状は悪化しています。
 あなたが作品を描きあげる頃にはもう、見ることができなくなっているかもしれません。
 本当に身勝手でごめんなさい。
 
 でも私には見えなくともその作品はとても素晴らしいものだということがわかります。
 藤崎さんが描かれる絵ですから。素敵じゃないはずがありません。
 私をきれいに描いてくれているかどうかは少々不安なところはありますが、なんて。

 あなたがここを退院する時、その時の私はどうしているのでしょうか。
 まだ目は見えているのでしょうか。
 もう見えなくなっているのでしょうか。
 それとも、もうこの世を去っていますでしょうか。
 今の私にはわかりません。

 でも、私がどうなっていようとも絶対に変わらない気持ちを最期にここへ綴り、
 この手紙の最後としたいと思います。


 藤崎さん。私はあなたの事が好きです。
 あなたと出会うことができて、私は本当に

 幸せでした。

                                   加藤 千夏』




涙が。


涙が止まらなかった。



広げていたその便せんに涙がこぼれ落ち、描いてある字を滲ませた。


「あんたが退院する時に渡してほしいって、頼まれてたんだ。
 自分で行けって言ったんだけどね。恥ずかしいから無理だって言って聞かなくてさ」

加藤は持っていた自分のハンカチを俺にそっと手渡した。

「なぁ...千夏は...千夏はこんな俺に出会って本当に幸せだったのかな」

「そこに書いてあることに偽りはないよ。
 夜中までひたすら文を考えながら書いてたけど、千夏ちゃん、とても幸せそうだった」


俺はその手紙を握りしめたまま、ただひたすら泣き続けた。


絵、見せてやれなくてごめんな。本当にごめん。

でも俺も千夏のおかげでまた楽しんで絵が描けるようになったよ。

俺も千夏が好きだ。

俺も千夏に会えて本当によかった。幸せだったよ。ありがとう。


その時、花瓶に挿されたひまわりが微かに揺れた様な気がした。



「ほら、いつまで泣いてんだ!とっとと出ていけ!
 また、夏にでも顔出しにこいよ?今度はちゃんと健康体でな!
 ―――あ、そうだ。なんで千夏ちゃんがずっとお前にひまわりを渡していたか、
 教えてやろうか」

俺が廊下に出た時、そう思い出したかのように加藤は口にした。

「千夏が好きだったからじゃないのか」

「んー。まぁそれもあるだろうけどな。他にもあるんだよ。" 花言葉 "さ」

「花言葉?ひまわりの花言葉ってなんだったっけか」

「それはな。―――」





   ― ひまわりの" 花言葉 " それは ―










        ―――――――――――――『 いつも あなたを見ています 』―――――










END

       

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