「満月さんに相談、か……」
ベッドに寝転がり考えこむマルカ。
確かに、恋の相談をするなら同性にした方が適当だろう。
聡明な満月なら、間違いなく的確なアドバイスをくれるはずだ……
「でも……」
気になる相手がハルじゃなかったら、そう言い切れただろう。
満月がハルに恋愛以上の感情を抱いているのはもはやこの館では常識だ。
ハルの為なら何でもするし、ハルの側に居ることを幸福としている。
愛情を超えて盲信となった彼女の感情は、マルカの理解の範囲外にあるのだ。
そんな満月に、ハルの事を好きになった、恋しているかもしれない……なんて言ったら。彼女はどんな反応を示すだろう。
「……やっぱり、怒るよね」
恋のライバル、なんて可愛いものではない。
ハルを横取りする可能性が少しでもある相手に、満月はどんな仕打ちを下すだろうか。
「…………」
想像するだけで震え上がる。
顔の形を欲情しないような形状に作り替えられるかもしれない。
女性機能を根こそぎ奪いとって性交そのものを不可能にするかもしれない。
最悪、邪魔者は事故として――
「マルカ、夕飯何か食べたいものは……」
「うわああああああああああああああああ!!!!」
突然呼びかけられて、マルカはベッドの端まで高速で後ずさりをした。
「……マルカ?」
きょとんとする満月に、マルカは息を荒くして答えた。
「ままま、満月さん、どうしました!?」
「どうしましたはこちらが聞きたいのですが。扉が開けっ放しになっていたので、ノックせずに呼ばせてもらいました……大丈夫ですか?」
ハルの仕業だ。
「は、はい……」
「失礼しますよ。何か悩みでもあるならお聞きしますが」
やってきたのは、悩みそのものだった。
(……でも、私の気持ちは……)
渋るマルカに寄り、座る満月。
ひたすら唸って考えこむ少女に催促するでもなく、彼女が喋るのを待っていた。
「……例えば、の話ですけど」
「はい」
「ご主人様が、別の女の人を好きになったりしたら……満月さんはどうします?」
目を合わせずに、尋ねる。
今目を見られたら、全て見透かされてしまう気がしてならなかったからだ。
「どうする、とは?」
「満月さんはご主人様の事が好きですよね。でも、もしもご主人様が他の人と結婚したいと言ったら……
満月さんは、相手に、ご主人様に、どう思いますか?」
「どう思う、ですか。おめでとうございます、と思うでしょうね」
あっけらかんとそう言う満月に、ついマルカは振り向いてしまった。
「えっ!? ……満月さん、誰かにご主人様を取られてしまって大丈夫なんですか?」
しまった、と思う前には満月は返事をしていた。いつも通りの口調で、表情。
「マルカは勘違いしてるようですね。私はご主人様のメイド、それ以下ではあっても、それ以上ではありません。
ご主人様の意思は即ち私の意思。ご主人様が誰かと結婚したいとおっしゃるのなら、止める権利などありませんし止めようとも思いません」
権利が無い、と言うのは正確ではない。
権利を捨てたのだ。満月が、自ら。
「……だから、マルカがご主人様と結婚することになっても、ひどい事をしたりはしませんよ」
僅かに微笑んだような表情を見せる、満月。
「! ち、ちがいます! 私はご主人様を横取りしようだなんて、そんな……」
「わかってますよ。でも、私に遠慮することはありませんよ、マルカ。ご主人様が幸せなら、私も幸せです。
ご主人様がマルカを娶りたいとおっしゃるなら、マルカも私のご主人様となる。それだけです」
語りかけるように優しい満月の口調は、マルカを安心させる。
だが、問題はこれからが本番なのだ。
「私は……ご主人様に、恋をしているのでしょうか」
「あら、自分でわからないのですか?」
「はい。これまで恋なんてしたことないんです。ご主人様に対する好きと言う感情が、どういうものなのか……
新しい家族に対する好き、なのか。助けだしてもらった事に対する恩の好き、なのか。異性としての好き、なのか。
私には、わかりません」
ふむ、と考え込んだ末に、満月は確信めいたものを持った。
「それはきっと、全部ですね」
「全部……?」
「はい。家族としても好き。この館で暮らせるようにしてくれた事も好き。ご主人様は魅力に溢れたお方なので、男性としても好き。
