気候に恵まれ、肥沃な土地を持つアークザイン。
塀で覆われた城下町の外にも、遊牧民のキャラバンの姿が見える。
この辺りに魔族が攻めてくることはまず無く、いるのはせいぜいはぐれ魔物……
それも遊牧民でも簡単に撃退できるような、大鼠(ラージマウス)や小蛇鳥(プチキマイラ)ばかりだ。
ここから南下すると小さな村、マイエがあるアヤシロの森。
更に進むと、湿地帯の先に工業大国ユーザワラが存在する。
真西にあるフィンデル山を迂回しながら進み、大河にかかるアリア大橋を渡ると商人の楽園ムスタルト。
そして妖精の里、カークス大森林となる。
徒歩で行くとなると、かなりの長旅だ。
ちなみにグロウの故郷、ガイスコッド皇国はアークザインの北西、魔族との最前線に位置する。
簡易テントに非常食、着替え、水。途中途中で補給はできるため、なるべく荷物は絞る。
食料は最悪、野獣でも魔物でも殺せば事足りる。毒抜きさえすれば、食えないものは少ない。
火種を買おうとしたが、ティティに止められた。
「そのくらいは私がやります! 私の魔法で付けますよ! 私の魔法で!」
と自信満々に言うため、グロウは任せる事にする。
(……山火事がどうのこうの言っていた気がするが、まあ大丈夫だろう)
かくして二人はアークザインを出発。
多数のキャラバンを横切り、マイエへ向かうのだった。
「それにしてもグロウ様、鎧は買わなくてよかったんですか?」
「今買っても荷物になるだけだ。それに買うんならユーザワラのものを買った方が質がいい」
アヤシロの森。
ここには魔物の巣が多数存在する上、地形も入り組んでいる。戦いに慣れていない旅人には少々危険な場所だ。
だが、中心部に森林横断の拠点、マイエの村がある事からもわかるように、準備をして向かえば生命を落とす可能性は低い。
木々を切り開いてできた林道を歩けば魔物に出くわす事は少ない上に、取り立てて好戦的な種族もいない。
マイエに入ってしまえば深い堀もあり、出入口もしっかりと警備されているために襲われる心配も皆無だ。
どうしてもと言うなら用心棒の一人でも付ければ、安心して渡れるだろう。
熟練の戦士にとっては、むしろ手応えが無くて笑ってしまうほどの旅路だ。
……と言うのが、世間一般の認識だった。
だが。
森を入り林道を数時間歩いても、未だグロウとティティは、誰ともすれ違わなかった。
「でもグロウ様も聞きましたよね? マイエの村に、アークザインの第三騎士団が向かったって話……何かあったみたいですけど」
「ああ」
そう。噂の詳細は知らないが、確かにそんな話を耳に挟んだ。
マイエに何があったのかは知らないし知ったことでもないが、森を横断する以上通らないわけにもいかない。
「もしかしたら、荒事が起こってるかもしれません。そんな田舎のニートみたいな服では困るんじゃ……」
(……田舎のニート……)
「自分の心配をしろ。お前の魔力の方はどうなんだ?」
うーん、と唸るティティ。
「あんまりです。火の粉を振り払うくらいはできますが、グロウ様の手助けをできるかと聞かれれば、正直微妙な所です」
「なら俺の陰に隠れておけ。何かあったらな」
そう言って歩き続けるグロウの後ろ姿を見ながら、ティティは考えた。
「……そう言えばグロウ様ってどれくらい強いんだろう」
明らかな異変の始まりは、林道の隅に、点々と赤の色が歩いてた事だった。
「グロウ様、これ……」
「ああ」
血だ。道を逸れて、木々の中へとそれは続いている。
「……どうします?」
「無視だ。マイエに向かうのが先決だろう」
グロウは一瞥しただけで、足を止めること無く林道を歩き続けた。
異論はない。ティティもそれを追いかける。
だが、次の異変にはグロウもその足を止める事になった。
「うお、死体……魔物か」
曲がり道を進む、視線の先。道のはずれに元は黒尾猿(ナイトエイプ)らしき肉塊が鎮座していた。仰向けに寝転がったそれは酷く損傷している。
「…………おかしい」
グロウはその前にしゃがみこみ、死体を眺める。
「どうかしたんですか?」
「騎士団の得物は剣か槍、弓矢。マイエの自警団の武器も似たようなものだろう。だが、こいつは……」
体の所々が、噛み千切られている。内蔵は漁られて、肉片は飛び散り、骨はむき出しになっていた。
「黒尾猿はここらじゃ強い固体だ。他の魔物や野獣と争う事になっても、そうそう負ける事はないだろう。それに、こんな大きな歯型を持つ生物は……こんなところにはいない」
「じゃあ……」
「そう言う事だな」
血の匂い。
眼前の死体では無く、もっと強く、複数のものが入り混じった、咽返るような臭気が、風上……林道の先から、漂ってきた。
グロウの足は、林道を逸れる。
道の先を横目で見る。遠くにあったものは――
――『弓に射抜かれて死んでいる』、騎士達の亡骸だった。
街は地獄絵図の様相を呈していた。
首を失くした騎士。胴が離れた村人。血溜まりの上に、屍肉を漁ろうと烏がまた一体降り立った。
そして、離れの納屋では。
「やめろ! 私に……私に触るなッ!!」
アークザイン第三騎士団長、ティエラ=バニエット。
女性の、それも十代にして破竹の勢いで実績を重ね、異例の速さで騎士団長に就任。
高潔で実直。武勇に優れる騎士の鏡として、人々から尊敬されていた彼女が、今。
「汚らわしいっ……!! 殺せ! 貴様らに好きにされるくらいなら、私は死を選ぶ!!」
鎧は剥ぎ取られ。手は縛られて。部下にも見せたことのない柔肌を晒し、迫ろうとする豚鬼(オーク)達から身をよじり、必死の抵抗を試みていた。
それを見て嘲笑う、一際大きい影があった。
「はっはっは、大丈夫だ。運が良ければその内に死ねるさ……やれ」
彼の命令で、豚鬼達は総出でティエラの身体を拘束する。
「ひっ……やめろ……いや……おねがい……」
ティエラの懇願を聞く気など、彼等には有るはずもなかった。
号令を発したのは座り込んで尚、成人男性の背丈より大きい魔物。
彼は近くに落ちていた、人間の女……散々陵辱されて壊れたそれを掴み、口元に運ぶ。
「あ、あ……」
――がじゅり。
同時にティエラは。豚の顔を持ち、全身から鼻を曲げるような臭気を発した魔物に、純潔を散らされた。
「ああああああああああああああああッ!!!!!」
「そいつの肉は、中々美味そうだ」
魔族中央方面軍先遣隊長、上級人喰鬼(グレーターオウガ)。
にぃ、と赤く染まった口元を歪めて、下半身だけ残った女を軽く放り投げた。