Neetel Inside ニートノベル
表紙

とれしょ
札術の皇、変化の巫女

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「……それでは贄に、感謝を込めて……」
 彼女の艶やかな口が開き、摘ままれた僕はその恐ろしくも柔らかそうな肉と汁に塗れた口内を見下ろす形となる。
 僕、がなんなのかと言うと、千切られたビーフジャーキーである。
「……いただきます」
 落ちる。
 彼女の舌は僕を優しく迎え入れてくれるも歯は当然そんなことをしてくれるはずもなく、僕は巨大な彼女の顎で咀嚼される。
 もっちゃもっちゃ。
 骨を砕かれる苦しみも身を裂かれる痛みもない。
 僕は食べられるために生まれたビーフジャーキーなのだから、それらは快楽以外の何物でもない。
 この場所にあるのは凌辱であり、奉仕でもあり、至福に他ならなかった。
 硬いところを思いっきり噛み潰されて、汁が出た。僕はただのビーフジャーキーなのだから肉汁以外の何物でもないが、感覚は射精のそれだった。
 彼女はそれを舌で啜り、美味しそうに嚥下していく。

 さて。
 なんでこんなことになっているんだっけ。




 〇




 そうそう、僕は……札術皇カードマスターになるべくして生まれた人間、詩屋実。だったはずだ。怪しげな近所のおっちゃんがそう言ってたから間違いない。
 なんで僕が高校生にもなってそんなに怪しげなおっちゃんに言われただけでコロコロのタイアップカードゲーム主人公じみた肩書きを信じているのか、と言うと……
 実際に『札』の力を知っていて、僕にそれを使いこなせるだけの才能があるからだ。
符束デッキ』からカードを引き、使用時に霊力が上がる『霊札』、コストを支払い自らの武器を作成する『牙札』、手札から魑魅魍魎を呼び出す『召札』、自分や召喚した幻妖を特定の場所に移動させる『転札』……
 それらは選ばれた者しか扱うことはできない。俗に言う霊感がある人物、である。
 僕は小さい頃から見えちゃいけないものを見てしまうことがあり、そのせいで昨日の晩、買い物帰りに人気のない公園で幼女と戯れるおじさんを通報してしまいそうになった。
 よく見ると幼女には人間のものではない耳と尻尾が生えていたが、これまでの人生でそんなはっきりと人間に近いものを見てしまうことなどなく、危うくおじさんを刑務所に運んで行ってしまうところであった。
 いや、今になって考えてもあのビジュアルは完全に犯罪だった。年端もいかない半裸少女に首輪を付けて頬を舐めさせていたのだから。二重の意味で完全犯罪だ。
「ポリス!」
「!? ウェイトアミニッツボーイ! ドントコールポリス!!」
 これがおじさんとの割と最悪な出番だった。

「式神?」
「簡単に言うと妖怪の使い魔だよ。もっと簡単に言うとポケモンだ。いや現代っ子にわかりやすく言うなら妖怪ウォッチとかその辺かな」
「妖怪ウォッチはもうそろそろ古いと思う」
 作務衣に眼鏡をかけたおじさんは式神…豚の耳が生えた見た目一桁か二桁かと言った少女に、「上半身はお腹が完全に見える程丈が短い法被で下半身は褌」と言う地方の祭りでもなければPTAがすっ飛んできそうな服装をさせてはべらせていた。
 言うまでもなくロリコンである。
「まぁぶっちゃけると完全にロリ性奴隷にしてるけど一応最近見境のない祓協から救ってあげていると言う建前的言い訳もある」
「人間の屑だこのおっさん……」
「ほう……その人間の屑の所業、君もできる、と言ったら?」
「やります!」
 食い気味の即答を返す僕。
 男子高校生の性欲を舐めるなよ。
「保護だもんね!」
「保護ですからね!」
 ガシィ! とX-MEN VS. STREET FIGHTERじみた握手を交わすロリコン二人。
 いや、このおっさんがどうかは知らないけど僕はまぁそこまでひどいことはしないよ?
 きっと。たぶん。
「いや実際ね、君才能あるよ。『何かいるような気がする』ならまだしも、『女の子がはっきり見える』レベルの見鬼は訓練しないと普通は持ちえない。君名字は?」
「詩屋です。詩屋実」
 ふむん、とおじさんは思案する。左手で豚耳少女(豚耳って言うからふくよかに聞こえそうだけど実物はめっちゃかわいいんですよこれ)の喉元をなでりこなでりこしながら。
「しや、しや……紙矢のとこの傍流とかかもなぁ。そうなると……」
 おじさんはマジックのように徒手からふっと札を取り出し、僕に見せる。
「これ、何書いてあるかわかる?」
 そこには達筆……なように見えるぐちゃぐちゃな漢字っぽい何かが書いてあった。

