Neetel Inside 文芸新都
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基地と畦道
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 物心ついた頃に基地は既にそこにあって、僕はそれを生活の一部分としてあたりまえに享受することができた。台所にある ティースプーンやバターナイフといったものたちと同様に。
 そういうのは別に、僕に限ってということではないし、ごくありふれたことだ。同年代の普通の子たちはみんな、基地に対して僕と同じような感覚を持っているだろう。
 だから幼心に不思議だった。なぜ大人たちは基地を特別なものみたいに語るのだろう。寡黙な祖母や、おしゃべり好きでいかにも愚かしく見える母にとって、それがどれほど異質なものとして映っていたのだろう。想像するのは難しい。 
 僕の村は海にほぼ面した場所にある。浜まで歩いて一分もかからない。
 基地は波打ち際から沖合へおよそ五百メートルにあって、一本の太い連絡橋で陸地と繋がっていた。渚に寄れば四六時中、強靭な金属同士を激しくぶつけ、噛み合わせようとする音が心地よく響いてきた。村の中心に引かれた軍用の輸送路では、昼となく夜となく、土ぼこりと甘い排気のにおいがした。
 そういうことが生まれついてから今までの日常すべてだったから、やはり僕は母の言うことが解せなかった。
 曰く、戦争を憎みなさい。
 だけど、どうしてそれを憎まないといけないのか、母は一切の説明をしようとしなかった。学のなさゆえに、自分の浅薄さが露呈するのを極度に恐れていたのだろうか。しかもそのくせ、夜になると祖母と一緒に切り盛りしてる酒場に出て、軍の男たち相手に満面の笑みで料理を提供し、酒を注いで回っていた。大きくなるにつれて、それは生活のために必要なことだったんだと理解していったけれど、はじめは不可解で、嘘つきみたいで、肉親ながらに気持ちが悪かった。だから僕はお店に出て手伝いをしなくちゃならない歳になるまでは、口数が少なくて無愛想だけれど、誰にでも同じ態度をとっていた祖母をなんとなく信頼して、彼女に懐いていた。実際、祖母も僕がまだ生活の役に立たないほど小さかった頃はよく遊んでくれた。
 当時の記憶として、今でも鮮明に思い描ける情景がある。
 あれは、これ以上ないくらいによく晴れた夏の日のことだ。僕は祖母に手を引かれて村の裏手にひっそりと伸びている畦道を歩いていた。風は、全くなかった。道の脇には砂地にきつく根を下ろすトマトの畑が青々と繁っていて、その奥にあるコルクガシの防砂林の向こうから村市場のざわめきがひそやかに聞こえてくる。
 照りつける日差しを阻む雲は一つとしてなく、今まさに乾いていこうとする世界は視界の中で滲んでいた。行く当て処なんて最初からなくて、僕は被っていた帽子をより目深にしたり、脱いだりと手慰みにしていた。その時、ふと祖母が立ち止まって、遠くを見るように空をやや仰いだ。僕は彼女のとった行動の真意がつかめずにいたが、耳を澄ましてみると道の彼方から、地鳴りのような音が聞こえてきた。それはどこか遠い場所で発せられた轟音が、距離をものともせず漏れ伝わってきているのだと簡単に想像できる響き方だった。
 熱いそよ風が頬を打ち、はたと予感に教われる。僕はいてもたってもいられず、祖母を置き去りに、音のする方へ走りだした。風はおもむろに強くなっていった。畦道は弓なりに曲がっていき、やがて樫林に飲み込まれる。その薄暗い木立の洞窟を抜けると、真っ白な砂浜に出た。
 視界が開けたその瞬間、僕は目撃した。四隻の宇宙戦艦が重力に逆らって飛び立つ現場を。艦影は猛然と白い煙を吐き出しながら、満月のように煌々とした炎に推されて、目の前をゆっくりと移動していく。その姿は完璧といっていいくらいに美しい巨大生物そのものだった。船底はクジラのように滑らかな曲線を描き、敵から身を守る無数の砲門が全体に備わっている。最大の牙となるであろう主砲は側部に堂々と聳え、敵の潜む宇宙に向けてまっすぐに構えられている。
