Neetel Inside ニートノベル
表紙

210 ~シェアワールドアンソロジー~
10.「約束」

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 私の両親は古風な人達だった。
 父も母も昔ながらの考えを持っていて「女は愛嬌、男は度胸。」と言い聞かされたものだった。

 でも、愛嬌がよくても火星人にそっくりと言われる女の気持ちを考えての物言いだったのだろうかとふと思い返す。
 私は可愛くなれなかった。
 化粧も覚えたし、服も考えた。
 でも、身長は伸び続けたし、いくら食べても太って欲しくないところばかりに肉がついた。

 終いには高校の時好きだった男の子には「火星人の女とは付き合えない。」と言われ失恋した。
 未だに私はバージンを捨てれてはいないし、私を口説こうとしてくれる人もまだ現れてもいない。

 私も自暴自棄になった。
 本当に、私にも春が来ることがあるのだろうかと。
 高校を出て、コンビニのバイトや、キッチンの厨房などの仕事を転々したところであるスナックに転職した。
 念願の正社員で、精一杯頑張ろうと思った。

 まさか私の容姿で受かるとは思っていなかった為に物凄く驚いた。
 でも、店長が面接の時一つ褒めてくれた。

 「アヤカちゃん? 確かにあなたは世界一の美人じゃないかもしれないけれど、その愛嬌は素敵ね。」

 そう産まれて初めて肉親以外の女性に褒められた。
 嬉しかった。
 素直にそれは嬉しくて、本当にその言葉が聞けただけで私は面接に落ちても構わないと思ってしまう程だった。

 スナック『エイリアン』
 それがそんな私の職場、人手不足でバイト募集中です。
 助けてください、休みがありません。

 つい、愚痴がでてしまった。
 でも、仕事は毎日楽しかった。
 元々色んな人と関わるのは好きだったし、何だかんだ言って遊びに来てくれるお客さんも多かった。
 それにこの街は色んな人がいる。

 タクシーの運転手の将やんに、ネズミそっくりの根津君。
 居酒屋で一杯飲んでから何だかんだ言って寄ってくれる坂東さんというオジさん。
 って、オジさんばかりじゃないの……
 一度学生らしい若い男の人が来たこともあったけれど、その人は女の人を連れていた。
 正確には連れられていた。
 名前も思い出せないけれど弱弱しい声で「小雪さん、そろそろ勘弁して下さい...」とぼやいていた。
 尻に敷かれるタイプというのはああいう人のことのことを言うんだろうと思ったのが印象的だった。


 ただ、その日のことはよく覚えている。

 「小雪ちゃん今日も飲んでるねぇ。」
 そうユウカさんが言った。
 「飲んでるよぉ。不労収入最高だよぉ。」
 えへへとカウンターにうずくまりながらそう答えた。

 きっとあの人の様に綺麗な人なら、ああやって若い男の人と飲み歩くなんてことも他愛もないのだろう。
 そう私はふと思った。

 ぬふふ、と猫を連想させるような笑みを浮かべてジンジャーハイを二つ頼んだ。

 残り一本のジンジャーエールを冷蔵庫から取り出して、注文通りの品を用意した。
 商品をアヤカに渡して私は裏に足りなくなりそうなドリンクを取りに店の外に出た。

 それは単なる偶然の重なり合いだった。
 たまたま裏口の段差に野良猫がいて、それを飛び越して丁度裏口に出ようとしたところで足が滑った。

 うわっと年頃の女性らしからぬ声を一瞬だして、尻もちを付きそうになった時に手が伸びた。
 若い男の人だった。
 初めて握ったその手は随分とざらざらしていて、力強かった。
 どくん、と心臓が跳ね上がった。