 鬼々嗣観御空卦

 何故だか知らないけど、僕は一発でそれを読むことができた。
「ききしみおんからげ……?」
「おー。本物だわこの子」
 ぱちぱち、と適当な拍手をするおっさんに、僕はその意味を訪ねてみた。
「この文字、どういう事が書いてあるんですか?」
「いや、なんかそれっぽいこと適当に書いた」
 え?
 今のやりとり何だったの??
「意味なんて後から付いてくるんだよ。これを持っていれば、君は鬼……まぁ妖怪とか霊とかそんなんの中に、美少女が混じっているのをかなり楽に見つけだす事ができる。
 それをこっちの封札……ようするにモンスターボールで丁重に保護してあげれば、あとはもう前に入れるなり後ろに入れるなり」
「最悪だこのおっさん……! 外道め……!! ありがとうございます!!!」
「うむ」
 パチモンのポケモンGOみたいなものを頂いてしまった僕はおっさんをなじることを忘れないながらも頭を地面に擦り付ける。 
「でもおじさんも幼女ハンターをしているならなんで僕にこんな事を……? ライバルが増えるだけなのに……」
「事実やましいことをしているとはいえ幼女ハンターは流石に字面がヤバいから勘弁してくれ詩屋くん。
 さっきも言ったはずだ。僕はそこにいるだけで罪とみなされ跡形もなく抹消される女の子を保護しているってね。まぁ気分次第じゃ女の子以外も匿ってあげたりするけど……流石に僕一人じゃ取りこぼしもあるだろうからね」
 豚耳の女の子はベンチに座り、おっさんに身を預けて寝息を立てている。よく懐いているようだ。
 この封札に洗脳効果でもない限り、幼女に手を出す人間のクズ(同族嫌悪)であれど救いようのない悪党と言うわけではない……とは信じたい。
「祓協、とか言ってましたね。そいつらが?」
「うん。大物を始末できないから小物ばっかりを狩って面子を保った気になってる愚図も愚昧の集団さ。祓魔一族はトップと二位以下でジョーズとメガシャークVSジャイアントオクトパスくらい差があるんだけど」
「サメ映画には詳しくないのでもう少し普遍的な例え方してくれます?」
「祓魔一族はトップと二位以下でティラノサウルスとカナヘビくらい差があるんだけど、まぁなんだかんだ二位以下集団も害虫を食べたりとそこそこ仕事はしているんだよ。紙矢の本家もまぁまぁ安寧に貢献はしてる方。
 問題は二十位くらいから下。強さも性根も、はっきり言って悪玉菌コレステロールがいいところ。僅かながらの見鬼の力を『常人とは違う選ばれし力』と思い込み、上が相手にもしないような力も害もない妖を虐げて悦に浸り、こんなに恐ろしい霊だった、などと誇張して常人から金をせびる。
 木っ端故に数は多いし、声の大きさは無駄にでかい……そして一応全体の方針としては『魔は狩るもので神霊は見張るもの』だから明確に間違っているわけではない」
 吐き捨てるように言うおじさんの目が、紫に光ったような気がした。
「討伐のルールは早い者勝ち。君が捕まえた妖や札を用いて悪事……『外に見えるような悪事』を行いさえしなければ、いくら捕獲したところで責められる謂れはない。フリーで活動してる祓魔師だって存在する。気兼ねなく捕獲するといい」
 おじさんはそう言って、再度空から札を取り出した。こんどは札の束だった。
札術皇カードマスターになれ、詩屋少年。昼は学生として勉学に励みながらも夜は女の子(ロリ)を守るために戦って、女の子(ロリ)を侍らせて、女の子(ロリ)といちゃいちゃして、女の子(ロリ)だらけのハーレム乱パをする……そんな都合のいいエロラノベ主人公みたいになれ!」
「おじさん……!!」
 X-MEN VS. STREET FIGHTERじみた握手。

 いやまぁ別にロリじゃなくてもいいんだけどね。好きですけど。



 そう、それで明日も学校があるから今日の所は(ちょっと遠回りして探しながらも)家に帰って就寝。
 起床。日中は普段通り真っ当に学生生活を送るぞ……ってなったのが、今日の話である。
 一応、『符束デッキ』と一緒に貰った鬼々嗣観御空卦を湿布のように腕に直接ぺたっと貼って妖怪が見えるようにしておいた。封札も、スマホケースのポケットに畳んで入れてある。
 まぁ、白昼堂々と活動している妖怪が学校なんかにいるわけもないけど。
 そう思いながらも自分の席に付く僕の前に。
 ぴょこんと獣……狸のような茶色い耳を頭の上から生やし、スカートからふわっふわの尻尾が飛び出ている少女が。
 何事もないかのように座った。

「……?」

 目をまんまるくして凝視する僕の異様な視線に気づいたのか、彼女は振り向いてくいと首を傾げる。
「……どうか、したの……? 詩屋、くん……」
 なんでこんな目を向けられているのか心底わかっていない様子の少女が、人間の耳とは別にあるイヌ科の耳をひくひく動かして訪ねた。

 野々宮光姫。
 黒い長髪よりも尚暗い瞳は、ダークカラーのブレザーと言う学校指定の制服と相まって神秘的であり男子の間で密かな人気がある女の子だ。
 って言うかなんで『密かな人気』で済んでいるのかわからない程の美少女だと個人的には思っているのだが、内気な性格で目立たないせいか話題に上がることはそこまで多くない。
 交友関係も広くないどころか基本的にいつも一人で、避けられているわけではないにせよその存在感は薄い。今思えば、不自然な程に。
 男子としては小柄め(163だ)な僕と同じ……いや、若干目線が高い。その目は、疑問はあれど警戒などまるでしていないものであった。

