Neetel Inside ニートノベル
表紙

とれしょ
女中の襟に手を入れて(長編予定)

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 そして、誕生日の当日。
 「うー、朝………………!?」
 マルカが目を覚ますと、ベッドの横には執事服を着た青年が立ったままで待機していた。それも、二人。
 一人は、見違えるほど印象を変えたハルだと言う事はどうにかわかった。もじゃもじゃだった頭を整えて清潔さを出すと、これ以上なく執事の姿が似合う美男子である。
 が、もう一人の方がさっぱり誰だかわからない。ハルに比べると背は低く、体格も細めである。片眼鏡の奥に涼しい目をした、氷のような美青年だった。
 肌の白さと綺麗さに長い髪を結って肩から垂らしているのも相まって、中性的な美しさがある。
 「…………ご主人様? その格好は……って言うか……誰ですか、そちらの人?」
 にこやかに微笑み、ハルがいつもより柔らかい口調で答える。
 「お誕生日おめでとうございますマルカお嬢様。今日は一日、我ら執事が誠心誠意お嬢様の手足となってお仕え致します。こちらは……」
 促されて、もう一人の方が口を開く。
 声色を低く変えてはいるが、その声は明らかに男性のものではなかった。
 「満月……いえ、今は三日月とでも申しましょうか。ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様」
 「ま、満月さん!?」
 マルカの声が上擦る。
 驚くのも無理はない。マルカにとって満月は、女性の魅力をこれでもかと凝縮したような自分の理想像のような存在である。
 それが起きたら見た目麗しい男性になっていたら、世界がひっくり返ったかのような衝撃だった。
 何より胸が無い。
 「僕にできることなら何でも仰って下さいね、我が君」
 と言って手を取り、甲に優しく口付けをする三日月。
 「ひゃっ!」
 恥ずかしさと違和感に慌てて手を引っ込めてしまうマルカ。
 そのまま、ベッドから飛び起きてハルの後ろに隠れてしまった。
 「……お気に召しませんでしたか、お嬢様」
 やや残念そうに言う三日月に、マルカは。
 「い、いえそんなことはないんですけど……あはは……」
 恐怖と焦りが多少含まれた苦笑いでその場をどうにか乗り切った。

 「こちらが本日のお召し物になります、お嬢様」
 「ありがとうござ……ありがとう、ハルくん」
 敬語を外すのはどうしても慣れないが、今の立場はお嬢様と執事(たち)。
 丁寧口調ながらやんわりと強制されたので、マルカはそれに従うことにした。
 「では失礼致します。お着替えの方は三日月が担当しますので」
 「え、あ、はい。じゃなかった、うん」
 お着替えを担当ってどういう事だろう。そうマルカが考えていると、屈んだ三日月がマルカのパジャマの上着のボタンを外しはじめた。
 「えっ何ですか何ですか!?」
 慌ててその手から逃れるマルカに、三日月はきょとんとした表情で首を捻った。
 「お着替えの手伝いですが……お気に触りましたか?」
 普段の満月であれば、新しい服を着せてくるのに何の躊躇いも持たないマルカであったが、三日月相手だとどうも緊張してしまう。
 同じ男性(と言う扱い)のハルに着せ替え人形扱いされても恥ずかしい内心ちょっと嬉しいくらいだと言うのに。
 「わ、私一人でも大丈夫です! 大丈夫だから!」
 頬を染め、衣装棚から掴みとった服で防御するようにしながら言うマルカ。
 三日月は表情こそ大して変化のないものの、雰囲気は明らかに落ち込んでいるようだった。
 「お嬢様が嫌でしたら、いつもの姿に着替えて参りますが……」
 「うっ……」
 マルカは悩んだ。
 満月の姿であれば、普通に接する事ができる。
 だが、誕生日と言う特別な日に、せっかくこうして労ってくれているのだ。それを無下にするものどうだろうか。
 それに、満月が男装するのを見れる機会などそう無い。
 そもそも、言ってしまえば満月は今日に限らず大抵のお願いは聞いてくれるのだ。
 「……三日月さん。三日月くん? で、お願いします……」
 「かしこまりました。お着替えはどうなさいますか?」
 「じゃあ……お願い……しちゃおう、かな……?」
 えへら、と曖昧な笑みを浮かべて、マルカは三日月の手に身を任せる。

 どうにもこそばゆいのをなんとか堪え、マルカは衣服に袖を通した。
 「おー」
 胸元にひらひらとしたフリルのついた純白のブラウスに、黒のジャンパースカート。そしてニーソックス。
 フリルの真ん中に大きなルビーのブローチをはめた姿は、確かにどこからどうみてもお嬢さまとしか形容できない。
 長い丈のメイド服も気に入っていたが、この服は心まで優雅になってしまうほどに素敵に思える。
 「よくお似合いでございます、お嬢様」
 鏡の前でスカートをはためかせるマルカに、三日月が微笑んだ。
 いつもの柔らかい笑顔と同じ表情のはずなのに、本当に他人に見える。
 「あ、ありがとうございます……」
 知らない人に褒められたような気分になって嬉しいような気もするが、どうにも恥ずかしさが勝ってしまった。
 「では朝食にいたしましょう。こちらへどうぞ」
 と言って食卓まで案内される。無論場所がわからないマルカではなかったが、まさかいつも食事を取る応接間ではなく、普段使っていない晩餐室へ通されるとは思わなかった。
 軽く三十人は座れる、広大なスペース。その真ん中に座らさせられる。
 「……別にわざわざここ使わなくても」
 困ったような顔でそう呟いている間にも、料理が運ばれてくる。
 オレンジジュースに、ふんわりと膨らんだオムレツとグリルトマト。輪切りにカットされた焼きたてフランスパンからは、芳醇な匂いが漂ってくる。
 さらに焦げ目のついた歯応えのよさそうなベーコンとポテトサラダが並ぶ、豪華なアメリカンである。
 「おおー……」
 満月の作る料理は何でも美味いとは言え、ここまで豪勢な朝食は初だった。並んだ料理に目移りしていると。
 「失礼します」
 その一言と共に後ろから手が伸びてきて、紙エプロンをマルカの首元に軽く結ぶ。
 一瞬ビクッと跳ねたマルカは振り向き、待機している執事二人を見やった。
 「…………ハルくんと三日月さ……三日月くん、食べないの?」
 「私共はお嬢さまがお召し上がりになった後でいただきますゆえ、お気になさらず」
 と、ハルは言うも、そう言われて気にしないマルカではなかった。
 「何バカな事言ってるんですか……主従関係とか気にせず、みんな一緒に食べる。これまでずっとそうしてきたじゃないですか」
 呆れたように敬語になるマルカに、ハルが苦笑した。マルカは朝食に手を付けないまま続ける。
 「お嬢様の命令です。二人とも、私と一緒にご飯を食べてください」
 そういうわけで、結局いつものように三人そろって朝食を囲むことになった。
 料理は少しだけぬるくなってしまったものの、マルカにとってそれはとても美味しく、心が満たされるものだった。
 
