Neetel Inside ニートノベル
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 また、風が吹いた。
 その風を彼女は心地よさそうに顔で受けると、ボクにとって、ここは幸福な場所なんだと答えた。鳴海は彼女の横顔から、フェンスの奥に広がる景色へと目を向ける。穏やかで、平穏で、多分何もストレスの無い世界があるとすれば、こういう世界なのだろう。きっと、彼女はそういう風にこの景色を作ったのだ。どうしてか、鳴海はそう思った。
 プライベート・キングダム。
 鳴海は脳裏でその言葉を反芻する。
「君もプレイヤーなんでしょ?」
「え?」
「分かるよ、だって私も、元プレイヤーだから」
 彼女は後ろ手に手を組んだまま上体を傾げて笑う。
「でも、君は別に望んでここに来たわけじゃなさそうね。ブッキングって様子でも無い」
「……分かるんだ」
「分かるよぉ、時々そういうのが来るんだ。大抵返り討ちにするんだけどね」
 ほんとメーワク、と彼女は眉を顰め、口許をすぼめながら言う。
「君を見た時に、違うってすぐに分かった。君は多分迷い込んできた人だ。濃霧の中を通ってきたでしょう? ここに来ても大抵はあそこで迷って、出られなくなって終わるみたい。だからここまで来れた人は、断ち切れた人なんだ」
「断ち切れた、人?」
「過去を追体験してみて、どうだった? 楽しかった?」
 あれはやっぱり……。鳴海は濃霧の中で見た少年の姿を思い出す。
「楽しいわけないよね。だってあそこで見られるのは、自分の奥底にある劣等感や絶望、マイナスのエネルギーから生じたことなんだから」
「君も、見たのか」
 見たよぉ。彼女はしゃがみ込んで髪を弄りながら目を逸らす。鳴海に向けていた愉快そうな目とは別の、深淵を見つめるような、光の無い目がそこにはあった。
「ねえ、君は名前なんていうの?」
「俺? 俺は、古都原鳴海」
「鳴海……鳴海……じゃあナルちゃん!」
「へ?」彼女の突然の提案に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。その反応を見て彼女は嬉しそうにむふふ、と笑った。
「アダ名よアダ名。君は今日からナルちゃんだ!」
「初めて呼ばれたよ、そんな呼び方」
「ええー、皆意外と呼んでそうなのに。あ、でもそっか君男の子だもんね、ちゃん付けは少し抵抗があるか。でもまあ他の考えるのも面倒くさいからナルちゃん!」
 勝手だな、と思いながらも鳴海は笑ってしまう。全身を使って元気を示す彼女の姿は、見ていて気分が良かった。いいよ、と答えると彼女はナルちゃんだ、と嬉しそうに何度も鳴海を呼んだ。
「それでナルちゃん、君はここにどうして来たの?」
「来た理由?」
「大抵ここに迷い込む人は、何かしら理由を持って来るからね。まあ、大抵はこの場所を欲しがる人なんだけどさ」
「欲しがるってどういうこと?」
「言ったでしょう? プライベート・キングダムだって。たった一人の為に用意された世界なんだよ。ここでは自分の望む景色を思い描くことが出来る」
 そんな場所だったのか、と鳴海は見渡す。
――どこにも扉の無い屋上。
――四方をフェンスで囲まれた空間。
――幸福そうに生活を続ける人々。
 眺めながら、鳴海は、彼女もまた色々な感情を抱えるプレイヤーの一人であることを実感する。だからこそのプライベート・キングダム。ひりついた音同士の不協和音にも疲れ、たった一人自分のマイナスを埋めることの出来る空間。
 そんなもの、プレイヤーなら誰もが目指したくなるものなのかもしれない。
「君は、どれくらいここにいるの?」
「どれくらいだろう、ここに来てから時間を気にしなくなったからなあ」
「最後に外にいた時の記憶とかは?」
「ナルちゃん、意外と知りたがりだねえ」
 にっこりと笑う。が、その笑みに鳴海は戦慄した。張り付いたような、作り笑いの奥に、確かな苛立ちと殺意が顔を覗かせている。
