Neetel Inside ニートノベル
表紙

210 ~シェアワールドアンソロジー~
12.「君を迎える七つ目の」

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 三月三十一日午後四時五十分の電車で、蛍は新都市に降り立った。
「曇りかぁ。大丈夫かな」
 ホームから細い空を確認し、思わず呟く。
 今日は観測史上最大規模のしぶんぎ座流星群の日で、国内でベストな観測地はここ、新都市。そのために蛍はわざわざ特急を乗り継いでここまでやってきたのだった。
 実は新都市には、十年ほど前に一度来たことがある。しかし、記憶にある新都駅とはかなり異なってしまっていた。昔は確か木造の小さな駅だったのに、いまの新都駅はピンク色の馬鹿でかい建物。駅の中に入っている服屋や雑貨屋はお世辞にも繁盛しているとは言えないようだが、このようなものが建つということは、街が大きくなった証拠だろう。
 流星群の集客力はそれなりにあるようで、蛍と同じ電車にも、流星群目当ての観光客が大勢いた。彼らは改札の外にある案内図で数秒足を止めてから、それぞれの方向へ歩き出す。皆それぞれの場所で、それぞれ大切な人と流星群を見るのだろう。
「まぁ私は一人で見ますけどね」と小さく呟いて、しまったと思う。
 一人暮らしが長いと独り言が増えるというのは本当だった。昔は独り言なんて全く言わなかったのに、二十九歳、一人暮らし七年目。ご覧の通り、見事なものである。
 幸い誰にも聞こえていなかったようなので、安心して出口へ向かった。

 最初に取ろうとした駅前のホテルは満室だった。仕方がないので、少し海側のホテルを予約した。階段を降りながら、綺麗ですがコンビニまで少し遠いのが難点です、というクチコミを思い出す。飲み物を買っておこうと改札横のコンビニに引き返しかけたが、階段の下に自販機を見つけたのでそのまま降りきった。
 自販機はあまり見ないメーカーのものだった。小銭を入れてしばらく待ったが、反応がない。取り出し口を覗こうとしたとき、
「その自販機壊れてるよ」
 急に飛んで来た声に、思わず固まる。振り返ると、そこには大学生くらいのすらりとした青年が立っていた。
 少し幼さは残るが、整った顔。姿勢がよいせいか、凛々しく見える。
「あ、そうですか……」
 おざなりな返答のあとも、青年は蛍から視線をそらさなかった。全身を眺められているような気がして、気まずさが漂う。そそくさと立ち去ろうとしたとき、青年が口を開いた。
「あんた、咲澤蛍だろ」
 どこかで演説している声が、二人の間に小さく響いた。
「なんで私の名前……」
「九年前、この街にいた。大学三年生の夏休みに。」
 その通りだった。
 当時親戚が新都市に住んでいて、私は夏休みの十日間ほどをここで過ごしたのだ。しかし、その時の記憶はほとんどなくなっている。
「だれ……?」
 青年はいたずらっぽく微笑んだ。
「誰でしょう?」
 彼は大きく一歩を踏み出し、蛍との距離を詰める。思わず身体を引くと、ヒールが自販機にぶつかった。
「思い出した?」
 黙って首を振る。青年の顔が少し曇ったような気がしたが、その陰はすぐに消え去った。
「ノーヒントはやっぱきついか。じゃあ一つだけ教えてやる。俺、いま高校二年生。十七歳。」
「じゅっ、十七!?」
 年下であることは間違いないと思ったが、そんなに年下だとは思わなかった。少なくとも大学生以上に見える。しかしそう言われて見れば、若く感じてくるから不思議だ。一回りも違うのか。
「蛍は二十九だろ?」
 蛍の気も知らず、少年は現実を突きつけてくる。
 そう。九年前、私は二十歳だった。遠い遠い昔のことだ。
(ん? ということはこの子は……)
 先程聞いた年齢から引き算して、言葉を失う。どんびきというのがぴったりな気持ちだ。
 と同時に、何かが引っかかる。子供……男の子……。
「さて、じゃあまずホテルにチェックインかな?」
 少年は床に置いていた蛍の荷物を掬い取り、大股でロータリーの方へと向かう。
「ち、ちょっと……!」
 小走りで追いつくと彼は足を止めて振り返り、微笑みながら宣言した。
「あんたには絶対、俺の名前を思い出してもらう。今日、流星群が終わるまでに。」
 そして、駄目押しのようにもう一言付け足したのだった。
「思い出すまで着いて行くから」


