Neetel Inside 文芸新都
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 からりと晴れた、明くる日。
 俺は、押入れから引っ張り出した不格好なスーツを着て、駅前の喫煙所で煙草を吹かしていた。
 式の開始が少し遅めなので、昼前に準備してのんびり町に来てもまだ時間に余裕がある。喫煙所には俺と同じようにスーツを纏った、しかしその手には通勤かばんを提げたサラリーマンが群れている。外回りの最中なのだろうか。会社員ってのも大変だな。
 俺も就職活動をして、職に就いて、何年も経てばああなってしまうんだろうか。
 立ち昇る煙は、ゆらゆらと風に揺れる。
 気分は乗らなかった。昨晩は何かが見せた幻覚の所為で幾分前向き志向になっていたが、一つ夜を越えると、いくら理由をつけても腑に落ちなかった。
 自分が現実を直視できていないこと。
 封筒の山に紛れていた招待状を見つけてしまったこと。
 探せば理由なんていくつでも出てくる。結局、最終的に俺の足を引きとめているのは根底にあるつまらない矜持で、成宮が結婚するという事態そのものを受け入れられていない自分自身だった。
 どうにかしなければいけないことは分かってる。
 父は言っていた。大切な人の幸せを喜ぶことが大事だと。そのためには自身の犠牲も厭わないと。理屈は分かる。当然のことだ。大切な人には幸せになってほしい。でもその邪魔をしているのが、成宮への積年の想いと頑ななプライドだった。
 灰皿に、ぐりぐりと煙草を押し付ける。
 今、俺が成宮の幸せのためにやらなければいけないこと。
 後悔しないよう、せねばならないこと。
 それは一体何なのか。
「それが分かったら、苦労しないんだよなぁ」
 簡単に分かるならここまで苦しみはしない。
 腕時計を見ても、式の開始時間まではしばらくあった。


     【六月十日】


 手持無沙汰になり、一度落ち着こうとも思ったので、最寄りのカフェに立ち寄った。他の客もほとんどいない。ずいぶんと散らかったテーブルがある以外は、読書を嗜んでいたり、パソコンを持ち込んでいる客客がいるばかりで、ここなら少しは落ち着けそうだと、俺は奥の方の一人がけテーブルに腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。ご注文はどうなさいますか?」
 若いウエイターが訊く。そうだな……。
「本日のコーヒーってのを、いただいてもいいかな?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
 軽い受け答えを済ませ、店の外にあるという喫煙スペースのテラスに出る。席にコーヒーを持って来たら声をかけてくれるシステムらしい。なんならテラスでそのまま飲んでもいいとのことだ。こんな店があったなんて、知らなかった。
 テラスには先客がいた。彼と少し距離を取って、俺は柵にもたれかかった。
 こうして、いつもとは違う場所で煙草を吹かすだけでも、その味は微妙に変わってくる気がする。精神的な要素が作用しているのだとか、テレビで言っていたのを覚えている。
 その味は、不思議と、いつもより甘い。
「ここは、とてもいい店ですね」
 不意に話しかけてきたのは、隣に居た初老ほどの男性だった。
「まるで時間が止まっているような錯覚がします。ゆっくりと時間が過ぎていくのをコーヒーを飲みながら、煙草なども嗜みつつ、ぼんやりと待つ。休日の昼間と言うのは時間を遅くする、魔法でもかけられているのでしょうね」
「…………はあ」
 曖昧な返事を返すと、男性はこちらに視線を向けてほほ笑んだ。
「ですが、あなたはどこか、急いでいるような、もしくは急かされているような。何か、後ろめたいことか、苦しいことなど、お持ちではありませんか?」
「……いや、別に、何でもないです」
「最近の若い人はよく、別に、なんて言葉を使います。その言葉を使うときは、大体がなにか重いものを抱えているときなんだと私は思います」
 何なんだ、この人は。新手のカウンセラーか?
「悩みを持たない人など、この世のどこにもいません。もし存在するならば、その人は悩みに気付けていないだけです」
 怪訝に眉根を寄せる俺を意に介さず、彼はゆっくりと語る。
 その時だった。
 俺は店の窓ガラスに映る人だかりを見つけた。
 何事かと振り返ってみると、目視できる範囲にあるビルの下に、野次馬が集まっている。ここからでは何が起こっているのかは良く分からなかったが、柵から身を乗り出して、無意識に空を見上げてみる。
 そうすると、呆気なく答えが見つかった。
「……でも、あなたはとても運がいいです。ご安心ください。あなたの持っている何かはここを訪れたことで、解決策が見つかるでしょう。それはしばらく先のことかもしれませんし――――もしかしたら、今、この瞬間かもしれません」

 誰かがいる。
 野次馬の群がるビルの屋上に誰かが立っている。



  
 二章「スウィート・ビターに祝福を」

       

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