「なぁ……本っ当にこの人、あねごと同一人物なの?」
ソフィアはハルに尋ねる。
目玉焼きを作ると新月は言ったはずなのに、最終的に出来上がったのは何故か玉子焼きを丹念に焦がしたような物体だった。
満月だったら、目隠しをされてもこんな失態はあり得ない。
「あ、あはははは……どうも、感覚が馴染まなくて……」
と新月は笑うが、ハルは知っていた。
はっきり言って、新月の身体的性能はポンコツであると。
「……満月があれだけ何でもできるから、もしかしたらとは思ったんだけどな」
ハルはフライパンを流しに放り込み、中華鍋を取り出した。
そして油を計りもせずに流し込み、卵を片手で割って混ぜはじめる。
「座ってろ新月。俺が作る」
「……ごめんね」
「気にすんな、いつも世話になってるんだ」
すごすごと食卓……応接間に向かう新月を見て、マルカも口を開いた。
「ご主人様、お料理できるんですか?」
「満月と比べたらガキのままごとだが新月と比べりゃプロ級だ。一人暮らししてたからな」
と言って手際よく強火で炒めていく。
十分後には、三人分の炒飯が女子達の前に並んでいた。
「へー。だんなやるじゃん」
「おいしそう……」
「……ハルくん、そんなの食べないでもいいよ?」
心配そうに言う新月の視線の先には、先ほど新月が焦がした
そしてそれを、ハルが箸で切り分ける。
「いいや、新月の手料理だ。俺がいただく。さ、とっとと食えガキ共」
マルカは手を合わせて、ソフィアはスプーンを取りながら早口で。同時にいただきますと言って、ハルの作った炒飯を口に入れる。
「んおー、何これ美味いじゃんだんな」
「うん、これ美味しいです。ご主人様いろいろできるんですね」
流石にいつも満月の作る料理を食べてるだけあってリアクションは薄めだが、それでも貧乏育ちの二人はもぐもぐと食べ進める。
それに続いて、ハルと新月もそれぞれ料理を口にする。
一方の新月は恐る恐るといった様子でハルに尋ねた。
「ハルくん、おいしくないでしょ? 私のと半分こしよう?」
「何言ってんだ、欲しくてもやらんぞ。いやー、下手したら小学校以来か。久々に食ったけど結構イケるな、これも」
そう言ってガツガツと焦げた料理を平らげるハル。
実に四人分もの焦がし卵を、次から次へと口に入れていく。
思い返せば、調理実習で料理を焦がしてしまい、捨てようかと思っていた時もそうだった。
本当は美味しいはずがないのに、彼はこうやって全て食べてしまったのだ。
「うへー、まずそー……まあ元が食い物だけマシか……」
(……ご主人様って、やっぱりかっこいいな)
見てるだけで口の中が苦くなりそうだと言わんばかりに顔をしかめるソフィアに対して、マルカはハルの行動に、彼の良さを改めて実感していた。
「しっかし、新月に戻って大丈夫なのか? またすぐ満月に変われるかわからないから安易に戻らないって言ってたのはお前だろ?」
「うん……それなんだけどね。朝起きたら、何故か
「なんじゃそりゃ」
朝食後のコーヒーを飲みながら状況について確認するハル。
一応事情を知っているマルカはまだしも、ソフィアは何が何だか全くわかっていない様子だった。
「……つまり、あねごは眼鏡を取ってリボンを着けると変身して若返るの?」
と言った具合である。
「まあ確かに変身したかってくらいの変わり具合だが別に人格が違ったりはせんぞ。あくまでスイッチで性格を切り替えただけだ。ってかお前は満月をいくつだと思ってたんだ……」
「え、30はゆうに超えた年増ババアとばかり」
「ソフィア、私の事そんな風に見てたんだ……」
満月だったらこの場で痴態を晒すことになるような迂闊な発言にも、新月はしょぼんと落ち込むばかりである。
「わ、悪かったよ。そんな凹まれると調子狂うな……」