「…………野々宮さんって、好きな動物とかいる?」
「好きな、動物……たぬき、とか……?」
 疑問文に疑問文じみた語尾で返す野々宮さんだが、とりあえず彼女が狸関連の何かである可能性が非常に高いと言うことがわかった。
 僕は彼女の耳元で囁く。

「放課後、ちょっと話付き合ってもらえる?」




 誰もいない教室。
 一人机に座り、夕焼けを斜めに受けて黒髪を艶やかに光らせる野々宮さんは、確かに人あらざるものにも見えた。
「……えっと……その……学生で色恋沙汰は、早いって……お母様が……だから、良ければお友達から……」
 僕が入って来て耳をぴーんと立たせてしどろもどろになってでそれも一気に崩れたが。
「落ち着いて野々宮さん、まだ何も言ってないから」
「……そ、そうだった、ね……詩屋くんが考えてきた、一世一代の、口説き文句……ちゃんと、聞き届けないと、ね……」
 さてはこの子結構面白い子だな?
 今まで会話する機会にあまり恵まれなかったので僕も少しミステリアスでクール目な女の子だとばかり思っていたが、割と普通の子らしい。
 ……性格は。
「えっと、野々宮さん」
「は、はい……」
「野々宮さんって人間じゃないよね?」









 数秒の間頭の上に?マークを浮かべていた野々宮さんが、突如何か気付いたかのように青ざめて冷や汗を流し始めた。
「……み、見ての通り……人間、だよ……?」
 すげぇ。
 わかりやすいことこの上ない。
「いや、だって耳と尻尾……」
「……!?」
 指摘されるや否や慌てて自分の人間とは異なる部分を触り、急いで手鏡を取り出して確認する野々宮さん。
「えっ……? 嘘、だって……誰にも……祓魔師だって、簡単に、誤魔化せるって……あ」
 気付いて、僕の方を見て、ぺたんと手で口を覆う野々宮さん。
 さてはこの子かなりのぽんこつだな?
「簡単に誤魔化せるんだ? 祓魔師だって」
「ふ……ふ……ふつ……ふつうの、まさし君……」
 目を泳がせながらもごもごと喋る。
 まさし君は誤魔化されても僕は誤魔化せないぞ。
「話が進まないから野々宮さんが妖怪? 鬼? 霊? よくわからないけどまぁ狸娘って事で進行するよ。野々宮さん、なんでこれまで誤魔化し通せたのかわからないけど……君はこのままだと祓協に狙われる」
「……! …………?」
 ぴくんと反応してから「なんで?」と言ったように首を捻る野々宮さん。なんか順番がおかしくないか?
 口から手を離し、おずおずと喋り出す。
「……祓魔師、協会……? 狙われない、よ……?」
「いやいや、弱い妖怪を見つけてはぶっ殺す悪の残虐非道集団が狙うんだって。だから僕はその、野々宮さんを保護するために呼び出したんだけど……」
 下心はもちろんある。当然ある。滅茶苦茶ある。
 とはいえ、祓協に目を付けられるかどうかは彼女にとっての死活問題。
 そりゃできるならいやらしい事を(今すぐ!)したい(ここで!!)が、それもこれも彼女の安全を確保するのが先決だ。
「心配、してくれてるの……? ありがとう……だけど、そんなに弱くない、から……大丈夫、だよ……?」
「いやいやいや、僕の式神になれば絶対安心だから……いやらしいこととか全然しないから……本当だよ……」
 嘘である。
 正確に言うと半分本気で半分冗談である。
 封札を取り出しながら言う僕のツラは冷静になってよくよく考えれば変質者のそれだったかもしれないが、その時の野々宮さんは特に動じた様子はなかった。 
「封札……私を式神にしたい、の……?」
 純粋な、疑問。
 恐怖も、焦燥も、嫌悪も、憤怒も、哀憐も、侮蔑も、何もなかった。
 単純にイエスかノーかを訪ねていた。彼女は。
 それに対し、僕は唾を飲み込んでから頷く。
「……命令されるのが嫌なら、絶対にしない。約束する。ちゃんと今まで通りの学校生活だってさせるし……今まで何も封印したことがないから、できるのかはわからないけど……可能な限り、不自由はさせない。だから……」
 今度は、嘘じゃなかった。
「……嘘、じゃない……。詩屋くんが、とても優しい事、よくわかったよ……。
 心配してくれて、ありがとう……でも、私……帰る家がある、から……

 ……ごめん、ね……」
 微笑む彼女に、僕は封札を投げた。
 彼女は微笑みを崩さず。
 それを掴んで、僕に投げ返した。
 二本指で投げた封札は、そのまますっぽりと二本指に収まる。
「……え」


『モンスターボールって例えたけど、本当にただ投げるだけじゃ捕まえられないよ。封札を投げる時は……』
「……相手の、隙を付くか、弱らせるか……しないと」
「……!」
 おっさんとまるで同じことを言う野々宮さん。
 僕は『符束デッキ』を取り出し、七枚の札を引いた。
「僕は、野々宮さんを傷付けたくはない」
「うん……わかってる……」
 その中の四枚目にある、禍々しい雰囲気を噴き出している一枚――牙札。
 三百年生きて『化けた』山狗の爪が、そこに封印されている。文字を見ただけで、それがイメージできた。
「だけど野々宮さんが殺されるくらいなら、傷付けてでも、嫌われてでも、守りたいと思う」

