Neetel Inside 文芸新都
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Wild Wise Words
黄金の心臓

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 来てはいけない。行ってはいけない。動いてはいけない。
 硬直の魔法は、皮膚の上に薄い膜を張るように施され、身体はずっとぬるま湯の中にいるような、疲労とは無縁の心地良さで俺を覆っていた。
 目の前に宝箱がある。中身は空っぽで、積もった埃以外は何も入っていない。こんな物の為に、俺の冒険は終わってしまったのだ。
 この膜から自力で脱出するのは酷く困難な事に思える。何せ足のつま先から手の指、鼻の穴、耳と目、あらゆる穴と窪みはすっぽりと覆われ、生きている事自体が不思議だった。
 魔法の成せる技だ。古代への畏敬。俺に足りなかったのはそれだった。
 罠としてもタチが悪く、これを考えた奴はよほどの嗜虐心を持ってこの宝箱、及びこの神殿をデザインしたのは間違いない。俺のような盗人を撃退や殺害するだけに飽き足らず、こうして罰まで与えるようにしたのだから、なるほど本物だ。
 この無限に近い退屈の中で、俺は自我を失わないように何度も何度も過去を思い出す。
 俺はおそらく、世間一般で言う所の悪党で、盗みやゆすりが生業だった。何せ得意だった。人の弱みを見つけてそれを利用したり、そこにつけ込んだりする事が人より上手かったのだ。不幸な生まれではなかったし、コツコツと働く事も別に嫌いじゃなかったが、悪の方が手っ取り早かったのでそうしていただけの事で、罪悪感が芽生える事もなく、その点においても天職だった。
 ある日盗賊の仲間から、この地下神殿の地図を買った。セコい小遣い稼ぎにも飽きてきて、刺激が欲しかったのかもしれない。伝説のお宝が眠る神殿は、格好のアトラクションだとその時の俺は思った。集めた噂によれば神殿は呪われており、死者がそこを守っているのだという。罠もたっぷり。過去には幾人も命を落としている。そして神殿の最も奥には、『黄金で出来た心臓』が収められており、それを得た者は巨万の富を得るという。ベタだが随分と楽しそうじゃないか。
『来てはいけない』
 俺の探検の計画は完璧だった。腕の立つ傭兵を4人。盗掘の専門家を4人。考古学者を1人。俺を合わせて10人で神殿に挑んだ。道中は呆気ないほど簡単に進んだ。ゾンビ共は傭兵が蹴散らして、罠は全て盗掘家が見破った。考古学者が封じられていた道を拓いた。もちろんそれらは全て俺の指示によってだ。
 だがそいつらは結局、クソの役にも立たなかった。
 最後の最後、宝箱にかけられた古代の魔法には誰も気づかず、俺はあっさりとそれに引っかかり、このザマだ。
 仲間は容易く俺を見捨てて去っていった。しかしそれも無理の無い事。固まったまま動けず、何の反応も示さない俺と、中身が空っぽの宝箱。誰がどう見ても探検は失敗であり、逆の立場だとしても長居は無用だ。
『行ってはいけない』
 だが奴らも俺と同じく「被害者」である事に変更はない。奴らは神殿の入り口にて、待ち伏せしていた暗殺者に皆殺しにされたはずだ。雇い主はもちろん俺。いくら巨万の富といえども、10人で割るのは少し寂しすぎる。心臓は1つしかない。
 果たして俺はいつか解放されるのだろうか。それともこのままゆっくりと朽ちていくのだろうか。空腹感や眠気は感じないし、心は不思議と穏やかだ。ひょっとして、既に死んでいるのだろうか。
 死という物の定義は曖昧だ。自分の認識と、他人の認定には少しばかりのズレがある気がする。生前に事を成し、それを後世に伝える事を永遠の生と定義する者もいる。自分でも気づかぬ内に心が死んでいて、他人がそれをとやかく言う場合もある。生と死。皮膚と膜。
 これらの回想が一体何度目かは俺含め誰にも分からない。記憶と追憶。しかし自我の維持活動が一旦終わった瞬間だけは分かった。長らく無かった外部からの刺激。変わらない石の景色に、突如として映りこんだ1人の人間。
「やあ」
 当然返事は出来ず、俺はそいつを視界の隅に置く。
「返事はしなくていい。無理に動こうとするとますます時間がかかる。『動いてはいけない』だ」
 もしも自由に動けたなら俺は首を傾げていたか、それとも問答無用でぶん殴っていたか、そいつの口調はいかにも俺を説くようで、癪に障った。
「さて、種明かしといこう。反応が無いのは残念だが、頼みたい事もある。ちょっとの間、黙って訊いててくれよ。ちなみに僕は、」
 説法屋と名乗ったその男がした説明は、俺にとって確かめる事は出来ないが、理には適っているようだったし、信じる他に道のない物だった。
 俺を時間膜の中に閉じ込め、固定しているこの魔法は、拘束する為だけの物ではなく、俺の心臓をゆっくりと黄金に変える魔法なのだそうだ。黄金になった心臓は宝箱の中に仕舞われ、俺は死ぬ。古よりこの神殿はそれを繰り返してきており、1人が黄金の心臓を手に入れると、次に入った1人は固められて新たな黄金の心臓を作る。また1人が入ってきてそれを手に入れ、その次の1人は生贄になる。繰り返し、繰り返し、ここは無限に宝を生む装置なのだ。俺は2分の1の賭けに負けてこうなっているという訳だ。
「1番最初に宝があったのか、それとも無かったのかは誰も知らない」
 説法屋はそう言ったが、俺から言わせてもらえればあったに決まっている。盗掘師と考古学者にも悟られずに俺を罠にかけたのは、この神殿に足を踏み入れた時点で既に俺が罠にかかっていたからだ。となれば、少なくともこの神殿には宝を造り続けるという意思がある。欲望の中でも最も人が必死になるのは失った物を取り替えそうとする時だ。盗人の俺はそれを良く知っている。
「そこで頼みがある。君の心臓が黄金になったら、僕が再びここに来るまでそれを守っていてくれないか? つまり、譲って欲しいんだ。君の心臓を」
 嫌なこった。と言いたい所だったが、声は出ない。
「それじゃ、よろしく頼む。対価は新しい心臓と新しい命だ」
 となれば、話は別だ。
 再び、退屈な時間が経過した。その間もケチな盗掘師は幾たびか訪れているようで、神殿のどこかから悲鳴が聞こえてくる事はあったが、俺のいる宝の間まで来れる奴はいなかった。道中の罠や、俺の殺した連中のゾンビに襲われて息絶えたのだろう。準備を怠った者は、心臓すら捧げられずにただの兵隊となる。それに比べれば、俺はいくらか誇らしい存在だと言える。運はなかったが、能力はあったのだから。
 やがてその時が訪れた。俺を覆っていた膜がゆっくりと滑るように落ちていき、顔が空中に触れると、数年ぶりの呼吸が戻ってきた。まばたきを繰り返す。唇を舐める。舌を甘く噛む。胴体が露になった時、欠落を感じた。俺は既に死んでいる。しかし足は動いた。思考もそのままだ。ただ1つ、空虚を埋める為に仕方なく育んだ神殿への信奉。今の俺は、何が何でも俺の心臓を守る為に存在している。盗む事よりも騙す事よりも魅力的な冒険だ。
 神殿の為に戦う日々。五体のいずれかを失えば別の死体でそれを補足し、継ぎはぎだらけになりながら黄金の心臓に忠誠を尽くす。取られてなるものか。これは俺の物だ。そして神殿の物だ。
「お待たせ」
 説法屋の登場。俺は初めての会話を試みる。
「守りきった」
「ご苦労様」
『来てはいけない』
 頭の中の呼びかけを無視して、俺は説法屋を宝の間に誘導する。箱の中から黄金に輝く俺の心臓を取り出し、それを渡す。
「約束は果たした」
「ああ、それじゃあ外に出よう。入り口で新しい心臓をあげるよ」
 俺は黙って説法屋についていく。
『行ってはいけない』
 神殿が俺を止める。知ってるさ。分かっているさ。心配はいらない。
 俺の仮初の命は、神殿という場所に起因している。つまりここを1歩でも出れば、俺はたちまちただの死体となり、本当の無が俺を包むだろう。それはあの優しい膜とは違って、脊髄を芯から凍らせるはずだ。
 俺の悪は淘汰された。今はただ、歩く死体だ。
「君と同じ手を使わせてもらったよ」
 説法屋がそう言った。雇われた暗殺者が1人。俺の頭を銃で狙いながら神殿の外側で待機していた。
「さて、どうする?」
 説法屋が尋ねる。俺は答える。
「『動いてはいけない』」
「賢明だ」
 俺は来た道を戻る。遠くから話し声が聞こえた。
「やっぱりこうなったね。前の人もその前の人も結論は同じだった。どんどんこの神殿は強くなってるよ。2回目に限り」
「神殿の意思はもう関係ないのか?」
「多分ね。神殿と言ったって、どうせ人の造った物さ」
 俺は正真正銘の死体となって、神殿の廊下に転がった。次の客は歓迎しよう。だけどその次の客は駄目だ。その次は歓迎。その次は駄目。歓迎。駄目。歓迎……駄目……。

       

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