 「大丈夫ですか?」
 そう言った彼はもう私の手を握ってはいなかった。
 すっと現実に戻された。
 「だ……大丈夫です。ありがとうございます。」
 私は動揺していた。
 こんな所で見知らぬ男性に助けられたことも産まれて初めてで、何より同性以外の誰かに手を握られたことにも動揺していた。
 「と、ところでこんなところでで何を……?」
 それもそうだった。
 ここはスナック『エイリアン』の裏口で滅多に人も通らないような場所ということは重々分かっていた。

 「あっ、いや、あの別に怪しい者ではなくて、その……家の猫が逃げてしまって。」

 彼は背が私よりも高くて逸らしたその横顔から高い鼻の輪郭が見えた。
 男らしくて素敵な人だな、そう柄にも無いことを思ってしまった。

 「そ、そうなんですか。あの、お名前は……?」
 突然過ぎて、私は何を聞くべきなのか分からなくなっていた。
 「た、多喜山です。多喜山勤。」
 頬を指で擦りながら彼は言った。
 「ず、随分と、立派なお名前の猫ちゃんですね…」
 真面目な人なのかな、と一瞬思ってしまった。
 「ああ、いえ、サシャです! 猫の名前…」
 ひょいと上がった声のトーンに呆気にとられてしまった。

 くすりと、小さな微笑みがこぼれた。
 すうっとゆっくり身体が温かくなった気がした。

 「えっと、すみません。ここにはいない様ですので、失礼しますね。」

 彼がそう言った瞬間、ずいっと身体が冷たくなった気がした。

 「あのっ……見付かるといいですね。猫ちゃん……」
 歩みを始めながら私の目を見据えて言った彼の有難うは今まで聞いた中で一番だった。

 彼の遠ざかろうとする背中を私は止めたかった。
 「……あのっ!」
 そう呼び止めた私は。
 どうしたかったのか。
 振り返った彼は反応に困っていた。
 当たり前だ。
 「今月末、流星群…お客さん少ないだろうし、よかったら遊びに来てください。お客さんも少ないだろうし……サービスします…」

 何だかとても気恥ずかしかった。
 暗くてよく見えないとは言っても真っ赤に染まっているであろうその頬を彼に見せたくなかった。

 はい、そう小さいながらも問いに対する答えを得たような気がした。

 彼はのそりとフェンスを乗り越えて明るい街に消えていった。

 サシャちゃん、見つかるといいですね。

 「アヤカ??」
 のそりと開け放しの裏口からユウカさんが顔を覗かせた。

 「ユッ…ユウカさん!」
 予想以上に驚いた。
 「どうしたの? あの酒豪がさっさと二杯目よこせってさ。」
 すみません、そう言って私はジンジャーエールの束をひょいと持ち上げた。
 いつもは軽く感じるそれが少し重くなった気がした。

 淡い期待を胸にそれからの日を過ごした。

 二日前とまでなると、なんだか化粧もしっかりしなくちゃいけない気がして、何となく服も綺麗なモノを選んだ。
 ただ、その日彼は現れなかった。
 その代わりに常連の将やんと根津君がしこたま飲んで、帰り際にユウカさんと一緒にタクシーに詰め込んだ。