 独善かもしれない。
 いや、独善以外の何物でもない。
 気持ち悪い男だ。
 だが、気持ち悪くて構わない。

「……どっちも、ないけど……もしも、祓魔師に、殺されても……詩屋くんに、傷を付けられても……私は、嫌わないよ……。
 守ろうとしてくれる、気持ちは……本当に、うれしい……」
 
 こんなにいい子が殺されるのを許してしまったら、人間としても男としても存在価値はないだろう。
 
「顕現せよ、牙札――『獄門狗爪』」
 僕の右手の甲に、それこそ恐竜程もある鋭い爪が生える。
 力加減を間違えれば女の子の肉など簡単に裂き、抉り、千切り、壊してしまう程の、凶器。
 だが、袈裟ではなくバックブローのように薙げば、打撃武器として使うこともできそうだ。

「……行くよ」
 駆ける、と思わせて僕は彼女の視界から消えた。
『転札』。
 二枚目に引いたそれは、数mの距離なら事前準備無しの瞬間移動を可能にする。
 そして消える前に、封札の投擲。彼女の背後を取り、挟み撃ちの形にする。
 封札を避けたら背中に一撃を加えて転倒させ、再び封札を――


「……ちょっと、ドキドキする……」
 数秒にも満たない連撃コンボの最中、突如世界がスローになり。彼女のゆったりとした喋り方が、よく聞き取れるようになる。
「男の子を……女の子もだけど、あまり好きになっちゃいけない理由……お母様は、学生にはまだ早い、とは別に……もう一つ、理由がある、と言った……」
 彼女が後ろを……僕の方に振り替える。隙だらけの背中に、ゆっくりと封札が張り付くのが見えた。だが、それだけで何も起こらなかった。


 



 先程のやりとりで、僕が彼女の言い分を聞かずに封印する封印するの一点張りでマジ話聞かねぇなこいつ下半身脳が死ねよと思われたかもしれないが、待ってほしい。
 おっさんは言っていたのだ。
『強大な妖はすぐ祓魔師に察知されて討伐されるから、そこらをうろついているはずないよ。だから妖を見つけたら雑魚だと思って支障ない』
 と。
 だから僕も、野々宮さんが弱い妖だとばかり思い込んでいたのだ。
 祓魔師に見つかったら、成す術もなく消されてしまうような。





「あまり好きになると……」

 野々宮さんの目が。


「……食べてしまいたくなるかも、しれないから……」


 紫色に、煌めいた。

 
 吸い込まれるようなその瞳に、本当に吸い込まれてしまったのかもわからない。
 気が付けば、僕はビーフジャーキーだった。












 以上、回想終了。
 ビーフジャーキーこと僕は、彼女の掌の二倍くらいの大きさ、枚数にして五枚くらいの量の燻製肉となり、現在体の一部(なぜか食べられているビーフジャーキーの一部の方が感覚の大部分だ)を残して彼女に美味しく食べられている。
 彼女の口の中で転がされ、いたぶられ、辱められ、頭がおかしくなりそうな快感を一方的に植え付けられた。
 もっとも、頭などおかしくなるどころかとうに無くなっているが。
 もっちゃもっちゃもっちゃもっちゃ。ごっくん。
 僕が飲み込まれ、喉を通ったと思ったら何故か意識は彼女の手元のビーフジャーキーに移っていた。
 野々宮さんの舌の上に運ばれ、唾液でぬめらされ、歯でほぐされてとろけていく僕の体。
 人間の唾液の匂いとはまた違う芳しい香りに全身が震え、あるはずのない毛先まで敏感にさせられる感覚に陥る。
 そしてそんな中で全身を女体を用いたいやらしいマッサージの、それも早回しのような悦楽が包み込み、彼女の中で劣情を解き放った。
 最後の一枚となった『僕』が見たのは、彼女が蕩けた顔で僕を見て、愛おしそうに、奉仕するように、口を開けて僕を招いた淫らな表情だった。


「……ごちそうさま、でした……」



 The End 



































 って死ぬとばかり思っていたんだけど、どういうわけか最後の一枚が飲み込まれた僕には意識があった。
 彼女の掌に乗っている形になっているが、どうやらビーフジャーキーではないらしい。と言うか今更ながらなんでビーフジャーキーだったんだ。
「今、食べたかった……」
 そっか。ならしょうがないな。
 ……あれ? 今声に出てた?
「出てない、けど……心の声が、聞こえるようになってる……」
 彼女の目に映る僕は、なんだかふよふよした魂のようなものとなっていた。緑色の。
「ような、と言うか、魂……」
 魂なんだ。
 ……魂!?
 え、僕本当に死んだの!?
「生きてはない、けど……死んでるわけでも、ない……。肉体を失った、というか、私が食べちゃったから……」
 それ世間一般的に死んだって言わない!?
「でも……私のへ」
「いやーびっくりびっくり。まさか大物がいるとは。すまんなー詩屋少年、こんなイレギュラーは全く想定もしていなかったよ」