――どこにも扉の無い屋上。
――四方をフェンスで囲まれた空間。
――幸福そうに生活を続ける人々。
 教えてもいいけど、その先は保証しない。彼女の笑顔はそう言っていた。
 鳴海は開きかけた口を閉ざした。彼女は黙る鳴海を見てうん、と再び柔和な笑みを見せた。
「ナルちゃんは良いヤツだ」
「どうして?」
 その返答に彼女は答えない。
「なんとなく君がここに来た理由、分かってきたよ。君は強くなるためにここに来たんだね」
「強くなるため……?」
「そう、君、プレイヤーとして今最弱でしょ?」
 彼女の言葉に、鳴海は目を見開く。アタリだ、と彼女は意地の悪い笑みを浮かべると、再び傍に走るパイプ管に腰掛け、両足を組む。
 誤魔化す必要も無い。本当の事なのだから。鳴海は溜息をつくと、その場に胡座をかいて座った。
「顕現が出来ない」
「ウソそこまで? うまく音撃が出来ないとか、楽器が扱えないとかその程度だと思っていたけど、重症だねえ。むしろ、よくそんな状態でブッキング出来たもんだよ」
「俺も、する気は無かったんだ。少しづつ理由を考えて、顕現が出来たら戦おう。その理由を探すためにオーパーツにも入って……」
「オーパーツ?」
「知ってるのか?」
「あー、聞いたことある。オーディエンス専門のレーベルでしょ? ボクは、正直あんまり好きじゃないレーベルだったなあ」
「俺は、良いレーベルだと思ったけど……」
「だって、あのレーベルをまとめてる奴がやってることって、単なる贖罪じゃん」
「贖罪?」
 あら、と彼女は顔を顰めた。どうやら鳴海はそこまで知っていたと思ったらしい。
「なら、ボクはこれ以上言わないほうがいいな。でも、少なくとも彼は嫌い。ついでに言うと、彼とやり合ってたラスト・ホリデイも嫌い」
「ジョニーと、ラスト・ホリデイ?」
 昔の大抗争で、最後に立っていた二人の名前が、どうしてここで上がるのだろう。
「あいつら二人のしてることは、結局自分を救うことだからさ。なのにそれをひた隠しにしてあたかも救世主や最強を気取っている辺りが特に気に入らない」
 腕を組み、親指を顎に当てながら彼女は不愉快そうにそう語った。
「まあ、知りたかったら本人に直接聞くといいよ。きっとあいつら、まるで懺悔みたいに語ってくれるだろうからさ……ホントくだらない」
 それよりナルちゃんの話をしよう、と彼女はころりと表情を変えて鳴海に笑いかけた。
「君が戦いたいと思ったのは、どうして?」
 尋ねられて、鳴海はここに来るまでの出来事を思い出す。
 本当の自分と偽った自分の差異に苦しむ律花のピンチに居てもたってもいられなくなったのだ。ムーンマーガレットを失った彼女がどうなってしまうのか。胸の内に抱えた二つの自分と向き合う前に崩壊してしまえば、彼女は確実に壊れてしまう。
「……彼女が壊れてしまうのなんて、見たくないんだ。だから俺は」
「はーい、ストップストップ」
 突然止められたことに鳴海は戸惑うが、彼女は違うでしょう、と目を細めて鳴海のことを睨んでいた。
「君はどうしてモッシュピットを選んだの?」
「それは、ムーンマーガレットの姿に憧れて……」
「そう、良い答えじゃない。彼女に憧れてモッシュピットにやって来た。なら、どうしてその子のピンチに駆け付けたくなったのかも、シンプルに言えるでしょ?」
 彼女の言葉に、鳴海はああ、声を漏らす。
「モッシュピットは人のストレスや抑圧、絶望、ネガティヴなエネルギーで満ちていて、当然プレイヤーもそんな理由を抱えて迷い込んでくる。でも、君は違う。内に抱えていたネガティヴな感情は、このモッシュピットで、そのムーンマーガレットさんに憧れた事で叶っているのだから」
 だから、ハッキリ言えばいいのよ、と彼女は言った。
「なんで君は、戦いたいと思ったの?」
 その問いかけに、鳴海はから回っていた心が解けて、自由になっていくのを感じた。そう、単純な事だ。
 どうして戦いたいか、どうしてモッシュピットを選択したのか……。