 「お嬢さま」
 朝食を食べ終わり、そのまま何をするでもなく座していたマルカに三日月が話しかけてくる。
 「はい、うん。どうかした?」
 「バイオリンとピアノ、どちらに興味がございますか?」
 唐突な質問である。
 マルカはうーんと少し考えた後、答えた。
 「じゃあ……ピアノで」
 「かしこまりました。では二階へ参りましょう」
 先導され、階段を上がる。連れられた先は『音楽室』だった。
 マルカの記憶が正しければ、そのような場所は自分たちの部屋がある棟の二階に存在しない。
 ハルとおままごとをした倉庫部屋は、いつの間にかすっきり片付いて風通しと日当たりのいい部屋になっていた。
 開け放った窓から吹くそよ風がカーテンをなびかせる、爽やかな部屋。
 学校に行ったことのないマルカにはわからないものであったが、ハルと満月はこの部屋にグランドピアノを設置した時にノスタルジーを感じていた。
 (館にあったのかな、こんなピアノ……まさかわざわざ買ってきたんじゃ……)
 自分のためにそこまでしなくていいのに、とマルカは複雑な表情を見せる。
 「さあ、お座りくださいお嬢様。こちらへどうぞ」
 そんなマルカに対し、さも当然と言ったように三日月はピアノの前に座って演奏を始めた。
 マルカも長椅子に腰掛け、少し三日月と距離を空けながらもその踊る指先を眺める。
 聞いたことがないはずの音楽。しかし郷愁を感じさせる旋律が歩くような速さアンダンテで奏でられ、心を揺さぶる。
 前奏の終わり、三日月が語るように歌い始めるとマルカが口を開いた。
 「きれいな声……」
 呟きは、絃が奏でる音色と三日月の低い歌声でかき消される。
 満月より一オクターブ低い、男が出すような低音の声だった。
 しかしはっきりと発音される、澄んでいてよく通る声でもあった。
 それが、細指が繊細に奏でる音色と重なりゆく。
 日本語なので、何を言っているかはわからない。それでもその声は優しく、初めて見るピアノ演奏と相まってマルカの心はその音楽に釘付けとなる。
 自然に身体はリズムを取り、横顔と指先を交互に眺めていた目はやがて自然に閉じられた。
 何の歌だろうか。マルカは想像してみる。
 カントリー・ミュージックと言うやつだろうか。一方で、和風と言われたら和風にも聞こえる。どこかの民謡のようなメロディだった。
 きっと、これは旅の歌だ。風が吹き荒ぶ、黄金色の小麦が実った故郷を後に、地平線に向かって歩き続け……そしていつしか、また同じ季節の同じ場所に戻ってくるような。そんな――
 「お嬢様も、弾いてみますか?」
 気付けば、演奏は終わっていた。
 マルカはしばし余韻に浸ったあと、首を横に振って言う。
 「弾けたら楽しそうだけど、今は、三日月くんの演奏を聴いてたいな」
 「かしこまりました」
 昇り切らない太陽の光が差し込む中で、マルカは三日月の演奏を黙って、ずっと聴いていた。
 
 「ハルくんハルくん」
 「いかがなさいました、お嬢様」
 午前中だと言うのにティータイムだと言われ、準備に向かった三日月。
 が、いない内に。マルカはハルの袖を引っ張った。
 「凄いよね、三日月くん。っていうか満月さんなんだけど、ピアノも弾けるんだね。バイオリンも弾けるみたいな言い方だったし。もう何でもできる天才執事だね」
 彼(彼女)がいないところで褒めるマルカ。
 「……その言葉は本人に言って差し上げてはいかがでしょうか」
 笑顔を崩さぬまま、『俺の彼女だもっと褒めろ』と『悪かったな俺は大したことできなくて』と、ハルは嬉しいような若干拗ねたような口調で答える。
 「うん……でも、やっぱり慣れないや、三日月くん。なんか、満月さんのいた所に男の人がいると、変な夢見てるみたい」
 「失礼ながら、お嬢様からすれば男性が多い方が嬉しいのでは?」
 少なくとも、ハルからすれば自分以外は女性が多い方が好ましい。
 「ええ? だって男の人ならハルくんがいるじゃない。お兄ちゃん一人とお姉ちゃん一人でちょうどいいよ。三日月くんだと気軽に抱きついたりできないし……」
 男性は自分一人で足りてると言われて、嬉しさのあまりハルはマルカを押し倒して性奉仕させたいと言う情動に駆られた。
 「お嬢様、頭をお撫でしてよろしいでしょうか」
 「どうしたの急に……? いいよ、もちろん」
 も、どうにか抑える。
 今はいつもと立場が逆である。遠慮がちなマルカは断らないであろうが、お嬢様らしい生活の雰囲気は台無しになるだろう。
 「お嬢様、お慕いしております」
 「ようするにエッチなことしたいって意味だよね、ハルくん的には」
 呆れたように言いながらも目をつぶってこそばゆそうにするマルカに対し否定も肯定もせずに、ハルは小さい頭をいつもより気持ち優しく触り始めた。
 「……しよっか?」
 ハルの性欲を案じたマルカは、静かに、そしてほんの少しだけ恥ずかしそうに。目を閉じたまま問いかける。
 「お嬢様がよろしいのならば、是非ともお願いしていただきたいところですが……まだ日も昇り切っていません。夜も更けてきた頃にこっそりとご奉仕致しましょう」
 その台詞はハルとしては、『あまり気を遣わなくていいから今は楽しめ』くらいの意味であったが。
 「ごほうし……」
 の単語に反応し、マルカは顔を赤らめながらも少しにやついて、もう一回繰り返した。
 「……ご奉仕。される側になってから聞くと、なんと言うか……素敵な言葉ですね……!」
 (……あー、そういえばSの気があるんだっけ、この子)
 ハルは思い出した。気弱で引っ込み思案で甘えん坊と小動物のような性格。だが、普段表に出さない小悪魔の気質を潜めているのがマルカだ。
 と言っても、それもそれで可愛いものだが。
 (拾う前に比べたら全然マシになったとは言え、マルカは未だに性行為全般にトラウマがあるからなー……将来的な事を考えると、程度を弁えた上で積極的になるのはいいことだ)
 「はい、可憐なお嬢様の夜伽を務めさせていただけるならば、私は誠心誠意ご奉仕し、お嬢様の官能を満足させてご覧に見せましょう。どうぞお愉しみください」
 (……まあ、俺がこんなこと思ってもロリとセックスする言い訳にしかならんよなぁ……)
 表面的にはマルカの事を考えているようでいて、結局は自分が満足するために過ぎないとハルは内心自らに毒づいた。
 心の奥底からマルカの身を案じたいハルは自分の下卑な性格に嫌気が指す。が。
 「お、おお……! いいですね……!! ご主人様、じゃなかった、執事のハルくんを、私の好きなように……!! お嬢様ってすごい……!!」
 当のマルカは目を輝かせ、涎すら出そうな程に妄想に耽って楽しそうににやついていた。
 「……お嬢様が嬉しそうで何よりです」
 ハルは心の底から、そう思った。

