Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「なん、だよ……なんなんだよ」
 ソフィアは、自分の感覚に従って行動した。
 自分に対して豪勢な料理が振る舞われるだなんて事を不気味に思い、わけのわからなさから逃れるように走り去った。
 屋敷を抜け出し、来た道を戻り、人々が往来する街並みを横断していつもの裏通りへと到達してようやく止まった。
 全速力で走り抜けてきた。あの暖かい場所から。冷たいコンクリートの上に、更に冷たい雪が積もったなにもない場所へ。
「なんで、あたしが……あんな、目に……」
 あのままあそこにいたら、きっとよくない事が起こっていた。
 だって――自分の価値なんて、せいぜい少女趣味の男を満足させられる程度だから。
 一晩抱かれて、数日生きていける程度の金を貰って、運が良ければ宅配ピザの切れ端くらい頂戴できる。価値なんてそれだけだ。
 間違っても、あんな天上人が食べるようなご馳走が振る舞われるはずがない。
 だから、あれはきっと、絶対に、何かの罠だ。自分に酷い事をするための、何かしらの落とし穴だ。そうでないといけない。そうでないとおかしい。
 自分に救いが来るなら、あの時に来るはずだっただろう。
 助けを必死に求めた、今をも上回る人生の最底辺を這いずり回っていた頃。それが終わりを告げた、あの日に。

「……おなか、すいたなぁ」
 鳥を一羽丸々焼いたような肉料理の匂いが、まだ鼻の奥にこびり付いている。
 きっと、もう二度と生涯で口にできないであろう料理の味を想像し、ソフィアは惨めさと空腹感で涙をこぼした。
 助けを求めても、誰も手を差し伸べてくれない。
 すがるべき両親は、もういない。

「やっぱり、あたし……生きてちゃ、いけないのかな……?」

 生に希望は、何一つない。
 死の先に待ち受けているのは、間違いなく地獄だろう。
 ソフィアは、逃げることしかできなかった。
 希望から。死から。
 そして、罪から。
 




「くそっ、いねぇか……」
 ソフィアを追いかけてきたハルは、彼女と出会った通りに戻ってきた。
 だがそこには彼女の姿はなく、座っていた雪の凹みがあるだけ。
 携帯を取り出し、満月に連絡を入れる。
「おう、俺だ。マルカと一緒に飯先に食ってろ。もうちょい探してから帰るから、マルカ頼む」
 返事を聞くと同時に通話を切った。
「もうちょい金持ってくるべきだったか……満月だったら湯水のように使って探し出してただろうな」
 呟きつつ、路地裏へと進む。風は多少吹き込むが、屋根が張ってあり雪はあまり積もっていなかった。
 踏み込むと、奥には10代半ばの少年が数人、閉店後の店から一時的に拝借してきたと思しきゴミ箱を漁っていた。
 彼らはハルを見て排他的な目を向けるが、あまり気にする様子もなく残飯を口にしている。
「おいガキ共、たまにはいいもん食え」
 カードや免許証などが入っていない財布を、彼らに向かって放り投げる。
 少年達は一瞬顔を見合わせてから中身を確認し、そこそこ以上に入っている事を確認すると二人は目を輝かせたが、リーダー格と思しき少年はハルに疑念の眼差しを向けた。
「金持ちがこんなとこに何の用だよ」
「ソフィアって子探してんだ。どこにいるか知らね?」
「ソフィアの居場所なんざ知らねぇよ。財布は返さねぇぞ」
 ふむ、とハルは顎に手をやる。
「グループとか入ってないのか?」
 答えたのは小銭を片手に載せて数を数えていた少年だった。
「あいつはいつも一人だよ。身体売って生活してて、分け前を他人に渡すのが嫌だからって組みたがらないんだ。あんな小さいのに」
「噂だけど、ソフィア性病持ちなんだってさ。それなのにセックス中毒みたいに誰とでもヤろうとするから避けられてる」
 綺麗に包まれたハンバーガーを開けて、もう一人の少年が付け足した。
「って言うか、ソフィアは悪い噂しか聞かねぇな」
 リーダー格の少年が、空になった財布を安物と断定してハルへと投げ渡す。
「どんなん?」
「いや、マジで噂レベルなんだけど――」