 穏やかな碧海と群青の空、その二つの深い青の中を悠々と泳いでいくに相応しい風格。
 僕は息をのんだ。押しのけられた大気が波となって襲いきて、僕はさらに息をのんだ。心臓が早鐘を打ち、押さえようのない身震いに小一時間立ち尽くした。
 その艦の名はティアマト。すべての神々の母か、あるいは化けクジラか。いずれにしても名に相応しい威容だ。
 そんな体験があったおかげか、成長して店を手伝うようになった時、僕は軍人たちに怯むこともなく、彼らとすぐに馴染むことができた。ティアマトを動かしている人たち。それだけで彼らを忌み嫌う理由なんてなく、むしろ親しくしたいくらいだった。
 店に出始めてからいくぶんか経ち、歳の頃も十を数えるようになると、僕にもだんだんと軍人たちの実態を把握することができるようになった。
 彼らは夜になると軽装車でやってきて、店先に続々と乗りつける。うちにくる連中は変わり者ぞろいだったように思う。酒なんて基地でも飲めるはずなのに、わざわざ橋を渡って内地に来ることからも簡単に察しはついた。
 誰ともつるもうとせずに一人で静かに蒸留酒を飲んでいるごく一部の例外をのぞけば、軍人はみな愉快な人間だった。彼らは古いおとぎ話の海賊みたいによく飲み、よく騒いだ。しょっちゅう喧嘩もしたが決して大事にはならず、後腐れしたことは一度もなかった。殴り合っていたかと思えば、次の瞬間には肩を抱き合って下手な歌を歌っている、そんな人たち。
 だがもしかすると、努めて陽気に振る舞っていなければ正気でいられないような事情を各々に抱えていたのかもしれない。何にせよ、戦う力のない小さな子供には関係のないことだったが。
 夜の酒場を手伝うようになってからは、いくつかの芸を覚えた。最初はハーモニカの演奏を余興としてやっていた。自分でもなかなかの音を聞かせられるまでに上達したと思っていたけれど、軍人たちの受けはあまり良くなかった。だからハーモニカは取り上げられて、別の芸を仕込まれた。
 芸事の短い変遷を経て、ようやく彼らに認められるようになったのがナイフのジャグリングだ。はじめからきちんとした刃のついたもので練習したので、手に切り傷を負ったのは一度や二度じゃない。それこそ数えきれないほど痕になった。だけど、祖母が僕に与えてくれる玩具といったらふた振りの小さなナイフだけだったので、暇をみては白刃と戯れ続けた。
 芸を覚えるのは苦じゃない。むしろ楽しみとしてやっていた。熱心に一つの物事を繰り返していれば、必ず壁にぶつかるものだ。その壁が大きければ大きいほど、乗り越えたときの胸が熱くなる感覚というか、ひらたくいえば達成感が心地よかった。祖母がくれたのは、ただハーモニカやナイフみたいに形のある単純なものだけではなく、練達の日々の中で養われる地道さという気性だった。
 そういえば一度、店の裏でナイフ芸の練習をしているとき、顔なじみの軍人に声をかけられたことがあった。彼はナイフの達人を自称し、小ぶりな僕のナイフを取り上げたかと思うと、目を光らせて仔細に点検し、空を切った。その時彼は飲み物をくれたので、僕はしぶしぶながらに彼の講義につきあった。訓練で習ったことだろうか、効果的に相手の急所を突く方法や、武器ごとの対処法、格闘術を交えた総合的な戦法などの初歩を浅く広く教えてくれた。軍人は刑務所の無頼漢に神の愛について説くバプテスト派の神父みたいに熱心だったけれど、僕はほとんどのことを聞き流していた。
 しばらくするとナイフを返してくれたので、僕はそれを振ったり突いたりしてみせた。その様子を見て、軍人は非常に満足したらしく、お守り代わりの空薬莢と、偉人の横顔が掘られたぴかぴかの硬貨をくれた。僕はそれらを大事にポケットにしまい、彼に礼を言った。結局、硬貨の方は同じ晩に祖母が持っていってしまったけれど。