     

「ま、楽しんでくれたみたいで良かった。誕生日計画は大成功だな」
「はい。流石はご主人様です」
 夢の中でもお嬢様をしているのか、にへりと可愛らしい笑みを浮かべているマルカ。
 その寝顔を眺めながら、ハルは整っていた自分の髪を掴んで、くしゃりと散らす。
 三日月とハルの疑似BL鑑賞、三日月から満月へと変化するストリップショー、そして締めにハルと満月に奉仕させると言う金持ちの性道楽を心ゆくまで堪能したマルカは遊び疲れてぐっすりと眠っている。
「しっかし、クリスマスはどうすっかな。今回張り切りすぎて何与えてもインパクトに欠けそうだ」
 マルカはサンタクロースの存在を信じる歳でもないし(そもそもクリスマスにプレゼントを貰ったこともない)、短期間で妙なサプライズをしても効果は薄いであろう。
 日付が変わりお嬢様からメイドへと転落した妹の頬をつっつきながらも、ハルはプレゼントの内容について思案する。
「なんかいいもんある?」
「マルカは何を与えても喜ぶ子ですが……そうですね、ペットなどいかがでしょうか。私やご主人様に積極的にスキンシップを求める彼女にとって、新しい家族はこれ以上ないプレゼントかと思われます」
 満月の提案に、ふむ、とハルが考え込む。
「まあマルカ自体が俺のペットのようなもんだがな」
 形式上とは言え、館内のヒエラルキーで一番下は彼女である。今日の楽しみようを見るに、自分より下の存在が欲しいか欲しくないかと聞かれれば、やはり欲しいと答えるだろう。
「何がいいかなー。犬か猫か……鳥かハムスターなんかもありか?」
「彼女の性格を考えると、抱きかかえられるような生き物が望ましいと思われます。温もりを求める子ですので」
「抱きかかえられるような、大きいのか……」

 曇り空の下の街は、日本とあまり変わらないようなクリスマスの彩りに包まれている。
 その中を一人、ハルは歩いていた。
「はーさっみぃさみぃ。最高気温が氷点下とか舐めてんのか旧ソ連」
 帽子に耳当て、手袋にジャケットのフル装備だが、満月は連れていない。
 マルカが一日中彼女とべったりしたいと言い出したので、館に置いてくることにした。
 日本に比べ治安が良くないとはいえ、ロシア語はネイティブ並に話せるし移住したてと言うわけでもない。ので、旅行者を狙った犯罪に引っかかるようなことはしない。
 それよりも気がかりなのは、満月といちゃつきたいとは言っても自分といちゃつきたいとは言わなかった事である。
「あいつの中でおっぱいは大きすぎるな。ちんこでは勝てなかったよ……」
 マルカが幸せそうで嬉しい反面、やはり母性が必要な歳かと敗北感に打ちのめされるハル。
「まーあいつ散々ちんこに泣かされたり中出されたりしてきたわけだしな。そこらへんはしゃーないか」
 実際の所、どちらかと言えば内気なマルカは異性に積極的にくっつくのは気恥ずかしく思っていると言う内情も大いにあるのだが、それにはハルは気付かなかった。
 除雪された道を踏みしめながら、ペットショップへ向かう。
「なーにがいいかなー。犬みたいな性格してるし犬がいいかな、大型犬とか」
 寒さに強いシベリアンハスキーなどいいかもしれない。マルカが大喜びで抱きつき、何かにつけてもふもふするのが目に浮かぶ。
 そう思う一方でハルは、オスのシベリアンハスキーの性処理を満月にさせることを考えて股間をふっくらとさせた。
「やっぱ獣姦させるならメイドだな……!」
 倒錯的プレイによる性病や後遺症(猟奇性のあるプレイは本人はOKを出しているがハルがやらない)の心配など皆無の満月になら、安心して任せられる。
「そうと決まればやっぱりわんこを……。……?」
 ハルは歩みを止め、今しがた通り過ぎた側道へと目を向ける。
 建物の影になっている、薄暗い路地だ。そこに小さな何かが座り込んでいた。
「……」
 金髪の、少女。
 マルカよりも年下であろう子供が、大した厚着もせずに寒空の下にうずくまっている。
(家出娘、いや……孤児か?)
 ストリートチルドレンというやつだろう。
 あまり外出することもなく、一人の時は特に人通りの多く治安の良い所以外は避けるようにしていたため、ハルにとってはあまり見る機会はなかった。
 薄汚れた、とまではいかないが、服は着古されたものであり、袖から除く小さな手は震えていた。
 表情は見えないが、寝ているわけでも死んでいるわけでもなさそうだ。
 ハルは一応美人局的な罠を警戒し辺りを眺めたが、彼女以外の気配はない。
(ま、最悪有り金全部出せば命までは取られないだろ、たぶん)
「どうした嬢ちゃん、マッチでも売ってんのか?」
 走ればすぐに元の通りに戻れる距離から、ハルは声をかけた。
 少女はぴくりと反応し、顔を上げる。
 美しい少女だった。やや煤けた金髪はしっかり揃えてあるし、青の瞳は未だ生への執着を諦めていない光を持っていた。
 肌は雪のように白かった。元来の色に加えて、栄養が十分に行き届いていないせいもあるかもしれない。
 やや吊り目の生意気そうな眼でハルを見て、かさかさに乾いた唇から声を発した。
 真っ白な吐息を伴いながら。
「そんなもんあったらもう使ってるよ」
 声には覇気が無かったが、顔の方は期待するように僅かに微笑んでいた。
「あたしなら少しはあっためてあげるけどガキに興味ある? お金次第でサービスしとくよ。泊めてくれちゃったりするなら、その間は入れ放題の出し放題、好きに使っていいからさ」
 彼女に声をかけるのは、大概そういう輩だ。そして彼女はそれを生業としている。
 孤児が生きるために、貞操観念など何の役にも立たない。
「あるある超ある。それに金なら沢山あるぞ」
「マジで!? ラッキー、クリスマスにまともなめしが食える!」
 嬉しさのあまりぴょんぴょん跳ね回る少女。それを見てふむとハルは考え込んだ。
(……人間でも、マルカなら喜びそうだな)
 もっとも、彼女はペットではなく新しく出来た妹と認識するだろうが。
「お前、名前は?」
 八重歯を見せて笑う彼女に尋ねる。
「ん? あたし?」
「ああ」
『客』に名前を聞かれることなど無いのだろう、不思議そうな顔で少女は眺めてきた。

