Neetel Inside ニートノベル
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 「ふぁー……」
 つけっぱなしのテレビゲームとスナック菓子が散乱した部屋、そのベッドの上でソフィアが起床する。
 本来は一時的な客に宛てがわれるはずの部屋は、今やすっかりソフィアの自室と化していた。
 と言うのも、『たまに餌をねだりに来る野良猫』だったソフィアが屋敷で生活していく中で『たまにふらっと散歩する家猫』となりつつあるからである。
 寝ぼけまなこのままカーテンを開けば、眩しい日光は混沌と化した部屋を照らす。
 「あー……これ、どーしよ」
 昨日は屋敷から銀の食器をちょろまかして換金し、その金で購入してきた新作のゲームを夜遅くまで遊んでいた(もちろん好きなだけ菓子も買ってきた)せいで部屋の中は荒れ放題である。
 こんな状況が満月に見つかれば、ただでは済むまい。
 最終的にどうなるかを瞬時に予測して、ソフィアは反射的に臀部を手で庇った。
 「間違いなく犯される……」
 最近では例の『おしおき』を受ける度に、羞恥心と嫌悪感の間にある小さな快感がどんどん膨れ上がってきているような感じがして、自分に怖気が走る。
 このままではそう遠くない内に陥落し、自分からおしおきを求めるレズM奴隷になりかねない。
 あの女に全裸で尻を振って、『お姉さま……どうか私のお尻の穴に、お姉さまの綺麗な細い指を、ぬぷぬぷって入れて、ぐぽぐぽってかき回して、気持ちよくしてください……』と笑顔で肛辱をねだる自分の姿を想像し。
 (……いっそ殺せ)
 この世の終わりを見ているような顔でそう願うのだった。

 実際の所、そうなったらソフィアはおしおき欲しさに悪戯をして迷惑をかける悪循環になるであろう事は目に見えてるので、満月はソフィアを堕とすような事はしない。
 性の超越者である満月にかかれば開発具合をリセットすることすら容易である。
 ソフィアが言う事をちゃんと聞く娘にならない限り、『おしおき』は『ごほうび』にはなり得ないのだ。
 当然、そんな事はソフィアが知る由もない。
 
 「よし、逃げよう」
 そしてほとぼりが冷めるまで屋敷には戻らないようにしよう。ソフィアはそう思い立ち、さっそく荷物をまとめた。
 片付ける、と言う選択肢などない。いつも口うるさく叱ってくる満月の言う事を素直に聞くのも癪だし――
 (そんな事したら、まるであたしが……あの女に、褒めてもらいたいみたいじゃんか)
 ――と言うわけである。
 着たまま寝てしまったので皺だらけになったメイド服も脱ぎ捨て、私服に着替える。
 マルカの服を買うついでに満月が買ってきたものなので、コーディネートが適当でもそれなりに見えた。
 愛用のリュックサックを背負い、部屋を飛び出すと。
 「あら、ソフィア。おはよう」
 「ん、ああ。おはよう……?」
 優しい目をした見知らぬ女性が歩いていて、まるで知り合いのように話しかけてきた。
 ふわっとしていて柔らかそうな素材の、淡い水色ドレス……所謂森ガールのような恰好をした、見た目麗しい女性である。
 長い黒髪には黄色のリボンが結ばれており、どこか抜けてるようなぼんやりとした雰囲気を持っていた。
 「どこか行くの? 朝ごはん、すぐできるよ」
 「え、ちょっと外に……朝飯は、腹減ってないから別にいらないんだけど……」
 「そうなの。じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」
 そう言って、階段の方へ歩いて行ってしまった。
 色気のない微笑みは美人というよりは可愛い系のもので、幼さが抜けきっていなかった。
 背中を見つめ、残されたソフィアが呟く。
 「……誰?」
 メイド服は着ていなかった。もしかしたら、ハルが連れてきた新人のメイドなのかもしれない。
 その割に、自分の名前を知っていた。どこかで会ったことがあるだろうかと思い、少し考えてみるも。
 「うーん……記憶にないなー」
 わからない以上気にしても仕方ない。ソフィアは満月がやってこない内に、とっととおさらばすることを決める。
 「一応だんなに報告しとくか……」
 もしも満月が一緒だったら、不審者がいると騒いでどさくさに紛れよう。
 ソフィアは廊下を忍び足で駆け、ドアが半開きになっているハルの部屋を覗き見た。
 どうやら満月はいないようだった。ノックもなしに部屋へと飛び込む。
 「だんなー! あたししばらく帰ってこないからー!」
 「…………あー、そうなんか……帰ってくる前に連絡しろよ。飯の準備しないとだからな……」
 まだ寝ていた様子のハルがだるそうに返す。
 もぞもぞと動くが、布団から出る気配はない。まだ眠っていたい様子だ。
 「あ、あとなんか知らない女の人が廊下歩いてたよ」
 「んあ……? 何それ、どちら様?」
 「だから知らないんだって。なんかあたしの事知ってて、ふわふわした格好した、アジア系ってかたぶん日本人の、なんか頼りなさそうな、だんなよりちょい下くらいで、黄色いリボン付けてる……」

