「今の……魔法じゃ、ないですよね……?」
「剣技(わざ)だ。ワダツミの」
青ざめた顔でガクガクと震えて一分前まで山だったものを指差すティティに、グロウが平然と答える。
「……発達しすぎた力技は魔法と見分けが付かないんですね」
アルベリヒの強引極まりない『魔法』を思い出しつつ、ティティがふへへなにこれふへへへと力無く笑う。
盗賊団は罠ごと、そして塒ごと一刀で壊滅させられた。
彼の師であるマークスには、このような真似はできない。
そもそも『地走』は彼女の出身地で習得した剣技の一つであり、アカデミーで覚えた『地の極意』とは全くの無関係、別物だ。
『天地拳』及び『天地剣』の真髄はあくまでも『空間の支配』である。
グロウとアルベリヒが二人がかりでも敵わなかった力の一端を、ワダツミはその足に秘めていた。
「それでは帰りましょうか、お二方」
城を単独で『落とせる』少女は、振り向いて屈託ない笑顔を見せた。
「小一時間で済むような仕事じゃ無かったけどな。まあ、お疲れだ」
ガイウスは既に城に戻っていたので、代わりにオーランドに依頼完了の旨を告げると彼は笑いながらメモを出した。槍の設計を打ち合わせるためだ。
証拠も何も持ってこずに口頭で終わったと告げるだけで簡単に事が運んだのは、ワダツミの実力と嘘をつけない性格を知っているからである。
流石に、山ごと斬ってきたとは知る由もなかったが。
「騎乗槍の大きさに形は? 装飾やら付けるなら発注せにゃならんが」
「いや、その前に依頼の金額と手持ちで足りるかどうか……」
「いーんだよそんなの、好きなだけふんだくってやれ。あの石頭は重すぎて俺に頭が上がらん」
「ふむ、では柄の部分をこんな風に……」
「へぇ、中に槍ねぇ。じゃあサイズは大型だな……」
「強度が欲しい。多少重くなっても厚みを持たせたいんだが……」
「なるほど。そうだ、どうせならそもそも聖合金じゃなくて……」
「いや、流石に聖白銀は……」
「いーや聖白銀じゃねぇ。妖精のお供がいるなら……なんてどうだ? ……」
「……考えたことも無かった。しかし、ティティがいるなら確かに……」
向い合って相談するグロウとオーランドを、ティティ達は遠目に眺めていた。
「蚊帳の外すなぁ」
妖精は武器など使わないので槍と戟の区別も付かない。纏っている鎧もファッション感覚である。
「見て下さいグロウ様姫騎士ですよ姫騎士! こんな可憐な私をひん剥いて犯すなんてグロウ様って本当に最低の屑ですね!!」
とか言いたいがために着ているのであって、機能性には全く期待していない。
そもそも、妖精がいくら上等な鎧を着ようと思いっきり剣で叩けば中身が潰れるのだ。意味など無い。
「拙者も、槍の造形に関しては専門外でござる」
嗜む程度には使えるが、あくまでワダツミの得物は打刀と火筒。
騎乗槍など、馬無しで好んで使う者などそうはいない。
「オーランド殿、シルフィ殿はいらっしゃるでしょうか」
「ああ中だ。勝手に上がっていいぞ」
「では失礼致す」
やることもないので、工房から居間に上がるワダツミに付いていくティティ。
ワダツミの方も、ティティを連れて行くつもりだった。
「ひょっとして、妖精?」
「はい。オーランド殿の昔馴染みの女性です。妖精の方同士、ティティ殿と話が合うかと思いまして」
「へー、そうなんだ」
名前からして妖精っぽいなー、とは思ったが、まさかこんな所に同属がいるとは。
(シルフィ、シルフィ……聞いたことがあるような無いような……)
台所に向かい、茶を挿れている緑髪の小さな後ろ姿にワダツミは声をかける。
「シルフィ殿ー!」
「あら、ワダツ……ミ……」
振り返った柔らかい微笑みが、一瞬で凍りついた。
知り合いの女の子の隣に、見つけてしまったのだ。
恐怖を。
「ッ……!!!!!」
シルフィードの反応は速かった。
自由落下の十倍のスピードで着地し、片膝を付き、両手を祈るように握り、頭を深く下げる。