 何か言いかけた野々宮さんに被せるように声が聞こえた。
「え? おとう……」
 そちらの方を見れば(ビーフジャーキーもだけど魂って視界どうなってるんだ)、例のおっさんが教室の窓枠に腰かけてヘラヘラと笑っている。
 いつからそこに……
「こういう時は『さっきからずっと見てたよ』……とか言うのが常識だけど今来たところ。詩屋少年に預けていた札の反応がロストしたからなんかあったのかなーと思ったけどまさかこんなことになってるとは」
「……いや、違う……あなた……誰? いや……何?」
 野々宮さんの声の、トーンが下がった。
 封印すると言われても、爪を向けられても、全く動じることの無かった野々宮さんが、今初めて警戒している。
「祓魔師では、あり得ない……だって、私が祓魔師に見つかるはずが、ないから……」
「『わけのわからないものは、わけのわからないままに滅せよ』。
 ……習ったはずだよ?」
「!!! ……」
 その言葉に、野々宮さんが過剰に反応したのがわかった。
「……詩屋くん、悪いけど、私の中に……入って……ここが一番、安全だから……」
 えっ君僕の事先程ぶっ殺さなかった?
 えっ野々宮さんおっさんとやり合うつもりなん?
 えっ私の中って何? ここってどこ?
 等々、どこから突っ込めばいいのかわからないけどなにやらエロい台詞を吐く野々宮さん。
「えろくは、ない……」
 そう言って僕をお腹に押し付け、そのまま突き抜けて本当に中に入れてしまう。
 もうわけがわからん。あとやっぱりエロいよ!!
 例によって感覚はよくわからないことになっているが、どうやら野々宮さんの視覚と聴覚はリンクしているらしく、眼前におっさんの姿が見える。
「あれは、たぶん……新種の、妖……」
 違うと思うけどなぁ。まぁ野々宮さんが言うんだからそういうことにしておこう。
「だって……強すぎる……祓魔師に、あんな存在はいない……」
「ひどい言われようだな僕。まぁいいや、目の前で目を付けた少年が捕食されたんだ、体裁的には退治しないと」

 そうおっさんが言った瞬間、野々宮さんが口を開いた。
 
 
「変化――酸池肉林」
 

 同時に、視界が一変した。
 肉の壁と、肉の襞と、肉の柱と、肉の海。
 おぞましくも淫らに蠢く世界。 洋紅色と、朱殷色と、躑躅色で構成されたその空間は、何か大きな生物の体内のようだった。
 その中にいる、野々宮さんとおっさんの二人で……おっさんだけに、巨大な肉壁が横から新幹線のような速度で襲い掛かった。『彼女の動体視力で』、新幹線並の速度だ。
 殴りつける、と言うよりは押しつぶすと言った方が正確な肉のボリューム。液体になっていなければ物理的におかしいであろう現実。
 いや、そもそもなんだこれは? 空想? 
 この世界に、物理法則は存在するのか? 
 
 その答えはわからないが、おっさんは無事だった。
 肉を容易く――徒手に見えた――裂いて、すとんと降り立つ。
 と、同時におっさんの頭上に体育館の半分くらい巨大な液体の玉が発現し、それをまともに浴びた。
「……ここは、私の体内……。
 私の胃酸は……一滴で山を蒸発させる……」
 怖いよ! いくら胃酸が強くたってそうはならないだろ!!
 と言うか、さっきからツッコミどころが多すぎてコメントに困る。
 僕にわかったのは、おっさんは気体になっていなければおかしいと言うことだ。物理的にどうかはしらないが、常識的には。
 今更常識がどうこう言うこと自体ナンセンスだが。
「うーむ、確かに美少女の体内とか考えるとあれもこれもエロく感じると言うか……なんだか陸のマゾっぷりもわかるような気がしてきたぞ」 
 そう思っていたら本当におっさんは無事だった。
 現状一番謎なのはこのおっさんだ。
「なんで、無事なの……? これで生きてた妖は、存在しない……」
「だろうね。君に勝てる妖は、少なくとも今現在は存在しないよ。一人……じゃなかった、一体を除いて。ああ何で無事なのかって、僕の周りに薄皮一枚の護符が覆ってるからだよ」
「……………………」
 今ので溶けちゃったけど、と言うおっさんに対し黙り込んでしまう野々宮さん。
「まぁこんなことは初めてだろうから仕方ないっちゃ仕方ないけど、攻め手よりも疑問を優先してはダメだよ。
 見た目でだいたい察しはついていたけど、やっぱり君は妖寄りか。才能はどうあれ、祓魔師としては君は未熟も未熟、落ちこぼれだ……一族の中ではね」
 迫りくる無数の触手、一本一本が捕縛ではなく絞殺と握殺と撲殺と刺殺を狙ったような殺意しかない形状と軌道をしているそれらを、おっさんは牙札から出したポケットナイフ一本で全て切り刻む。
 おっさんの手から離れ空中を飛び回り、銀の軌跡を無数に描くそれが自動オート遠隔操作リモートかはわからなかったが、少なくともおっさんは触手の方など見向きもせず、その紫の眼光は野々宮さんだけを射貫くように向けられていた。
「そして妖としても、現状『彼女』の足元にも及ばない……
 濡尾花凛光女。現世における最凶最悪の大妖にして、君の母親でもある」
「どうして、それを……」
 おっさんの指摘に驚愕する野々宮さん。
 全然話についていけない僕。
 なんか聞いている感じ、おっさんの正体どころか野々宮さんが本当に妖なのかどうかもよくわからなくなってきた。
「詩屋少年」
 すると突然、おっさんが野々宮さんの中にいる僕に語り掛けてきた。
「ごめんね、僕も一応祓魔の端くれだからその子は殺す。跡形もなく滅するから、当然中にいる君も綺麗さっぱり消える。
 まぁ、運が無かったと思ってあきらめてくれたまえ」
 あっはっは、とおっさんが言った瞬間、僕がふざけんなと心の声で叫ぼうとした刹那。