ソフィアの前での満月は『厳格で口うるさいメイド長』であった。美人であることを否定はしないが、可愛いなどと言う台詞とは無縁の女性。
それがこんな『頼りない感じがするけど優しげなお姉ちゃん』になってたら驚くのも当然である。
「人格が違ったりはしないってことは、三日月くんと同じで新月さんも私のこと知ってるんですよね?」
「もちろん。マルカのことならなんでも知ってるよ。どこを撫でてもかわいいんだよねマルカは」
質問するマルカのほっぺたを手の平で優しく触れる新月。
いつだって優しいお姉ちゃんと認識しているマルカにとっては、新月と満月にそれほどの差はない。
新月の手に逆らわず、その上から手を重ねてリラックスするマルカの幸せそうな顔を、ソフィアはぼーっと見ていた。
「新月、何かしたい事とか、してほしい事とかあるか? いつも無茶言ってるから今日くらいは何でもしてやるぞ」
「私が好きにやってることだから……ハルくんが気を遣うことなんてないよ」
「なに満月みたいなこと言ってんだおめーは。彼氏が甘えろっつったら好きに振る舞うのが彼女の役目だろうが。うだうだ言ってねーで俺の自己満足に付き合え」
それを聞いて新月はふふっと笑みを漏らした。
「ありがとう、ハルくん。じゃあ、そうだね……今日は外を出歩きたいな」
「おーデートか。そうそう、そういうのでいいんだよ」
満月の口からはとても聞けなさそうな台詞を聞けて、ハルは大層ご満悦の様子だった。
「じゃガキども、俺と新月はちょっくら恥ずかしげもなくバカップルしてくるから留守番よろしくな」
「へーい」
「わかりました。楽しんできてくださいね、二人とも」
「おう、土産も買ってきてやるから大人しくしとけよ、特にソフィア。腹減ったらデリバリー頼んでいいから……」
と話を進めるハルに対し、新月はきょとんとした顔で言う。
「え、四人でだよ?」
「あ?」
「は?」
「へ?」
そういうことになった。
遠慮気味にしてるマルカに、屋敷にいても暇になるからついていった方がいいかなと乗り気だったソフィアを加えてバスで街へ向かう。
したいことならなんでもしてやると言ったのはハルだが、できることなら新月と二人っきりのデートが良かったのが本音だ。
隣の席で楽しそうな顔をしている彼女を見て、ハルはやれやれとため息をつく。
「適当な所でホテルに連れ込んでたっぷり犯してやろうと思ったんだがな。まさか『みんなで行った方が楽しい』なんて言わないよな?」
「あはは、ごめんねハルくん。そこまでは言わないけど、みんなで行っても楽しいよ」
「どうかしたんですか、ご主人様?」
「いや、なんでもない」
マルカは日本語で会話する二人が気になって声をかけるが、ハルは適当に誤魔化す。
「私映画観に行きたいんだ。マルカとソフィアはどこか行きたい所、ある?」
一方で新月は自分が言いだしたデートなのに少女二人に行き先を委ねる。
「私はお洋服が見たいです」
マルカはそこまで気にしなかったが。
「え、あたしも?」
まさか自分に振られるとは思っていなかったソフィアが面食らった。
「うん。ソフィアよく外出するけど、こっちの方にはあまり来ないでしょ?」
その通りである。
屋敷に出入りするようになって身なりはまともになったものの、小奇麗な街に自分は場違いな気がして、用がなければ進んでくることはない。
楽しそうな家族連れなんて、見ていて面白いものでもないから。
「……すい」
「え?」
小さな声で呟くソフィアの言葉が聞き取れなくて、新月は聞き返した。
「香水、買いに行きたい」
俯きながら言うソフィアに対して、ハルは(臭い気にしてんのか? 別にいつも館で洗ってるから臭くないのにな)と心の中で思ったが。
「!……」
