Neetel Inside ニートノベル
表紙

210 ~シェアワールドアンソロジー~
8.「うつくしき都市」/鶏徳きりん

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 ――また、俺の一日が終わった。
 朝日に目を細めながら、最後の一口まで味わうようにタバコの煙をゆっくりと深く吸い込んだ。
「おう、将やん。今日の売り上げどうだった?」
「ボチボチっす。ノルマギリっすね」
 マルボロの吸い殻を足でコンクリートに押し付けて、“将やん”こと将太は年配の男に並んで歩きだした。
 将太の一日は、朝日の出とともに終わりを迎える。
 タクシードライバーである将太は一晩中クルマを走らせて、面倒な客にも神経を遣いながら、眠気とも戦いながら、心も体もボロボロになった朝方にやっと会社へと戻ってくる。が、一日が終わったとは言ってもただ会社まで帰ってきたというだけで、これで車を会社に戻してそれで帰れる訳でもない。売り上げのチェックや洗車などの仕上げが最後に待ち受けている。

 ……おねがいしますぅ。……おねがいしますぅ。

 会社のクルマを停める広大な車庫の通路で、一人の老人が消え入りそうな声で通り過ぎる人々に声を掛けている。今すぐ死んでも何ら驚きはないというくらいの老けた外見をしているが、一応、会社の制服を身に纏ってはいる。
「ゲッ。あのジジイ、今日まだ帰ってねえじゃん」
 男は顔をしかめて言った。将太との間に妙な緊張感が流れる。
「将太ァ。オメェ、俺が今年いくつになるか知ってる?」
 将太はしばらく黙った後に仕方なく答えた。
「五十五でしたっけ?」
「お前は?」
「……三十八ですけど」
「よし。今日はお前が貧乏クジだ」
 将太はもう、腹の底のさらに奥からとんでもなく低い声の呻りを上げた。
 ――このタクシー会社には、“妖怪おねだりジジイ”という通り名の社員が一名いる。運転能力はまあ、まだなんとか保たれてはいるようだが、とにかく体の至る所にガタがきていて勤務後の洗車など到底こなせる体ではない。だったらさっさと退職しろと会社の誰もが思っているが、おねだりジジイは洗車の作業を他人に任せることでなんとかタクシードライバーとしての選手生命を繋ぎとめている。その対価としての小遣いを寄越すわけでもなく、本当にただの無駄働きでしかない。他の社員としては迷惑極まりない話ではあるが、ドライバー間に走る同情心からか、嫌々ながらいつも誰かしらが二人分の洗車を請け負っている。
「いくら体が弱えからって……、クソ迷惑な奴っすよね」
「まあ、仕方ねえよ。あのジジイ今年で八十五だぞ」
 将太は思わず大きな声を張り上げた。
「八十五?! えっ、クソジジイじゃないすか!!」
「だから、そうだって」
「定年から何年経ってんすか!」
 馬鹿、と将太は頭を軽く叩かれた。
「定年が六十歳なんて何年前の話だよ。今の新都市に定年なんかあるわけねえだろ」
 将太は叩かれた頭を軽くさすっていた。
「まあ、そういう訳だ。人間、持ちつ持たれつってな」
 そう言って、男はさっさと自分のクルマへと歩いていった。残された不満顔の将太が、仕方なくおねだりジジイの元へと歩み寄る。洗車を請け負う旨を伝えると、疲れ果てた体に鞭を打ちながら、将太はホースを手に取った。
「クソッ。死ねよクソジジイ」
 将太の一日が終わる。
 すれ違いに、新都市の三月二十日が始まった。



