「……瑙乃が変わる時が来てンのかもなァ」
 散々泣き喚き、疲れて寝息を立てているカリンちゃんさんの頭を柔らかく撫でながら、初代様は呟いた。
 帰り支度をしているおっさんと仕事に戻るつもりだった光空さんの目が、そちらに向かう。
「度重なる不測事態……瑙乃から離れた光海がみーのくんに出会い、みーのくンが瑙乃の娘、光姫に出会ッた。そして何よりも……光年の存在だ」
 初代様の口から、意外な人物の名前が出てくる。
「光年くんが……イレギュラー?」
 思わず口に出してしまう僕。
 彼は、重度のモデラ―で、お姉ちゃん想いなだけのただの……瑙乃の人間であることを除けば……中学生では?
 そんな問いかけに、初代様は『全くこれだからお前は道化なンだよみーのくんよォ』とでも言いたげに嘲笑した。
「全くこれだからお前は道化なンだよみーのくんよォ」
「今の流れで口にする必要なくないですか?」
 僕のツッコミを初代様は完全に無視する。
「俺と花凛の口ぶりからわかっちゃいるとは思うが、俺……瑙乃光時のコピーなンざ、本物が死んでから七百年……一度たりとも出てきちゃいねェ。
 恐らくだが、意識だけなら歴代の瑙乃も知らず知らずに生んでいたンだろう。それが積もり積もって、おおよそ元の100%に達したところで『俺』になッたわけだ。
 だがな……100%に限りなく近い『瑙乃光時』を再現できるやつは、つまり。
 原初の紫……その器に至る土壌を身体に宿している、ッてなわけだ。それも、精通したてのジャリガキの分際でだ」
 精通したてって事はないだろ。
「早い話が光年は瑙乃史上稀に見る大天才、珠玉の麒麟児ッてことだな。
 どこぞの性格も体質もまっっっったく祓魔師に向いてねェがツラだけは可愛いポンコツお嬢様とは違ッて」
 初代様の意地悪ったらしい目が、彼女へ向く。
「?」
 彼女……顔だけは本当に美少女極まりないぽんこつはらぺこたぬき娘は、ドーナツを齧っていた所に視線を感じ、初代様と僕を三回ほど見比べてから。
「……今の、私の……話だった……?」
 と、ようやく思い至る。
「顔が、可愛いって……言ってる所は、聞こえた……」
 と恥ずかしそうに言う光姫さんに、初代様は『あァもうそれでいいや』と適当に纏め、話を戻す。
「このタイミングで光年と言う天才が生まれ、光時おれの意識が表に出たのは……恐らく、偶然じゃあねェと思うのよ。
 瑙乃のシステムの、僅かながらの綻び……きっとそれは、近親相姦で遺伝子がどーのこーのとかじゃねェ。もっと単純な話だ。
 ……やっぱり、花凛の、メンタルの問題なんだろうなァ……」
 まだ頬に湿り気を残している彼女を見て、僅かに顔を伏せる初代様。
 おっさんも、光空さんも。思い当たる節があるのか……きっとこれまで見たこともないだろう穏やかな寝顔をした彼女を、神妙な面持ちで眺めていた。

「花凛がダメになったから、代わりの光姫が生まれた。
 じゃあ、お勤めは終わりだ。ご苦労花凛よォ。もう楽になっていいぜ。
 そんでもって光姫、これからはお前が瑙乃の器だ。
 強い祓魔師をポンポン産ンでくれよなァ……

 ……よくできてるぜ。俺が作ったシステムながらよォ」
 吐き捨てるようにそう言って、自虐的に笑った。

 初代様は……きっと、ここまでのことを想定していない。
 瑙乃光時……いや、彼が瑙乃になる前の『紫の守』を何度も転生させてきた何らかの意思。
 それが、瑙乃に……未来永劫に至るまで戦い続ける存在であることを強いている。
 そんな気がした。