「ソフィアだよ。そんなん聞いてどうすんの?」
「いや……興味があってな。俺はハルだ、よろしくソフィア」
「? うん」
 こうしてハルは、本来の目的を達成した。

     

「お前さ、親とかいる?」
 後についてくる少女にハルは尋ねた。
 あまり聞かれたくないであろうことだが、聞いておかないわけにもいかない。
 もっとも、親が存在したとしてまともな人間ではないであろうが。
(……どっちが幸せなんだろうな、ゴミクズ以下の親でもいるのと、いないのとじゃ)
 マルカの件を思い返して、ハルはそんなことを考えた。
「……いないよ。いない。あたしは、一人っきりだ」
 振り向かなくても、俯いているであろうことくらいはわかる。
「そうか」
 それにしても、引っかかる言い方だった。
 だが、ソフィアがいないと言った以上、彼女の中で両親はもう存在しないのだろう。
 ハルは携帯電話を手に取り、満月にかけた。1コールで繋がる。
「おう、俺だ。ガキ一人拾って帰るから、豪華な飯用意しといてくれ。頼んだ」
「? なんて言ってたの今?」
 日本語でしゃべったので、ソフィアには聞き取れなかった。
「ん、飯作っておいてって」
「一人暮らしじゃないの?」
「ああ、ロリコンがもう一人いてな」
 ソフィアはふーん、と大して興味もなさそうに言った。
「二人の相手するのはいいけど、料金は倍ちょうだいね」
 ハルは適当に頷きながら、二人相手をさほど恐れないソフィアの態度に、口をへの字に曲げた。
(こいつも相当、色々されてるんだろうな。俺みたいな大人に)
 マルカより幼い、まだ十にもなるかならないかの少女だと言うのに、体を売ることなど苦にも思っていない様子だ。
 恐らく、マルカ以上に虐待を受けて来たのだろう。恐怖や苦痛の域を通り越して、体が慣れてしまうほどに。
 ハルの良心が、下心と混じり合う。
 この少女を手籠めしあわせにしたいと、下半身に熱が集中するのを感じていた。

「なー、どこまで行くのー?」
「もうすぐ着くぞ」
 三十分ほど歩き続け、住宅街から離れていく二人。
 この先には自分の人生で関わることはないであろう大金持ちが住んでいると言う広い土地と、それを過ぎれば山へと続く道だと言うことくらいはソフィアも知っている。
 こんなでかい柵を乗り越えて空き巣に入るのは一苦労だなぁ、きっと忍び込んでも番犬とかいっぱいいてすぐ捕まって警察に連れて行かれるんだろうなぁ、警察は……怖い。絶対に、嫌だ。
 そんな事を考えていると、ハルが急停止したのでソフィアがぶつかった。
「んむぅ、どうしたのにーさん? やっぱり道を間違えて……」
「ここだ」
「は?」
 今しがた眺めていた柵の切れ間の、これまた大きな門の前でハルは止まっていた。
 それが意味することは一つ。
「……金なら沢山あるってまさか……盗みに入る気かよ!? あたしはやんないよ! 警察に捕まるわけには……!」
「何言ってんだお前は。入るぞ」
「へ?」
 ハルは鍵のかかっていない門を当然のように開き、ソフィアの手を引く。
 番犬もいない。警備員も出てこない。その状況にソフィアはついていけず、ただハルに引っ張られるだけだった。
 歩く先には、個人の家と言うよりはもはや何かの施設に近い、巨大な館が聳えている。
 ソフィアの手をしっかり握ったままずんずんと進むハルは、なんと正面から堂々と扉に向かい、ノブに手をかけた。
「え、何、なんで!?」
 開く。入る。
 玄関は外とは違い、一瞬むわっと熱気を感じるほどに暖房が効いており、他人の家の妙な匂いと相まってソフィアの感覚をおかしくさせる。
 上を見れば自分の稼ぎじゃ一生かかっても買えなさそうなシャンデリアがこちらを見下しており、左手には見た目からは値段が全くわからないが、恐らく自分の命より重いであろう壺がこちらを見ている。
 そして右の扉から出てきたのは、存在だけは知っている、仕える身でありながら自分よりはよほど良い暮らしをしているに違いないような職業の制服を纏った美女だった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
 その後ろからは美女と同じ格好をした、自分より少し年上で自分とは比べものにならないような良い物を食べているに違いない健康的な顔色をした可愛らしい少女がとてとてと続いた。
「ご主人様、お帰りなさい! ご飯出来てますよ! ……あれ、その子は?」
「ん? んー、説明は後だ。腹減ってるだろソフィア。飯食え飯」
「え? 何? え?」
 思考が全くついていけないまま晩餐室へと連れて行かれるソフィア。
 本能をくすぐるような良い匂いの先にあったもの。
 満月が腕によりをかけて作った、夕飯であった。
 テレビでも見たことがないような、とても四人で食べきれるとは思えないほどの量の料理の数々。
 名前も知らないそれらは、視覚と嗅覚からソフィアの感情と思考をさらに揺さぶる。
 立ち尽くすソフィアに近付いて、マルカは笑いかけた。
「えっと……初めまして。私、マルカって言うの。このお料理、私も作るの手伝ったんだよ。お名前は後ででいいから、いっぱい食べてね!」







 その言葉が引き金だった。








 ソフィアはポケットに入れていた護身用のバタフライナイフを素早く取り出し、彼女の背後に瞬時に回り込んでむきだしの刃をマルカの首に突きつけた。
「えっ……」
「!」
「は、ソフィア……!?」
「動くなッ!!!」

 荒く息を吐く音が、三者の耳に届いた。
 ソフィアは興奮し、混乱し、ぐちゃぐちゃになった思考の中に一つの答えらしきものを掴んで、それに従った。
 
「あたしを……あたしをどうするつもりだっ……! こんな、餌で釣って、何を、何をっ……!!」

『疑念』。
 ナイフを当てられて動けず、恐怖に縛り付けられているマルカ。
 それよりも尚、ナイフを当てているソフィアの恐怖が上回っていた。
 涙をぽろぽろと流しながら、空腹をこらえながら、ハル達を睨む。
「おい、待て、お前は勘違いして……」
「一度だけ言います」
 必死に弁解を試みるハルを押しのけるかのように、満月が一歩を踏み出した。
「来るなっ!!」
 歩みは、一歩で止められる。
 しかし彼女を黙らせるには至らなかった。
 満月はゆっくりと、一語一句丁寧に区切って言葉を紡ぐ。

