Neetel Inside 文芸新都
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     ○

 それから俺は、定期的に優子の元を訪れるようになった。さすがに毎日だと怪しまれるかもしれないので、人目を盗んでこっそりと。理由としてはやはり食事代を渡したりだとか、それが出来なければ自分で買ってきた弁当や、他の場所から盗んできたゲームなどの娯楽品を置いて行くためだった。
 優子は少しも疑う素振りを見せなかった。
 普通、突然現れた大人の男が食べ物を置いて行っても、喜んで食べはしないだろう。見知らぬ人からもらったものは食べないと言った、人としての危機本能が働くはずだ。俺もはじめは「もしかしたら空き巣を捕まえるための罠かもしれない」と若干いぶかしんでいたが、楽しそうにゲームで遊んでいる優子を見ていると、そんなことを考えることさえも煩わしくなった。
 俺は優子と一緒にご飯を食べたり、ゲームで遊んだりしながら、優子がこんな状況に陥った経緯を聞きだした。
 結論を言えば、優子は昔の俺に似ている。
 数ヶ月前に両親は旅行に出かけたきり、戻ってきていないそうだ。違う点と言えば捨てられたのではなく、その両親は旅行先(と優子は言っているが、恐らくただの外出だろう)で、帰らぬ人となった可能性が高い。両親の名前を聞いて、俺はその名をニュースで聞いたような気がしてならなかった。思い出せそうな気もするが、最近物覚えが悪くなったのか、まるで浮かんでこない。
 金池町の屋台通りを歩きながら、一人でうんうん唸り続ける。ソースのこげる香りとイカ焼きのにおいと綿あめのにおいとりんごあめの匂いが混ざって、決していい空気ではなかった。夜の金池町は不思議とお祭りのように出店を出しているところが多い。ここが屋台通りと呼ばれる所以だ。名前が先か、屋台自体が先かは分からない。大体の店はお好み焼きだとか焼きそばを売っているが、博多とかそこらへんの屋台よろしく、ラーメンだったりおでんだったり居酒屋風の店だって当然ある。俺は行き慣れた屋台の暖簾をくぐり、席が空いてるのを確認して座った。
「おやじ、熱燗と鶏皮ね」
 俺がそう言った刹那、おやじは熱燗をカウンターに差し出した。まさか、俺が来るのを分かっていたのか。まあ、同じ曜日の同じ時間に何度も通っていれば、そうなるか。俺はくっくっと笑い、酒を嚥下する。
 その時、少し離れて座っていたスーツ姿の男が、こちらを振り向いた。
「その笑い声は……まさか、博人か?」
「ん?」名前を呼ばれ、俺は男のほうを見やる。短く切り揃えられた髪に、まつげの長い切れ長な目。一瞬、誰だ俺の名前なんかを知っているのは……と思ったが、つい最近思い返した記憶の中に、その姿を見つけた。
「まさかお前、マサチカ?」
「ああ! そうだ、マサチカだ覚えてるか!」 
「うおう、なんて偶然だよ」
 俺達はおやじが驚いているのを横目に、隣同士に座って肩を組み合った。
「驚いたぜ。マサチカがこの街に戻ってきてるなんてな」
「最近異動になったばっかりなんだよ。まあ、とりあえず飲もうぜ」
 マサチカと俺は生ビールを注文した。

