Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 「満月お姉ちゃん! 僕のちんちんが大きくなっちゃったよ! どうしようどうしよう! ……あれ」
 全裸で居間に飛び込んだハルが見たのは、聖母のように優しく微笑んで膝枕をし、安らかに眠っているマルカの頭を撫でる満月の姿だった。
 「あらあら、それは大変です。今すぐ私がお口で鎮めて差し上げますね……マルカ、起きなさ」
 「ストップ! ストップですぜ満月ちゃん! そのままそのまま!」
 その美しい光景を危うく崩しそうになり、ハルは慌てて満月を制止する。
 自室に戻りちょっちゃと服を纏い、改めて居間へと戻ってきた。
 「なんだマルカ寝てるんなら別にいいわ。寝かせといてやれ」
 「しかしご主人様のおちんぽが……」
 「えーってえーって」
 満月の隣に座ると、背中をやや丸めて、くーくーと可愛い寝息を立てるマルカの頭が手の届く位置にあった。
 「なんやこいつかわいいな」
 「はい。猫みたいですね」
 そう答える満月は、表情以上に楽しそうだ。
 (満月が自然に笑う事も、珍しくなくなってきたな)
 マルカが来てから彼女は少し、ほんの少しだけ元の性格に戻ったような気がする。
 (体は器用な癖に精神は不器用極まりないからな、こいつは。もっとも……)
 それは自分を想ってのメイドである。ハルに文句など言えるはずがなかった。
 「満月」
 「何でしょう?」
 「俺のこと、情けなく感じたことはないか?」
 突然の質問に、満月はゆっくりと首を振ってから答える。
 「ただの一度もございません。ご主人様は、立派なお方です」
 「そうか。俺は毎日思ってる、お前に甘えて無理ばっかりさせて……」
 「ご主人様」
 ぴしゃり、と満月が言葉を切った。
 「ご主人様は、病気を患ってらっしゃいます。それはれっきとした精神の病です。
 甘えもへったくれもございません。気合でどうにかなるものではないのですから」
 満月はそう言う。しかしハルはそうは思わなかった。
 「俺は甘えだと思っている。普通逆だよな、本人が肯定して周りが否定しそうなもんだが。
 大の大人のそれも男が、ちょっとショック受けただけでセックス依存症だぜ? 情けなくて涙も出ねぇよ」
 吐き捨てるその口に、満月が優しく唇を重ねる。
 「……情けなくなどありません。ご主人様は、今この瞬間にも自分の病気から逃げずに戦っておられます。
 なんとかしないといけない、と。ご立派でいらっしゃいます。ですが、急ぎすぎは逆効果です。ゆっくりと治していきましょう。私がついてます」
 「……お前は本当に便利で馬鹿で都合の良い肉便器だよ、満月。もう少しだけ……甘えさせてくれ」
 「ありがとうございます、これ以上ない褒め言葉です。私は、ご主人様がどんな決断をなさってもずっとついていきます。ご安心下さい」
 ハルは安心したように微笑み、それはそうと、とポケットからおもむろに猫耳を取り出して、尚もすやすやと眠り続けるマルカの頭に装着させた。
 「にゃるか」
 「おお……」
 満月は口元を手で抑えてぷるぷると震えていた。
 
 

 ◯



 「少し大きいみたいですね」
 「むー……」
 部屋の元の持ち主はマルカと同世代だったが、彼女より身長が高かったらしい。
 と、言うよりは十分に栄養を取っていたとは言い難いマルカが小さいのか。
 どちらにせよ、彼女の部屋にある数々の衣類は大きすぎた。
 セーターの袖は余るし、ジーンズは裾が引きずる。
 「着てもおかしく見えないのは、こっちの引き出しの中だけですね……」
 前の持ち主が昔来ていたと見える服は、ほとんど処分されてしまっていたようだった。
 趣味は悪くない、というよりむしろ良いだけに、マルカは落胆を隠せなかった。
 満月にかかれば、仕立て直す事も可能であった。が。
 「折角ですし、これからでも買いにでかけましょうか」
 「え!?」
 「え?」
 マルカのリアクションの大きさに疑問を覚える満月。
 「わ、私が服を買っても……あ、ご主人様もいいって言ってたんだっけ……」
 「ああ、そういう事でしたか。大丈夫ですよ。好きなだけ買っても」
 「す、好きなだけ!?」
 「はい。お金ならいくらでも使っていいとのことです。『あいつは一回くらい甘ったれの金持ちボンボン糞ガキになってもバチは当たらん』とおっしゃられていたので」
 「そ、そんなにはいりませんよ……」
 と、言いつつもマルカは期待に溢れた表情をしていた。
 「ではお着替えなさいマルカ。流石にメイド服で外に出るわけにもいきません」
 「って事は、満月さんも着替えるんですか?」
 「当然です。準備ができたら呼んで下さいね」
 部屋を後にする満月。
 何を着て行こうか迷ったが、どうせすぐに買うのでそこまで考えても仕方ないと思い、シンプルな長袖のシャツにカーディガン、桃色のスキニーパンツを纏う。
 ここに来てからと言うもののメイド服と寝間着以外に着替えなかったマルカは、久方ぶりにごく普通の少女になった気分だった。
 (本当に……久しぶり)
 鏡で見る自分が、本当に自分なのかと疑わしくなるほどだった。
 服装もそうだが、血色の良さに、生き生きとした目と表情。髪の毛にも艶が出始めている。
 あの頃からは考えられないほどに、まともな生活を送っている証拠だった。
 (これもご主人様のおかげ、か……ありがとうございます、ご主人様)
 ばたーん。
 「お! こんな所になんか可愛い服着たロリがいるぞ! ねえねえお嬢ちゃん、その服に精子かけていい?」
 「調子に乗らないで下さい」
 「ひどくない!? 今のは俺もひどかったけどひどくない!?」