――あの月に照らされた律花の姿が、とても綺麗だったからだ。

 鳴海は立ち上がる。
「どう、戦えそう?」
「どうかな、戻ってみないと……というか、戻れるの?」
「もちろん、ボクが保証する。大抵はね、あの霧の中でずっと迷い続けるのよ。でも君はちゃんと抜けて出てきた。だから大丈夫」
「根拠の無い大丈夫だなあ」
「なによ、一応ここに住んでるんだからね! ボクのこと信じられないの?」
 頬をふくらませてプリプリと怒り出す彼女を見て鳴海は笑って、信じるよ、と言った。
「ほんとに?」
「もちろん、あだ名も付けてくれたしね」
「根拠の無い理由だなあ」
「お互い様だよ」
 鳴海がそう言うと、彼女はほんとね、と嬉しそうに答えた。
「もう一度聞いていいかな、ナルちゃんが戻って、戦う理由って何?」
 彼女の問いかけに、鳴海は少し照れ臭そうに頭を掻いてから、彼女に真っ直ぐに向き直ると、ハッキリと言った。
「好きなんだ、彼女の事が」
 ピンチの時は駆け付けて、時にはヒーローのように。
 あの時バットを振った彼のように。
 彼女にキスをした彼のように。
 一緒に行こうとした彼のように。
 俺は律花の傍にいたい。
「いっておいで、きっとナルちゃんは、もう大丈夫」
 鳴海は頷く。
 扉も何も存在しない、フェンスで囲われた寂しい屋上。でも鳴海は、ここからどう出ればいいのか、不思議と理解していた。
 目覚めるだけ。それだけだ。
「そういえば、君の名前は?」
「ボク?」
「そう、教えてよ」
 名前、かあ。と彼女は暫く思い悩んでいるようだった。なるべく言わずにおこうとしていたらしい。
「君はナルちゃんで、俺だけ君呼ばわりなんて嫌だよ」
「そう、ねえ。でもまたナルちゃんに会う事もないだろうしなあ」
「約束するよ、絶対に会いに来る」
 鳴海の言葉に、彼女は顰めていた顔を上げた。自身に満ちた顔を浮かべた鳴海が、そこにはいた。
「俺は、気になった事は全部背負ってやるって決めたんだ。だから、強くなって、君の事も背負ってみせる。だから絶対にまたここに来るよ」
「……ナルちゃんは馬鹿だねえ」
「馬鹿、かな」
「でもその真っ直ぐさ、嫌いじゃないよ。馬鹿は馬鹿でもナルちゃんは良い馬鹿だ」
「褒められてる気はしないなあ」
 苦笑する鳴海に彼女はパイプ管から腰を上げると、ポケットに両手を突っ込んだまま彼を見た。
「ハルカ」
 彼女はそう言った。
「晴原遥(せいはらはるか)」
「それが、君の名前?」
 遥は頷いた。
「ハルちゃんって呼んでね」
 遥はそう言って笑った。鳴海は頷くと目を閉じる。
 なんとなく、鳴海は彼女が自分との再会を信じきれていないように思えた。鳴海もまた会う為には、方法を探す必要が出てくる。
――たまにここに迷い込む人がいるから。
 でも、可能性はある。たった一人で閉じ籠もる彼女に、自分がしてやれることはなんだろう。あの寂しい風の吹く中で、彼女はどれだけの間一人なのだろう。
 取り繕った元気いっぱいの彼女の先にいる本当の晴原遥を知りたいと、鳴海は思った。
「じゃあねハルちゃん、今度は、強くなって、君に挑めるようになって、必ず戻ってくるよ」
 返答は無かった。いや、意識が混濁して、遥からの返事が聞こえなかったのかもしれない。どちらにせよ、また戻ってこよう。
 その為にも、今はこの目覚めの先にある景色を覆さなくてはいけない。
 白部律花の味方として、再び起き上がらなくてはならない。

