Neetel Inside 文芸新都
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宇宙の農園
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飲み屋で皆と別れ、自宅までの夜中の道をあるいていると、妙に涼しい風がほほを撫でた。
月明かりの児童公園に差し掛かったとき、柔らかい鱗のようなものが生えた大きな球体が浮かんでいるのが見えた。
「重力を使わない宇宙人の農業ですよ」と、しゃべる猫が教えてくれた。
 
猫が消え去ると、宇宙の農法で育った野菜の葉が、ディスクの記憶面のように輝き、フィルム状の液晶になって、
世界中の政治家や紛争地帯、犬とじゃれる子供などを映し出した。
あたかもその球が地球の縮図になったようだった。

息をのんでじっとしていると、ダイバー姿の宇宙人が4、5人現れて、
空中を遊泳しながら液晶畑に伝わっているであろう農耕の歌を口ずさみはじめた。
“ひとつぁえぇ、テレビをつついて笑い顔、ふたつぁえぇ、情報を降らせて銭に替え、みっつぁえぇ……”というふうに。

歌詞こそ古臭いが、どこか懐かしいその節に合わせて、宇宙農民が、規則正しい収穫がてら、宇宙害虫が食った液晶の葉を捨てていく。
僕はこっそり、外国人がサマーバケーションを満喫している、ライブ中継された『地中海』を映した穴だらけの葉を拾い、
背広のポケットに入れた。帰途の最中ずっと、僕はこの葉の保存場所は冷蔵庫ではなく電源の入っていないテレビなのではないかと、
あれこれと考えていたが、胸元からかすかに、異国の子どもらの歓声と波の音がしたので心地よくなって、次第に考えるのをやめたのだった。
玄関のドアを開け、テレビをつけると、友達から借りたばかりの映画が自動再生され、
夫が妻の作ったロールキャベツに文句を言っているシーンが流れてはじめた。どうやら夫は健康オタクで、安すぎるキャベツに疑念を抱いているようだった。
僕は『地中海』の葉を、芯をよけるようにかじってみた。ぐにゃぐにゃした、はるさめで作った紙のような歯ごたえ。
骨振動で頭の内側から子供のはしゃぐ声がし、ほのかに潮風の味が鼻を抜けた。情報は残業で疲れた体に染み渡り、
疲れ目だろうか、おかしなことに、僕は少し涙を流した。

次の日は、ふだん通りに終わるはずだった。しかし、変化は急に訪れた。珍しく残業がなく、会社から帰る道すがら、電気屋で家電を見物していた僕は、ふと、最新型のテレビが並べられたエリアで立ち止まり、先進的な技術で作られた鮮明な画面に釘づけになった。そこに映された、雄大なアフリカの地平線に沈む夕焼けが、熟れた南国の果実のように、たまらなくうまそうに見えてきたのである。現実に唾液が分泌され、腹が鳴ったのにおどろいた僕は、まるで食い逃げでもしてきたような気分で電気屋をあとにして、そのまま走って家に帰ってきたのだった。
おそるおそるテレビのスイッチを押す。どのチャンネルを見ても、ごちそうだらけだった。政治家の答弁は苦味の強い大人の味。紅葉した庭木を持つどこかの寺社仏閣からは焼き立ての和菓子の匂いがしてきそうで、料理番組はさらに油っぽさを増したように感じられ、砂漠地帯の世界遺産はクラッカーのような歯ごたえが予感された。一度あの液晶の葉を食べると、視覚や聴覚の情報そのものが食欲と結びついていくらしかった。テレビを消し、友人に相談しようと電話をかけた。
「もしもし、僕だけど」「おお、お前か。ちょうどよかった」「ちょうどよかった?」嫌な予感がして、衝動的に電話を切りたくなる。「貸してた映画の記憶ディスク、あれ、返してくれないか?」僕は息をゆっくり吐き、平静を装った。「また急にどうして」震える声でそう言い、ツバを飲みこみ、次の言葉を待つと、彼は照れ臭そうに、「うちの記憶ディスクのコレクションにはもう、うまそうなものがないんだ」と言った。僕が昨日のことを打ち明けると、彼も帰り道で宇宙の農園を見たらしかった。いや、見ただけではないことは分かっていた。僕が「食べたのか?」と訊くと、彼はその言葉を待っていたかのように「ああ、ピンク色をした、『外国の女の子の部屋』だった。誕生パーティーか何かしていたな」と答えた。

       

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