Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 太陽は西に傾いていた。
 東から押し寄せる雨雲から逃げながらも、二つの小さな人型を照らしていた。
 茶髪の男性と、金髪の幼児。
 今こんな所にいるはずが無い親子が、手を繋いで仲良く城を眺めていた。
 「見てご覧、ティティ。あれが今、私達と戦争をしている敵国だよ」
 ピクニックでもしているかのような穏やかな笑顔で、アヴァロンは遠くに見えるアウロス城を指差す。
 人間の城と大差無い規模の宮殿。かつて魔物の大侵攻を受けた人類にアウロスが力を貸した時、人間から有効の証として建てられたものだ。
 その妖精にとっては巨大すぎる城を基点に造られた大都市が、地平線の上に鎮座していた。
 「てきー?」
 まだ乳児から抜けきっていない年齢の少女には、親の言ってる意味を十分に理解できない。
 「ティティやお父さんやお母さん、ティンクやお友達を、さらって食べちゃうんだよ」
 「ぇ……ほんと、おとーさま……?」
 「本当だとも、あそこには化け物がいっぱいいるんだ。いつ出てくるかわからない。今日出てくるかも!」
 大袈裟に両手を挙げて怖さを強調する父親に、幼児は怯えて泣き出してしまった。
 「う……うぇ……やぁー! こあいよぉー!!」
 「そうだよね、怖いよね」
 泣き叫ぶ我が子をよしよしと宥める。
 お伽話の教訓のように締めるなら、「じゃあ、お家から出ないようにしようね」と諭す所だった。
 アヴァロンの教育は、違った。
 「じゃあ、あれを見ながら考えるんだ。強くお願いするんだ。叫んでもいい」
 「なんてふーに……?」
 涙でぐずぐずになった顔の王女は、親に答えを乞う。
 王はにっこりと笑って、愛しい我が子に救いの言葉を差し出した。
 
 「『いなくなっちゃえ』って」



 
 「冗談、でしょう……ッ」
 シルフィード率いる精鋭妖精達は、その光景に目を疑った。
 見間違えではなかった。あそこに居るのは、確かにゼラの国王アヴァロンその人だった。
 確かにアヴァロンの魔力は並の妖精とは桁が違う。
 一人でも軍隊と渡り合えるほどの力を秘めているし、隠蔽呪文を駆使すれば敵国の奥深くまで入る事は不可能ではない。
 だがしかし、いかに《太陽王》アヴァロンとは言え、アウロス城を一人で落とす事は絶対に不可能だ。
 まず城下町を覆う魔法障壁。これは研鑽を積んだ一流の妖精達が常に張っている。
 術者の総数は実に三桁にも上る不可侵の結界。こればかりは質より数が物を言う。兵を集めないと突破は不可能だ。
 更に、人間から魔法技術と交換に貰った兵器は妖精でも使えるように工夫を凝らされており、魔力を消費せずに砲撃を仕掛けることが可能だ。
 ただ魔法を撃つだけの妖精とは継戦時間の差が著しい。
 そして何より、アウロス宮殿には《首狩り王》のデュラハを始めとした王族が住んでいるのだ。
 魔法量において優れた一族である。シルフィードも王子の愛人の子の一人ではあったが、王の血は継いでいた。
 継承権を持たない者を含めていいなら、その数は相当数に及ぶ。
 アヴァロンは強い。彼に並ぶ者はアウロスにはいないかもしれない。だが、それでも一人で戦争に勝つことなどできるわけが無いのだ。
 そもそもそんな事ができていたら最初から戦争などしていない。一方的な隷属、はい終わり。
 そうなるだろう。
 そうなるはずだった。
 「随分と、舐めた真似を……!!」
 身を隠しながら歯軋りするシルフィード。
 彼を見つけたのは全くの偶然だった。
 砦への査定に向かっていた一行の中で一番の探査《サーチ》範囲を持つシャラムが急に魔力反応が現れたと言うので調べてみたら、とんだ大物が引っかかってしまった。
 まだ隠蔽魔法を使っているこちらには気付いていないようだが、一国の王がこんな所で何をしているのか。
 「殺し、ますか? 撃てますけど……」
 「……できるんならとっくにそうしています」
 シルフィは鋭い眼差しで部下の発言を下した。
 奇襲した所でアヴァロンを倒せる確率は限りなくゼロに近い。
 雑兵の繰る狙撃魔法なら、目視どころか肌に触れてからでも障壁を張りかねないのが太陽王だ。
 隠蔽魔法まで解いて気楽なものだが、それは『戦争』ならともかく、『戦闘』なら軽くあしらえる彼の自信である。
 逆に言ってしまえば、それは。
 「城と砦から兵を出せば、あるいは……」
 『戦争』になってしまえば、殺害または捕縛のチャンスだ。
 囲ってしまいさえすれば勝機は見える。
 砦の兵の魔法を集中すれば、足止めくらいはできるだろう。
 その隙に王族が到着しさえすれば、妖精族の統一が成される。
 「ゴーです、ウェンディは城へ、ノーマは砦へ。私とシャラムはここで見張りをします」
 「しかしこれは、あまりにも大胆すぎでは……罠の可能性も」
 「誰を騙すんですか、こんな所で! 私が全責任を取ります! 早く!!」
 その声で、二人の妖精が迂回しつつ左右に別れた。
 隠蔽魔法は魔力は隠せるが、姿までは隠せない。
 が、城の前には森がある。姿を隠す魔法よりは、魔力を消した方が隠密向きだろう。
 ウェンディはすぐに見えなくなり、探査《サーチ》からも消える。
 そこで残ったシャラムが、ポツリと口にした。
 「隊長。あの幼子は、誰なのでしょうか……」
 見れば、アヴァロンの横、こちら側とは反対側に金髪の子供が立っていた。
 強大な親の魔力と重なって、今まで気が付かなかったのだ。
 とて、とその娘は一歩前に出る。
 なんてことはない、顔が整っているだけのただの少女だ。
 だが、その少女の無表情を目にした瞬間、シルフィードは背筋を舐められたような感覚にとらわれた。
 「あれは……確か、王女ティターニア………………」
 何故だかはわからない。心臓の鼓動が速くなる。息が止まる。本能がささくれ立つ。
 ティターニアの顔は泣いていたのか赤かったが、目は赤くなかった。
 その可愛らしい翠の双眼が光るのを、シルフィードは見てしまった。
 その瞬間、隣で探査《サーチ》をしていたシャラムが発狂した事に気付いたのはかなり後になってからだった。





