「……ふう」
 肩まで湯に浸かり、マルカは一息をつく。
 「ここ、広いな……」
 合わせてテニスコート2つ分ほどの大きさの浴場には、三つの風呂があった。
 中心の大風呂と、テニスコート1つ分……つまり半分を占める露天風呂。
 そして、隅っこに設置してあるジャグジー風呂。いずれも、常に湯が供給されている。
 マルカが入ったのは、ジャグジー風呂だった。
 水流のマッサージで身体をほぐそうと思ったからではない。単純に、一番狭いからだった。
 風呂どころか、まともにシャワーすら浴びることも久々なマルカには、広い風呂は……と言うより広い家は落ち着かなかった。
 娼婦をしていた頃は、客の相手をしたら水浴びで身体を清めていた。
 凍えそうになるのを、肌の触れ合いと運動でどうにか誤魔化す。
 病気にでもなろうものなら、もうおしまいだ。客を取らない娼婦に、食料など与えられるはずがなかった。
 寝る時も、常に場所の取り合いだった。毛布一枚で殴り合いの喧嘩に発展していた事も珍しくなかった。
 気の弱いマルカは争いに参加などできるはずもなく、震えながら夜明けを待つ日々を過ごしていた。
 環境は、最悪だった。ハルに買われる事なく、あそこで娼婦……いや、性奴隷を続けていたら、遠からずマルカの身体には限界が来ていただろう。
 「私……助かったの、かな」
 だが、マルカの心にはまだ不安と、怯えが残っている。
 性欲のはけ口に少女を買う。それだけならまだ理解はできるが、よりにもよってこんなボロボロの奴隷を買う意図。それがわからなかった。
 表向きは行方不明扱い。闇から闇に消えるような、存在そのものが希薄な少女。
 どこでひっそり葬られようと、誰も気にも留めないような。世界から目を背けられた少女。
 そんなマルカを、大金をはたいても欲しがる男は……果たして彼女に、何を望むのだろうか。
 「…………」
 考えれば考えるほど、悪いイメージしか湧いてこない。
 殴る蹴る怒鳴るで済めば、まだいい。
 もしも、あの善人(マルカにはそう見える)面の下に、猟奇性を秘めていたなら……。
 傍らに立つ機械のようなメイドも、その恐ろしさに拍車をかける。
 あのメイドは、主人に口答えどころか質問すら一切しなかった。主人が紡ぐ全ての言葉に、二つ返事でイエスを返していた。
 あの人は男に、何をされたのだろうか。男はあの人を使って、私に何をしようとしているのか。
 やれと言われたら、彼女は躊躇うこと無く何でもするだろう。
 手足を切り取れと言われたら、鋸を持ってきて私の身体に刃を立てる。
 剥製にしろと言われたら、ナイフを持ちだして私の生皮を丁寧に剥ぎ取る。
 丸焼きにしろと言われたら、串を持ちだして私の身体に――
 一度疑い始めたら、もうマイナスの想像は止まらなかった。
 「に、逃げないと……」
 マルカが立ち上がる。と同時に。
 視界に入ってきたのは、ワカメのような独特な髪型をした痩せ気味の男と、服の上からはわかりにくかったが、存在感を強調する胸を持った女性。
 「あー、疲れた……お、見ろ満月。あんな所にロリがいるぞ」
 今、残虐非道の鬼畜なイメージが浮かんでいたその主人が。
 「そのようですね」
 そして、冷酷で感情の無い機械のような召使いが。
 共に全裸で浴室に入り、マルカに近づく。そして隣に座った。
 反射的に、慌てて座り直すマルカ。
 「汚れた体で失礼。出るとこだったか?」
 「い、いえ」
 「て言うかお前風呂……大丈夫なの?」
 「は、はい」
 体……主に女性器のことについて、だった。
 化膿はしていないのでなるべく清潔にするように、とは医者に言われたが、傷物になってる事には違いない。
 「どこもかしこも汚れていたので、全部洗い流しておこうと思って……」
 これまで酷使した身体とその記憶を綺麗さっぱり流したい一心で、痛みを誤魔化して丹念に清めた。
 この程度、日頃受けてきた陵辱に比べれば大したものではない。
 「そうなんだ。まあ大丈夫ならいいんだけど」
 と、そこで満月が口を開いた。
 「ご主人様、マットのご用意はいかが致しますか?」
 ハルを挟んで向こう側にいるメイド。マルカから顔は見えないが、豊満な胸はハルの後ろから飛び出ていた。
 「いらんわ。さっき散々絞られたからな。もう勃たねーよ」
 「左様でございますか」
 ハルは改めて、マルカの身体をしげしげと眺める。
 酷いものだった。
 幼く肌白い少女の、顔を除く全身に無数の歪が走っている。
 まるで、青いクレヨンだけ持った子供がキャンパスに落書きしたかのようだった。
 現代アートにしては趣味が悪すぎる。
 「あの、何か……」
 無言で見つめられたマルカは、恐々と主人に尋ねる。
 「あ、悪い。恥ずかしかったか」
 「いえ……慣れてますので」
 その繕ったような弱々しい笑みは、彼女の境遇を察するに余りあるものだった。
 マルカはまだ、『道具』だった。少なくとも、ハルにはそう見えた。
 ハルはほとんど無意識に、マルカの背中に手を回していた。
 「マルカ」
 「は、はい」
 「嫌な事があったらはっきり言え。お前のような偽善者ロリコン野郎になんか触れられるのもごめんだ、とか堂々と言っちまえ。
 俺は拒否されなければ普通にお前を犯す。好きだからな。拒否されれば何もしない。好きだからな。
 となりのねーちゃんがガンを飛ばしてくるかもしれんが」
 「そのような事はございません」
 「……それでお前を追い出したりとか、急に飯が粗末なものになったりとか、そういう事は一切しないしさせない。約束する。
 そんで、したい事があったら言え。学校行きたいとか、服買ってほしいとか、家に帰りたいとか。何だっていい。何だって聞いてやる。
 あ、思ってても死ねとか言うなよ。となりのねーちゃんがキレる」
 「そのような事は……………」
 「あるのかよ。まあともかく、お前はまだ子供なんだ。わがまま言っていいんだ。って言うかそれくらい聞いてやんねーと俺が自己嫌悪するんだよ。頼むから好き勝手してくれ」

 言われて、思い出した。
 自分はまだ、子供だったのだ。
 誰もそんな事は言ってはくれなかった。自分に課せられた役目は、性欲を満たすだけの道具だったのだ。
 人間である事すら、忘れかけていたのに。
 歳相応の『少女』として愛されたことなど、これまでに一度も。一度たりとも、無かった。
 マルカの精神が、揺れる。
 様々な感情が入り混じり。毒々しいような、それでいてどこか温もりを感じるような。そんな液体になって――
 「一つだけ……お願いします」
 「おう、言ってみろ」

 

 「……家族に………なって下さい…………」
 ――マルカの作り笑いを、溶かした。

 「もう家族だ。俺も、満月も」
 この男は、自分を騙しているのかもしれない。
 安心させた所で、非道な振る舞いをするのかもしれない。
 騙されていたとしても。この優しさが嘘だったとしても。
 今はこの優しさに、騙されていたかった。
 ようやく、少女は――泣くことができた。