Neetel Inside 文芸新都
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 その話を耳にしたのは少し前に、高校時代の旧友と居酒屋で偶然出くわした時。
 俺は演劇サークルの飲み会幹事で、次の日は朝から集中講義が入っていたため酒は控えめに飲み、それなりにほろ酔い気分で飲み会を楽しんでいた。そんな時、居酒屋の店員としてせわしなく働いている中に、旧友、瀬戸綾香を見つけたのだった。
「あれ? お前もしかして……高校の時の、瀬戸か?」
「え、ってまさか……小泉君!? あのクラスで一番目立たない眼鏡系男子の小泉君!?」
 再開の第一声から、掘られたくない過去を掘り返されたけれども。
 瀬戸綾香と言えばクラスでもトップを争うおしゃべり好きで、初対面だろうが誰だろうが構わず馴れ馴れしく話しかけてくるので、最初の頃は少し鬱陶しく感じるが、徐々に彼女のペースに憑りつかれて行き、果てにはその饒舌っぷりに心地よささえ感じるという。
「いやー、それにしても小泉君は随分とイメチェンしたね! うん、ベリーグッド! あ、過去の君を否定するわけじゃないからね? めんごめんご」
 ちなみに俺は、そんな瀬戸に最後まで憑りつかれることがなかった生徒である。
 朱色のエプロンをつけた瀬戸は、店長らしき人物に向かって「少し時間くださーい!」と言ったかと思うと、返事も待たずに俺の席の傍まで歩み寄ってきた。
「まさか瀬戸がこんな近くの居酒屋で働いてるとはな。近くに住んでるのか?」
「金池町三角荘の二〇七号室で只今猛勉強中でございます小泉少佐」
「勉強? ってことは、どこかに就職するか、それとも資格でも取ろうってのか」
「うんにゃ、ちょいと専門学校に入ろうと思っててね」
「へー……、まあ、頑張れよ」
「応援の言葉、しかと受け取りいたしました小泉大佐」
 十数秒の間に二階級特進した俺は、瀬戸の大げさなリアクションに首を傾げながら、軽めのチューハイを流し込む。
「あ、そうそう。小泉君は由美子が結婚するって言う話聞いてる?」
 瀬戸が思い出したように、問いかけたセリフ。彼女からすれば、単なる確認作業とかそういう類であって、俺の心中を見通しての発言ではなかっただろう。
 だがその一文は、俺の中にある何かを大きく揺さぶった。
 突然、その報せを聞かされたせいだったかもしれない。
 だが、今となってはじっくり聞かされても神経を擂り潰されるような、嫌な感覚があった。それと言うのも、俺は前日、たまたま高校の時の卒業アルバムを開いて、懐かしい思い出に耽っていたのだ。
 机上スタンドに照らされるのは、入学早々の教育合宿、体育大会、修学旅行、そしてクラスごとの生徒の写真……一ページ一ページを吟味して開いていく内に、自分の中でくすぶっていたある想いが再び蘇った。
 それは、文化祭のページを眺めている時。
『ステージ発表、最優秀賞獲得! 三年二組』
 そんな縁取り文字がされた写真には、二人の役者が机に座って談義をしている場面が映し出されていた。俺たちがちょうど三年前に演じた劇の一場面だ。当時の俺は演劇に興味を持ち始めたころで、文化祭でやりたいことの集計に軽い気持ちで演劇を入れたら、なんとそれが採用されてしまった。その後演劇に興味のある人と集計で演劇と書いた人とで集まり、劇の詳細を考えることになった。その時にどうしても人員が足りなくなり、結果脚本と役者を兼任することになった生徒が二人いた。
 俺が成宮由美子と本格的に話し始めたのは、それが初めてだった。
 高校三年生の秋にして、初である。
 俺たちはそれなりに成績が良かったため、放課後行われる補習を受ける代わりに劇の脚本を書いたり、演者がどのようにアクションするのかなどを二人で考えた。成宮は文芸部に所属していて脚本にかけては他の追随を許さなかった。かくいう俺は帰宅部だったが演劇についての知識なら他の追随を許さない……程ではなかったが、まあ人に対して教えられる程度の自信はあった。
 そんな二人が組んだというだけあって、演劇の練習はたった一週間しか確保できなかったにかかわらず、本番はミスゼロのパーフェクト、結果は最優秀賞と大成功を収めた。写真の場面はそんな俺と成宮が、確か……トウェインについて語っている場面だったと思う。
 俺と成宮は文化祭が終わってからも、定期的に話すようになった。
 受験間近で、俺が勉強のためにしばしば図書館を利用するようになった頃。
 人目につかない集中できる場所を探しているところ、俺は隅の方に座っている成宮を見つけた。彼女は分厚いハードカバーを手にページをめくりながら、愛おしそうに読み進めていた。他の席があまり空いてないという理由をつけて、俺は彼女と対になるように座った。
 成宮はすぐ俺の存在に気付いて、椅子を引くと同時に話しかけてきた。
「あれれ、小泉君じゃない。珍しいね、図書館に来るなんて」
「別に、受験勉強のためだよ」
 この時まだ、俺の中に自覚症状はなかった。ただ肩の狭い学校生活の中で、成宮と言う少しは気軽に話せる友人と少しは静かな図書館。この相乗効果に期待して近くの席に座ったんだと思う。
 だが今思えば、俺はあの時から成宮に淡い恋心を抱いていた。
 その時の俺はまだ、自分の気持ちに気付けていなかった。
「そっかー、もうそんなシーズンだもんね。受験勉強お疲れサマです」
「成宮は勉強しなくていいのか? 成績は良かろうと、勉強してるふりはしていないと教師がうるさいだろう」
 俺が言うと、成宮は首を振る。
「ううん、私実は大学には進学しないで、家業を継ごうと思ってるんだ」
「家業? 実家で何か、自営業でもしてるのか?」
「そそ。お父さんとお母さんが二人でカフェやってるの。最初はそこのウエイターやって、行く行くは店長を務めるんだー」
 机に肘をつき、嬉しそうに語る成宮。
 そんな成宮を見ているだけで、俺は口元が緩む気がした。
「へー、そうなのか。でも、もし継げなかったらどうするんだ?」
「そこまではまだ決めてないかな。もし、なんて状況は考えてないし」
 俺は頷くことしかできなかった。俺としては夢は明確であった方がいいと思っていたので、残念ながら同意は出来なかった。
 でも、成宮の笑顔を見ていると、どうでもよくなってしまっていた。
 

       

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