Neetel Inside 文芸新都
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          ◎

 俺たちは人気のない公園に来ていた。周りの道路には車が走っているが、生身の人間で、荷物も傘も持たずに歩いているのはおそらく俺たちぐらいだろう。
 雨の勢いはいつまで経っても衰えない。髪も服もずぶぬれで、髪から垂れ落ちる水滴を払う気も起きない。雨に打たれることにも慣れてしまった。お気に入りの赤い帽子は水を吸って黒くにじみ、歩くたびにスニーカーが水溜りを跳ね上げた。
 言葉が見つからなかった。冗談を言う気にもなれなかった。
 びしょぬれのジャケットのポケットに手を突っ込む。当たり前だがこんな雨では煙草を吸うことなどできないので、小さな子どもがアイスキャンディの棒をそうするように、つまようじを口でぶらぶら揺らす。こうすれば口を開くことはないし、口の寂しさも紛らわせる。こんなものは、苦肉の策だ。
 暗みの増した公園の中に、三人くらいは座れそうなベンチがあった。当然大雨にさらされて湿りに湿っているが、今更気にすることもない。
 お互い何を言うわけでもなく、俺たちは無言でベンチに腰掛ける。
 帽子を少し、深く被る。
「悪いね、こんな雨の中、付き合ってもらっちゃって」
 ふーっと息を吐きながら、いつもの明るい声で、由紀は言う。
「いやー、まさかこんな事になるとは思ってなくてね。こんな雨の日に暇してて、どこにでも来てくれそうな奴って、やっぱマリオくらいしかいないからさ。わざわざごめんね」
「お前が気にすることじゃねーよ、どうせ暇だったし」
 やっぱりね、と言いながら由紀は笑う。
「にしてもこんな早い時間にどうした? 『今からどこかで少し話せるか』って、別にメールとか電話でも良かったんじゃないのか?」
「あー、めんどくさいじゃない? 一々メール送ったりするの」
「ふーん、そういうもんか」
 俺は納得した振りをした。
「それだったらどっか店に入ろうぜ? このままじゃ風邪引いちまう。そうだ、この近くに美味い定食屋があるんだ。そこで飯でもつまみながら」
「……まだ、そんなにお腹空いてないから、いい」
「ヘルシーサラダだってあるし……そういえばお前、最近炭水化物抜くダイエットしてたよな? あれ実際は効果ないから、辞めたほうがいいぞ」
 由紀の肩がかすかに震える。雨のせいもあるだろうが、多分違う。
「どうしても嫌っつーんなら、サ店に行ってもいいぞ。そう言えばスター何とかコーヒーだっけ? 最近新作メニュー出したらしいって聞いたが」
「だから何だっていうのよ、いいって言ってるでしょ!」
「一体何があったんだよ」
 由紀は声を荒げたが、俺は頭をつかんで無理やり視線を合わせた。
「バレバレなんだよ。暇つぶしとかそういう類じゃねーだろ。こんな豪雨の中俺みたいなのをわざわざ呼び出すなんて、一体何があったら、お前みたいな生真面目な奴がそんな行動するんだ」
「生真面目だからって何よ! さっき言ったでしょ! 友達はまだみんな仕事してるだろうから、暇なのはあんたみたいなニートだけだって!」
「おいおい失敬だな。バイトならしてるぞ。週三だけど」
「今日が勤務日じゃないの知ってるから!」
「そうだな、お前いっつも会社帰りにウチのコンビニ寄るもんな」
「そんなこと今はどうでもいいでしょ! このクソマリオ!」
「人を呼び出しといてクソとは何だクソとは」
 由紀はまだ何か言いたそうに眉をひそめていたが、ため息と共に深く俯いた。
「……ダメ、今は喧嘩する気にもなれない」
「そりゃよかった。俺からすれば万々歳だ」
 もちろん嘘。
「話せないことなのなら、どうして俺を呼んだ? 俺みたいな失うもののない奴に話せないことなんかねーだろうに」
「……ホントなんでだろうね。どうして呼んだんだろうね」
「いやいや、俺はお前に聞いて……」
「自分の中で完結させるべきなんだよ。自分自身で解決しないといけないんだよ」
 由紀の言葉が、俺の声を遮る。もう、俺の言葉は届いていない。
「なんだろうね。調子乗ってたのかな、私。とりたてて成功してきたわけじゃないけど、それなりの会社に入れて、それなりの評価受けたから、有頂天になってたのかな。周りが良く見えてなかったのかな。分かんないよ、何が何だかもう」
「おい、落ち着けよ」
「おこがましいことだったのかな。私みたいな平凡な奴が、会議で意見を出すこと自体が、何か間違ったことだったのかな。粛粛と四〇年間、何かを咎めることなく働き続けるべきだったのかな。そしたらまだ、未来もあったの、かな」
 由紀の声は、途切れ途切れになっていた。
 雨は、いつまで経っても降りやまない。
「もう、どうしたらいいのか分からないよ。どうすべきなのかも分からないよ。全部なくなった、なくなった、なくなった、なくなった…………ねえ、智志」
 やめてくれ。
 由紀の言葉を聞いて、俺の脳裏に、何年か前の光景が過る。
「全部――――なくなっちゃった」
 気丈な笑顔は、涙でぼろぼろに濡れていた。
 雨が降っていても、それだけは鮮明に分かった。
 俺は目を細めて、由紀を見つめた。
 どうすることも出来ない。何もかもが突然すぎる。この間まで由紀は元気に会社で働いていたじゃないか。でも由紀は今、俺の隣で泣いている。普段は見せぬ涙を流しながら泣き腫らしている。
 それはあまりにも唐突過ぎて、言葉が見つからず、俺は黙って由紀の頭を撫ぜることしかできなかった。
 俺よりも数段は立派な由紀の、その由紀の頭が、泣くことで揺れている。
 雨が降っていて良かったと思ったが、俺にだって、分からない。
 こういう時、どうしたらいいんだ。
 俺は、どうしなければいけないんだ。
 分からない。
 分からない。

 このまま全てが雨に流れて消えればいいのにと、心から思った。

       

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