「そういう経緯で、今の日本の憲法の礎が出来たんですな」
 法事で読まれるお経よりもつまらない授業を背景で流しながら、拓海は窓の外を眺めていた。耳にはなんとなく聞こえてくるが、授業の内容など頭に入ってきてはいない。教室廊下側の最後列。後ろには誰もいないその席で授業が終わるのをひたすら待っていると、後ろから肩をトントンと叩かれた。
 振り返ると、教室の外で和馬がしゃがんでいた。
「和馬!」
 拓海が小声で反応すると、和馬はシーッ、と口に人差し指を当てながら左手で手招きをした。その目は悪戯っぽくきらきらと輝いていて、その輝きはすぐに拓海にも伝染した。拓海は担任の目をちらりと盗むと授業中にも関わらず躊躇なく教室を抜け出した。
「何やってんだよテメー。授業中だぞ」
 拓海はニコニコと抑え切れない笑みを浮かべながら和馬の肩をどついた。
「冒険しようぜ。辻井の授業真面目に聞くほど俺たちゃヒマじゃねーべ」
 そうだなと言って拓海は笑った。
「この時間空いてるから、体育館の更衣室行こう。聡一はもう先に行って待ってる」
 和馬がそう言うと、二人は揃って駆け出した。
 陸上部で鍛え抜いた両脚が、背徳感に乗っていつもよりも元気に奔る。人のいない廊下、律儀に授業を受けているクラスメイト、誰かに見つかったら怒られるという緊張感。そのどれもが十五歳の拓海には刺激的で、胸を躍らせた。
「それが、法律と条例の違いなわけだなぁ。分かりましたか?」
 その頃、辻井は決して返っては来ない問いを教室に投げかけていた。
「そして……ご存知の通り、今年からこの新都市には普通の都市とは違った条例がいくつか作られました。その一つが……あー、たとえば、傾斜刑罰です」
 ――これは、あくまでもごくごく一般的な見識ではあるが、言うなれば、新都市は“終わって”いた。
 人口約二十万人。その内、約五十四パーセントが六十五歳以上の高齢者という“完全少子高齢化都市”。これまでにも幾度となく都市回復へ向けての政策が打たれてきはしたが、目立った改善は見られず。昨年、遂に六十五歳以上の市民の人口が五十パーセントを越えたと発表された。ちなみに、“国内全体”では六十五歳以上の人口が二十一パーセントを越えると超高齢社会と称される。たったの、二十一パーセントである。
 なぜ、老人は頑なにこの都市から出ていかないのだろう。なぜ、国を挙げての政策がどれも役に立たないのだろう。
 とある専門家は、地上波でのワイドショーにも関わらず新都市のことを堂々と“呪われた都市”と称した。
「なあ、お前ら。通り魔のこと知ってる?」
 三人で潜んだ更衣室で、聡一が拓海と和馬に向けて話を始めた。
「知ってる。渋谷の通り魔が新都市に潜んでるって噂」
 初めてこの話を聞いた拓海が一人で驚いている。
 なら話は早い、と言って聡一は真剣な顔をして言葉を続けた。
「お前らのことを親友と見込んで話す。“ジジイ狩り”しようぜ。俺達で」
 えっ? 二人の素っ頓狂な声が更衣室の中に響いた。
「お前ら、知ってるだろ? 新都市がいまどんな状況か」
「そりゃあ、知ってるけど。……何言ってるんだよ、お前?」
 何バカ言ってんだよ。和馬はそう言って笑い飛ばしたかった。が、聡一が真剣であることは何よりもその目が物語っていた。和馬の言葉をその目が封殺する。
「国の力を借りてもダメだった。この都市は、マジで呪われてるんだよ。いや、呪いでも呪いじゃなくても、今こういう事態になってるってのが現実だろ? 誓っておくが、金目当てじゃない。老人どもを一人でも多くブッ殺して、力ずくで知らしめるんだ。“この都市にいちゃダメだ”って」
 聡一は興奮気味に一気に喋りきった。その間、二人はただただ呆然と話に聞き入っていた。
「で、でも……そんなの、絶対ムリだろ。ていうか、すぐ捕まるよ」
 拓海がなだめるように反論する。
「……かもな。でも、傾斜刑罰のこと知ってるだろ? 今の新都市じゃ老人ブッ殺してもそこまで重罪にならねーはずだ。俺達未成年だし、今なら通り魔の犯行に見せかけられるかもしれない」
 傾斜刑罰――。今年から施工された新条例である。その条文には『肉体的もしくは精神的な被害を与えた場合、加害者の刑罰の程を決定する際には被害者の年齢を多分に考慮する。特に、被害者が六十五歳以上の住民である場合は情状酌量の余地を与える』とある。
「じっくり考えてからでいい。どっちみち、俺はお前らの協力が得られないなら行動を起こすつもりはないから。無理強いもできない。だけど……、頼む。力を貸してくれ」
 拓海と和馬の二人は期待していた。いつもの、他愛ない冗談とかドッキリとか、そういった類のものであることを。だが結局、最後まで聡一の口から「嘘だよ」と発せられることはなかった。

 その夜、拓海が家に帰ると居間にはもう酒の匂いが充満していた。
「くさっ。ただいま。くさっ」
「オゥ、帰ったか」
 将太はテレビの前で日本酒を呑みながら巨人阪神戦の中継を見ていた。
 拓海は父の愚痴を聞かされた。少子高齢化のせいで新都市には定年って概念がないから、死にかけのジジイでも入社してくると。そいつの洗車をやらされるのが腹立たしいと。
「父さんは、老人がいなくなった方がいいと思う?」
 そう問われると、将太は少し間を置いてから答えた。
「そりゃあ、今の新都市のことを考えれば、その方が良いというしかねえな。アイツらは迷惑でしかないからな」
「……引っ越したらいいのに」
「バカ野郎! 俺ぁ、母ちゃんとの思い出の詰まったこの都市を出るつもりはねえぞ!」
 ――まったく。バカはあなたじゃない。
 そう言いたげに、奥の仏壇の遺影が微笑んでいる。
「あんまし飲み過ぎないでよ」
 呆れた顔でそう言って、拓海は居間を出た。自分の部屋へと向かう途中、一つの部屋の前で拓海は足を止めた。物憂げな顔をして、部屋の扉をじっと見つめる。
 拓海が何を考えているのか、その表情から全てを読み取ることはできない。が……たとえば、部屋の中にいる寝たきりの祖父について、父の将太の苦労を想ったのだとしても、この後寝るまでに幾度も苦労をかけさせられることを考えたのだとしても、その表情の説明はつくだろう。



