「…………」
 夜。
 ユーザワラまではまだ少し距離がある。
 簡易テントを設置し、二人分(ティティは人間一人分の飯を食らう。その上作る料理は残飯未満である)の夕食を作り、食べ終え、床に就こうとしているグロウは、あの出来事から今に至るまで一言も喋らなかった。
 「……」
 無言で毛布を被る。
 心の内は、仇敵に遊ばれた上に、決して砕かれまいと思っていた愛槍をいとも簡単に破壊され、命を奪われること無く見逃され、挙句の果てにかつての恋人にはそれを同情の目で見られた屈辱。
 ……よりも。それを遥かに上回る自分の無力感で満たされていた。
 甘かった。
 甘すぎた。
 万全な状態で、怒りに身を焦がせ、純然たる殺意を持って立てば、二つに一つは勝ち目があると愚かにも信じ込んでいた。
 勇者の力を手にしたアルベリヒに、狂人の心で立ち向かえると。冷静になって考えれば、そんな馬鹿な話があるわけがなかった。
 勇者云々ではない。そもそもグロウは、アルベリヒより自分の方が強いなどと思ったことはなかった。
 七本槍と言う奇抜な戦闘スタイルも、元はと言えばアルベリヒに勝つために考案した策の一つである。
 武器を破壊することにおいては追随を許さないアルベリヒ。槍一本で敗北したグロウが考えた、彼に勝つためだけの武装。
 結果それが功を奏し、グロウはアルベリヒに勝ち越すことができたのだ。
 アルベリヒはそうは思ってはいなかったが、彼はグロウに劣っていたわけではない。少なくとも、直接戦闘においては。
 グロウと同じかそれ以上。それがアルベリヒの本当の力だった。
 (……勝てるわけが、ないだろう)
 少なくとも、今の自分では。
 怒りで劇的に強くなるなら、魔物に滅ぼされた村の生き残りは全員屈強な戦士になっている。
 怒りは力ではない。真っ当な心を捨てるための道具にして、真っ当ではない力を手にするための手段だ。
 奴に勝つためには――



 それにしても、誤算だった。
 まさか、勇者があそこまで強いとは。彼もまた自分と同じく、人間勢力の何割かに相当する存在だったのだ。
 全盛期の自分なら問題無く倒せるだろう……遠距離戦、なら。
 流石にあの化物を相手に中距離で勝てると断言できるほど、身の程知らずではない。ましてや近距離など、勝機があるのかどうか。
 人間の唯一のミスは、グロウ様を手放した事だ。勇者に加えてあの人まで加わったら、妖精側の敗色は濃厚も濃厚だ。
 って言うか……
 (……は、話しかけづれぇ……)
 何でも口に入れる犬や人間の赤ん坊の次に気まずい沈黙が嫌いなティティは、いつもより五割増しで暗い顔をするグロウにどう言ったものかとずっと悩んでいた。
 とても、何か言える雰囲気ではなかった。あれから今まで、ずっと。
 しかし、言わなくてはならない事がある。
 敗北を喫したグロウに対する慰めの言葉。
 復讐に横槍を入れてしまった事と、何もかも失くしても決して手放さなかった相棒とも言える槍を自分のせいで失ってしまった事に対する詫び。
 そして何よりも言わなくてはいけないのは……
 ティティは唾を飲み込んで、反対側を向いて寝ているグロウに口を開いた。
 「……グロウ様」
 「……」
 グロウは喋らない。
 寝ているわけではないが、返事はしなかった。
 黙れ、とは言われてない。ティティは構わずに続ける。
 「先程は助けて頂いて、本当にありがとうございました」
 彼に見られていないまま、深々と頭を垂れる。
 「…………」
 グロウはしばしの沈黙の後、心境を伺わせない声で呟いた。
 「……お前が無事で、良かった」
 「! でも、『マイア』が……」
 「……槍などまた買えばいい」
 ティティの身体に傷が付いても、魔力によってその内に回復されるだろう。
 対して、聖合金製の巨大な騎乗槍など、そう簡単に手に入れられるものではない。少なくとも、『マイア』は一品物だ。
 それでもグロウは、ティティを守った。
 「………ッ」
 ティティは自分の不甲斐なさに涙が出そうになった。
 何が妖精の姫だ。何が膨大な魔力量だ。
 散々偉そうな事を言っておきながら、仕える相手の足手まといにしかなっていなかったのだ。
 「……それと、余計な横槍を入れてしまい申し訳ありませんでした。軽率極まりない行為だったと思います」
 「……いや。一対一なんて余計なプライドにしがみついておいて、結果は惨敗……悪いのは俺だ。お前は間違ってなかった」
 「違……!」
 「違わん」
 グロウの敗北が決定的になったのは、『マイア』を失ったからだ。
 そして『マイア』を失ったのは、ティティを庇ったからだった。
 グロウはアルベリヒに対する復讐より、ティティを守る事を優先した。
 その事実に、グロウは気づいていなかった。
 「……」
 とても慰めの言葉など、言える状況ではなかった。
 何を言っても、今のグロウが立ち直る事はないだろう。
 代わりに言えることと言ったら、一つしか無かった。
 「……グロウ様。力が欲しいですか?」
 グロウの肩が、僅かに反応した。
 「……ああ。欲しい」
 正直に答える、グロウ。
 アルベリヒを倒すためには、こんなものでは全然足りはしなかった。
 「魔力を身体に取り入れるのに手っ取り早い方法が一つ、あります。短期間でパワーアップするなら、これ以上にない方法が」
 「なんだ」
 「妖精を食べる事です」
 グロウがゆっくりと起き上がり、彼女の方へと向き直る。
 寝間着を着た妖精の表情は、冗談を言っているものではなかった。
 「何回も言った通り、妖精は魔力さえあれば殺しても死にません。例え全身の骨を砕かれようと、脳を撒き散らそうと、
 頭から尻まで串刺しにして丸焼きにして噛み砕いて飲み込んで胃液で溶かされて原型を留めなくなったとしても、
 魔力源……私の場合、カトレアの花があれば、そこからまた生まれます。私の事ならご心配なさらず」
 「……知っている」
 「無論、限度はあります。何度喰らおうと、せいぜいその妖精が持つ総魔力の半分が精一杯でしょう。
 ……私の、総魔力の半分。例え相手が勇者でも、妖精姫の半分の魔力は持ち得ないはずです」
 「……それで?」
 「私を、お食べ下さい」
 「断る」
 溜息を吐き、頭を掻くティティ。
 「まあ、そう言うとは思っていました」
 「俺にそんな趣味はない」
 「趣味の問題ですかっ!」
 ティティが声を荒げる。
 「あのハーレムイケメン糞勇者を腹ぶち抜いてぶっ殺すんでしょ! 加害者の癖に悲劇のヒロイン面してた糞ビッチ僧侶を奴の見てる前でレイプした後魔物の巣に放り込むんでしょ!!
 手段を選ばないでどーすんですか!!」
 口答えできる立場でもないし、口答えできる状況ではもっとない。
 それでもティティはグロウに吠えた。
 「お前が……」
 「なーに下らない事心配してるんですかグロウ様の癖に! あんたは超がつく程のサディストで私は超絶がつく程のマゾヒストなんですよ!!
 だいたいアークザインにいた時普通に犬に食わせてたじゃないですか!! ギャグパートとは言えあれガチで食われましたからね!!!」
 今の雰囲気で言う事ではない。
 それでもティティは、言わなければならなかった。
 「ティティ」
 「グロウ様っ!!」
 ティティが強気の台詞を発しながら、地面に膝を付いた。
 