 困ったことになったと思った。
 確かに昔来た時、小学生と話した記憶はある。しかしそれは、目の前のこの少年をどう扱えばよいかという答えには繋がらない。何を話したのか、どこの誰だったのかも覚えていない。
 名前を思い出せば帰ってくれるのだと思いたいが、思い出せる気配は全くない。ひっかかりもしない。
 どうしようかと思っていると、演説のような声が聞こえてきた。目をあげると、少し先で演説をぶっている人が見える。選挙前でもないのに何なんだろうか。かなり若く、二十代に見えるが、自信のなさそうな声だ。
 彼は白い手袋を脱いで、通行人に握手を求めている。当然のことながら、応じている者はいなかった。位置的に蛍も握手を求められる運命にあったが、直前で少年がさりげなく蛍と演説者の間に入りこんだ。
 少しどきりとして、思わず少年を見上げてしまう。彼は何もなかったように歩き続けていた。背中に熱を感じる。十七歳。
 

 駅前を少し行くと広場があった。そこに差しかかった時、覚えのある音楽がかすかに聞こえた。いや、覚えがあるどころではない。その旋律は、蛍の青春時代とリンクしたものだった。
「え、うそ、まさか……」
思わず駆け寄り、その姿を確認する。コピーバンドじゃない、これは本物の、
「『ジゼット』!!」
 ジゼットは、90年代に流行ったビジュアル系のスリーピースバンドだ。当時中学生だった蛍は勉強しながらよく聞いていたし、大学生ぐらいになってもよくカラオケで歌っていた。さすがに三人とも老けたなぁと思ったが、メイクのせいでそんなにはっきりとはわからず、夢を壊していなくてよい。
 彼らがなぜこんなところでゲリラライブを行っているのかは分からないが、なんだかすごく得をした気分だ。
 蛍が来た時はまばらだったが、この曲が一番のヒットチューンだったこともあって、いつの間にかたくさんの人が集まってきていた。
「何を~求めるのでしょう~♪」
 曲の最後に口ずさみながら横を見て初めて、少年がものすごく不機嫌になっていることに気付いた。
「あ、ごめ……知らないよね、やっぱ……」
「あとでダウンロードして全部聴く」
「えっ」
「蛍の好きなものは全部知りたい」
「いや、ジゼットはそこまで好きなわけでもないんだけど……」
 少年は無言だった。どうしようかと思ったが、試しに言ってみる。
「ジゼットの時代なら、私はリボルグマンやHolly divesの方が好き」
 彼は返事をしないままだったが、蛍の挙げたアーティスト名をスマホに打ち込んでいた。
 素直なのか素直じゃないのかわからないやつ。そんな高校生に、ドキドキする私は変なのだろうか。


 ジゼットの演奏がひと段落した。見続けたい気もしたが、チェックイン予定時刻を過ぎていることが気にかかる。私は少年を促し、広場を離れた。
「あ」
 少年がふと通りの方を見た。純粋さと男らしさが混在するその横顔を綺麗だと思っていると、彼は「あそこ」と道の向こうを指差した。
「あのレストラン変なんだよ」
 少年が神妙な顔で切り出す。
「変って何が?」
 一見、古ぼけた普通のレストランだった。大きなガラス窓が広がっているが、店内は薄暗くておしゃれ感などはみじんもない。「とにかく……変なんだ」
「……詳しく知らないだけじゃないの?」
「ばれた?」
 いたずらっぽく笑う顔は、十七歳らしさを残していた。
 このレストランの話は別に重要でもなかったらしく、
「まぁ噂だからさ、そんなもんだよね」
 と、さらっと流した。