「手の力を緩めて、ナイフを捨てなさい。私達は貴女に危害を加える気はありません。大丈夫です」

 ソフィアが正常な判断力を失っているのは一目瞭然だ。だから満月は言わなかった。
『マルカを刺したら、例え間違いであっても殺す』
 などとは。

「ふーっ、ふーっ……」
 ソフィアの手が、小刻みに揺れる。
「ひっ……!」
 ナイフの先端が首に触れ、マルカが短い悲鳴をもらした。
「マルカッ!」
 ハルの叫びにソフィアが震え、ナイフを取り落とす。
「!!」
 それが地面に落ちるよりも早く、ソフィアは扉を蹴破るように開けて逃れた。
 解放されてへたり込むマルカに、ハルと満月が駆け寄る。
「マルカ、大丈夫ですか!?」
「怪我はないか!?」
「だい、じょうぶ、です……」
 首筋からは、ほんの小さい切り傷から僅かに血玉が出来ていた。
 満月がすぐさま救急箱を持ってきて治療を始めると、マルカは泣き始めてしまった。
「う、うう……」
「大丈夫です、大丈夫ですよマルカ。もう怖くありませんからね」
 頭を撫でてあやそうとする満月に、マルカはゆっくりと首を横に振った。
「違います……違うんです……」
 震えは止まっていたが、それでも尚寒そうに自分の体を抱く。
 ハルにはすぐわかった。満月も表情を見てピンとくるものがあった。
 その様子は、拾ってきた頃のマルカを彷彿とさせるような寂しげなものだったからだ。
「あの、女の子は……きっと、お腹も空いていて……暖かい所、落ち着ける場所で、寝たいはず、なのに……。
 目の前にある、しあわせを……信じられなかったんです……! こんな都合良く、自分にここまでしてくれる人がいるってことを……受け止められる余裕が、残ってなかったん、です……」
 まるで自分の事のように、マルカは嘆く。
「私には、わかります……きっと、ずっと、生きていて、嫌な事しかなかった……泣いても、叫んでも、誰も助けてくれなかった……お金持ちの人に、引き取られたとしても、人間の扱いなんて受けないだろうって……よく考えれば、罠なんて、あるはず、ないってわかる、のに……! でも…………!」


「自分が……誰からも、必要と、されてないって、思い込んでて……!!」


 満月は、そこで自分とマルカの思考が僅かに食い違っていたことにようやく気がついた。
 マルカにとって、辛い目に遭っている……それも自分に近しい境遇にいるものは、『他人』ではなかったのだ。

「マルカ」
 満月はマルカに、優しく囁いた。
「わがままを言っても、いいのですよ」
「わが、まま……」
 少し考えて、意味を理解する。
「本当に……いいんですか……?」
 マルカは目を赤くしながら、ハルの方を見て尋ねる。
「はい。私からも、ご主人様にお願いします。望みを言いなさい」
「……わがまま、か。ああ、何でも言え。お兄ちゃんは、お前の力だ」
「じゃあ……」
 マルカは泣きじゃくりながらも、はっきりとハルに願いを伝えた。

「あの子に、生きていて、幸せなことだってあるって、教えて、あげて、下さい……!」
「任せろ」

 ハルにとって、ソフィアの意思など知ったことではない。
 おせっかいか、善意の押しつけか。そんな事など、財産と同じくらいにどうでもいい。

『妹』を笑顔にする。
 それだけが、兄の役目だ。

     

「なん、だよ……なんなんだよ」
 ソフィアは、自分の感覚に従って行動した。
 自分に対して豪勢な料理が振る舞われるだなんて事を不気味に思い、わけのわからなさから逃れるように走り去った。
 屋敷を抜け出し、来た道を戻り、人々が往来する街並みを横断していつもの裏通りへと到達してようやく止まった。
 全速力で走り抜けてきた。あの暖かい場所から。冷たいコンクリートの上に、更に冷たい雪が積もったなにもない場所へ。
「なんで、あたしが……あんな、目に……」
 あのままあそこにいたら、きっとよくない事が起こっていた。
 だって――自分の価値なんて、せいぜい少女趣味の男を満足させられる程度だから。
 一晩抱かれて、数日生きていける程度の金を貰って、運が良ければ宅配ピザの切れ端くらい頂戴できる。価値なんてそれだけだ。
 間違っても、あんな天上人が食べるようなご馳走が振る舞われるはずがない。
 だから、あれはきっと、絶対に、何かの罠だ。自分に酷い事をするための、何かしらの落とし穴だ。そうでないといけない。そうでないとおかしい。
 自分に救いが来るなら、あの時に来るはずだっただろう。
 助けを必死に求めた、今をも上回る人生の最底辺を這いずり回っていた頃。それが終わりを告げた、あの日に。

「……おなか、すいたなぁ」
 鳥を一羽丸々焼いたような肉料理の匂いが、まだ鼻の奥にこびり付いている。
 きっと、もう二度と生涯で口にできないであろう料理の味を想像し、ソフィアは惨めさと空腹感で涙をこぼした。
 助けを求めても、誰も手を差し伸べてくれない。
 すがるべき両親は、もういない。

「やっぱり、あたし……生きてちゃ、いけないのかな……?」

 生に希望は、何一つない。
 死の先に待ち受けているのは、間違いなく地獄だろう。
 ソフィアは、逃げることしかできなかった。
 希望から。死から。
 そして、罪から。
 




「くそっ、いねぇか……」
 ソフィアを追いかけてきたハルは、彼女と出会った通りに戻ってきた。
 だがそこには彼女の姿はなく、座っていた雪の凹みがあるだけ。
 携帯を取り出し、満月に連絡を入れる。
「おう、俺だ。マルカと一緒に飯先に食ってろ。もうちょい探してから帰るから、マルカ頼む」
 返事を聞くと同時に通話を切った。
「もうちょい金持ってくるべきだったか……満月だったら湯水のように使って探し出してただろうな」
 呟きつつ、路地裏へと進む。風は多少吹き込むが、屋根が張ってあり雪はあまり積もっていなかった。
 踏み込むと、奥には10代半ばの少年が数人、閉店後の店から一時的に拝借してきたと思しきゴミ箱を漁っていた。
 彼らはハルを見て排他的な目を向けるが、あまり気にする様子もなく残飯を口にしている。
「おいガキ共、たまにはいいもん食え」
 カードや免許証などが入っていない財布を、彼らに向かって放り投げる。
 少年達は一瞬顔を見合わせてから中身を確認し、そこそこ以上に入っている事を確認すると二人は目を輝かせたが、リーダー格と思しき少年はハルに疑念の眼差しを向けた。
「金持ちがこんなとこに何の用だよ」
「ソフィアって子探してんだ。どこにいるか知らね?」
「ソフィアの居場所なんざ知らねぇよ。財布は返さねぇぞ」
 ふむ、とハルは顎に手をやる。
「グループとか入ってないのか?」
 答えたのは小銭を片手に載せて数を数えていた少年だった。
「あいつはいつも一人だよ。身体売って生活してて、分け前を他人に渡すのが嫌だからって組みたがらないんだ。あんな小さいのに」
「噂だけど、ソフィア性病持ちなんだってさ。それなのにセックス中毒みたいに誰とでもヤろうとするから避けられてる」
 綺麗に包まれたハンバーガーを開けて、もう一人の少年が付け足した。
「って言うか、ソフィアは悪い噂しか聞かねぇな」
 リーダー格の少年が、空になった財布を安物と断定してハルへと投げ渡す。
「どんなん?」
「いや、マジで噂レベルなんだけど――」





