Neetel Inside ニートノベル
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風船地獄
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 吐き出しそうなくらいの辛さ、苦しさに耐えながら、涙ながらに風船を潰していく。
そう、これは風船。風船なんだ。と。自分に言い聞かせなければもう正気なんて保てない。
 そうこの風船は心臓。人間の心臓。数時間前、摘出して冷凍保存されるまでは、まだ立派
に人の中に宿っていた、そんな健全な心臓。その心臓を、まるで風船を潰すかのように
潰していく。この、血塗られたプレスマシンが、「適さない」と判断された心臓を風船の
ように潰していく。僕の押すこのボタンひとつで心臓は簡単に潰れていく。
 「適さない」にも色々基準はあるらしい。臓器移植に適さない類だとか、単純に形が
悪いだとか、悪しき魂を持っている人間の心臓だからだとか…。聞くところによると、
どうやら臓器にはその人の魂が宿るだとかそうじゃないだとか。そういう話。
だから、つまりは、体制側に都合の悪い人間は、こうやって「適さない」と判断されて、
誘拐されて、心臓を潰されるんだ。末端は、きっと僕みたいな「そんな事をするだなんて
聞かされてすらないけど雇われてこの仕事場まで来た人間」。
そんな、何の罪もない人間…と、自分の身は潔白であると、自問自答しながらでないともう
正気なんて保てそうにない。もちろん、この仕事は合法ではある。一応、国が法で認めても
いるし、立派な職業(もちろん誰もやりたがらない、やりたがらない事をやるからこその立派
な職業だと世間も認めてはいるが)ではある。給料だってすごくいい。怖いくらいいい。
だけれども…だけれども…いや、当たり前であるけれど、いくら世間にも認められていると
はいっても、こうやって人の心臓を潰していく作業は、たとえそれが自分の手を汚す事なく
ボタンを押すだけの行為であったとしても、僕の一任、決定だけで人が…人の心臓が潰れて
いくのを目の当たりにするのは、あまりにも辛い。(だからボタンを押すだけでお金をもらえ
るのかもしれない…)
 この人の生前なんて想えば、もう一回とてボタンを押す事なんてできない。気が狂う。
罪悪感。そうして、何よりが、誘拐されて臓器を取り出される前までは、各々の生活を営み
、くだらない各々の私情に悩み、例えば死にたいような朝を幾度をも乗り越えてきた、その
歩みの結果をこうも簡単に残酷な結果に変えてしまうという、まだやりたい事も食べたい物
もあるだろうに、そんな各々の尊い命を、自分が奪ってしまう、奪ってしまうのだという、
やりきれなさ、ふがいなさ。深い、深い悲しみ。情が移るともう駄目だ。
僕は、自分がなんてことをしてきたんだろうと思う。チェックリストに載せられた人の心臓
を、二、三の形式的な確認(プレスマシンの調子は大丈夫かだとか)をした後、このボタンで
潰す。
いくら潰してきたんだろうと思う。でも、そんなの見たくない。
チェックリストには「処理が完了した」という意味の、二、三のチェックはついている。
それも、きっと大量に。僕が持たされてる資料は、基本的にチェックリストのみだけれど、
いや、正確にはマニュアル本だけを持たされていて、その最後の方のページにチェックリス
トがついていて、中には今日心臓を潰されるチェックリストの各人の年齢、職業、顔写真と
「適さない」と判断された理由が簡単に記されているのだけれど、そんなものを見てしまっ
ては情が湧いてしまって、もう正気が保てなくなるから、僕はチェックリストだけを切り取
って使うようにしている。マニュアル本を持ち歩いていたのなんて、最初の一人だけだ。

 「風船地獄」と、僕はこの機械とモニターだけがある部屋をそう呼んでいる。モニター越
しでは心臓が潰れていく様だけが映し出されていく。そうして、潰されたのを大まかに確認
した後、チェックリストに二、三ののチェックをつける。きちんと潰れているかだとかは、
後でその係の人がやるらしい。飛び散った血の後始末も、別に僕がする必要もない。自分の
手が汚れることなんてない。だけど、ボタンを押して、プレスマシンに心臓を潰す支持をし
たのは他の誰でもない、僕だけだ。他の奴らはその指示を、仕方ないようにでも装って、
罪悪感だとか非道徳をひた隠しにして、その穢れを全て僕に押し付けているだけだ。
本当はボタンを押すのなんて、誰でもよかった。コンピューターが自動でボタンを押す処理
をするだけでよかった。それこそそこらの幼稚園児や小学生、痴呆の老人、野良猫なんかで
もよかったはずなんだ。だけれども、この世間は、こんな仕事を僕のような、無能で、何の
役にも立たない、それでいて言い返すこと一つできない、理不尽に屈するしかない性質の
人間に押し付けた。貧乏くじを引かせた。
誰しも穢れたくはないと思う。だから、僕みたいな人間に、穢れを押し付けた。
だけれども僕は断れる性質でもないし、お金もないからこんな仕事でもやり続けるしか
ない。もう僕の生きる術なんてそれくらいしかないのだから…。
 ボタンを押した指を使って、今日も僕はご飯を食べる。来る日も来る日も、寝て起きて、
ご飯を食べて、ボタンを押す。思い悩む。そうしてまた寝て起きる。
そんな生活が、明日も、きっと明後日も続いていく。風船地獄。だけれど、生きるためだ。
仕方ない。そう言い聞かせて、僕は今日もまた風船を潰していく。


<終わり>

       

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