 ナイフの達人とはまた別で、店にくる他の男たちの中に教育者的傾向を持つ人は割と多かった。彼らの多くは敵を倒すための実地的な手法ではなく、主に精神論や心構えみたいなものを語った。
 軍人たちはしきりに「殺せ」という言葉を口にする。あるいはそれに類すること。敵を駆逐する、全滅させる、根絶やしにする。
 宇宙人――宇宙に住む人間、僕らの敵――は、救いようもなく、純粋に、絶対的に悪い奴らなのだ。だから議論するまでもなくただちに、地球圏から排除し、皆殺しにしてしまわねばならない、と。
 まだ、十年ほどしか生きていなかった僕は、殺すということの実感をもっていなかった。蝿や鼠を殺すことの「殺す」とは、少々事情が違うということを。僕はある時期、僕以外の人間はイラクサみたいに放っておいてもどんどん増えるのだから、殺してしまっても構わないと考えていた節がある。誰にも言わなかったことだけれど。だから、気兼ねなく宇宙人を殺して回ることのできる軍人たちが、野蛮だけど英雄のようで、羨ましかった。
 そういった気持ちが高じてか、ある時うっかりして、大きくなったら軍人になりたいと、祖母に漏らしたことがある。祖母はただ、僕を厳しく睨めつけるだけで特に何も言わなかったけれど、なんだかとても悪いことをしてしまったような気分になった。こっぴどく叱られるよりも、冷たく突き放される方がよっぽど堪えた。呆れきったというか、ほとんど軽蔑したような眼差しを向けられて、すっかり僕の気持ちは萎えてしまった。
 それ以来、僕は家族の前で軍人の話をするのを控えるようになった。母も祖母も、彼らのことを内心では嫌っていたから。
 およそすべての戦争についていえることかもしれないけれど、僕たち一般の市民単位ではこの戦いがいつまで続くか、誰にも分からなかった。毎夜顔ぶれをかえて酒場に通う軍人たちにさえ分かっていなかったんじゃないだろうか。
 ティアマトの初運用から次々に同型艦が出撃していった。艦の出港はいつみても心が躍る。艦隊が発進する段になると、地下からリニアカタパルトがせり上がり、艦首を空に向けて角度をつける。発射台が補助するのは初段加速だけ。巨体が動き出してからややあって、補助ブースターに点火される。そうしてあの美しい兵器は白い航跡を空に曳きながら、暗黒の世界へと旅立っていく。
 重力を振り切っていったクジラの仲間たちが、再び重力に引かれてこの地球に戻ってくることもある。だけど多くの場合、それは撃沈されてしまった残骸だった。
 大人たちはこのごろ流星が増えた、という話し方をする。つまり、敗残した艦が大気に焼かれて燃え尽きる光のことを指した。陰に陽に軍を批判したいがためだ。戦争で死んでいったものたちは、地球の空で星になる。皮肉にも詩的なこの表現は、村の大人たちに浸透していった。祖母は夜に外で野菜の皮を剥いているときなど、ますます際立っていく空の火の粉を目にして、命の灯が燃えている、と満足げに笑ったものだ。
 それから季節は確かに巡り、永遠に続くかと思われていた僕たちの平穏な生活にも影が差し始める。
 情勢が日を追うごとにきな臭くなっていくのは、酒場に来る軍人たちの顔色を見れば明らかだった。子供にだって簡単に分かることだったのだ、大人たちが覚悟を決めていたのは必定のことだろう。一人の不安は十人に伝播し、村を包み込む嫌な空気が膨れあがっていた。村の中心を通る輸送路には自走砲が配備された。一般人に対して情報統制がなされ、前線の目処を誰もが見失いながら、今か今かと戦闘を待っていた。
 そしてある夜、ついに僕たちの村で火の手があがった。
 耳をつんざくばかりのサイレンが海上にこだまし、飛行機が基地から一斉に飛び立っていく。軍によりあらかじめ設定されていた避難場所へ逃げようとする人々の流れから外れて、僕は一人小高い丘の樹上から戦争を眺めた。基地から発進し、天空の小さな点と化した攻撃機と戦闘機は、大編隊を組んで東へ。大陸側からやって来るであろう、敵の軍隊を迎撃しにいった。