 「お願いします……! 今回は、私を助けると思って!
 共に戦う仲間として……背中を預かるパートナーとして……!
 グロウ様を、支えていかなければならなかったのに……!
 自分が無力すぎて…………!
 泣きそう、なんですよ…………ッ!!」
 
 (……もう、泣いている)
 背中も声も震えているし、言葉の所々に嗚咽音が混じっている。
 無力に打ちひしがれていたのは、自分だけでは無かったのだ。
 グロウは彼女の心情を察し、答えた。
 「断る」
 「この流れで断るんですかッ!!?」
 マジ泣きだったのに! と言いながら跳ね起きるティティ。
 「お前がどう思おうと、今はそんな気分ではない。俺は寝たいんだ、お前の断末魔が耳にこびり付いたままで寝れるか」
 「じゃあ喘ぎますよ!
 『あっ、グロウ様、ひぃぃぃぃん!! そんな所齧ったら……あ、ああああ! ひぎぃぃぃぃ!! かはっ……だ、駄目……死んじゃう、リアルに死にます……でも……おまんこ、すっげー、どろどろ……です……あはは……おかしく……なったかも……』
 って!!」
 「静かにしろと言っている」
 「はい」
 涙目で黙りこくるティティ。
 (折角、少しでも助けになるかもと思ったのに……グロウ様のバーカ!
 ……て言うか私の方がよっぽどバカだよ! このキチガイマゾ!!)
 もはや何に対していじけているのかわからない彼女に、グロウは呼びかける。
 「……何かしたいのなら、俺を慰めろ」
 「え? ……それは、セックスさせろと言う意味で……?」
 「違う。単純に、こっちの毛布に入れと言っている」
 「!?」
 グロウに似つかわしくない台詞に、ティティは驚愕した。
 が、口に出したらきっとグロウはそれっきり黙って寝てしまうだろう。
 「……お、お邪魔しまーす」
 いつもより緊張しながら、グロウの懐に潜り込むティティ。
 鼓動の音すら聞こえそうな。そして聞かれそうな。そんな距離だった。
 「ティティ」
 「な、何でしょう」
 「食われたいなら、その内にでも食ってやる。その代わり、消えたり、いなくなったりするな。何があっても、俺から離れてくれるな」
 真剣な顔でそう言われると、ティティは身体が温まるのを感じた。
 「大丈夫です。私達は一蓮托生。死ぬ時はお互いの足を引っ張り合って、二人仲良く惨めに死にましょう」
 「……ああ」
 そうして、二人の会話は終わった。
 夜咏虫が雌雄で囁き合う鳴き声だけが、静寂の中にかすかに響いていた。