Neetel Inside 文芸新都
表紙

馬、鹿、豚。
1『空、勤、夏。』

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 もう夏も終わりに差し掛かるのに、お天道様は影を潜める様子がまったくない。水平線にはうっすらと陽炎まで見えそうな、とても暑い日だった。
 しっとりと蓄えた汗は着古したパンツスーツにじんわりと染み込んでゆき、その感覚はただひたすら不快だとしか形容しようがなかった。
 ――太陽なのに、『影を潜める』。よく考えれば随分と矛盾した表現だ。私はほんの僅かに、呆れたように笑った。
 しかし、なにか近未来的なものすら思わせる、非常に綺麗な自動ドアを通るとその瞬間にすぅーっと汗は引いていく。恐らくは最強級の設定と思しき空調は訪れる者に快適な一時を提供し、その有難みはまさに砂漠のオアシスだと初めてここを訪れた時に私は口にした。“砂漠のオアシス”と表現したのはここが単に涼しいからというだけではなく、周囲がコンビニすらろくにない田舎であることにも由来する。
 大仰なエスカレーターに乗って三階まで上がると、いつものフードコートで何も注文せずに腰を下ろした。鞄から取り出したノートパソコンを起動すれば、朝から晩までそのままの姿勢で居続けることだってもう慣れっ子だった。ここが、この場所だけが、私のオアシスなのだ。
 少し歩いただけで息の上がる体を落ち着かせていると、いくつか並ぶ店舗の中の、たこ焼き屋の店員とノートパソコン越しに目が合った。テーブルにはノートパソコンが置いてあるだけで食事も飲み物も摂らずに居座る気満々の私のことを、しかしその店員は意にも介さず視線を外した。――こーゆーところが、好きさ。職人芸と称賛すべき見事な手つきでたこ焼きを生産し続ける彼のことを、景色以上の感情は持つことなく眺めていた。
 当然のことながら、このフードコートは外国人の利用客も多く、韓国や中国などのアジアに留まらず本当に様々な人種が皆それぞれの時間を過ごしている。物珍しそうな目でたこ焼きを頬張る白人、肩を組んで歩くカップル、長旅に疲れ果てた幼子を抱えるお父さん。
 外国人は、だって日本人じゃないから、好き。
 彼らは色々なところから来ているのだ。仕事だったり旅行だったり。日本に来た目的も国籍ももちろんバラバラだが、少なくとも、誰一人私を知らない。そんな場所に身を置けるということが、今の私にはたまらない幸福だった。
 ふうっ、と一つ息を吐いて眼鏡を外す。窓の外に目をやると、また一機飛び立つところだった。


 1. 空、勤、夏。


 暫く続いたタイピングの手を止め、私は体を後ろに倒した。ううっ、と両手を前に出し思い切り体を伸ばす。気持ちが良い。体を戻す反動と共に大きく息を吐くと、ゲームセンターで獲たガムをポケットから一枚取り出した。隣の客が美味しそうに啜る醤油ラーメンを横目に見ながら、空腹を紛らわす為に口へと運んだ。くちゃくちゃと、少しわざとらしく音を立てながらひもじく噛み締める。頼みの綱だったが、でもやっぱりキシリトールじゃ満腹中枢は刺激されない。
 節約、節約。
 私は小声で自分を律した。
 有名女子大を卒業してから三年。本当に色々なものをこじらせて、私はここに行き着いた。親にはまだ話していない。母は、今日も私は働いているのだと信じてくれている。銀行勤めが一年半、バイトが半年。計算は合わないかもしれないが計三年。そうしてなんとかかんとか残ったお金が三十万。このお金が無くなれば私は路頭に迷ってしまうのだ。
 まるで今は迷ってないみたいに言うな、と自分自身につっこんだ。
(家にお金も入れなきゃならんし。無駄遣いはできんべ。――、それにしても)
 三か月前にここを“勤務地”とするまでは小学生の頃に一度利用しただけだったが、十年振りの空港には本当に驚かされた。レストランや土産屋はもちろん、ゲームセンターや本屋まで用意されている。極めつけには温泉や映画館まであり、その上飛行機にも乗れるんだから、何一つ不自由無いとはこのことだ。

       

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