「瑙乃が変わる……いや……


 ……瑙乃が終わる時が、来てるのかもしれねェなァ……」



 初代様は、頭を掻いて笑った。
 今度は、先程までとは異なり。悪ガキのように……心底楽しそうな笑みを浮かべていた。
 それは、どういう……?
 僕たちの疑問よりも早く、初代様は続ける。



「花凛が辛いなら、もう役割は終わりだ。だがな……光姫も、勝手気ままに生きやがれ。

 たかが日ノ本の危機なンざ、瑙乃俺達の知ったこッちゃねーっつーの」





 短い付き合いでも、よくわかる。
 
 ……初代様は、こういうやつだ。 

「しかし、それでは……!」
 案の定と言ったところか、光空さんが口を挟んだ。
「空よォ」
 それを、初代様は。

「おめー、日ノ本と妻子あいつら、どッちの方が大事よ?」

 悪戯っ子の一言で、止めて見せる。
「……ッ!」
「俺は花凛だ。光姫だ。光空だ。光年だ。おまけに、俺は優しいから光海も入れてやる。
 ああ……ついでにそこのアホも瑙乃の婿養子さおやく候補だったかァ……。そうだったな……。
 ……まァみーの君は別にいらんわ」
「この流れで僕外すの!?」
 あーうるせーうるせーとツッコミを遮られる。
 まぁ、そりゃこの家族の輪に入れる程の関係じゃないけどさぁ……
「『これまで役割を演じさせられといて今更かよ』たァ思うだろうがよォ……俺達に押し付けすぎなんだよ、なんでもかンでも。
 一族ひとつを犠牲にして成り立つ平和なんぞ、そもそもが馬鹿馬鹿しい話じゃァねぇか」
「……まぁ、ね」 
「考えないようには、していましたが……」
 おっさんら兄弟も、その言葉に思う所はあるようだ。

「俺は神だってなんだって、日ノ本の安寧の邪魔になるなら倒してきた。
 何十体か何百柱か何千個か、数すら覚えてねェ。
 だが、本当に日ノ本に誰もが信じ敬う『神様』なんてもンがいるなら、それはきっと……
 『誰かが自分の代わりに傷ついて、巨悪を滅ぼす役割をしてくれるといいな』って言う、なっさけねェ他力本願の塊なンじゃねェかって思うのよ」

 それの犠牲者が、瑙乃だと言うことか。
 初代様の言っている事は思い付きの仮定、荒唐無稽な作り話……のはずなのに。
『そうやって何千年何万年と生きてきた』人物の言葉だからか。
 僕はその作り話に、妙なリアリティを感じていた。

「そうだとしても、そうじゃねェとしてもだ。このシステムはもう俺が破棄してやる。
 俺は与えられた役割を『仕方ねェな』で済ます上、面倒になったら惚れた女に押し付けるよォな、てきとーで無責任な奴だが……