 ぶちりと言う生々しい音と共に、視界が美しい菫色に染まった。 

 紫がかった世界の中で、コマ送りのように展開は進んでいた。
 彼女の体内と称されていた肉々しい空間が消え、曇り空の下。
 見渡す限り土と原型を留めていない無機物だらけの荒野、その真ん中で。
 瞬きする暇もなく、野々宮さんが両手をグーにしておっさんに突き出している光景。
 その両の腕には、紙でできているような材質の手袋? のようなものがはめられており、おっさんがそれを目を見開いて防御していた。
 二人の手の間にはおっさんが出したと思しき札。おそらく防御用のそれだろう。その札が、ぼん、ぼん、と音を立てながら歪に膨張を繰り返し、凄まじい勢いで面積を何十倍にも増やして、やがて内部から食い荒らされるかのように自壊していった。
「当主でないであろう、君が……どうして『太極手甲』を……!?
 いや、これは……『変化』による模倣か……ッ!!」
 これまで余裕綽々と言った様子だったおっさんは、ここで初めて冷や汗をかいた、が……その口元は、むしろ嬉しそうに歪んでいた。
「私を、心配してくれた、優しい、詩屋くんを、殺すって、いった」
 一瞬、誰の声だかわからなかった。
 彼女の中にいるのにも関わらず。それほど、その声は冷たかった。
 切れ味の良すぎる日本刀で、しゃらんと綺麗に斬られたような寒さが身を襲う。
 と、言うか……多分なのだが。
 彼女の外でこの声を聴いていたら、恐らく失禁か失神か。
 下手を打てば両方を晒していただろう。
「お母様、ごめんなさい、言いつけを、破ります」




 先ほどおっさんが恐れたハイパー危険物である『太極手甲』とやらが。






 すんげーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっぱい。
 出てきた。



 数にして、ざっと……いやごめん、言ってみたけど全然わかんない。
 でも少なくとも視界は九割九分太極手甲って感じかな。

「おおおおお……これは……。
 落ちこぼれ、とまでは……呼べないかな……?」
 
 おっさんの笑い顔も、楽しそう半分、やっちまった半分と言った様子だった。


 僕はなんてアホだったんだろう。
 彼女に向かって、君は弱い妖怪?
 祓魔協会に討伐される??
 だから僕が守ってやる???
 傷つけたくない????
  
 何を……何を言っているんだ、僕は。
 彼女にとって僕の強さなんて、それこそビーフジャーキーと大差ないと言うのに。 


「変化――太極陣」


 後から聞いた話になるのだが、この技は本当にひどいと思う。
 彼女の家では『相手の正体を探り、弱点を見つけるのは無駄』と言う考えを持っている。何せ敵は妖怪に鬼に霊に神によくわからないものにで謎が多すぎるのだ。例えば太陽光を浴びせないと殺せない敵がいたとして、夜現れたらどうしようもない。
 そういうわけで、相手が何であっても(暫定)絶対的に滅殺できる道具、と言うのが彼女の家に代々伝わる『神罰(神が罰を与えるんじゃなくて調子こいてる神に罰を与える道具らしい)』の中でも最強の、当主のみが使用を許される切り札、『太極手甲』だと言うのだ。
 その仕組みが、『陰陽の力を増幅させながらスパークさせて+と-の極限エネルギーを敵に叩き込んで相手の正体や実体の有無に関わらず問答無用で一発対消滅させる』と言うオカルトを通し越してSFじみたものでありまして。
 本物に比べれば駄作もいいところ、よく見りゃ子供が紙粘土で作って塗装したレベル、あんなん彼女の家なら3Dプリンタ(あるの?)でも作れかねないと言ったものではあるのだが、そもそも仕組みを真似しただけで四国サイズの島がふっ飛びかねないから当主以外は基本的に取り扱い禁止と言うナメた代物。
 を、彼女の『変化』の力(これは後でもうちょい詳しく説明がある)を用いて大量に顕現。
 避けたり札を身代わりにしたりとしぶとい相手に対し逃げ場を無くし(恐ろしい事に一帯を『変化』させて結界としているので転札で瞬間移動することも許さない)容赦なくボコボコにする血も涙も情けも容赦もない執拗なウルトラリンチなのである。


 親の仇のように降り注ぐ、対拳の雨。
 それに対し、おっさんは一枚の札を例によって例の如くすっと空から取り出ドローした。
 召札。
「見ていろ詩屋少年。札とはこう使う」
 札、よりも印象的だったのは。
 野々宮さんと同じ、菫色に煌めくおっさんの瞳だった。
 
「『赫蝴蝶』」
 
 妖精、だろうか。
 金髪の美しい少女のような、優雅な蝶々のような、小さな存在だった。
 なぜだか悲しそうな顔をした彼女は、聞き取れない言語で何か呟いた後、どこかへ飛んで行ってしまった。
 