「……ただいま」
 ハルが帰宅し、温めた料理を囓ってから寝室に入ってきた頃にはマルカは既に眠っていた。
「お帰りなさいませ」
 起き上がろうとする満月をハルは手で制止し、マルカを起こさないよう小声で喋る。
「見つからなかった。明日もっぺん探してくるわ」
「でしたら私もお供致します」
「あー……そうだな。やっぱり俺一人じゃなんもできんわ。情けねぇ」
 寒い寒い、とハルはベッドに潜り込む。マルカを挟まずに、満月の背中を抱き寄せた。
「いつもいつも、お前に頼ってばっかりだ」
「それは違います、ご主人様。私もマルカも、ご主人様によって幸福を得る事ができました。ご主人様がマルカの力なら、私はご主人様の力です」
「……ん」
 ハルは忠実なメイドであり最愛の彼女である満月の柔肌を撫でながら、微睡んでいった。





 次の日の朝、ハルと満月は支度をしてソフィア捜索へ赴こうとしていた。
「マルカ、悪いが留守番頼む。昼までには絶対に連れてきてやるからな。満月がいるから確実だ」
「はい、わかりました……」
 一晩経って、無茶を言ってしまった事を反省しているのかマルカの表情は優れない。
 かといって、今更取り消そうとは思わない。自分にできることは、兄と姉を信じて待つこと。それと。
「あの、キッチン使っても大丈夫ですか?」
「別に構わないが……何か作るのか?」
「はい。ソフィアちゃんに食べて欲しいんです。満月さんと練習して、けっこう成功するようになったから……」
「火の取り扱いには気をつけるんですよ。何かあったら、すぐ呼ぶように」
「わかりました!」
 元気よく返事するマルカの頭を撫でて、ハルはバッグを拾い上げ、肩に担いだ。
「じゃ、行くか」
「はい」

 満月が一緒だったおかげで、ソフィアはあっけなく見つかった。それも、金銭を一切使わずに。
 複数の足跡からソフィアと思しきものをいくつか絞り込み、路地裏へ続くものの中から単独で動いている怪しいものに見当をつける。
 そして下水道の入り口付近で寒さを凌いでいた所を満月が捕獲し、暴れるソフィアの口を唇で塞いで数秒、彼女はくてんと意識を手放した。
 そのままおぶって堂々と街中を歩く満月。
 今更ながら犯罪臭いなーとロープやらガムテープやらを用意していたのが見事に無駄になったハルは、
(なんだこいつ)
 と『端から見てると眠っている親戚の少女を背負った優しいお姉ちゃんかなにかにしか見えないなんかよくわからないの』を訝しんだ顔で見ていた。
 屋敷に辿り着き門を潜ると、満月はしっかりと施錠した。塀は乗り越えられない事は無いが満月との追いかけっこの中では不可能と言い切れるので、ソフィアに逃げ場は残されていない。
「速い!? お、お帰りなさい……」
 リビングでお菓子作りの本を読み返していたマルカは驚きつつも、満月の背でぐったりしているソフィアを見て安堵のため息を吐いた。
 満月は彼女をソファに寝かせてシーツをかけた。ナイフは昨夜取り落としてあるし、他に武器を持っていないのは確認済みだ。
「ではマルカ、一緒に作りましょうか」
 といつものメイド服に着替えた満月が言うも、マルカは申し訳無さそうに答える。
「あ、満月さん……すみません、私一人で作ってみたいんです。きっと、満月さんが手伝うより美味しくできないから……ソフィアちゃんにはまず、特別おいしいわけじゃなくて、普通においしい、ありふれたものを食べさせてあげた方がいいかな、って」
「構いませんよ。マルカがそうしたいのなら」
 そんな姉妹のやりとりを見ながら、ハルは眠らされたままのソフィアの頬をつついていた。
(……マルカですら満月の手を借りないのに、俺はどんだけ役に立たないんだ……)
 無力感に沈んでいると、右手の方から呻くような声が聞こえる。
「うっ……ああ……いや、だ……こないで……」
 ソフィアは身を捩りながらうなされていた。悪夢でも見ているのか、顔は苦痛と恐怖に歪んでいる。
「ごめんなさい……ゆるして……ごめんなさい……」
 涙を流し、彼女は何者かに対して謝っていた。
 最後の方は掠れるような声でほとんど聞き取れなかったが、何を言っているのかは口の動きで理解することができた。

『おとう、さん』

「……」
 ハルは彼女にまつわる『悪い噂』を思い出す。
 それが真実なのか否かはわからないが、根も葉もない、全くのデタラメと言うわけではなさそうに思えた。
「起こす、か」
 悪夢に悩まされるよりは、望んでもいない幸せを押しつけられた方がいささかマシだろう。……マシだということにしておこう。
 そう考えてハルはソフィアの頬をぺしぺしと叩いた。
「おいソフィア、起きろ」
「ん、ん……」
 ゆっくりと瞼を開くソフィア。
 数秒ハルの顔を見つめてから、がばっと素早く起き上がる。
「あ、あんたは……!!」
 そして恐怖と驚愕の表情を見せ逃げようとする、も、その手をハルに掴まれた。
「逃がさん」
「っ、離せ! 離してよ!」
「ぜーったい離さん」
 大人と子供、男と女。それに加えて昨日から食事を取っていないソフィアの手には、ほとんど力が入ってなかった。もう彼女には、抵抗できる力は残っていない。それでもソフィアは必死に逃れようとしている。
 ハルは、
(本当はあまりよくないんだけどな)
 と思いつつも、彼女を落ち着かせる方法を考案した。
「セックス好きなんだって?」
「だからなんだよ! 離して!」
 否定しないと見ると、ハルは彼女の服に手をかけた。
「な、なに……」
 ソフィアの抵抗が、弱まる。
「お前の身体に興味あるっつったろ。犯すぞ」
 するすると脱がせていき、彼女の細い身体が晒される。
 年齢に似合わないほど使い込まれた秘部は、僅かに糸を引いていた。
「あっ……」
 そこを撫でてやると、ソフィアはすっかり大人しくなって身悶えた。
 控えめな愛撫だけで奥からとろとろと蜜が溢れてくる事に興奮したハルはポケットからコンドームを取り出して装着する。一応、検査を受けるまでは生で行うわけにはいかない。
 勃起するハルを見て、ソフィアの瞳がわずかに蕩けた。