妖精流の、臣下の礼だ。
「ご無事で何よりです、ティターニア・ヴェルコット・ゼラ・フェアリー皇女殿下!!」
「うぇい!?」
「し、シルフィ殿!?」
この反応はティティ(とワダツミも)にとって全くの想定外だった。
臣下の礼など、生まれてから数回程度しか取られた記憶が無い。
平民の妖精とそこら辺で会っても、会釈か適当な挨拶、酷い時には尻を叩かれる(流石に親しい間柄以外はしないが)程だ。
例え生死不明だったとしても、考えうる一番まともなリアクションが泣きながら抱きつかれる事だった。
慕われてるかどうかは別として、親しまれているのは確かだった。
こんな反応をする妖精など、今までに見たことがない。
いや、確か前にいたような――
「ず、頭が低いよ!? 私に向かってその頭の低さはちょっと問題だよ!?」
「……はい。では、失礼致します……」
恐る恐ると言った感情をどうにか隠しながら、シルフィはゆっくりと顔を上げてテンパる皇女の顔を見た。
整ってはいるがどこか間の抜けた顔が、29年前の姿とそのまま重なった。
そして、そのくりんとした眼も……変わらずそこにあった。
「ッ…………」
(何で怯えてんのこの人!? え、誰……!?)
目が合った瞬間に瞳孔が開いたのを確認し、ティティはシルフィの姿をよく眺める。
綺麗な人だ。妖精と言うよりは精霊と言ったほうが似合う、落ち着いた雰囲気を(普段は)持つ(であろう)大人の美女だった。
人間で言うと30を越えるかどうかくらいの歳。妖精の年齢だとだいたい7~80くらいか。
オーランドとそう差が無いと考えると、妖精の長寿の度合いがよくわかる。
「あ、あの……シルフィ、さん? 私達、どこかで会ったっけ……?」
記憶を総動員しながらティティは彼女に声をかけた。
「あ」
そしてシルフィが口を開くより早く、頭の奥底に居た彼女を思い出す。
「翠の髪、シルフィ……えっと、もしかして……アウロスの、シルフィードさん?」
「覚えておられましたか。光栄の至りです」
本心は全くそう思っていなさそうだったが、これ以上彼女を虐めるのは可哀想なので指摘はやめておいた。
(っても、今のところ私何もしてないけどね……)
「知り合いでござるか?」
ギクシャクした二人のやりとりをしばし黙って見ていたワダツミが尋ねた。
「えーっとね……何て言うか……ずーっと昔敵対してた国の人? だから私は、シルフィさんにとって祖国の仇って事になるんだけど……」
気まずそうに答えるティティ。それに対し、シルフィはあくまでも忠誠の意を示した。
「私の祖国が滅んだのは確かに事実です。が、恨んでなどおりません。私共は既にゼラの民です」
この言葉に偽りは無かった。
ティティとシルフィは、国を滅ぼされたと言う立場は同じでも、その相手に向ける感情は全く異なっていた。
ティティが人間に向けるのは、憤怒。
シルフィがゼラに……とりわけティティに向けるのは、恐怖である。
「ご、ごめんねシルフィさん、私急用ができたのでちょっと行ってきまーす。じゃっ!」
あまりにも重い空気に耐えられなくなったティティがその場から逃げる。
「あ、ティティ殿! 申し訳御座いませぬシルフィ殿、今日は失礼致しますっ」
ワダツミもそれを追うように出て行ってしまった。
ティティは工房を出て、離れた瓦礫の山に身を隠す。
まさか、こんな所でアウロスの生き残り……それも自分の力を知ってる者に出会うとは思わなかった。
(私よく覚えてないんだけどなぁ……小さい時だったから……)
バタバタとせわしなく退場する二人を見送って、シルフィは緊張が解けるや否やぶわりと冷や汗を流した。
呼吸も荒い。心臓も破裂しそうだった。
彼女の視界に入る事以上の恐怖を、シルフィは知らない。
(彼女に、悪気は、無いの、ですから)
そう言い聞かせても、震えが止まることは無かった。
30年近く経った今も、鮮明に覚えている。
あの日全てを奪った、『盲目』の翠色を。