 音速の飛行機が裂いた空気の叫びが消える頃、東の空は朱に染まり、小さな、綿毛ほどの火種が夜一面に花開いた。だけどそれは宇宙人が完遂しようとした策の一部にすぎなかった。
 空の向こうで繰り広げられている戦闘に集中していると、突然基地の方角から大きな爆発音が鳴り響く。驚いて振り返ると、夜の暗闇にまぎれて、敵のものとおぼしい数機の攻撃機が、発艦作業で無防備な状態だった次世代艦を攻撃している。基地の警備に当たっていた戦闘機がスクランブル発進するも、すぐ撃墜されてしまった。彼我の航跡を遠目に追っていても、その性能差は歴然だった。敵はおそらく新型を導入している。
 防御する術を奪われて、基地上の戦艦はもはや無用の長物となっていた。魚類はおろか、鳥にさえ似ても似つかない醜悪な飛行機に、美しいクジラは蹂躙された。敵の機影は獲物を値踏みするように、隊列を組んで基地上空を旋回していたけれど、そのうち音もなく、まるで闇から染み出してきたかのようにあらたな機影が加わった。後続は奇妙な形状の翼を持った爆撃機のようだった。その黒い機体は速度を落として安定姿勢をとると雨のように爆弾を降らせ、ついに戦艦を炎の中に投げ込み、基地を無惨なまでに燃え上がらせた。
 クジラは船体の半分以上を焼かれつつも、今際のきわに怨嗟の念を成就せしめようとして、不随の体を引きずりながら、過剰出力で主砲を放った。だが光の矢は敵を貫くことなく、星々の世界へ発散し、オーバーロードに堪え兼ねた砲門は主とともに散華していった。
 任務を終えた敵機のうち一機が、僕たちの村に向かって高速で飛来し、無駄な抵抗をしている自走砲にミサイルを撃ち込む。敵ながら鮮やかとしか言いようのない手際だった。攻撃対象の沈黙を確認すると、宇宙人の戦闘機はそのまま翼を翻し、海の方へ戻っていった。数分後、僕たち基地の攻撃機が引き返した時には、既に守るものなど一つも残されていなかった。
 その翌朝、野外で一晩過ごした僕はなにくわぬ顔で酒場に戻った。母、祖母ともに怪我一つなく、避難所で一夜を明かしたようだった。家は無事で、というより、村全体がほぼ無傷のまま戦火をくぐり抜けた。被害があったのは軍の輸送路と、兵站くらいのものだった。
 壊滅状態だった基地は、その後、魂が抜けたみたいに静かになった。襲撃から数ヶ月経っても強靭な鉄の響きが蘇ることはなかった。もと通りに再建される予定もないらしくて、縮小体制のまま運営を続けている。
 それとは別にもう一つ変化があった。戦闘があったあの夜以降、いつも店に来ていた顔なじみの軍人がめっきり姿を見せなくなったこと。多分、彼らにもプライドがあったのだろう。僕みたいな子供にあれだけ大見栄をはっておいて、いざ戦いがあるとこのざまだったのだ。いったいどんな顔をして酒が飲めよう。理由を考えるのは簡単だ。
 それでも僕は思い切って祖母に聞いてみることにした。軍人たちはどこに行ってしまったの、と。
 決して少なくはない男たちが、死んでしまったことにはもう勘づいている。ただ僕は、宇宙で死んだ者は空で星になるけれど、地上で死んだ者たちはいったいどこへ行くのか知りたかった。
 祖母は感情を交えないで、答える。
「死んだんだよ。死んで、神の国を仰ぐ者はそこへ、悪魔と契った者は地獄へ、何も信じていない者はただ土へ還るんだ」
「じゃあ、星の光になれないんだね」
「そうさね。死人すべての墓碑を建てるには、この空は狭すぎる」
 僕はそれっきり、訪ねることをやめた。そしてポケットに忍ばせたナイフを軽く握りしめた。もし僕が死んだら、僕の魂はどこへ向かうのだろうか。ナイフの滑らかな刀身に自分の瞳を映し、僕はしばし己を見つめた。


 
(了)

       

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Neetsha