 そして当日、31日はユウカさんが言っていたようにいつもよりもお客さんは少なかった。

 そう、今日は流星群がやって来る日。

 皆それの観賞に精一杯でこんな片田舎のスナックに来ようなんて物好きもなかなかいない。
 この前来ていた雪ノ下さんとかいう人もどこかであの彼と飲んでいるに違いない。

 はぁ、と一つ溜息がこぼれた。

 「なんか雰囲気あるね、今日。」
 そう、空っぽの店内でユウカさんが私に言った。
 そう言ったユウカさんの顔は優しく笑っていた。

 「本当ですか?」
 そう言った私もきっと、笑みを口に浮べていたような気がした。

 カランと、扉が開いた音が耳に入った。
 私の目はそこにいた誰よりも早くその来客に反応した。

 「よっ。」
 そう坂東さんは手を挙げて歯を見せながらカウンターに向かってきた。

 「なぁんだ、坂さんか。」
 そうユウカさんが茶化した。
 「こんな男前がせっかく飲みに来たのにそれはねえだろが。」

 本当はユウカさんの台詞、私が言うつもりだった。

 でもそんな勇気は私には持ち合わせてなくて、いらっしゃいと小さな声で答えることしか私には出来なかった。
 「ちょっと、アヤカも言ってやって。こんな男前はなかなかいないって。」
 笑ってしまった。
 緊張してガチガチになっていた私の心臓が一気に元に戻った。
 「いや、そんなこと言うくらいならさっさと嫁さん見つけて下さいよ。」
 いつも通りの反応と笑顔を返した。
 ユウカさんが褒めてくれた愛嬌をたっぷり一言に詰め込んで言った。
 「ひでえなあ、この店は。いつものでお願い。」
 そう彼はえへへと笑いながら私に言った。

 カランと、軽くて高い音を立てて氷がグラスに落ちた。
 きゅっとウイスキーのボトルの蓋を開けてスキットルにいつもよりも少しだけ大目にウイスキーを注いだ。

 「男前の坂さんにちょっとだけサービスです。」
 軽い笑みを浮かべながら一気にグラスにウイスキーを入れた。
 マドラーでクルクルと混ぜながらつまみと一緒に彼に手渡した。

 「そんならいっその事、今日の分は全部タダにしてくれよ。」
 へへっと、雪ノ下さんの様な笑いかたをした。
 「馬鹿いってんじゃないよ。」
 ユウカさんが突っ込んだ。
 私はこの職場が好きだった。
 そこに嘘は無かった。
 不満もあるといえばあったけれどこんな冗談が通じるお店もなかなか無い気がするし、お客さんとお店のスタッフのお互いの距離が近いこともこの店で気に入っていることの一つだった。
 坂さんの目線が段々カウンター上に設置してあるTVに向いた。
 わいわいと賑やかな音を出していたバラエティーから一新、急なニュースに変わった。

 「臨時ニュースです! 渋谷で起きた連続通り魔事件の犯人がたった今自首したというニュースが入りました!」

 あらま。
 私もユウカさんも突然のレポーターの発言に呆気にとられてしまった。
 でも坂東さんはそんな私たちを横目に軽く笑って、くいっと酒を一口煽った。

 「良かったですね。いいニュースで。」
 ユウカさんが話題を振った。
 「ああ、全くだ。人間だってそう捨てたもんじゃねえよ。」

 そう言った坂東さんはいつもより少しだけ男前に見えた気がした。
 きっと、暗い店内の照明のせいだろうな。

 「なんか機嫌良いですね、坂さん。」
 私はそう話に混ざってみた。

 「そらぁ、何かしらの間違いを犯したやつが反省して一丁前の真人間になろうってんだ。応援してやらなくてどおするよ。」
 坂さんが肘をついて私の目を覗き込む。
 「なんか、随分と肩を持つじゃない。本当はあんたが犯人じゃあないの?」
 ユウカさんがまた茶々を入れた。

 坂東さんはまた一つ大きな笑い声を上げて残りの酒を一気に流し込んだ。
 「アヤカ、おかわり、お願い。」
 そう私に目くばせをしてグラスを上げた。

 軽く会釈をして新しいグラスを出した。

 「俺にだって色々あったのさ。」
 ふと坂さんが言葉をこぼした。

 「男の人ってよく分からないですね。」
 またグラスの氷が高くて綺麗な音を立てた。
 「俺に言わせりゃあ、女も十分わからんよ。」
 パチパチとお酒が氷に浸透していった。
 「そんなものなんでしょうか……?」
 マドラーをゆっくり回すとグラスの温度が段々と下がっていくのが見えた。
 綺麗だな、そう脈略も無く思った。
 グラスからはウイスキー独特のすうっとした匂いが鼻を通って伝わってきた。