 アヴァロンは彼女に秘められた膨大な魔力量に気付いた時、こう思った。
 「この子なら、あの魔法障壁すら破壊できるかもしれない」と。
 実子を兵器のように使い、戦争に巻き込むのは心苦しい。
 だが、それさえ成せば平和になるのだ。
 魔法障壁さえ割れれば、降伏を迫る事ができる。
 これ以上自国の民が死んでいく様を見たくはない。
 敵兵とて同じだ。同じ妖精同士、何故争わなくてはいけないのだろうか。
 支配などするつもりはない。共存すればいいのだ。手を取り合って。
 (みんなが安心に暮らすため。力を貸してくれ、ティティ)
 結論から言えば、ティティの力は平和を呼ぶこととなる。

 泣き止んだティティは、親に言われたとおりに深呼吸をして落ち着いた。
 そして思考を尖らせる。感情を一本化する。視界をクリアにする。
 その時の彼女の表情を見たアヴァロンは一瞬、息が詰まってしまった。
 それさえ無ければ、アウロス城は現存していたかもしれない。
 何も見えていないような顔をした彼女が、一歩を踏み出す。
 「ティティ、待て――――」















 
              『いなくなっちゃえ』











 
 

 眩い煌めきが東の空を奔った。
 照らされたのは、雨雲と、アウロス城と、城下町と、森林と、大地。
 それら全てはあたかも幻であったかのように、どこかへ行ってしまった。
 二度と戻ってくることは無い。
 『いなくなってしまった』。
 足元は崖になっていた。目の前の空間さえ、『それ』からワンテンポ置いて発現したのだ。
 その場に居る誰も、ティティ何の攻撃魔法を使ったのかすらわからなかった。
 何を使っても、きっと結果は同じだっただろう。
 シルフィードは後に考える。
 (きっと、彼らが午前中に『あれ』を行っていたら…………太陽すら――)
 
 忘れることなどできない。
 あの瞬間、ティティの視界に映っていたものは何もなかった。
 故に彼女は、アウロスの生き残りから畏怖を込めてこう呼ばれる。


 『盲目』のティターニア、と。

       

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