手術が終わり、家に帰って、ハルの予想通り悲鳴を上げ、茹で卵抜きの夕餉を終える。
 マルカは『ハルの』蔵書室に赴き、読みかけだった漫画の続きを手にとった。
 (ロシア語で書いてあるの、これだけなんだよね……)
 そして、読み終わった。
 たまたま見つけた、全五巻の少女漫画。翻訳されてるのはこの一種類のみである。
 まともな教育を受けさせてもらえなかったマルカはかなりの時間をかけて読み切った。
 他は本も漫画も全て、背表紙に読めない言語の……恐らく日本語であろう文字が並んでいた。
 一応、他の部屋にはロシア語で書いてある本、ハルの祖父のものが山のように積んであったりする……が。
 義務教育も受けていないマルカにとっては、日本語の漫画の方がまだ理解できるものであった。
 「あ、ロリだ」
 入ってきたハルが、本棚に寄りかかって漫画の裏表紙を眺めているマルカに近づいてくる。
 「ご主人様、どうしてこの本だけ日本語じゃないんですか?」
 いやーロリはええわーと尻を触ってくるハルを振り払い素朴な疑問をぶつけるマルカ。
 「ああそれ日本だと絶版になってるんだよ。満月が昔読んでたやつなんだけど、こっちの本屋で偶然見かけたんだ」
 「そうなんですか……」
 「ロシア語の勉強にもなったしな。まあ大体読めるようにはなってたんだけど」
 基本的に二人っきりの時は日本語で喋るハルと満月だが、マルカがいる所では流暢なロシア語で会話をしている。
 日本語が聞き取れないマルカに疎外感を与えないように、と言う配慮だ。
 「わかんないんなら俺でも満月でも聞けば読んでやるぞ」
 「本当ですか?」
 「ああ、何でも読んでやるぞ。これなんかどうだ、『艶妻~昼下がりの情事~』」
 「いいです」
 明らかに官能小説である表紙を一瞥してマルカは即答した。
 「満月にこれを音読させながら俺の上に跨がらせて腰を振らせるとめっちゃ気持ちいいんだわ」
 「知りませんよ。普通の読んでください普通の」
 そう言われてハルは3メートル程もある本棚の列に目を通した。
 少年漫画、青年漫画、小説……様々なジャンルの本が並んでいる。
 「普通のねー。ガンツとかベルセルクとかは見せられないよな……」
 「えっちなんですか?」
 「まあエロくはあるけどお前の想像とは多分違う。絵本があればいいんだがな……くせにー(クセニア。マルカの部屋を生前使ってたハルの従姉妹である)のがどっかにあるかも。部屋には無いだろ?」
 そこまで子供じゃないですよ、と言おうとして口籠る。
 (……絵本なんて、読んでもらった事もなかった。一度くらい、満月さんの膝の上に座りながら読んでもらいたい……かも……)
 自分の中に残ったままの幼さに恥じらいを感じながらも、マルカはそれを否定しようとはしなかった。
 「お、いいのあるじゃーん……っても、これは満月に読んでもらった方がいいな。寝る前にでも読んでもらえ」
 そう言って、ハルは文庫サイズの小説をポンと投げ渡す。
 金髪の少年が小さな星の上に立っている、素朴な絵柄の表紙だった。
 「やっぱアレだな、読み聞かせは満月の方が雰囲気出るわ。俺はもっとアクティビティな遊びの方が向いてる」
 「あくてぃびてぃー……?」
 首を捻るマルカに、ハルは得意気に笑って指を立てる。
 「おままごとだ」