「……ただいま」
 ハルが帰宅し、温めた料理を囓ってから寝室に入ってきた頃にはマルカは既に眠っていた。
「お帰りなさいませ」
 起き上がろうとする満月をハルは手で制止し、マルカを起こさないよう小声で喋る。
「見つからなかった。明日もっぺん探してくるわ」
「でしたら私もお供致します」
「あー……そうだな。やっぱり俺一人じゃなんもできんわ。情けねぇ」
 寒い寒い、とハルはベッドに潜り込む。マルカを挟まずに、満月の背中を抱き寄せた。
「いつもいつも、お前に頼ってばっかりだ」
「それは違います、ご主人様。私もマルカも、ご主人様によって幸福を得る事ができました。ご主人様がマルカの力なら、私はご主人様の力です」
「……ん」
 ハルは忠実なメイドであり最愛の彼女である満月の柔肌を撫でながら、微睡んでいった。





 次の日の朝、ハルと満月は支度をしてソフィア捜索へ赴こうとしていた。
「マルカ、悪いが留守番頼む。昼までには絶対に連れてきてやるからな。満月がいるから確実だ」
「はい、わかりました……」
 一晩経って、無茶を言ってしまった事を反省しているのかマルカの表情は優れない。
 かといって、今更取り消そうとは思わない。自分にできることは、兄と姉を信じて待つこと。それと。
「あの、キッチン使っても大丈夫ですか?」
「別に構わないが……何か作るのか?」
「はい。ソフィアちゃんに食べて欲しいんです。満月さんと練習して、けっこう成功するようになったから……」
「火の取り扱いには気をつけるんですよ。何かあったら、すぐ呼ぶように」
「わかりました!」
 元気よく返事するマルカの頭を撫でて、ハルはバッグを拾い上げ、肩に担いだ。
「じゃ、行くか」
「はい」

 満月が一緒だったおかげで、ソフィアはあっけなく見つかった。それも、金銭を一切使わずに。
 複数の足跡からソフィアと思しきものをいくつか絞り込み、路地裏へ続くものの中から単独で動いている怪しいものに見当をつける。
 そして下水道の入り口付近で寒さを凌いでいた所を満月が捕獲し、暴れるソフィアの口を唇で塞いで数秒、彼女はくてんと意識を手放した。
 そのままおぶって堂々と街中を歩く満月。
 今更ながら犯罪臭いなーとロープやらガムテープやらを用意していたのが見事に無駄になったハルは、
(なんだこいつ)
 と『端から見てると眠っている親戚の少女を背負った優しいお姉ちゃんかなにかにしか見えないなんかよくわからないの』を訝しんだ顔で見ていた。
 屋敷に辿り着き門を潜ると、満月はしっかりと施錠した。塀は乗り越えられない事は無いが満月との追いかけっこの中では不可能と言い切れるので、ソフィアに逃げ場は残されていない。
「速い!? お、お帰りなさい……」
 リビングでお菓子作りの本を読み返していたマルカは驚きつつも、満月の背でぐったりしているソフィアを見て安堵のため息を吐いた。
 満月は彼女をソファに寝かせてシーツをかけた。ナイフは昨夜取り落としてあるし、他に武器を持っていないのは確認済みだ。
「ではマルカ、一緒に作りましょうか」
 といつものメイド服に着替えた満月が言うも、マルカは申し訳無さそうに答える。
「あ、満月さん……すみません、私一人で作ってみたいんです。きっと、満月さんが手伝うより美味しくできないから……ソフィアちゃんにはまず、特別おいしいわけじゃなくて、普通においしい、ありふれたものを食べさせてあげた方がいいかな、って」
「構いませんよ。マルカがそうしたいのなら」
 そんな姉妹のやりとりを見ながら、ハルは眠らされたままのソフィアの頬をつついていた。
(……マルカですら満月の手を借りないのに、俺はどんだけ役に立たないんだ……)
 無力感に沈んでいると、右手の方から呻くような声が聞こえる。
「うっ……ああ……いや、だ……こないで……」
 ソフィアは身を捩りながらうなされていた。悪夢でも見ているのか、顔は苦痛と恐怖に歪んでいる。
「ごめんなさい……ゆるして……ごめんなさい……」
 涙を流し、彼女は何者かに対して謝っていた。
 最後の方は掠れるような声でほとんど聞き取れなかったが、何を言っているのかは口の動きで理解することができた。