 三月三十一日。
「えっ?」
 将太もまた素っ頓狂な声を上げて、拓海とそっくりに呆然とした。
「死んだ? おねだりジジイが?」
 将太は先輩ドライバーの言葉を復唱した。
「ああ。通り魔に逢ったんだってよ。金属バットで頭がい骨一撃。恐いよなあ」
 そう言いながらも、先輩ドライバーは別に大したことでもないと言った様子であった。むしろ少し喜んでいるような表情すら時折挟みつつ、世間話のように色々なことを話した。
 将太もまた、おねだりジジイの死を心から悲しむようなことは決してなかったが、さすがに同じ会社の人間が死んだ、それも通り魔に殺されたということで、少なからず動揺していた。息子の拓海が一昨日から妙に元気が無いことなど、頭から抜け落ちてしまうくらいには。

 ――昔、金属バットでバスケットボールを打ってみたことがある。
 重かった。鈍かった。全然飛ばなかった。
 その何百倍も嫌な感触が手に残っていた。
 拓海、和馬、聡一の三人は公園のベンチに腰を下ろした。
「バットケース、血ついてねえ?」
「大丈夫、確認した。中のバットも一応濡れ雑巾で拭いてはあるし」
「……、慣れたもんだな」
 聡一が脂汗を袖で拭いながら呟いた。和馬と拓海が顔を見合わせて笑う。
「意外と、簡単だな」
 和馬が噛み締めるように言った。
「さすがに夜はうなされてるけどな」
「拓海お前、まだマシだよ。俺なんて夢に死んだ婆ちゃんが出てきて言うんだよ。“どうしてばあちゃんのことも殺してくれなかったの?”って。ばあちゃん、糖尿病で相当苦しんだからさ」
「お前……。それはさすがにブラックすぎだから」
 聡一がそう言うと、一拍間を置いてからどっと笑いが湧いた。
「さ、帰るぞ」
「ああ。もうこんな時間か」
 和馬はバットケースを肩に掛けて立ち上がった。
 三人は、世間話をしながらまるで学校帰りのように歩いていた。全てが順調に行きすぎていて、危機感が欠如していたと言える。完全犯罪の難しさなど、完全犯罪できなかった全ての人々が痛いほど思い知っているというのに。
 後ろから呼び止められる声がして、三人は身を固めた。
「あ、あのっ……。もしも違ったら申し訳ないんですけど、さっき、橋のところにいましたよね……?」
 三人は、振り返ることができなかった。
 中学生くらいだろうか、女性の声。
「まさか……、見られた?」
 二人にだけ聞こえるくらいの小声で聡一が言う。
「マジか? めっちゃ確認したのに……」
 あの、と後ろで少女の呼ぶ声がする。
「オイ、それよりどうやって誤魔化すんだよ! 絶対感付かれてるぞ」
 あの。
「中学生を殺るのはマズイ。ただの犯罪者だぞ」
 あのっ……!!

「が、がんばってください……!!」

 三つ並んだままの背中に向かって、少女はそう叫んだ。
「き、期待してます。頑張ってください」
 三人は、どう反応すれば良いのか分かりかねていた。そんな三人の気持ちを察してか、言いたいことを言うと少女はさっさと三人の逆方向へと駆けていった。
 緊張の糸の切れた和馬がブロック塀の壁に思い切り背中をぶつけるように後ずさった。
「ぱ、パネぇっ……!!!」
「……な? みんな味方なんだよ」
 自分を納得させるように聡一もそう言ってはいたが、今はさすがに焦ったようである。体中から先ほど拭ったばかりの脂汗が噴き出している。
 ……どうして、こんな都市になっちゃったんだろう。
 拓海は目を瞑ってその場にしゃがみ込んだ。
 どこを歩いても老人だらけ。老人ホームはどれだけ建てまくっても追いつかず、介護職で心身をやられる若者も後を絶たない。拓海の家庭も、祖父の面倒で家計を圧迫され続けている。
 やがて、聡一が空を見上げて声を上げた。
「流星群」
 おおっ、と場が盛り上がる。
「そう言えば、今日見えるとか言ってたな」
「すっかり忘れてた」
 その美しさ、迫力を形容する言葉を三人は持たなかった。
 すげェ。すげェ。マジすげェ、と馬鹿丸出しで言葉を連ねる。
 無限に思えるその流星を見ながら、拓海は思った。
 この星が全部、新都市の老人に当たればいいのに。
 一つ一つが老人を打ち抜いて、この都市を綺麗にしてくれればいいのに。
 おほしさま、おねがいです。
 そんなことを考えながら、拓海は流星群を見続けた。
「綺麗だな」
 ああ。
 ……なんか、心が洗われる。
 わかる。
 あしたから、またがんばろうぜ。
 ああ。

       

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