 花凛が嫌だと泣くんなら。
 それを認めんと、エラいエラい『日ノ本の意思』サマが遮るンなら。












   ・・・・ ・・・・・   
 俺はこの手を、下に向ける。


 ――なンせ俺は、どーしよーもなく……無責任だからなァ」









 初代様は、そう言って。
 U字を作った指の間から、菫色を覗かせた。

 短い付き合いでも、よくよくわかる。
 
 ……初代様こいつは、こういうマジでやるやつだ。 


「あほう」
「あてっ」
 そこで彼は、頭をぽかんと殴られる。
 当の本人……起き上がったカリンちゃんさんによって。
「なンだ、起きてたのかよ」
「今しがた目が覚めた所じゃ。儂が寝てる間に、勝手に話を進めるでないわ」
 未だ目が腫れぼったい彼女は、どっかと男らしく胡坐をかく。
「おお、じゃァ起きたとこで進めンぞ。瑙乃は今日をもって、解体――」
「儂は別に、この役割をやめたいと思っているわけではない」
 え、と初代様が間抜けな声を出した。
 カリンちゃんさんは、ふんすと腕を組んで言い張る。
「……どこぞの阿呆のせいで、苦労ばっかりしておるがの。
 腹を痛めて産んだ、瑙乃の子供達は……みんな、誰一人、例外なく……可愛いのじゃよ。
 揃いも揃ってまざこんでろりこんの、どうしようもない性癖しとる上に、母親よりも早く死んでしまう親不孝……まるでどっかの馬鹿のような女泣かせ共じゃ……。
 ……産んで、育てて、看取って……寂しい時も、悲しい時もあった。
 あったが……それよりも、沢山……いい思い出を、貰ったから……。
 儂は、瑙乃の器でいい。
 いや……瑙乃の器で、いたいんじゃよ」
 その笑みは、母親が子供に見せる微笑みだった。
「お前、は……それで、いいのかよ」
「ああ」
 初代様は、複雑な表情を浮かべていた。
 罪滅ぼしができない事を悔やむような。
 彼女の七百年間が、不幸だけでなかった事を安堵するかのような。
「儂が不満なのはお主の甲斐性のなさだけじゃ、阿呆め。
 役割だの日ノ本の意思がどーこー言う前に、まず自分の性格を鑑みよ」
「……」
 返す言葉もない初代様。
 全くその通りである。
「まぁ最初に押し付けられたのは可哀想だとしても自分で嫁に押し付けといて嫁が泣いたから日本ぶっ壊すのは控えめに言ってキチガイだよね」
「元はと言えば、初代様が母上様と共に生きてさえすればこんなことにはならなかったのですからね」
「ぐフッ」
 おっさんら二人の正論が刺さる刺さる。
「あ……あのっ……」
 と、そこでぴょこぴょこと動くたぬき耳が。
 光姫さんが挙手して、初代様に指される。
「……なによ」
 彼女の口から出たのは、予想だにしていない言葉であった。



「私を……人間の寿命じゃなくて、不老不死にする、ことは……できますか……?」


「……はッ……?」
「何、を……」
「光姫……?」

 三者三様、発言に驚きを隠せない瑙乃達。
「お前、マジで話聞いてなかッたのかよ……? 瑙乃の器なら、花凛が……」
「そうじゃ、ありません……」
 光姫さんの視線が、カリンちゃんさんへと移る。
「お母様は、いつも、子供達に、先立たれて……可哀想です……。
 妖に近い、私なら……お母様の寂しさ、を……和らいで、あげさせられる、かも……」
「光姫……」
 光空さんは、その言葉を聞いて……心配や不安よりも、嬉しさが勝ったようだった。
 もしも娘が人間らしく生きたいと言ったなら、そうさせてあげたかったのだろう。
 その彼女が、寂しい母親のために一緒にいてあげたいと言った事に、泣き笑いのような顔をしていた。
 恐らく……自分ではしたくてもできなかったことだけに、その気持ちは大きい。
「光姫ぇ…………!!!!!」
 対して、カリンちゃんさんはまたしても涙腺を緩ませ切っていた。
 感極まって自分よりも大きい娘の身体にダイブする姿は、とても母親には見えない。
「お前さんはほんとぉ~に……いい子じゃなぁ……!!
 こんな……こんな優しい娘がこの世にいるなんて、信じられんわぁ……!!!
 あの馬鹿の遺伝子を継いでいるなんて、とても思えぬ……!!!」
「いちいち俺へのディスを入れんじゃねェよ……!!」
 いやでも僕もそう思うよ。
「しかし……不老不死と言うのは、やはり、色々と辛い事も多いぞ……?
 お前さんの気持ちは嬉しいがな、ちゃんと自分の人生を……」
 見上げるカリンちゃんさんに、笑いかける光姫さん。