――なるみ。

 どこからか声が聞こえた。

   ・

 病室で謝ることしか出来ない自分が酷く許せなかった。自分をけしかけた奴らに復讐することも出来ず、登校することも出来ずふらつく毎日が苦痛でならなかった。
 だから、モッシュピットに迷い込んだ時、やっと罰してもらえると思った。これで毎日のように感じていた痛みからも開放されると。
 だが、そんな雪彦の前に現れた男は、そんな自分の望みを無情にも覆してしまった。あの黒い化け物に襲われて、罰せられる筈だったのに。
 おまけに彼は何かにつけて雪彦を構った。鬱陶しくて、うんざりした顔をして、突き放そうとしても、彼は雪彦のことをいつだって気にかけた。今日だってそうだ。呼ばれた時、行かないと心に決めていた筈なのだ。なのに自分は行ってしまった。
 多分、今度は彼に救われたいとも思っているのだと雪彦は思った。都合よく転がってきた罰に縋り付き、同じように転がってきた救いにも縋り付く。
 どこまでいっても臆病で情けない男だと、自分でも思った。
 ただ、転がってきた救いに、雪彦は罰以上に傾き始めていた。どうしてだろうか。力も何も無い彼が何か出来るわけもないのに、今こうして目の前で強敵にやられて転がっているのに。
 どうして自分は、彼の事がこんなにも気になるのだろう。
 雪彦はしゃがみ込んで、目を閉じたまま動かない鳴海の横っ面を思い切り叩いた。
「あんた、勝利を諦めないんじゃ無かったのかよ」
 返答はない。
「年下のやつが夢も希望もないとか嫌なんだろ?」
 無言。
「諦めなければ勝ちだって、それを証明するんじゃなかったのかよ」
 卑怯なことは十分分かっている。これは単なる八つ当たりだ。でも、それほどに鳴海に、雪彦は希望を見たのだった。勝てない敵にも果敢に立ち向かい、叶うはずの無かった夢にようやく出会えた彼の姿が、雪彦は羨ましくて羨ましくてしょうがなかった。
 だからこそ、ここで彼の夢が途切れるなんてこと、あってほしくなかった。
「立てよ! 諦めないって言ったんなら立てよ!」
 反応は未だ無い。
 怒鳴り散らす雪彦の姿を律花は眺めながら、ここで座り込んでしまっている自分は一体何なのだろうと考えていた。ステージは終幕に近づいて、出て行く観衆もいる中で、どうして自分は未だこの場所から動かずにいるのだろう。
 兄、奏汰は恐らく律花が動くのを待っていた。敗北したことを受け止め、ムーンマーガレットを止めることを待っている。そうしたら、終わり。現実の優秀という箱に詰め込まれた白部律花を演じ続けるだけの生活が待っている。
 戦意を喪失した自分に、こんなことを言う資格は無いのかもしれない。
 あの時、奏汰と戦うことが出来なかった自分に、現実とここでの自分を指摘されただけでブレてしまう自分が……。
「残りたいよ……。私は、私でいたいよ……」
 始めは、兄も父も母も、幸福な家の為だったのに、いつしか演じることに必死で、大切なものすら守れなくなってしまっていた。演じて、周りの幸福を願う内に、自分が分からなくなってしまった。
 だから、そんな弱い自分を強く見せたくてムーンマーガレットは生まれたのだ。
 どちらも自分で、どちらも自分ではない。片方だけ見た人がもう片方を見たらきっと、イメージの違いに落胆される気がして、結局周りの目が怖くて怖くて堪らなかった結果が、これなのだ。
 そんな時、どちらも見た彼は、私の事をカッコイイと言ってくれた。二度と会うつもりが無かったのに、彼はモッシュピットに通い、戦い、ムーンマーガレットを追い続けていた。