「わかった、一緒に見に行こうね」
マルカと新月は、彼女の心境に気付いていた。
最初に向かったのは映画館であった。
買い物が……特に、洋服を買うのは最後にしないと荷物がかさばって仕方ない。
(……俺より力ある満月ならともかく、新月には重い荷物なんざ持たせられないからな)
人格ではなく性格を変えただけだというのに、どうしてこうも身体スペックが変わるのだろうか。不思議で仕方ない。
ハルが先導し、三人が付いてくる形でロビーへ赴く。
「あ、これ見たかったんだー!」
とラブロマンス映画を指して跳ねる新月の姿は、懐かしいながらも新鮮だった。
マルカは珍しいものを見るような目で。ソフィアは飼っていた犬が突然二足歩行で歩き人語を喋り始めたのを見ているような目でそれを眺める。
(エクスペンダブルズが見たいとは言えない雰囲気だな……)
ハルは大人二枚子供二枚、映画のチケットを窓口で注文した。
聞いたことあるようなないような主演女優の名前がタイトルの後に引っ付いているそれを三人に配って、スクリーンへと向かう。
ハルがチケットを買っている間に新月は少女二人に大きなポップコーンとジュースを買い与えており、戻ってきたハルにもコーラを差し出した。
「はい」
「おう」
こんな些細なやりとりさえ、十年近く行っていなかった。
「これどうですか、新月さん」
涼し気な薄い水色のワンピースを纏ったマルカが新月に尋ねると。
「買おう買おう! マルカは本当に何来てもかわいいよぉ~」
だらしない顔をした新月が即購入を決める。
既に買い物カゴは洋服で山積みになっており、2つ目のカゴをハルがそっと隣に並べた。
「……女が服買うとなげーんだよな」
「全く、なんであんなに時間がかかるやら」
腕を組んで待つハルの隣で、ソフィアもため息を吐いた。
「お前だって女だろ」
「あたしは寒さを凌げて悪目立ちしなければなんでもいーの」
「おしゃれの一つくらいしたらどうだ? 美少女なのに勿体ないぞ」
「美少女なのは否定しないけど。だってさ……着飾ったところで、破かれてちんこ突っ込まれるのがオチだよ。嫌でもないけど、意味無いじゃん」
大した事でも無さそうに言うソフィアに、ハルが怪訝な顔をする。
「一桁歳の発言とは思えんな……スラムに戻らなけりゃいい話じゃないのか? 俺の家なら服は破かんぞ。ちんこは入れるけど」
「……そうなんだけどね。あたしは根っからのてーへんだから……豪華な暮らしは好き、だけど……なんか……」
感情をどう言葉にすればいいのかわからない幼き少女。
ハルは放任するのは無責任と感じる一方、彼女を館に縛り付けるのが最善とも思えなかった。
「うちはいつでも開いてるからな。セックスしたい時は勿論、そういう気分じゃない時でも、いつでも来ていい。それだけは覚えておけ……
あ、あと満月はお前にとっちゃ口うるさいロリコンレイパーババアかもしんないけどな。なんか色々盛大に間違えてるけどあれでもお前の母親でいようと思ってるんだ。嫌ってやんなよ」
そう言われて、ソフィアは先ほど買って貰った、満月が使ってるものと同じヘアコロンをぎゅっと握りしめた。
「……そのくらいわかってるよ。……あんがと」
俯いて小声で応えるソフィアを抱え上げ、ハルは新月に押し付けるように渡す。
「え、だんな、何」
「新月、ソフィアも服興味あるんだってよ」
「本当!? じゃあソフィアにも、色々買ってあげるね!!」
「いや、ちょっと……」
「マルカ! ソフィアもお揃いの着たいんだって!!」
「本当ですか!?」
「おーい……」
きゃっきゃと姦しい二人の間で居心地が悪そうにするソフィア。
そうしてそのまま、更衣室に押し込まれてしまった。
「かーわーいーいー!」
「かーわーいーいー!」