 屋敷の外に出たのも、思えば十数日ぶりだった。
 「わ、寒い」
 感想した外の空気は肌を刺すように冷たく、木々の葉も散って、すっかり冬の様相を呈していた。
 ダッフルコートに満月から貰ったマフラーと毛糸の帽子で、寒波に対抗する。
 「中もちゃんと厚着しないと風邪を引きますよ。大丈夫ですか、マルカ」
 「私は大丈夫ですけど……満月さんこそ、寒くないですか?」
 メイド服を着ていない満月は、タイトなワンピースにストッキングを履き、茶色いモッズコートを羽織っていた。ヘッドドレスは勿論、眼鏡も外している。
 大人っぽい、と言うより早く、寒そう、と言う感想が出てくる。
 「いえ、あまり。その気になれば全裸でも歩けます」
 「やめて下さいね」
 手袋を持ってくればよかった、と気づいたが、取りに行く前に満月から渡された。
 「ありがとうございます……あ」
 いい事を思いついたとばかりに片方だけそれをはめて、もう片方の手を満月に差し出す。
 「手、繋いでいいですか?」
 「ええ、もちろん」
 手が冷たい人は心が暖かい。そう言うけど、別に冷たい人に限ったわけじゃないんだな。
 マルカは今ある繋がりの温もりを、しっかりと握りしめた。
 