 たっぷりハルに可愛がられたソフィアは服を着せられ、目を開いたままソファに寝転んでいた。
 満月仕込みの技で優しくしてやったのが功を奏し、ソフィアは落ち着いた様子だ。
「あのさ……あたしをこんなとこに連れてきて、何をする気なの?」
「んー、家族にする気」
「は?」
「お前に昨日ナイフ突きつけられた女の子がな、俺に言うんだよ。『あの子はきっと、生きていて嫌な事ばかりだった』って。『ここに来る前の自分と同じだ』って泣いてたんだよ」
「……」
「そりゃ全部が全部同じじゃないだろうけど、あいつも両親に売り払われて死にかけてたし……他人とは思えなかったんだろ。お前のために何かしてやりたいんだと。だからさ、あいつの幸せを押しつけられてくんないか?」
「なんだよ、それ……意味わかんないよ」
「嫌ならここを出てってもいいが、嫌でも飯だけは食わせてやる。ちんこしか取り柄のない情けねぇ兄貴だが、俺はあの子の力なんでな」
 それを聞いて、ソフィアは黙り込む。許諾もしないが、拒絶もしなかった。
 ちょうどそこに、キッチンからソフィアが出てきた。手には、多少焦げたのが混じった山盛りのパンケーキの皿を持っている。
「あっ……起きてたんだ、ソフィアちゃん。あの、えっと……お腹空いてるでしょ? あまり美味しくないかもしれないけど、いくらでも食べていいから……」
 鼻をくすぐる甘い匂いに、ソフィアはゆっくりと起き上がった。
 今度は逃げる力も残ってない。彼女にある選択肢は、目の前にある大量のパンケーキを、食べることだけだった。
「あーん、して?」
 一つをフォークで差し出す少女の顔は、確かに自分の幸せを願っているようにも見えて。
 ソフィアは熱々のそれを口にした。
「……!」
 口の中でふんわりとしたパンケーキとメイプルシロップが交わり合う。
 それを噛む度に、喉に通す度に、ソフィアは目の奥に熱を感じた。



「おいしい……おいしいよぉ……
こんな……おいしいもの……はじめて……」



 ぐしゃぐしゃに涙を流して食べるソフィアと、みるみる明るい笑顔になり次々とフォークを彼女の口に運ぶマルカ。
 ハルはそれをしっかり確認してから、少女の温もりが残るソファへと横になり瞼を閉じた。

     

「クラミジアだな。抗生剤を出しておく、来週また来るように」
 ヴェラは大したことでも無さそうに言い放ち、診断書を綴る。
(話半分だったが、やっぱり性病にもなるか、環境的に)
 散歩ついでにソフィアを病院に連れて行ったハルは、女医の黒ストッキングを注視しながら頷いた。
「それって病気?」
 ソフィアには実感がなさそうな様子だった。
「ああ。早期発見してなければ悪化や他の性病にもかかっていたところだ。ホームレスの子供が売春を続けて感染症で死のうが私の人生にはなんら影響はないが、早死にしたくなければ控えることだな」
「相変わらず毒舌だなーこの人」
「そしてペド野郎、私の足は見せ物ではない。ペニスの長さを半分にされたくなければその汚い視線を他に向けろ」
「勘弁して下さい」
 あの、とソフィアが弱々しく呟く。
「でも……あたし、セックス以外に取り柄が……価値が、ないんだよ」
 その言葉を、不快そうにヴェラは一蹴した。眼筋の動きに、眼鏡がつられて動く。
「そんなこと私が知るか」
「っ……」
 言葉に詰まるソフィアに、ヴェラはため息を吐いて続ける。
「私はお前の保護者ではない。カウンセリングをしたいなら予約して金を払え。それができないんなら」
 ちら、とハルを見る。
「保護者に相談しろ」



 あの後、泣き疲れて屋敷で一夜を過ごしたソフィアは朝(昼前である)起きてこっそり出て行こうとして、あっさり満月に捕まった。
「はーなーしーてー!」
「下ろしていいぞ、満月」
「かしこまりました」
 小動物のようにつまみ上げられているソフィアを、ハルは下ろさせる。
 手はしっかりと、満月に握られたままだ。
「こんな寒い時に外で寝たら普通に死ぬぞ。ここにいろ」
「下水道は熱が籠もってるから死なないよ」
「ガキが寝るとこじゃねーだろ、臭いし汚いし。病気になって死ぬわ」
「……死んだら、それで終わりだよ」
 声のトーンを下げるソフィアの発言を聞き、満月がハルに提案する。
「監禁なさいますか?」
「か、監禁!?」
「なさいまさねーよ。物騒な事言うな」
「申し訳ございません」
 ハルは物騒な事を言われて焦るソフィアの頭をくしゃりと撫で、匂いを嗅いでから満月に命ずる。
「拾ったペットはとりあえず病院だ。先生んとこ行ってくるから、その前に風呂入れてやれ」 


 風呂の間に何があったのかかなり大人しくなった(と言うかぐったりした)ソフィアの手を引き病院へ。
 そしてその帰り、ハルに手を引かれるソフィアはもう一段階大人しくなっていた。
「……」
 あれからずっと、俯いたまま無言である。
 抵抗の素振りも見せずに、ハルに従って歩くだけだった。
「自分に価値がないなんて言うなよ。まだ十年も生きてないガキが、そう悲観すんなって。よっと」
 今にも泣き出しそうな顔をしたソフィアをハルはおぶる。
「腹減ったと思ったらそういや飯まだだったな。先に食ってから来ればよかったか。まぁ、満月がお前の分も作ってるだろうから、楽しみにしとけ」
 ソフィアは答えず、ただ顎をハルの肩に乗せた。

 満月の作った昼食は、まともな食事を摂っていない少女の舌と腹では逆らえないくらいに強い。
「……! ……!!」
 言葉にこそ出さないものの、ソフィアは目を見開きながら次から次へとグラタンをすくって口に放り込む。
 あっという間に一皿平らげてしまい、まだ食べ足りなさそうにするその眼前に食欲をそそる香りのトマトリゾットが出された。
「いやー、何度見ても貧乏で目が死んだ子供に美味いメシを食わせるのはいいもんだ。これだから金持ちはやめられねぇ」
 と言ってソフィアが必死でリゾットをかっ込んでるのを見て悦に入るハル。
「心がほっこりしますね」
 と、かつてはソフィアと同じ境遇であったマルカも幸せそうにその隣で見ている。
 がふがふがふがふ、と下品に食い散らかすソフィアを咎めずに、満月はホットココアを差し出した。
 それを無理に一気飲みして息を切らしている所に、ハルが呼びかける。
「三食おやつ付き、家事手伝いか俺の性処理すれば小遣いもやるぞ。どうしてもってんなら止めんがな。俺は」
 ちら、とマルカに向かって顎をしゃくる。
 振られたマルカも、ハルに続いて言った。
「ソフィアちゃん、あの、えっと……信じられないかもしれないけど、ここ、すごく良いところだよ。
 こんなこと言うと、なんだか本当に洗脳とか調教とかされてるように聞こえそうだけど……ご主人様も満月さんも、ちょっとだけ……ほ、ほんのちょっとだけえっちだけど優しくて、酷いことしないし」
 少し嘘をついた事に心を痛めつつも、マルカは自分なりにこの館の居心地を口にする。
「私、二人に家族にしてもらったんだ。ずっと一人ぼっちだったけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんができたんだよ。だから、ソフィアちゃんも……」
「……家族」
「え?」
 その言葉を口にした時のソフィアの表情は、複雑なものだった。
 喜びや、期待の色が大いに含まれていた。
「家族、か……」
 だが、それと同時に悔恨や悲しみのような、マイナスの感情が確かに存在するような、泣き出しそうな笑顔だった。
「ソフィアちゃん……?」
 彼女にとって禁句であったのかと後悔しかけるマルカに、ソフィアは顔を僅かに上げて答える。
「うん、あんた……じゃなくて、えっと……せんぱいには、恩があるしな。冬の間だけ、お世話になるよ」
「本当……? よかった……! これからよろしくね、ソフィアちゃん!」
 弱々しくながらも微笑むソフィアと、満面の笑顔を見せるマルカ。