 三秒の、沈黙。
 その後。
 ハルが凄まじい勢いでベッドから飛び起き、一瞬でソフィアの目の前まで移動した。
 びくんと驚くソフィアの両肩を掴み、ハルは目を見開いて尋ねる。
 「今黄色いリボンっつった?」
 「う……うん」
 「どこ行った?」
 「え、階段の方……」
 とソフィアが指差すと同時にハルはソフィアの脇を抜け、見たこともないような速度で廊下を走り抜けていった。
 「え、だ、だんな!?」
 何か尋常ではない様子だった。
 本当ならとっとと館を脱出するべき状況だが、だからと言ってこのよくわからない事態を放置するのは嫌だった。
 「なんなんだよ、もう!」
 ソフィアもハルの後に続き、廊下を駆ける。

 「もう9時だよね……?」
 パジャマ姿で一階に降りてきたマルカ。
 朝食が用意されていないので、作っている最中かなとキッチンを覗くも、誰もいない事で眉をひそめて本格的に状況を訝しんでいた。
 「満月さん、確か部屋にいなかったと思ったんだけど……」
 起きた時ベッドにいたのは、自分とハルだけだった。だからてっきり、満月が既に起きていて朝食を用意しているとばかり思っていたのだが。
 「材料が足りなくて買い出しとか……満月さんに限って、そんな事あるはずないか……」
 冷蔵庫を開けると、普段通り無駄に高級な食材が詰まっている。
 「うーん……??」
 満月はどこに行ってしまったのだろうか。
 少なくとも、部屋にハルはいたはずだ。マルカは彼に姉の行方を尋ねに行こうとした。
 すると、女性が前から歩いて来た。メイド服ではない、何者かが。
 「あ、おはようマルカ。ごめんね、もしかしてお腹減った? 今から朝ごはん作るから、少し待っててね」
 「…………?」
 さも当然と言ったように話しかけてくる、満月と同じくらいの歳の女性。
 顔立ちも満月に似ているものの、纏う雰囲気はまるで逆の、柔らかい物腰である。
 「…………あ」
 誰だろう、と思った瞬間にマルカは記憶に引っかかるものを感じた。
 こんな状況を、過去に一度だけ体験したことがある。
 そう、あれはたしか去年の誕生日。朝起きたマルカの横に立っていたのは執事姿のハルと――
 「えっと……ひょっとして……」
 その時、階段をせわしなく降りる音が奥から響いてきた。
 少しだけ驚いたように尋ねるマルカと、全速力で女性に駆け寄ってきて肩を掴み、問いかけるハルの言葉は、全く同じタイミングで発せられる。
 

 「新月さん、ですか?」
 「新月、なのか?」


 その女性はマルカに目を細めて優しく微笑んだ後、振り向いてハルに答えた。


 「おはよう、ハルくん」



  【新月ニュームーンをさがして・前篇】 












 追いついたソフィアは大体の状況を把握してひっくり返るほど驚きながらも、ある出来事を思い出していた。
 それは先週の7月7日。日本では七夕と言う祭りがあり、願い事を短冊に書いて笹に吊るせば叶うと教わった。
 『めし ゲーム ちんぽ』と汚い文字で書いて、「それ願いじゃなくて現状維持だろ」とツッコミを入れられた短冊。
 の、裏側のはしっこに。よくよく見ないとわからないように小さく願いを書いていた。


 『あねごがあたしにもやさしくなりますように』






 「マジで?」

       

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