 「何だい、あんた男で悩んでんのかい。」
 パチッと音を立ててユウカさんが細いメンソールの煙草に火をつけた。
 なんだか、ユウカさんも何だかんだ言って堂々としていて格好良いなと思った。

 それに対して私なんか……
 「約束はしたのかい?」

 そう坂東さんが口を開いた。
 「えっ、ええ。口約束程度ですけど……やっぱりそんなの覚えてるはずないですもんね。」

 そうかい、と坂東さんは新しいグラスをもう一度傾けて遠い目をした。
 「いいかい、男ってのは馬鹿で単純な生き物よ。」
 今度はしっかりと私の目を見据えて言った。
 「やっぱり、相手がどんな見てくれだろうが意地を張りたがるもんよ。」
 何か強い意志を感じた。
 「約束を違える奴は格好悪いよ。例えそれが口約束程度のもんでもな。」

 この時私は何となくだけれども何で坂東さんがいつもより格好良く見えたのか分かった気がした。
 きっと、この人もまた別の約束をしたんだろう。
 きっと全く別の誰かと、私には分からないようなやり方で。
 そしてこの人は絶対にそれを忘れることはしないんだろうって。

 「アヤカちゃんはまだ若くて愛嬌だってある。大丈夫だって。」
 そう歯を見せて言った坂東さんは何から何まで優しく見えた。

 「褒めても何も出ませんよ。」
 素直に嬉しかった。
 その言葉も、ユウカさんの無言の同意も何もかも。

 本当に、この職場に勤められてよかったと思った。



 結局その日、朝の5時まで坂東さんは調子に乗って飲みに飲んで、最終的には将やんにしたようにタクシーに無理矢理詰め込む羽目になった。
 その頃には格好良かった姿はなりを潜めてただの気のいい煩いオジさんの姿に戻っていた。
 「アヤカちゃんにそこまで言わせる男に会うまでは帰れねえぞおお。」
 そうシャックリまじりに拙い言葉をひねり出しながら帰るその姿は少し可愛いと思ってしまった。

 そして彼は現れなかった。

 坂東さん以外には二人組の若い男の人達が目を腫らしながら「馬鹿野郎」と涙まじりの愚痴を言いに来ただけだった。
 彼らは初めて見る人達だったけれど、この街には色んな人が住んでいることを改めて実感した。

 ぶつりと店の看板のコンセントを抜く。
 外はまだ暗くて、日はまだ昇っていない。

 結局流星群はあの二人組の愚痴のせいで見れなかったなぁと悴む手を摩りながら思った。

 でも、別に良かったと思った。
 色んな人が私のことを理解してくれているということが分かっただけで。

 それに私は彼にお礼を言いたかっただけだったんだろうと、そう思った。
 倒れるところを助けてくれてありがとうと、そんな小さなお礼を言いそびれた私の勝手な我儘。
 別に彼に私をどうこうして欲しいなんて思ってもいなかった。

 ガラガラと音を立てながら電光板を店に入れようとすると足音が響いた。

 きっと、始発に間に合おうと必死な会社員か何かだろうと思った。

 でもその足音は私の前で止まって、ぜえぜえとシミだらけの服を汗で濡らして手を膝についていた。

 走ったことからくる疲労からか、ぼそぼそと放つ彼の言葉はよく聞きとれなかった。

 「あの……すみません、遅くなって……バイトが……」

 意外にも彼は身長が高かった。
 気まずそうに前髪を手で掻き揚げた彼の表情はよく分からなかった。

 でも、約束をちゃんと覚えてくれてた彼の気持ちは嬉しかった。

 坂東さんや、ユウカさんが言ってくれた言葉を胸に私はゆっくりと冷たい空気を肺に入れた。
 どくんと飛び跳ねた私の鼓動が少し落ち着いたような気がした。

 「いらっしゃい。」
 そう言った私は今までしたことが無い笑みを浮かべていた、そんな気がした。

       

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Neetsha