 ○



 「……さっきも言おうとましたけど、私そこまで子供じゃないですよ」
 「へーきへーき。俺お前くらいの歳でも余裕でヒーローものの遊びしてたし」
 改めて言い直すマルカだが、ハルの手は止まらなかった。
 倉庫となっている多数の部屋の一つ、クセニアが使ってた玩具がある部屋へと移動した二人。
 てっきりなにか理由をこじ付けてペニスを舐めさせてくるんだろうとばかり思っていたマルカの予想は外れ、ハルは部屋の奥をごそごそと漁っている。
 「俺怪人の真似凄まじく上手でさ、あっちこっちで引っ張りだこになったんだぜ。たまたま学芸会に来たスーアクの人に褒められた事もあったな……」
 (将棋の件といい、ご主人様って結構いろいろ特技あったんだ……)
 意外な過去の一面を耳にし、マルカはハルについて悲惨な過去以外ほとんど知らない事に気付いた。
 (満月さんなんて、昔は全然性格違ったって……聞いてみたいな)
 「あったあった、これだ」
 そう言って持ち上げたそれを運び、でんと下ろす。
 ブラウン管テレビほどの大きさの、小洒落た家である。
 犬小屋のような簡素なものではなく、精巧なミニチュアハウスであった。
 屋根を開け、壁を外して開けば、少女と少年の人形が寝転がっている。
 「ルビーちゃんとクリフハンガーくんだ」
 「そんな名前なんですか?」
 「いや今決めた」
 ハルは少年の方を手に取り、掴んだまま地面に立たせる。
 そして人形を揺すりながら裏声で喋りだした。
 「やあルビーちゃん! 僕とセックスしようよ!」
 「待って下さい待って下さい」
 マルカはルビーちゃんを動かすことなくおままごとを中止させた。
 「どうした?」
 「クリフくんの声と性格がおかしいです。多分その歳だとそんな気持ち悪い声は出ないと思いますし最初に言うことがセックスしようよってご主人様じゃないんだからあり得ません。こんなのクリフくんじゃないです」
 「お前がクリフくんの何を知っているッ……! クリフくんはなぁ、火事で一家全員を失ったショックでセックスでしか愛情を確かめられなくなってしまったんだ!」
 「それご主人様じゃないですか! やめて下さい、おままごとにそんな重い設定はいりません!!」
 「俺が演じるにピッタリのキャラ付けだと思ったんだが……」
 「ピッタリすぎて笑えないです。もっと普通の男の子でいいじゃないですか……」
 「仕方ない。初回なんだしソフトにいくか」
 「次からもハードにはいかないでいいです」
 気がつけばマルカも、おままごと自体は受け入れていた。
 すっかりハルのペースに乗ってしまった事も知らずに、マルカは人形を手に取る。
 「こんにちはクリフくん。私の家へようこそ」
 上半身は可動しないので、マルカはルビーちゃんを体ごとお辞儀させた。
 「ここルビーちゃんの家なの? 他に誰もいない家に男を招くとかルビーちゃん完全に誘ってんな」
 「違います!!!! 違います!!!!! ルビーちゃんはそんないやらしい子じゃありません!!!!!!」
 素でツッコミを入れるハルにマルカは怒りながら反論した。
 「お前がルビーちゃんの何を知っているッ……! ルビーちゃんはなぁ、元は社長令嬢だったのに母は病死、父は社内でのイザコザから自殺に追いやられて……」
 「それ満月さんじゃないですか! なんでご主人様は自分たちの重い過去をそう簡単にネタにできるんですか!!」
 「今となっては過去の話だしなぁ。日本人は自虐ネタ大好きなんだよ」
 「とにかく、ルビーちゃんもクリフくんも普通の女の子と男の子です!! ご家族は全員生きてますし性欲もありません!!! あるのは恋心だけです!!!!」
 「ありませんってのはおかしくないか。恋心だって転じれば性欲に」
 「ないんです!!!」
 「はい」
 マルカの剣幕に負け、ハルは渋々普通のカップルを演じさせられる事になった。
 だが。

 「平和に過ごしてた二人! だが突然開かれた扉から入ってきたのは怪人クマザラシであった!! クマー! 人間の雌だクマー!!」
 「なんでぬいぐるみを持ち出すんですか!?」 
 「連れ去られるルビーちゃん!! このままでは秘密基地に持ち帰られ肉便器として獣姦触手に人体改造のフルコースで廃人にされてしまう!!」
 「やめて下さい!! ルビーちゃんを助けて下さい!!」
 「くそう、こうなったら変身だ! 僕の正体は実はキャプテン・アメリカだったのさ!!(カチッ)」
 \アベンジャーズアッセンブル/
 「全然体格も人形のサイズも違うじゃないですか!! 普通の男の子設定はどうしたんですか!?」
 「キャプテンパンチ! キャプテンキック! ファイナルジャスティス!! DOGOOOOOON!!!」
 「別に窓から捨てなくてもいいじゃないですか!! クマザラシ木に引っかかっちゃいましたよ!?」
 「ルビーちゃん……無事でよかった……うっ……!? バタッ……クリフ君は過去に大怪我を負ってヒーローを引退したのだ。変身して戦う事自体自殺行為に等しかった」
 「知りませんよ!!!」
 「果たしてクリフくんの運命や如何に! 続く!」
 「続きませんよ!! 終わりですもう終わり!!!」
 マルカは怒鳴ってクマザラシを回収するために部屋から出て行ってしまった。
 一人残されたハルは。
 
 「うーむ、男なら完全に乗っかって来るのに。女の子の遊びはよくわからん」
 と首を捻るのだった。