「……大丈夫、です……。
 ……お母様と一緒、なら……私は、なんだって……乗り越えられます……。
 お母様の、こと……大好き……です、から……」

 その表情に、迷いの色はなかった。

「…………。
 ………………ッ!!!」

 しばし言葉もなく、幸福の絶頂にいるかのような顔で光姫さんに抱き着いていたカリンちゃんさん。
 は、唐突に僕の方に殺意100%の鋭い眼光を向けてきた。
 また失禁するハメになるところだったのでそういうのやめてほしいです。
「光姫はやらんッ……やらんぞッ……!!
 お前のような気狂い全裸に、うちの可愛い可愛い光姫をやってたまるかッ……!!!」
「うっ……」
 奇行を掘り返されると弱い僕。
 光姫さんの好感度は大丈夫でもカリンちゃんさんの好感度は下がりますよね。そりゃ。
「お、母様……みーのくんは、私たちのために……頑張ったので……。
 嫌わないで、あげて下さい……」
「そ、そうは言うがな……」
 愛娘の説得にたじろぐカリンちゃんさん。
 そこで口を開いたのは光空さんだった。
「……母上。光姫の好きなようにさせてあげましょう。
 恋も知らずに育つ女の子ほど、不幸なものはありません。
 それに……男の趣味の悪さなら、貴女もいい勝負でしょう」
「てめェもかよ、光空……!」
「まぁ……この場合瑙乃全体を指してもいるけどね……」
 意外にも、父親の光空さんは光姫さんの背中を押してくれた。
 彼とて、彼女が可愛い事に違いないのに。
「実くん。うちの娘は、ちょっと色々と普通ではないが……
 本当に、いい子なんだ。親馬鹿ながらね。
 ……どうか仲良くしてやってくれ」
 ……そうか。
 彼女は……恋人以前に、友達を家に呼ぶことさえもできなかったのか。
「……はい。もちろんです」
 僕は力強く頷いた。
 いつかカリンちゃんにさえ認められる、立派な男になるように。



「じゃあね、みーのくん……」
 気が付けば、外はすっかり暗くなってしまっていた。
 今日は人生で一番長かった一日だ……今のところ。
「うん、また明日」
 手を振り、門から出て左に曲がって歩いていく僕。
「……しっかし、凄い広さだな瑙乃の敷地……」
 数十では効かない、数百m単位のクソが付くほど長い塀がずーっと道沿いに聳えている。
 絵に描いたような金持ち表現だ。
 と、その上に座っている影が一つ。
「よォ、みーのくン」
「初代様? どうしたんすか?」
「いやァ、ちょっとだけ言いそびれたことがあってな」
 月下で笑うその姿は、その紫は。
 どこかと言うべきか、やはりと言うべきか。人ならざる雰囲気を帯びていた。
「光年も関係あるから聞いとけ。……花凛がいいッつったから、瑙乃の器の事に関しては片が付いたがよォ。
 それでも、今の祓魔の構図はあまりいいもンじゃねェ」
「構図?」
「おォよ。瑙乃が巨大な敵を打ち倒し日ノ本の危機を救う傍らで、他の祓魔一族がその残りカスを掃除する……。
 やっぱりどう考えてもバランスは悪いよなァ」
「まぁ……そうですね」
 とは言っても、力の差がありすぎるから仕方ないと言いますか。
 その点に関しては、改善は難しいのでは……。
 そう思う僕に、初代様は続ける。
「改善なンて言うつもりはねェ……改革だ。
 使えそうな祓魔一族……二位から二十一位……あァ、新しく一個入るから二十二位か。
 その二十二位までを全て、数年で『神罰』に仕立て上げる。
 それがお前と、光年と、光姫の……『役割』ってやつだな。
 



 期待してるぜ……




 ……詩屋家当主、実さンよ」




「は!?」



 にっしっしと笑ったまま、闇に溶ける初代様。
 

 なんか、よくわからないけど……ロクでもないことを押し付けられた気がする。


 短い付き合いでも、よくよくよくよくよくわかる。










 
 ……初代様は、そういうやつだ。



(完)