 ホテルにチェックインした後、カフェに入ることになった。思い出すまでついてくると言ったのは本当らしい。
 席に着いたついでに携帯をチェックした少年は、小さく「うわっ」と呟いた。
「どうしたの?」
「ラインの未読がすげー数になってた」
「若い子はすごいね」
「誕生日だからな。いつもはこんなんじゃない」
 さらっと言われたことに蛍が戸惑っている間に、ウェイトレスが水とメニューを置いて去っていった。
「……誕生日なんだ」
「そうだよ。だから帰ってきてくれたのかと思った」
言葉に詰まる。
 特に返信するそぶりを見せずポケットに戻したので、「いいの?」と聞いてみる。
「返信はいつでもできる。今は蛍と話すほうが大事」
 こんな直球の好意を受けるのは久しぶりで、どうしてよいのか困ってしまう。大人になって、失ってしまったものだったのだ。素直な感情表現というものは。蛍は平静を装いながら、メニューに手を伸ばした。
(彼の名前を思い出せるよう、流れ星に願いをかけるべきなのだろうか)
 届いたアイスコーヒーを啜りながら考えていると、思わず尋ねていた。
「……あんたは流れ星に何かお願いするの?」
 少年は少し驚いた顔をして、アイスティーをかき混ぜていたストローを止めた。
「私と恋人になれますようにーとか?」
 冗談で紛らしたつもりだったが、そのときの彼の表情を見て、自分は最低なことを言ったと思った。
「あ、」
 取り消そうと思ったとき、少年が言った。
「それは、星になんか叶えさせない。自分の力で叶えるよ」
 こちらを見つめる瞳が熱すぎて、蛍は思わず目をそらした。
「蛍はなんで新都市に来たんだ? 俺との約束を果たしに来たんじゃないんだろ?」
 彼の口調に責め立てる響きはなかったが、ものすごく申し訳なく思う。なにか約束をしていたのか。
「彼氏に振られたとか?」
「うるさいな」
 正確には、付き合ってすらいなかった。それなりに仲がいいと思っていた職場の人。彼女がいるという話すら知らなかったのに、結婚すると聞いたときの衝撃。いい年をしてこの結末を招く自分には、心底がっかりとしか言いようがない。
「まぁ安心しろよ、俺がもらってやるから」
「……」
 結婚を冗談にできなくなる年齢があるということを、この十七歳に教えてやらねばなるまい。
「冗談じゃないよ?」
「えっ」
 心を読まれたかと思って顔を上げると、少年は目を合わせたまま微笑んだ。笑うと本当に幼いが、美形が際立つなぁと思う。学校に隠れファンがたくさんいるタイプだ。
「さっきのその約束って……」
「それは蛍が思い出してよ」
 すげなく言われる。そんなこと言われても。悩んでいると、少年が手洗いに立った。
 その後ろ姿を見ながら、蛍は考える。実は、誕生日という単語に何かひっかかるものを感じていた。
『この流星群、おれの誕生日だ! えーと、……十七歳の誕生日!』
 その後、少年が尋ねてくるままに、蛍は自分の仕事のことや生活のことを話した。あたりが大分暗くなってきたので、そろそろ行こうかと少年が言って、二人は店を出た。


「流星群のピーク、二十時頃らしいね」
 店を出て適当な方向に歩いていると、少年が空を見上げながら言った。空模様は大丈夫そうだ。
「堤防のとこで見るだろ? 少し遠回りしながら海に行く? この街結構変わったし、案内するよ」
 そうだね、と返事をしながらあたりを見回し、蛍はふとその岐路で立ち止まった。
「ねえ」
 先に行っていた少年が振り返る。
「こっちの道から行きたい」
 別の方向を指さした蛍に少年は返事をしなかったが、少し微笑んだように見えた。
(少しだけ思い出した)
 かすかな記憶を頼りに歩いていく。少年は黙って蛍のあとをついてくる。
 次の角を曲がったところで木々が目に入り、やはり思った通りだと思った。
 そこには図書館があった。屋根に芝生の庭が広がる、少し変わった形の新都市立図書館。
「ここは通らないつもりだったんだけどな」
 少年が困ったような、笑ったような声で言った。
「どうして? ここで会ったのに」
 蛍が尋ねると、少年は少し嬉しそうな声で答えた。
「思い出したんだ」
 九年前、二十歳。蛍は初めてできた彼氏に振られて、失意のどん底だった。憧れの人と付き合えて薔薇色だった人生が、一転して暗黒になった日のことは、今ではもうよく思い出せない。ただ別れ話の後の帰り道で、月が異様に綺麗だったことだけを覚えている。
 その悲しみを忘れるために、蛍は叔母の家に遊びに来た。しかし、当時そこまで都会化されていなかったこの街では、暇をもてあます以外にすることはなかった。することがないと彼のことを思い出して泣きそうになってしまうため、蛍はひたすら本を読んだ。だから毎日この図書館に通っていた。
 この図書館の前で、一人で遊んでいた男の子。何かがきっかけで話すようになって懐かれて、毎日一緒に帰っていた。
 九年後、この街に流星群が来ることを知って、その日は自分の誕生日だと喜んでいた小さな男の子。
 今目の前にいるこの少年とはうまく結びつかないが、間違いないと感じた。
 「彼氏に振られたのか」という台詞は、そのときにも言われていた。子供のくせに何てことを言うんだと思った。やはりそのとき蛍は「うるさいな」と答えたような気がする。一つ思い出すと、次から次へと記憶が蘇ってくる。
 そして……
「俺の名前はまだ思い出せない?」
 現在の少年の声が、蛍の思索を断ち切った。
 そこだけはどうしても思い出せないでいた。自販機の前で彼に呼びかけていた自分は思い出せるのだが、その記憶に音声が付いてこない。
「……ごめん」
「仕方ないな、それは星を見ながら思い出してもらうか」
 結局図書館の周りの公園を一周してから、二人は海に向かった。図書館は変わっていなかったが、そこから見える住宅街は少し変わってしまったようだった。以前はなかったマンションが建ち、以前はなかった薬局が乱立していた。
 彼には言わなかったが、実は蛍は「約束」を思い出していた。おそらく、昔の自分が軽い気持ちで交わした約束。今の蛍にとっては、とんでもない約束を。