『おとう、さん』

「……」
 ハルは彼女にまつわる『悪い噂』を思い出す。
 それが真実なのか否かはわからないが、根も葉もない、全くのデタラメと言うわけではなさそうに思えた。
「起こす、か」
 悪夢に悩まされるよりは、望んでもいない幸せを押しつけられた方がいささかマシだろう。……マシだということにしておこう。
 そう考えてハルはソフィアの頬をぺしぺしと叩いた。
「おいソフィア、起きろ」
「ん、ん……」
 ゆっくりと瞼を開くソフィア。
 数秒ハルの顔を見つめてから、がばっと素早く起き上がる。
「あ、あんたは……!!」
 そして恐怖と驚愕の表情を見せ逃げようとする、も、その手をハルに掴まれた。
「逃がさん」
「っ、離せ! 離してよ!」
「ぜーったい離さん」
 大人と子供、男と女。それに加えて昨日から食事を取っていないソフィアの手には、ほとんど力が入ってなかった。もう彼女には、抵抗できる力は残っていない。それでもソフィアは必死に逃れようとしている。
 ハルは、
(本当はあまりよくないんだけどな)
 と思いつつも、彼女を落ち着かせる方法を考案した。
「セックス好きなんだって?」
「だからなんだよ! 離して!」
 否定しないと見ると、ハルは彼女の服に手をかけた。
「な、なに……」
 ソフィアの抵抗が、弱まる。
「お前の身体に興味あるっつったろ。犯すぞ」
 するすると脱がせていき、彼女の細い身体が晒される。
 年齢に似合わないほど使い込まれた秘部は、僅かに糸を引いていた。
「あっ……」
 そこを撫でてやると、ソフィアはすっかり大人しくなって身悶えた。
 控えめな愛撫だけで奥からとろとろと蜜が溢れてくる事に興奮したハルはポケットからコンドームを取り出して装着する。一応、検査を受けるまでは生で行うわけにはいかない。
 勃起するハルを見て、ソフィアの瞳がわずかに蕩けた。

 たっぷりハルに可愛がられたソフィアは服を着せられ、目を開いたままソファに寝転んでいた。
 満月仕込みの技で優しくしてやったのが功を奏し、ソフィアは落ち着いた様子だ。
「あのさ……あたしをこんなとこに連れてきて、何をする気なの?」
「んー、家族にする気」
「は?」
「お前に昨日ナイフ突きつけられた女の子がな、俺に言うんだよ。『あの子はきっと、生きていて嫌な事ばかりだった』って。『ここに来る前の自分と同じだ』って泣いてたんだよ」
「……」
「そりゃ全部が全部同じじゃないだろうけど、あいつも両親に売り払われて死にかけてたし……他人とは思えなかったんだろ。お前のために何かしてやりたいんだと。だからさ、あいつの幸せを押しつけられてくんないか?」
「なんだよ、それ……意味わかんないよ」
「嫌ならここを出てってもいいが、嫌でも飯だけは食わせてやる。ちんこしか取り柄のない情けねぇ兄貴だが、俺はあの子の力なんでな」
 それを聞いて、ソフィアは黙り込む。許諾もしないが、拒絶もしなかった。
 ちょうどそこに、キッチンからソフィアが出てきた。手には、多少焦げたのが混じった山盛りのパンケーキの皿を持っている。
「あっ……起きてたんだ、ソフィアちゃん。あの、えっと……お腹空いてるでしょ? あまり美味しくないかもしれないけど、いくらでも食べていいから……」
 鼻をくすぐる甘い匂いに、ソフィアはゆっくりと起き上がった。
 今度は逃げる力も残ってない。彼女にある選択肢は、目の前にある大量のパンケーキを、食べることだけだった。
「あーん、して?」
 一つをフォークで差し出す少女の顔は、確かに自分の幸せを願っているようにも見えて。
 ソフィアは熱々のそれを口にした。
「……!」
 口の中でふんわりとしたパンケーキとメイプルシロップが交わり合う。
 それを噛む度に、喉に通す度に、ソフィアは目の奥に熱を感じた。



「おいしい……おいしいよぉ……
こんな……おいしいもの……はじめて……」



 ぐしゃぐしゃに涙を流して食べるソフィアと、みるみる明るい笑顔になり次々とフォークを彼女の口に運ぶマルカ。
 ハルはそれをしっかり確認してから、少女の温もりが残るソファへと横になり瞼を閉じた。

       

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Neetsha