「……ってわけで、四月から金池署で勤務してんだ」
 注がれた生ビールを一気飲みした後、マサチカは赤ら顔で話し始めた。話をまとめると警察学校は無事に卒業できて、その街の警察署でキャリアを積んだ後、生まれ育った街で勤務したいと志願して戻ってきたということだった。俺は心からすごいことだと思った。マサチカは昔から有言実行する奴だったが、夢を本当に叶えてしまうとは。
「まったく、警察官ってのも楽じゃないぜ。おやじ、ビールおかわり」
「おいおい、あまり飲み過ぎるなよ」
 俺は生ビールをちびちび飲みながら笑った。楽じゃない、と話すマサチカはとても楽しそうだった。
「そういや博人は、画家にはなれたのか?」
 笑顔混じりにマサチカは言う。彼からすれば、お互いの現況を確認するためのさりげない一言だったんだろう。
 だが俺はその言葉に少しだけ胸が詰まる重いがして、少しだけ逡巡した。
「……いや、まだ見習いだ。バイトしながら、絵を描き続けている」
「そうかそうか。お前なら大丈夫だ、博人! 俺が見込んだ絵描きだからな、ハハハ」
「そりゃどうも」俺は耐え切れずにビールを一気に飲み干す。「おやじ、俺もビールおかわりだ」
 俺とマサチカは程よく酔いながら、卒業してからこれまでの話と、これからの話に花を咲かせた。
「博人、お前あれだ、彼女とかはいないのか」
「いるわけないだろ。中学時代の俺を知ってるお前が何を言ってるんだ」
「まあいてもいなくてもよ……大事にしろよ彼女はよ」
「……? まあ、できたらの話だけどな」
 時間を忘れて、二人で話し続けた。ビールを三倍ほど飲んだ辺りからは酔いが回ってきて、屋台のおやじも話に参加させた記憶がある。おやじはずっと俺たちの話を聞きながら、にこにこ笑っていた。いや、もしかしたら不機嫌そうな顔をしていたかもしれないが、その時は酔いすぎてよく覚えていない。
 ひとしきり飲んだ後、俺達は屋台を後にして夜の金池を歩き始めた。
 昔はビルなんて殆どない小さな街だった金池だが、昨今では都市計画が順調に進み、金池の駅も出来て、いつの間にか高層ビルの立ち並ぶ地域になってしまった。今俺とマサチカが歩いているのは、中学の頃小石を蹴りながら帰った道だったが、その記憶も今ではアスファルトに閉じ込められている。
「いやー、博人に会えただけでもここに帰ってきた意味があるってもんだ」
「ずいぶんと大袈裟に言うな、マサチカ」
 俺は、ぐでんぐでんになりながらも言葉ははっきりとしているマサチカの肩を担ぎながら歩いた。
「俺にあったところで、なにか特別なことが起こるでもあるまい」
「んなことねえよ! 俺はお前には不思議な力があると思ってる、博人」
 酔っているはずなのに、あの真摯な眼光を俺に向ける、マサチカ。
「お前には人を動かす力があるんだ。お前との約束があったから、俺は警察官になって世の治安を守るという夢を叶えられた。だから今度は、お前自身にその力を使うべきだ。お前の夢だった画家になるためにもな」
 ひっく、としゃっくり混じりにマサチカは言う。
「夢を諦めんじゃねえぞ! 人はなあ、今日頑張れば明日には今日を超えた自分になれんだ! だから不断の努力を続けりゃあ、いつか報われる日がくるさあ!」
「……分かった。分かったから今日はもう帰ろう」
 なんだあ調子狂うなあー、とマサチカは笑いながら言う。
 俺も笑いながら少しだけ俯いて歩き、病院の近くにあるというアパートまで、マサチカを送り届けた。
「じゃあな博人! いい夢見ろよ!」
「ああ、お前もな。おやすみ」
 扉を閉め、自分のアパートへの帰路に着きながら、煙草に火をつける。
 風のない夜空に煙がゆっくりと立ち上っていくのを、俺は馬鹿みたいに眺めていた。
「……悪いな、マサチカ」
 明日は、何を優子に持って行こう。
 考えながら、夜は更けていく。