 全ての太極手甲を、輝きと共に一息で焼き払ってから。

「な……ん、で……」
「太極手甲が紙で出来てるのは知ってるでしょ。本物はどうあれ、偽物なんて容易く燃えるさ……『幼星』ティニィスティアラの炎なら、の話だけど」
 おっさんは空高く飛んでいく妖精を目だけで追い、「これみたいにね」と静かに燃えていく召札をやや名残惜しそうに捨てた。
 あ、言い忘れたけど……ってかあまりにも自然すぎてスルーしてたんけど、おっさんも野々宮さんもナチュラルに空飛んでるのね。
 なんでやねん。
「まさかUR一品ものを使う事になるとは……修業は怠るもんじゃないな。いやーごめん、ちょっとからかいすぎたね。さっきのウソウソ、君も詩屋少年も殺さないよ」
 おっさんが両手を挙げて交戦意志がない事をアピールする。
 それで警戒を解く野々宮さんではなかった、のだが……

「姪っ子ができるとは思わなくて、ついついちょっかいかけたくなっちゃった。
 どうも初めまして瑙乃のお嬢さん。元・瑙乃の光海おじさんだよー」

「…………へ…………?」

 さっきまでが液体窒素みたいな声だったので、いつもの声に戻った野々宮さんががやたらふにゃふにゃに聞こえた。

「だからいい加減に詩屋少年を元に戻してあげなさい。あとついでに、面白いくらい更地になったここら一帯も、巻き添えになった人ごとね。
 急がないと、もうそろそろどっかの祓魔師が嗅ぎつけて来る頃だよ」






「変化」
 と彼女が一言言うと、僕は魂だけの姿から元の体を取り戻した。
 そう言えば僕人間だった。てっきりビーフジャーキーだとばかり。
 教室から彼女の体内(リンクしているとは言え半分イメージらしく本物はあんな物騒な場所じゃないらしい)、そして一帯の荒野だった世界が、寸分の狂いもなく元に戻る。
「いくら元に戻るとは言え簡単に周囲ごと食べるのは感心しないなぁ……」
「ご、ごめんなさい……本気を出すと、つい……」
「しかし光姫ちゃん、君の変化はすごいね。本来自分にしか使えない変化を、他の物を勝手に自分と同一視して無理矢理変化させるなんて芸当……ちょっとした現実改変だ。カリンちゃんだってあんなことはできないよ」
「恐縮、です……自分と、同じくらい、までの……力量の相手、しか……直に変化は、させられません、が……」
 すっかり姪っ子モードになった野々宮さん……もとい瑙乃さんは畏まってしまっている。
 話を聞く限り相当無茶苦茶なことやっていたらしい。もう視界に映るものがだいたい無茶苦茶だったしね。
「流石に太極手甲まで持ち出すとは思ってなかったけど……それもあんなにも……」
「申し訳、ありません……ど、どうか、お母様には、内密に……お願いします……」
「いやまぁ、僕も絶縁喰らった身だしね……」
 そしておっさんも、どうやら瑙乃の出らしい。
 なんとなく予想は付いていたが、瑙乃とは祓魔のトップ……ティラノサウルスの一族のこと。
 こんなビーフジャーキーをつかまえて、どの口が君に才能があるなんて言ったのだろうか。
「詩屋少年も悪かったねー。瑙乃に女の子、それも妖の血が強い子が生まれる事がとんでもないイレギュラーなんだ。まるで想定の範囲外だった」
「いえ……僕ももっと野々宮さん……じゃなかった、瑙乃さんの話を聞いておくべきでした……」
 恥ずかしくて顔中の穴と言う穴から火を吹きそうです。
「し、詩屋くん、落ち込まないで……ごめんね、いきなりビーフジャーキーにして食べちゃって……」
「そこは別に気にしてないから大丈夫」
「加害者が、言うのも、なんだけど……普通、気にするところ、だよ……?」
「おっとこの子陸の生まれ変わりかな?」
 なんかよくわからない事を言ってるおっさん。
 僕は先程の戦いを見て、考えていた事を吐き出した。
「おじさん……僕に才能なんてないよ。あんな人外バトルについていけるわけがないじゃないか。なーにが札術皇カードマスターだバカバカしい」
 自信のなさと共にしれっとおっさんのネーミングセンスを乏しながら符束デッキを返そうとすると、おっさんはあぁ……と苦笑いを返した。
「まぁ、瑙乃はちょっと全体的に頭おかしいところあるから基準にしても仕方ないよ。一般的な祓魔師として見れば、君は天才だ。頑張ればイグアナくらいにはなれる」
「それ褒めてるの?」
「ちなみに光姫ちゃんは現状大型のアリゲーターが猛毒持ってるって感じかな」
「いい感じのおやつになりそうだなイグアナ?」
 それにね、とおっさんが加える。
札術皇カードマスターの目的は強敵と戦うことじゃない。その手にある札は弱者を救うためのものだ。目的を履き違えては、いくら強くなっても大事な物はつかめないよ。
 それに……君の身勝手な独善は、随分深く彼女の心に刺さったらしい」
 そう言って瑙乃さんを見やると、彼女は頷いて僕に笑みを投げかけた。
「私が、殺されるくらいなら……傷付けてでも、嫌われてでも、それでも守りたいって、言ってくれたとき……とっても、かっこよかったよ……。