 バスでショッピングモールまで向かう。
 服もそうだが、アクセサリーにスマートフォン、果ては女児用の玩具に至るまで、マルカは目を輝かせながらそれらを眺めていた。
 足を止める毎に満月が「買いますか?」と聞くので、マルカは慌てて否定する。
 本当はどれもこれも欲しかったのだが、これまでの環境での経験からか、欲張る事は躊躇われた。
 だがそれを察知した満月が隙あらば買い与えようとするので、マルカは「今度買って下さい! 今日は服だけにしましょう!」と釘を刺すのだった。
 周りからはさぞかし変な姉妹に映っただろう。
 「随分頑なに断ってくれますねマルカ……次はご主人様も一緒に買物しましょう。私がマルカを抑えている隙にご主人様が片っ端から買い漁るフォーメーションで金に溺れさせて差し上げますので」
 「何ですかその甘やかし方!? ……私も、本当は欲しいんです、どれもこれも。でも……」
 「でも?」
 「拾って貰った身で、贅沢するのは気が引けます。それに、あまり欲張って多くを求めると……幸せが逃げていきそうな気がするんです。今でも十分に幸せなのに、あれもこれもって欲しがると……」
 不安がるマルカに、満月が微笑みを向ける。
 「マルカ。子供は甘えて遊ぶのが仕事です。みんなやってることですよ。一回だけ、一回だけ」
 「そんな薬物じゃないんですから……」
 「大丈夫ですよ。マルカがどれだけ聞かん坊で手のかかるワガママ娘になったとしても、私もご主人様も絶対に見捨てたりしません。私達は、家族です」
 「……はい!」
 笑顔になったマルカを見て、ここぞとばかりに満月が手を引っ張る。
 「と、言うわけで何か買わせなさいマルカ。一つ買うまで帰りませんよ」
 「普通逆ですよ!?」
 結局、エナメル製の赤くて大きな財布を買わせさせられる事になり、マルカは初めての私物らしい私物を手に入れた。
 明らかに子供が持つには多すぎる額を無理矢理突っ込まされて困ったような顔をしながらも、歩きながらずっとそれをまじまじと眺めていた。
 「あれ、あんたひょっとしてマルカ?」
 「え?」
 突然名前を呼ばれてそちらを向くと、二人組の少女がこちらを見ていた。
 高校生かそこらくらいの歳の、裕福ではないにしろ、それなりにしっかりした服の茶髪の少女。
 「あっ……」
 同じ娼館の、先輩だった。
 そこまで接点があったわけでは無かったが、マルカはそこでの生活を思い出して固まってしまう。
 少女はつかつかと歩み寄り、マルカの格好を眺める。
 「なんか金持ちに買われたって聞いたから、てっきり酷いことされてんのかなーと思ったらなんだ、元気そうじゃん」
 もう一人もそれに習って近づいてくる。
 「あらら、随分とまあ暖かそうな格好しちゃって……可愛がられてるんだ」
 「あ、あの」
 上手く言葉が出ないマルカを遮るように、満月が前に出る。
 「うちの子に……何か?」
 明らかに威圧的な態度。
 少女達は当然、マルカも自分に向ける優しい声より低いそれに少し慄いた。
 「え、な、何? この子の保護者?」
 「いや、別にうちら変な事しようとしたわけじゃ……」
 「ま、満月さん! 虐められてるとかそういうんじゃないんですから!」
 腕を引っ張って制止するマルカ。
 「す、すみません……お久しぶりです」
 「いや、ごめんね、なんか怖がらせちゃった?」
 「まさかこんな所で見かけるとは思わなくてさ。ちゃんとご飯食べてる?」
 彼女達に特に悪意があったわけではなかった。むしろ、僅かながら心配もされていたようだ。
 「はい」
 「変な事されてない?」
 「は、はい」
 「何で今どもったん?」
 「だ、大丈夫ですよ! それよりも、あの……私だけ、良い暮らしをさせて貰って、申し訳ない、と言うか……」
 気まずそうに言うマルカに、二人はからからと笑った。
 「そんなん気にする事じゃないって。良かったじゃん、よさそうな所に拾われたみたいでさ」
 「私達もあんまり面倒見なかったから文句も言えないよ。あんた要領悪かったからねー。あの糞親父に媚びすら売らなかったんだもん、あそこじゃ無理だよ」
 三人の会話を聞いて、満月も警戒を解いた。
 どうやら、そこではマルカは相当出来の悪い子だったらしい。
 「あんたが買われたおかげで糞親父の羽振りがよくなったからね。少しは私らや年少組も楽になったよ。感謝してるくらい」
 「すっかり人柱扱いだったからねえ、マルカ……」
 「そ、そうだったんですか……よかった……」
 「まあ、そういうわけだから、顔……は出さなくてもいいにしろ、元気でやんな」
 「もう戻ってくんなー。あんたの居場所はこっちにゃないよー」
 「あ……ありがとうございます!」
 笑い方は下品だが、彼女等の言葉には優しさが篭っていた。
 マルカは深々とお辞儀をして、先輩達の後ろ姿を見送っていた。
 小さくなった所で、ぼそりとマルカが呟く。
 「あの、満月さん。わがまま言ってもいいですか?」
 「何ですか?」
 「私がいた売春宿の人達を……」
 「マルカ」
 意図を察知していた満月は、静かにマルカに諭す。
 「人助けとは、他人の力を使ってするものではありません。そして、貴女のそれは一方的な善意の押し付けです」
 「!……」
 「人が困っている。助けたい。そう思うのは当然です。ですが、じゃあこの人も、あの人も、と言うわけにはいきません。いくらお金があっても、世界中の貧困に苦しむ子供を全員救うことなど不可能です。わかりますか?」
 「…………はい……」
 マルカの目元が、僅かに滲む。
 しばしの沈黙の後。満月は、彼女の頭を撫でて続けた。
 「でも」
 慈愛に満ちた、いつもの声で。
 「貴女は自分のために言わなかったわがままを、人のために言えた。とても優しい子です。
 一回くらい、甘ったれた考えの金持ちボンボン糞ガキになっても、バチは当たらないでしょう。
 流石に、家で全員養うと言うわけにはいきませんが……手を回して彼女達の生活が楽になる程度なら、十分可能です」
 「本当ですか!」
 ぱぁっと明るくなるマルカ。それに対し、満月は意地悪っぽく言う。
 「可愛い妹の頼みです、口添えしてあげましょう。ご主人様にこっぴどく叱られる覚悟ができているのなら、ですけどね」
 「は……はい! お願いします!」
 洋服の袋を抱えた二人は本当の姉妹のように、仲良く帰路へとついていく。

 「ただいまー、です」
 「ただいま戻りました」
 玄関を開ける。ハルの出迎えは無かった。
 マルカが外出したのは初めてだが、常に性欲を持て余しているハルなら発情した犬の如く、帰ったら真っ先に飛びかかってきそうだ、と思っていた。
 違和感を覚えながらも、マルカは居間へと歩いて行く。
 その時突然、満月の直感が嫌なものを捉えた。
 自分達と違う臭いがする。
 男一人、女一人。
 まさか。いや、その可能性は十分に――
 「マルカ、待ちなさい!」
 一瞬、遅かった。
 満月が言うより先に、マルカはその扉を開いてしまっていた。






 「…………お父さん? お母……さん?」


 マルカの表情が明るくなった。
 それに反比例して、満月の顔色が悪くなる。
 完璧なメイドが、暑くもないのに汗を滝のように流していた。

       

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