継
きい──、きい──。
遠くから、
音が聞こえる。
自然の音では無い。
私には、
わかった。
もうすっかり、
頭も、
心も、
時に曝され削られて、
すっかり禿びてしまったが、
どうやら、
まだ、
私は生きているらしい。
きい──、きい──。
古い記憶が、
頭の中から零れ落ちていく。
最近は、
こうして意識がある時の方が珍しいが、
目覚める度に、
思い出が、
マッチの火の様に、
目映く朽ちていく。
お父様の温もりが、
消えていく。
あの子の声が、
消えていく。
私はもう、死にかけていた。
○
こつこつ、と、
音が聞こえた。
心の眼を開く。
「どなた?」
と、呟く。
「僕だよ」
と、声が返ってくる。
「ごめんなさい。あまり、よく見えないの」
とっ、とっ、っと、
跳ねるような音がした。
「近くに、いるのね」
「うん」
「どなた?」
「くつくつ、と呼ばれているよ」
それは懐かしい名前だった。
少しだけ、胸に光が灯る。
ああ、
またマッチが朽ちていく。
「懐かしい名前ね」
「覚えていてくれたんだね」
「今は、まだ、ね」
○
「外は、春かしら?」
「ううん。ずいぶんと、寒くなってきたよ」
「あら。それならあなたはどうしてここに?」
「……良いんだ」
「渡り鳥が飛んで行かずにどうするの?」
「どうも、しないよ」
真夜中のような彼の瞳が、
艶やかに光る。
「そう……あなた、もう……」
「そう。冬が、くるんだ。僕にもね」
○
「それじゃあ、寂しい同士、お話しでもしましょう」
「ううん。今日はお別れを言いにきただけだから」
「あら、やっぱりどこかへ行くの?」
「ううん」
きい──、きい──。
遠くから、音が聞こえる。
何だろう。
「僕は、さっきからずっと見ていたんだ」
がちゃり。
「行くのは君だよ」
○
「わあ、みてママ。お人形」
私に、触れる感触。
誰?
「あら、だめよ。そんな……汚らしい……」
「そんなことないわ。この子、とても可愛いわ」
頬と頬が触れる。
そして、
優しくて、無邪気な口づけ。
私の中の氷が溶けていく。
埃まみれの思い出達は、
本当に必要なものだけを残して、
この新しい風に散っていく。
「あなた、甘い味がするわ」
目の前の少女が、
いたずらっぽく唇を舐めて言う。
「そうね……砂糖菓子。あなたの名前は砂糖菓子よ」
私は、
くすり、と笑った。
○
片眼と、
片手と、
片足と──。
私が失ったものは少なくない。
しかし、
残った片眼と、
残った片手と、
残った片足とで、
私が得ることが出来るものも、
まだあるらしい。
窓枠の上で、
くつくつが笑っている。
「良い旅を」