 詩屋くんは、本当に、強い人なんだね……。
 君なら、なれるよ……。弱いものを守れる、立派な、その、かーどますたーに……」

 そうかな。
 二人とも、買い被りすぎだよ。
 とは言え、少し。
 いや、かなり――

 その言葉に救われた、気がした。







「しかし君も目の付け所がいい。まさか札を渡した翌日に瑙乃の娘をハントしに行くとは」
「はんと……?」
 よくわからなそうな顔をする瑙乃さん。やっべ。
「いやいやいやーなんでもないんですよ瑙乃さん! 僕は瑙乃さんの身を案じてですね」
「この少年は保護と言う名目で見た目が可愛い妖怪の女の子を性どれ」
「ウワアアオオオオオ死ねおっさん! 獄門狗爪!!!」
「ギャアーッ!!!」
 あ、食らった。
 ギャグだと食らうんだ。
「詩屋くん……!?」
 ガラガラガラーッ! バオン!!!
「光海ィィィィィィィィィィィィッ!!!!」
 すごい勢いで教室の扉が開かれた。
 開かれたって言うかめり込んだ。バオンって言ったぞ今。
 やってきたのは瑙乃さんと同じく狸耳をした小学生高学年かそこらと言った少女だった。
 何やらものすごく怒っているように見えるが、瑙乃さんの妹だろうか。
「お母様!?」
「ひっ……かかかかかかカリンちゃんっ!? な、ななななんでこここここににに」
 慌てっぷり凄いな!?
 って言うかお母さんなのこの子!?
 お母さんっ、て……たしかさっき最凶最悪がどうとか言われてなかったっけ……?
「で、家っ、出てきちゃダメでしょカリンちゃんは!! 何やってんの光空は!?」
「ああ、邪魔しおったからね、妖怪変化してぶん殴ったよ。ありゃ方角的に恐らく越後まで飛んだね」
 ここ山梨県なんですけど。
「それより光海や……お前さん、うちの可愛い可愛い光姫に、なぁにをしてくれたんだい……?」
 彼女の殺気はそれはもう凄くて、僕は直接受けているわけでもないのに失禁&失神コンボ寸前だった。
「い、いつものロリババア口調じゃない……素だ……ややややべぇ……マジでキレてる……!」
 おっさんの方も結構膀胱が危ない感じだった。
「お母様、申し訳、ありません……私が、勘違い、して……」
「ああ、ああ、大丈夫だよ光姫。あんたはなぁんも悪くないんだからね。優しいあんたが太極陣を使うなんてね、もうよっぽどの事だろうからね。
 お母ちゃんはぜぇんぶわかってるよ。あのろくでなしに辱められそうになったんだよねぇ」
「全然わかってない!!!」
「全然、わかって、ません……!」
 全然わかってない。
 凄まじいレベルの親バカだ。
 どれだけ娘が可愛いのだろうか……いや可愛いけど。すごく。
「おやおやおや、なんて痛ましい……もう辱められてしまったのかい。辛かったねぇ……」
 話も聞いてない。やべーなこの人。たぶん人じゃないけど。
「あたしが親として、けじめをつけてあげないとねぇ……」
 そう言って見覚えのある手袋をはめはじめるカリンさん。
「ギャアアアアアアァァァァアアアアァァアァアーーーーーーーーッッアッアァ!!!!!
 本物の太極手甲なんて持ってきちゃダメでしょカリンちゃんーーーーーッッッ!?!?」
 恐怖と驚きと絶望のあまり声がすごい裏返ってるおっさん。
 ひぇぇ怖ッ……関わらんとこ……
「こっここいつこいつ!! この少年がね、光姫ちゃんと不純異性交遊してたからね!!!! ちょっと注意をしただけでね!!!!!!!!」
「はぁ!?!?!?!?」
 何言ってんのこのおっさん!?!?!?!?!!!?
 正気!?!??!?!??!?!?!?!??!?!
 やばい恐怖と驚きと絶望のあまり地の文も混乱してしまった。
「ほぉ……? うちの娘を、傷ものに……?」
 カリンさんがこちらを向いた瞬間、僕の尿道から凄まじい勢いで尿が発射された。
 状況が状況だったのでそれに関しては逆に冷静だった。
「だ、大丈夫……? 詩屋、くん……」
「止めて?」
「わ、わかった……!」
 心配してくれた瑙乃さんは僕の下半身に顔を近づけた。ちんこをどうしようか迷っているようだ。
「そっちじゃないですよ(↑)! お母上をですよ(↑)!!」
 僕の声もすごいことになっているのを見てか、おっさんが凄い勢いで札を取り出し始める。
 あたふたと焦りすぎて逆にトロい。
「今だ! 転札!!」
「ふざけんなおっさん!!! 逃がすか!!!」
「二人とも死ねェェェエェェェ!!!!」
 カリンさんの両手が眩い光を放った。






 後にこの出来事は瑙乃一族最低最悪のしょーもない珍災として語られることになる、が……
 僕がそれを生きて知る事ができたかどうかは、また別のお話。




 (完)

       

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Neetsha