――絶対に追いつくから。

 その言葉に、律花はどこかで期待をしていた。いつか彼が、自分の隣でモッシュピットに立つ姿を。現実で演じる自分も、このモッシュピットで演じる自分も全て受け止めてくれると。古都原鳴海にそんな期待を……。
 律花は顔を上げる。
 雪彦の足元で未だ倒れたままの鳴海を見た。
 折れたベースは、いつか自分が弁償したものだ。
 また、弁償させてもらわなくちゃ、示しがつかない。
 何より、彼のムーンマーガレットの隣に立つという夢を叶えるためにも、律花はもっと強くなって、彼にとってのあこがれであり続けなくちゃいけない。
 だから、ここでムーンマーガレットを絶やしてはいけない。
「……お願い、私、もっと強くなるから」
 涙で震えた声を絞りだすようにして、律花は言った。
「貴方が追いつきたくなるように、私、もっと強くなるから」
 だから、今日だけは、頼らせて。


――お願い、私を助けてプリーズ、ミスターロストマン


 響くような低音と共に突如上がった土煙に、誰もが目を疑った。
 倒れていた鳴海と、傍に駆け寄った雪彦の二人を包むように巻き上がったそれは、唸るような低音と暴風によって周囲に広がっていく。
 吹き飛ばされまいと必死に身構える中で、奏汰だけがギターを再び握り直すと、身構える。あの土煙の奥から発せられた戦意が確かにこちらへ向けられていることを、彼は感じていた。
「一体どんな手を使ったんだ。起き上がれる余裕も無いくらい叩き伏せてやったのに」
 縦横無尽に駆け巡る風によって取り払われていく土埃。
 その中央に立っている人物を見て、観衆はざわめき、ジョニーとレモンは笑う。
「なんだ、丁度良いタイミングだったね」
 声を聞いてジョニーは横に目をやる。青いジャケットにベージュのチノパンを履いた男性が、笑みを含んで立っていた。
「これはお前が育てたのか?」
「いいや、私は何もしていないよ。ラスト・ホリデイ」
「モッシュピットは突然こういうことが起こるから面白い。レモンドロップス、って言ったかな」
 ラスト・ホリデイに呼ばれて、彼女は緊張の面持ちで返事をする。固くならなくていいよ、と微笑みかけると、彼は一言、ありがとう、と言った。
「ムーンマーガレットかな、と思っていたけど、多分彼だな。お陰で俺の計画の準備がこれで整えられる」
「……カーニバルか」
「ああ、その為に俺は最強を名乗り続けてきたんだ」
「アイツが悲しむぞ」
 ジョニーの言葉に、ラスト・ホリデイは首を振る。
「死人に口なし、だ」
 そう言って彼は踵を返す。見ていかないのか、と尋ねると、結果は見えたと彼は答え、そしてモッシュピットから姿を消した。
「アイツって?」
「君は知らなくていいさ。それよりも、煙が晴れるぞ」
 レモンドロップスが視線を戻す。
 風が止み、巻き上がっていた土煙が晴れる。
「しつこいやつだな、お前」
 奏汰は戸惑いながら、目の前に立ち望む彼の姿をきっと睨む。
 尻もちをつく雪彦は、彼の姿を見上げていた。手にしたネックの先には、色鮮やかな木目の浮いたサンバースト柄のボディ。太い四本の弦と、シングルコイルのピックアップが二本。
 鳴海は、それを軽々と肩に担ぎあげると、奏汰に向かって笑いかけ、それから振り返って、しゃがみ込んだまま呆然とこちらを見つめる律花に顔を向けた。
「一応これでも元ミュージシャン志望でね、アンコールの声が聞こえたら、何が何でもステージに戻らなくちゃいけない」
 鳴海の言葉に、律花は呆然としたまま、涙を流した。
 頬を伝う涙を見てから、鳴海は再び奏汰に目を向け、身構える。
「アンコール、付き合ってくれるよな?」
「……お前、何者だ」
 言っただろう、と鳴海は不敵に笑った。
「ただの、週末のロストマンさ」


       

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