Neetel Inside ニートノベル
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「なにこれ、すっごい大量じゃん」

 高くてよく伸びる声がして、鳴海は閉じていた瞼を開くと、顔を上げた。
 周囲を囲む人型は一斉に声のした方に身体を向けていた。彼らの顔面は真っ黒で何もないが、恐らくそちらを『視ている』のだろう。
 声の次に響いたのは、乾いたギターの音色だった。マーシャル・アンプに挿した時のあの少し歪んだ音。それが人型の視線の先からけたたましく響くと、次の瞬間真っ赤なギターが天高く飛び上がった。

――チェリーレッドのギブソンSG

 そのギターは背後の月光を浴びて純然と輝いていた。薄いボディ、分厚いネック。全てを断ち切るように張られた六本の細い弦。
 ただ、一つだけ、そのギターを見た鳴海には疑問があった。
――何故、ギターの「ネック」の方を握り締めているんだ。
 目深にキャップを被り、白いシャツに黒の七分袖を合わせ、デニム生地のホットパンツから黒いタイツが二本伸び、楽器の色に合わせたのだろうワインレッドのハイカットスニーカーの紐が風に揺れている。
 顔は分からないが、身体のラインから見て女性だと鳴海は思った。帽子の陰からそいつはニヤリと歯を見せて笑うと、黒い塊目掛けて急降下を始める。
 人型達はざわざわと騒ぎ始め、彼女に手を伸ばす。
 それは、先程鳴海が感じたように、焦がれるような、求めるような手に見えた。
「安心しなよ、すぐにアンタらのこと、満足させて……」
 ネックを両手で握り締め、降下のスピードに合わせて彼女はまるで斧でも扱うかのようにSGを振り被ると、着地と同時にチェリーレッドのボディをーー

「――あげるからさァ!」

 振り下ろしたのだ。

 人型目掛けて。何の躊躇いも無く。

 黒い人型は次々に吹き飛ばされていく。着地と同時に薙ぎ払われ、叩き潰され、踏み倒され、それまで鳴海を追いかけ続けた化け物がたった一人の少女に蹂躙されていく様は、この世の何よりも非現実的な光景で、鳴海はベースを抱えたまま唖然とした表情でその光景を見ていることしか出来なかった。

 黒い人型の伸ばした手を、女は左手で払うと同時に左足を軸に身体を捻り、右手に握り締めたSGのボディをそのまま人型の左脇腹に叩き込む。ひしゃげて飛んで行く人型の姿を横目に彼女は姿勢を低く取って奥の人型の懐に潜り込むと顎に一撃をお見舞いした。確かな手応えに彼女は笑った。そしてのけぞる人型に思い切り足を掛けると再び空高く飛び上がり、空中から降下して人型の頭部にギターを全力で振り下ろす。
 化け物は叩き伏せられ、半身を抉り飛ばされ、ただの黒い肉塊へと姿を変えられ、しかしそれでも人型は果敢に彼女目掛けて攻めていく。求めるような手を伸ばしながら。
 叩き伏せる度に聞こえてくるギターの旋律が、和音にすらなっていないその音が、何故か今この場ではまるで音楽として成り立っているように鳴海には思えた。
 そう、あれだ。この光景は、まるであのアニメのようなのだ。

――ブルーのリッケンバッカーで、突如出現した化け物を叩き伏せる女性。

 やがて、最後の一体が頭頂から股下まで真っ二つに斬り伏せられて、静寂が戻った。
 地面に叩きつけられたチェリーレッドのSGは、まるで鮮血を浴びたみたいに変わらず輝いていて、それを手に周囲を見回す少女は、満足気に肩で息をしていた。
「もう最っ高……」
 震える声と共にそう言ってから、彼女は大きな吐息を漏らす。
 それから、ギターを再び握り締めると、隅で固まっている鳴海を帽子の端からじっと睨みつけた。
「……悪いわね獲物全部貰っちゃってさぁ。何も出来なくて物足りないでしょう? だよね? そこで固まってるだけじゃつまんないに決まってるよね?」
 からから、とギターを地面に擦りながら、彼女は鳴海へと歩を進める。一歩、また一歩と踏み出す度に、帽子の端から覗く口が喜びに歪むのが見えた。
――ヤバい奴だこいつ。鳴海はどうにか立ち上がろうと藻掻くが、腰が抜けてしまって上手く立てない。ベースを支えにしてみるのだが、足は震えが増す一方だ。
 そうこうしているうちに目の前に帽子の女がやってくる。
「何? ビビってるの? 男のクセして腰抜かしてるの? だらしねーとか思わないの、アンタ……」
「……」
 一言も口に出来ない鳴海を見て女は溜息を一つ吐くと、もういいや、と呟いてSGを振り上げる。
「久しぶりの【ブッキング】だと思ったのに、こんなのが相手とか……ホントサイアク」
 鳴海は、彼女を見上げながら、目を大きく見開いて、呆けていた。
 この荒々しい姿からはとても想像の出来ない、幼気で端正な顔立ち。大きくて澄んだ瞳。その肌は月明かりを受けて白く輝いていて、帽子の端から垂れる黒髪が光を孕んで輝いている。
 今、命の危険に晒されている状況で、鳴海は帽子の下の彼女に、思わず見惚れてしまっていた。

 振り下ろされる一瞬の間に、鳴海はなんとなく「死ねない」と思った。

 楽器の種類も、色も、状況も、相手の容姿も全く違うが、とにかく鳴海が幼い頃に憧れた光景が、今目の前に広がっている。楽器一つで殴り合うあの少年と女性のような念願の世界に、自分が今一歩足を踏み入れられたように感じたら、途端に恐怖が消え失せた。

 咄嗟に鳴海はベースを高く掲げていた。ボディとネックそれぞれに手を添え、振り落とされるギターを防ごうとするように、高く、高く。
 ネックがへし折れ、太い弦がぶつりと切れて飛び跳ねる。支えを失ったボディが鳴海の左手からこぼれ落ち、木の欠片が夜空に舞った。鳴海は思わず顔を背け、目を閉じた。

 だが、その先に痛みは無かった。衝撃も無かった。

 目を開くと、鳴海の眼前でギターがぴたりと止まっていた。
 真っ赤にコーティングされたギターを見て、それから彼女に視線を向けた。
 彼女はとても驚いていた。振り下ろそうとしたギターを寸前で止めてしまうほどの衝撃を受けたようだった。
「なんでアンタの楽器、壊れてんの……?」
「……当たり前だよ。楽器は殴る為にできて無いんだから」
 その返答に、彼女は暫く黙りこむと、やがてそっと、小さな声で鳴海に尋ねた。
「もしかして、君ここの事何も知らないの?」
 先程とは違う、柔和な口調だった。

       

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