(……これまた、闇が深そうな娘が入ってきたもんだ)
「でも、ま、ここはそういう場所か」
 とひとりごち、ハルは小さな同居人が増えた事と、それによって妹が大いに喜んだことに僅かな達成感を得ていた。

     

 仮入居、と言った形ながらも屋敷の一員になったソフィア。
 は。
「ちんぽ欲しい……セックスしたい……」
 と欲求不満であるのを呟きながら部屋の床に寝転がっていた。

 諸事情により、幼いながらも性快楽に嵌ることとなった彼女はハルのような性依存症、までは行かずともそれに近しい好色少女であった。
 男に抱かれる事によって快楽、そして安心感を得る。
 それを一週間も禁止と言われたら、幼い身体の内にある熱は、重りから外された風船のようにふよふよと漂う。
『二度とセックスできない身体になりたくなければ次来るまで指一本触れるな』
 と女医に固く釘を刺されているため、自分で慰めることもままならない。
 結果としてソフィアは三日目にしてちんぽちんぽセックスセックスと淫猥な言葉を吐きながらベッドから落ちてそのまま寝そべってくねくねする謎の生物と化していた。
 衣食住は非常に高いレベルで保証されており、何もしないでも生きていけるので時間を持て余すのは尚更。
 それだったらマルカと遊べば退屈しのぎにはなるはずである……が、現時点で二人の活動時間はズレが生じていた。
 夜寝て朝起きる健康的な睡眠を送っているマルカに対し、ソフィアはつい最近まで夜から身体を売っていたので、職業柄昼過ぎか夕方まで眠る事が多かった。
 今日も柔らかいベッドが心地よくて眠りすぎ、起きた時には午後の三時過ぎと言った具合だ。
 しかも、のそのそと起きてダイニングに置いてあった自分の朝食と昼食をむしゃむしゃ食べて、満腹になったところでまた昼寝を始める。
 そんなことをしていたら夜に眠れるはずもない。ところで今の時刻は午前2時である。 
「だんな起きてるかな……」
 暇も性欲も持て余している彼女は、男性を求めて部屋を出た。
(セックスはダメだって言ってたけど、手でしごくくらいなら大丈夫でしょ)
 口も膣も、おまけに肛門も使えないとなると彼女の知識の中にはそれくらいしか選択肢がなかった。
 できることなら自分も性感を得て愉しみたいが、それができないなら男を悦ばせたい。

(そうすれば、だんなも……もっとあたしに優しくしてくれる)
 彼女にとって男は商売相手であると同時に、媚びへつらうべき相手であった。

 道を覚えるのが得意なソフィアは一回説明されたっきりの状況で難なく主人の部屋に辿り着く。
 軽くノックをし、返事が返ってくるとドアノブに手をかける。
「だんなー……」
「ソフィアか。怖い夢でも見たか?」
 間接照明が淡く光る中で、裸の男がベッドに寝ているのがわかった。
 そしてその隣には寝息を立てている少女。それを挟んで、もう一人女性……。
 つまり、この屋敷内の人間全員が集った事になる。
(あたし以外この部屋で寝てるんだ。せっかく広いんだから別々に寝ればいいのに……あ、だんなが二人とも相手してんのか。ぜつりんだなー)
「ううん、眠れなくて……」
 と答えると、裸の女性が招いてきた。
「あら、ではこちらへいらっしゃい」
「……」

 ソフィアは、このメイドが苦手だった。
 初対面では自分が悪かったとは言え、一歩選択を誤れば殺すと言った雰囲気を出された。二回目の遭遇では唐突にディープキスをされた。それも、これ以上なく強烈なのを。
 意味不明で、何を考えているのか全くわからない。その上おぞましいほどの美貌を持ち、料理は恐ろしく上手で、隙のない完璧人間ですとでも言いたげな、女。
 まるで自分に甘えろとでも言いたげな――わけのわからない、変な女。

 ソフィアはそれを無視して、ハルの元へと寄った。
「だんなー、ちんぽしごいてあげよっか? 手でなら、大丈夫だよね」
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば大丈夫だろうが、一回やったら次は口で次はまんこでってなるのが目に見えるぞ。我慢しろ我慢」
 と言って背中を優しく撫でられる。
「むー、いいじゃんよぉ……」
 男に奉仕することによって不安感を拭うソフィアは食い下がろうとペニスに手を伸ばすも、ハルに抱きかかえられてほい、と渡されてしまった。
「寝かしつけてやれ」
「かしこまりました」
 苦手とする、女に。
「え、ちょっと……」
 無縫となったメイドに抱かれ、肉の柔らかさに衝撃を感じるソフィア。
(え、なにこれ……)
 抱かれるどころかロクに触れることもなかった女性の身体を肌で感じ、底なし沼に踏み込んだような不安感を覚える。
 そして同時に、遺伝子に刻まれていたような、正体不明の安心感も。
 それらが混じった心地よい心地悪さに戸惑っていると、暗がりの中で女は顔を近づけてきた。
(あ……)
 視覚よりも強く、嗅覚が反応する。
 ふわりと自分の肌を撫でた髪から漂う、ラベンダーの香り。
 前におぶられた時も、この匂いをずっと嗅いでいたのだろう。眠っていてもわかるほど強く印象に残っている。
 何故なら、そのもっと前、ハル達と出会うより何年も前、記憶も残っていないような昔に。
 同じ香りの柔らかい髪に、触れていたような気がするからだった。
 唇に、なめらかな感触。
 無理矢理気絶させるようだった前のそれとは全く別物の、親が子にするような優しいキスだった。

「おやすみなさい、ソフィア」

 その言葉と香りは催眠術のように、ソフィアの全身を脱力させていく。
 眠りへと、誘う。
(わけわかんない……なんだよ、なんでこんなに――)
 瞼が重くなる中、反抗心にも似たソフィアの想いは飴のように溶けていった。

       

表紙

えろま 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha