Neetel Inside 文芸新都
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Wild Wise Words
彼女はどこへ?

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 巨大な津波が来て、全てを攫ってしまえば良いのに。
 そんな子供じみた悲観は、指先から小瓶の中へと伝わり、中にある小さな砂を湿らせていた。あの男、名前は知らないが、説法屋と名乗るお節介焼きからもらった「記憶の浜」は、一見取るに足らない土産物のような、しかし跳梁たる存在感を持って、私の午後を彩った。
 円筒型の瓶の中には、砂が敷き詰められている。極々小さな粒だというのが手に取らなくても分かる。それはまるで小さく切り取った海辺だった。ガラスを境界にしながら押しては引き返す波。ずっと眺めているとカモメが横切る事もある。瓶を横にゆっくりと傾けると、海が沖まで広がり、砂浜も延びる。しかしその光景はいつも変わらず穏やかで、耳を澄ますと夏が聞こえた。
「この瓶には誰かの記憶が詰まっています。開ける時はくれぐれもご注意を」
 私にこの瓶を渡す時、説法屋はそう言った。だから「記憶の浜」だと付け加えた。「誰の記憶?」とは聞かなかった。私はとても良い物がもらえたと喜んでいたので、余計な事を聞いて取り上げられるのが怖かったのだ。
 いつだって私の側には失う恐怖があった。
「あたしが人間を攫ってくる。それをあんたが分解して売る。どう? 簡単な商売でしょ?」
 私には昔から1つの特技があった。それは人間を分解する事。と言っても、刃物を使って肉を解体する訳ではない。ただ、人間の構成は他人が思うよりも単純な物の集まりで出来ているから、それらが繋がっている目に沿って指をつーっと走らせるだけ。それで1つ1つがバラバラになっていく。そして人間を構成する単純な物は、単純であるが故に高く売れる事もあった。
 例えばアイデア。ただの思いつきにはその人自身の人生が出る。それらは眺めても使っても面白い物で、独特な物ほど高く売れたが、私に言わせれば今まで見てきた中で独特ではない物など無かった。
「攫うのが得意なあたしと、分解するのが得意なあんた。私達、良いコンビになれるんじゃないかしら。ねえ、そう思わない?」
 彼女はそう言って、私の前に手を差し出した。例え彼女を分解しなくても、それが良いアイデアだという事は分かった。
 それから私達は共に過ごし、良く働き、沢山稼いだ。人攫いが得意な彼女が失敗をする事は1度として無かったし、身代金を要求する訳でもないから分解して売った物から足がつく事は無かった。
 欲望なんかもそこそこの値段で売れる。分解する時は、大抵アイデアの横にべっとりと張り付いているので、引き剥がすのに多少の注意が必要だが、欲望は単体でなら醜くもかわいい存在だ。ポイントは持っていた本人が真剣でも、他人から見れば下らない所。お金というプロトコルを使ってようやく理解は出来るが、アイデアとは違って他人の欲望を飲み込もうとする人間は滅多にいない。
 正義、犠牲、信仰なんかは純粋で素晴らしい。持ち主によっては宝石のように光り輝いている事もあるが、一点の曇りもない品は非常に珍しく、これも高く売れた。何に使うのかは分からない。良い物ほど重いので持ち運びには多少の苦労をした。
 きっとこれは、そんな風に他人を分解して商売をしていた天罰なんだろう。
 私は顔だけを上げ、うつぶせに伏せながら、指先で小瓶を揺らしていた。床では私の血が波のようになって潮流を生んでいた。
「さよなら」
 いつもお喋りだった相棒が、最後に私へかけた言葉は呆気なく、それでいて普段よりも大きな意味を持っていた。「何故?」そう訊くのが怖かった。失う物なんて何も無いのに。
 助けは来ない。この隠れ家を知っているのは私達だけで、彼女がそんなヘマをしない事を私は知っている。現に私の心臓は既に止まっているし、脳梁は破裂して綺麗に床で咲いていた。今の私にあるのはこの説法屋からもらった小瓶だけ。「記憶の浜」ふと、どうせ死ぬならと開けてみたくなった。
 折れた指で瓶を掴んで、コルクを抜く。
 すぽん、と気持ちの良い音をたてる。
 それは私の命が終わる音だった。
 瓶の中には何も無い。さっきまで見えていた砂浜も、揺り篭のような波も、時折横切るウミネコも、何も無い、ただ空っぽの味気ない瓶だった。
 一体誰の記憶が詰まっていたんだろうか。そう不思議に思いながら、崩れていく私の命の形を眺め、それから説法屋の言葉を思い出していた。
「あなたの真の才能は、人を分解出来る事ではなく、分解した後の事を考えない所でしょうね」
 その時は、意味の分からない言葉だったが、今となってはっきりと分かった。
 人間は意外と単純な物の集まりで出来ている。アイデア、欲望、正義、犠牲、信仰、それから売り物にはならないけど、主義、葛藤、嘲笑、狂気……だけどそれらを細かく細かく分解しても、その人の記憶が見つかる事はない。何度も試したが、私の目と手ではその人の記憶を掬い上げる事は出来なかった。確実に脳の中にある物なのに、確実にあるかも分からない物の方が遥かに多く見つかった。
「良かった。彼女の記憶は私だけの物だったのね」
 気づくと私はそう呟いていた。何も無い空っぽな海に、大きな津波が来て。
 私の望み通りに、あるいは説法屋がそう仕掛けたように。
 何も無い空っぽな記憶の浜に、大きな津波が来て、全てを攫って去っていった。
 全てを攫って、去っていった。

       

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