少なくとも、今は色々な『好き』が混ざった状態でしょう。好きと言う感情は、無理に別々に分ける必要は無いのです。
一緒に過ごしていく内に、どの好きが一番になるかはわかりません。自然にそうなったら、そう思えばいい。それだけの事です」
満月の言うことはもっともだった。しかし。
「でも、ご主人様は俺を好きになるな、って……。幸せにできない、って言ってたから、多分異性としての好き、だとは思うんですけど……」
ハルから貰った言葉は、突き放すような。しかし優しさを込めた、拒絶だった。
「恋をしたいならすればいい。でも俺はやめておけ……そう言ってました」
「ご主人様も、恐らく同じです。マルカに対する好きは、一つじゃありません。
マルカを性の対象として好きであると同時に、家族としても好きなのでしょう。
マルカに奉仕を強いる負い目もあって、貴女を少しでも幸せにしてあげたい。そう、お考えになっている……のではないでしょうか」
「私は……」
満月がマルカを抱きかかえる。
マルカは、こうやって抱擁されるのが好きだった。思わず、自分も背中に手を回してしまう。
「ゆっくり考えていけばいいのですよ。今答えを出す必要はありません。
まだマルカには、これからいろいろな出会いが待っています。そこで、恋をする事もあるでしょう。
それでも、どうしても、ご主人様以上に好きな人はいない……そう心から思ったら、もう一度言えばいいのです。
『貴方の隣に居ることが、私の一番の幸せです』と」
「…………ありがとうございます」
色々な意味を込めての、礼だった。
相談に乗ってくれたこと。自分の心の靄を振り払ってくれたこと。
そして、ハルを好きでいてもいいと言ってくれたこと。
(……やっぱりすごいな、満月さんは)
こんな女性が側にいてくれて、敬ってくれる。ハルが羨ましかった。
(勝てないだろうな……こんな素敵な人には)
そして、ちょっとだけ複雑な気分にさせた。
「ところでマルカ」
「はい?」
「私の事は、好きですか?」
心なしか、抱きしめる力が強まったような気がした。
「はい、勿論です。満月さんも大好きですよ」
「それは、どういう好きですか?」
「うーん……ご主人様に対する好き、と似ていると思います。同じかどうかはわかりませんけど……」
「私は、ご主人様がマルカに対して感じているであろう『好き』と、恐らく同じ感情です」
「…………え?」
急に。
柔らかい肉質と甘い匂いが、マルカの口を満たした。
「!?」
口内に侵入する、満月の舌。
身体でそうしてるのと同じように、マルカの舌をきゅっと抱きしめた。
ゆっくりと、離す。
「ま……満月さん?」
マルカの顔は紅潮していた。
拒絶の色は見えないが、それでも相当慌てている。
「どこの世界でもそうですが、三角関係と言うのは辛いものです。
誰か一人が、結ばれた二人の間から弾かれて、消えてしまう……。
きっと優しいマルカは思うでしょう。自分は弾かれたくない。でも、私が弾かれるのも心が痛む、と。
ならば全員、相思相愛になればいいのです。全員が全員を愛すれば、誰も弾かれない。幸せな世界が続くのです」
もっともらしいことを言いながら、マルカの背中をまさぐるようにさする満月。
「ででででも、私達女同士ですよっ!?」
「何の問題があると言うのでしょうか。私はマルカの事を好きですよ。同性ですけど、性の対象として。
……マルカは、私とそういう関係になるのは嫌ですか?」
顔が再び近づく。
端正な、顔だ。女から見ても、目の前にあるとどきりとしてしまうような。
「いや、じゃ……ない、です」
そう言って、今度は自分から口吻を仕掛けるマルカ。
満月の優しい味が、口いっぱいに広がった。
「よかった。実のところ、私はご主人様の次に家族が好きで、その次に可愛い男の子と女の子が好きなんです。
そして貴女は家族で、可愛い可愛い女の子。きっとご主人様もお喜びになるでしょう。早速カメラの用意をしないと」
「え、これからですか!? 今おっぱじめる気ですか!?」
「はい」
意気揚々とハルの部屋に向かう満月。
ゆっくりとドアが閉められて、マルカはほんの僅かの、一人の時間を迎えた。