「……ひどいはずかしめだ……」
言うほど嫌そうでもないソフィアの呟きは、誰にも聞こえることはなかった。
「ぐぅ」
「んー……」
遊び疲れたせいか、少女二人は帰りのバスの中で眠ってしまっていた。
「こうやって眠ってると、ソフィアも歳相応のガキなんだがな」
「そうだね。二人とも、本当の姉妹みたい」
髪(と眼)の色は違えど、二人の寝顔は安心しきった安らかなものだった。
愛に飢えていて、温もりを求めている。境遇が似ている二人は、初対面があんなことになったとはいえ、打ち解けるのも早く、すぐに仲良しになった。
「……ソフィアにとって、マルカが支えになっていてくれればいいんだけどな。マルカに姉の役を押し付けてるようで申し訳ないけど……」
自分の至らなさに歯がゆく思いながら、新月はソフィアの小さな体を優しく抱きしめる。
「そうでもねーよ。お前の不器用な優しさも変態性も、ソフィアはまとめて愛として受け取ってるぜ」
「……そうかな」
「そうなんだよ。ま、ケツはもう少しやさしめに調教してやれ。恥ずかしさと気持ちよさと悔しさでわけわかんなくなって反抗したくなってるとこあるからな」
「うん……がんばる」
自らの髪を嗅いでるかのように顔を埋めるソフィアの頭を、新月はそっと撫でてやった。
結局その日は寝るまで新月がソフィアに付きっきりとなり。
「新月と恋人セックスして種付けによる種付けで妊娠させたかった……」
と言うハルの願望はお預けとなってしまった。
だが、有無を言わさず抱きついて一方的に可愛がってくる新月をうっとおしいと素振りを見せながらも表情が笑っているソフィアを見て、仕方ないかと笑いながらハルも早めに床につくのであった。
翌日。
何事も無かったかのように新月は満月へと戻っており、朝の8時には芳醇な匂いの朝食が食卓に並んでいた。
(ずっとあっちの性格のままでいたらと思ったけど……そんなにうまい話はないか)
とソフィアは思いつつも朝食をさっと平らげて自室に向かおうとすると、満月に呼び止められる。
「ところでソフィア、貴女が使っている部屋が随分と散らかっていましたが」
「ぎくっ」
そう言えば、片付けるのも逃げようとしていたのもすっかり忘れていた。
昨日はハル達の部屋で寝かされたために自室の部屋の状態を見ていなかったためだ。
どうしよどうしよ、と冷や汗を流すソフィアに、満月はため息一つ漏らす。
「……今回のところは片付けておきました。次からは自分で片付けなさい」
「え……あ、うん……」
てっきりひどく叱られるもんかと思っていたものだから面を食らった。
満月は指をわきわきと蠢かせて、ずいと近寄る。
「次に散らかしたまま外出したらお尻をいじめて欲しいサインだと見なしますよ」
「わ、わかった……片付けるよ」
「よろしい」
と言って満月は去っていこうとした。
その背中に、ソフィアは問いかける。
「……姉御、今どっち?」
「どっち……? ああ、性格の事ですか。見ての通り、『満月』ですよ」
「あ、うん……そう、だよな……」
どうにもしっくりこないと言った様子のソフィアに、満月はほんの少しだけ口を綻ばせた。
「やっぱり気が変わりました。ソフィア、地下室へいらっしゃい」
「ええええ!? 何で!? 今の質問まずかったの!?」
絶望の表情を浮かべるソフィアを逃がさないようにしながらも優しく抱きかかえ、満月は上機嫌で階段へと向かう。
「大丈夫ですよ、今日はおしおきじゃないので気持よくして差し上げます」
「そ、そっちの方が怖いから! あたしはレズじゃないし! なりたくもないし!!」
「ふふっ」
「ふふっじゃないよ!!!」
「大丈夫ですよ――とろとろにしてあげます」
本気で言ってる目を見て、ソフィアは実感した。
優しい方が怖い。