「どのくらい見えるのかなあ」
 堤防に着いて、二人は適当な場所に陣取った。蛍が途中で買ったペットボトルを開けているとき、少年が堤防の上に伸び上がってそう言った。波の音が心地よい。
 堤防には人がそれなりにいたが、混雑しているとはいえなかった。五メートルほどの間隔を空けながら、様々なグループが星を待っている。ここだけではなく新都市中で、たくさんの人がそれぞれの理由で、それぞれ大切な人と空を見上げているのだろう。そう思うと不思議な気がした。
「ピーク時は500個ぐらい見えるって言ってたよ」
「それほんと? 数えようよ」
「いいよ」
 にっと笑って少年が堤防に腰かけた瞬間、二人の目の前を一筋の光が横切った。
「見た!?」
 蛍は勢いよく少年の方を見た。
「見た見た」
「一つ目! 私実は流れ星って初めて見た! あんな速さじゃ、お願いごととかできないね。でもすっごく明るい!」
 まくし立ててから、はっと気付いた。少年はそんな蛍を見て、楽しそうに笑っていた。顔が熱くなる。
「ちゃんと空見てないと」
 そう言われて蛍が顔を上げた瞬間、右手のほうに星が流れた。二つ目、と言いかけた時にもう一つ降ってきて、二人は顔を見合わせる。
「すごい、本当にどんどん来るね。まだピークの時間じゃないのに」
 少年が微笑む。今日だけで何度も私に向けられた、凛々しくも優しい瞳。
 四つ目の流れ星が現れて、数メートル先にいる女子高生たちがきゃあっと歓声を上げた。かすかに猫の鳴き声もする。
(可愛いな。同じ学校だったりしないのかな)
 あの子たちの誰かが、彼と腕を組んでデートするところを想像する。とてもお似合いだ。でも、
(嫌だな)
 若い頃なら、素直に認めなかっただろう感情。しかし、蛍はもう知っている。これが何を表すのかを。
「九年ぶりで、幻滅したりしなかったの」
「全然」
 あまりにもあっさりと答えられて、蛍は返答に詰まる。
「俺、やっぱり蛍が好きだよ」
 少年が開けた炭酸の音が響く。
「九年ぶりだけど、全然変わってない。蛍との時間が大事って言ったときに真っ赤になってたのも可愛いし、流れ星にはしゃいでるのも可愛い。二十九歳には思えない」
「……バカにしてんの?」
「してないよ」
 拗ねてみせたとき、少年の笑顔の後ろで五つ目の星が流れた。その星は、蛍の頭の中を鮮烈に照らしながら焼き付いていった。
「もしかして今五つ目が流れた?」
 そう言って彼が振り返ろうとした時、蛍は言った。
「……流星」
 その言葉は、時を止める力があるかのようだった。
 蛍の視線は真っ直ぐ少年に注がれていた。
 少年が蛍を見つめたまま、目を細めた。
「おせーよ」
 そう言って、幼い笑顔を広げる。
「九年間ずっと待ってた。そう呼んでもらえるのを」
「……あ、六つ目」
 蛍のカウントを遮るようにして、流星が顔を近付ける。波の音。目はもう、そらせない。
「約束も思い出した?」
「……やっぱり、年上すぎじゃない?」
「そんな最初からわかってること、気にしない」
 近くで見ると、やっぱり肌が若い。
 蛍はそう思いながら、黙って目を閉じた。
 七つ目の流れ星は、見逃した。
 

       

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Neetsha