Neetel Inside 文芸新都
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 由美子と俺は小学校を卒業してから付き合い始めた。
俺は中学に入ってから、お前はリーダーシップに満ちていてみんなを引っ張っていく存在と慕われていたが、実際そんなことはなくて、多くは由美子に教えてもらったことばかりだった。
 みんなに慕われる人になるには、人のために動くこと。自分のことは最後に回して、影で動くこと。
 どんな意見でも否定せずに受け入れた上で、違う意見を提案してみること。
 どれも、由美子に教えてもらって身に付けたことばかりだった。
 由美子は俺が指揮を振るう傍らで支え続けてくれていた、唯一無二の存在だった。だから俺は由美子の指示には全て従った。俺は由美子がいなければ、風紀委員長などの仕事を全うできなかっただろう。
 あの忌まわしい事件も、由美子が俺に指示したことによって、勃発した。

『まーくん――――私を、殺して?』

 由美子に呼び出されて、人の少ない踏切の前で電車を待ちながら、由美子はそう言った。
 俺はその時初めて、由美子が抱えていたものの正体の片鱗を見た。
 育ててくれる親もおらず、妹と弟の世話をしながら学校に通っていた由美子。その話を聞いた時、由美子がなぜここまで人を育てていく知識が豊富なのか、理解できた気がした。
 当然俺はまくし立てる勢いで非難した。涙が溢れ始めていた。
 保険があるからといって、死ぬことは正しい選択ではないと。
 生きて周囲に助けを求めれば、まだ道は開けるはずだと。
 それでも、由美子は俺の手を握って、取り繕った笑顔で言った。

『ワタシヲ、コロシテ?』

 由美子の瞳が、疲れきったものになっているのに気付いた。
 カンカンと音を立てながら、遮断機が降りる。
 早く、早く。誰も見ていない。誰にも分からない。まーくんが殺したことなんて、誰にも知られない。
 だから、殺して。ワタシヲコロシテ、フタリヲタスケテ。
 由美子の双眸が、滲みそうになりながらそう訴えかけていた。手が震えていた。
 中学三年生の頭は混乱に満ちていた。常識的に考えるのであれば、殺すことなんて出来ない。そんなことは誰も望んでいない。しかし、俺の敬愛する由美子はそれを望んでいる。由美子の言うことに従えば間違いは起こらない。だからと言って、由美子を殺すのは、電車の走る線路の中に押し出すのは、間違ったことではないというのか? いや、それは違う。人を殺すのは間違ったことだ。いくら由美子の言うことでも、それは聞けない相談だ。
 頭の中で、色んな考えがせめぎ合った。
 どれも言葉にはなってくれず、雨の中で涙を流しながら、俺は歯の根が合わなくなるのを感じた。
 それを見て、由美子は言った。
『大丈夫、すぐに――――終わるから』
 由美子はきっと、俺が何と言おうと、死ぬつもりだったのだろう。
 握っていた俺の手を離すと、由美子は背後にあった線路へ、後ずさった。
 声にならない叫びを上げたのを覚えている。
 雨だか涙だかわからないほど、顔がびしょ濡れになったのを覚えている。
 由美子ははち切れんばかりの笑顔と共に電車に飲み込まれ――――その生命を壊された。
 急激に強くなった雨の中に、電車の甲高いブレーキ音が響き渡った。
 血飛沫が飛んできた。
 雨と伴して、俺の身体を濡らした。
 言葉にならなかった。
 由美子の血液で視界が真っ赤に染まって、そしてすぐに、世界が闇に落ちた。

     ○

 あの日と同じくらい強い雨が、ざあざあと降っている。
 墓地を後にして、俺はまた都市部へと戻っていた。突然の雨を予想出来ていなかったのだろう、サラリーマンの男性は鞄を傘に走り、自転車にのる人はかっぱを着て先を急いでいる。
 俺は傘を差しながら、取り残されたようにゆっくりと歩いていた。
 その後、警察が来て、俺は事情聴取を受けた。まだ中学生であったこともあったのか、俺は自分が殺したという主張を繰り返したが受け入れられず、最終的には名前だけの保護観察処分となった。残された二人には由美子が死んだ事による保険金がおり、また由美子が死んだことにより両親不在であったことも明るみになって、生活保護が受けられることになった。しばらくの間は、近所の人が面倒を見てくれることにもなった。
 それが、由美子の望んだ結果だったかは分からない。由美子の死によって悲しみにくれた人は決して少なくない。由美子の骨しか入っていない、小さな墓が作られるまでは、由美子が死んだという実感さえなかった。由美子の名前が刻まれた墓石を見た瞬間、ああ、由美子は死んだ、いや俺が殺したも同然だと、俺は胸にぽっかりと穴が開いた気持ちになった。
 死ぬ直前、由美子の手は震えていた。
 由美子は、死んでしまうのが怖かったんだと思う。
 だから由美子は、俺に対して自分を殺してと頼むことで、少しでもその恐怖を受け入れようとした。
 治療を重ねていく内に、そう考えていくようになった。
 先生に何度も言われたことだ。
『彼女に言われていたんだろう。自分のことは最後に考えるんだって。だから彼女はそれに則って、自分の命を最期に回すことで、自分の愛する人を守った。君は彼女を殺したわけじゃない。彼女の行動の手助けをしただけだ。気に病むことはない。何よりも、君だって彼女に守られた内の一人だ。そんな君が深く閉じこもってしまったら、彼女はどう思うだろう?』
 そこで俺は、自分に残された使命に気付いた。
 俺のやるべきことは、彼女の死を悔やんで、贖罪に苛まされながら生きることじゃない。
 彼女の分まで、力強く生きていく事こそが、俺に託された由美子の最後の願いだ。
 だからこそ、彼女のような人間を、二度と出してはいけない。
 理由があるとはいえ、自分の愛すべき人を捨てて去っていく人間を、これ以上増やしてはいけない。
 それを取り締まる人間に、俺はなりたい。
 俺はこうして、警察官を志すことを決めた。
 雨が、降り続く。アパートに帰り着くまで、どうやら止みそうにはない。
「大丈夫だ由美子。俺はもう、過去を振り返って、後悔するなんてことはしない」
 走り去る人々とすれ違いながら、俺は空に向かって呟いた。
 不思議と雨足が遠のいていくような、そんな気がした。
 梅雨という季節は嫌いだ。正確には雨が嫌いだった。“あの日”のことを思い出してしまうから。
 でも、今日改めて彼女の墓までやって来て、俺は決別した。
 雨が嫌いなのは、この雨がきっと、由美子の涙だからだ。俺がいつまでも過去を引きずって生きているから、由美子は悲しんで涙を流す。由美子が悲しむのが嫌だから、俺は自然と雨を嫌う。
 俺は過去を全て受け入れて、前を向いて生きていかないといけない。
 こうも言っていたよな、由美子。
「君の生きている今日は、昨日死んだ人が願った明日だって」
 由美子は自分の命を賭してまで、愛する人が明日を生きることを願った。
 かつては自分の命を落として、由美子と同じ歳のまま全て終えたかった俺だったけど、今は違う。
 俺は人のために、生きていく。
 自分の生まれ育ったこの金池で、二度と同じ過ちを繰り返さないように。


       

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