     ○

 明くる日、優子のもとにコンビニで買った弁当を持って行こうとしていた時の事だった。
「ん……?」俺はいつもと違う家の前の雰囲気を見て、少し離れて足を止めた。
 家の前で見慣れない人間が数人集まって話している。見たところ、近所のおばさんの井戸端会議だろうか。参ったな、人がいるんじゃどうにも入れない。こっそり勝手口だけは開けておくように言っていたから、そっちから入って弁当だけでも置いていって今日は帰ることにするか。
 俺は気付かれないように家へ近づいた。
 すると、ひそひそと話し声が聞こえてくる。別に聞かなくてもいいかとは思ったが、少し気になって耳を澄ます。
「優子ちゃん、いつから一人ぼっちになっていたのかしらねえ」
「さあ……。でも、もうすぐ叔父さんが迎えに来てくれるらしいじゃない?」
「みたいねえ。でも、大丈夫かしら」
 どうやら優子が家に一人だということは、周囲に知れているらしい。
 俺はほっとため息を吐いた。近所の人が心配をしてくれているというのもあったが、一番安堵したのは、優子にはまだ引き取ってくれる身内がいるということだった。せめて優子には、俺のように誰も血のつながった人間が誰もいないなんてことは避けて欲しかったのだ。心が温まる思いになった。
 同時に、少しだけ寂しくも思った。
「俺の役目も、ここまでってことか」
 俺は勝手口へ向かおうとしていたが、踵を返し、家から離れる。優子を引き取ってくれるという人が名乗り出た以上、赤の他人である俺が関わる必要はもうない。あとはその人に任せて、俺は元の生活に戻ればいい。もともと、空き巣である俺が優子の面倒を見ていた事自体がおかしなことだったのだ。俺はふふっと笑いを漏らした。
 その時、黒服姿の男と方がぶつかりそうになって、とっさに避けた。
「おっと、すまんね」
「いえ、こちらこそ……」
 俺は軽く会釈しながら、歩き去って行く男を見た。
 恰幅のいい、腹の出た男だ。スーツの下のワイシャツは第一ボタンが開けられている。
 周囲を見渡すに、音は近くに停めてある黒塗りの外車から降りてきたようだ。
 その足は、のっしのっしと、優子の居る家の方へと向かっていた。
「……あれが、叔父さんって人か?」
 なんだか、ヤクザみたいな奴だな。
 俺は怪訝に首を傾げながら、逃げるようにその場を去った。

 正確に言えば、去ろうとしていた。
 後ろから、その声が聞こえてくるまでは。
「いやあ、良い世の中になったものだ」
 声の主は、愉快そうに笑っている。さっきすれ違った男の声のようだった。
「まさか身内に親をなくしたガキがいるなんてな。叔父だってことを知ればとんと擦り寄ってくるだろう。ガキを欲しがる輩なんてそこら中にいるから、こいつあ高く売れるぞ」
 俺は、自分の頭に、ふつふつと血が上るのを感じていた。
「そうでなければ、ストレス溜まった連中の捌け口にでもしてやろうか。確かメスガキなんだったな。うちの底辺の野郎どもの世話役にでもなれれば大出世だな、捨て子風情にしては。ハッハッハ!」

 俺は考える前に、走りだしていた。
 その瞬間のことは、今になってはよく覚えていない。
 鮮明に覚えているのは。
「優子、俺と一緒に来い!」
 返事を待たずに勝手口から優子を連れ出して、走り抜けていったこと。
 その後から、近所の人の叫ぶ声と、男の怒号が聞こえてきたこと。
 優子を背負い、無我夢中で走ったこと。
 俺の決意は揺らがなかった。だから足取りもしっかりしていたし、後ろを振り向くこともなかった。
 空き巣稼業で、幸い人に見つからないように逃げるのには慣れていたが、急に走りだしたせいで足が棒になりそうだ。ろくに運動もしてこなかったのが祟ったのか。声が聞こえなくなるのを確認しながら、俺は走るのをやめた。
「優子、大丈夫だ。大丈夫だからな」
 街に、陽が落ちる。
 俺は優子の身体を背負ったまま、ビルの隙間で立ち尽くした。
 
 

       

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