Neetel Inside ニートノベル
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市原がペントハウスに到着すると、既に宮原が壁際に座り昼食を食べていた。あまり減っていないところを見ると今ついたばかりなのであろう。
「来たね。お疲れ様、さぁご飯食べよう。」
手を止めて微笑む宮原。市原は何処に座るべきか悩んだが、ほどなく宮原の右隣に数人分の隙間を開けて座った。宮原は黙ったまま目でその隙間に線を引くように見やった後、腰をずらして数人分の隙間を埋めた。
まるで恋人のように距離を詰めた、とまではいかないがいきなりパーソナルスペースを侵された市原は桃井に抱いたのと同じような不快感を覚えた。腐った食べ物を見る目で宮原を見た。宮原はそんな彼の目を見て微笑んだ。
市原は今まで女子とかかわることがなかったのだ。性格悪い部に入らなくても男女共に避けられるような彼に誰かと昼食をとることは敷居が高かったのだ。市原は顔を少し赤らめて目を逸らした。
「目を逸らさないで。もう一度そのゴミを見るみたいな目で私を見て。」
左手で弁当箱を床に置きながら宮原は市原と顔の距離を詰めた。右手で市原の顎を引き寄せて至近距離で見つめあう。大してアニメや漫画に詳しくない市原でもこの展開は使い古されたものだとわかるのだが、身を乗り出して自分に吐息を吐きかけてくる女子に胸の高鳴りを抑えられずただただ泣き出しそうな子供の目を泳がせて宮原の視線を堪えるしかなかった。
「さっきの目とは違うじゃない。まぁいいわ。少しずつ掴めてきた。」
何かを勝手に納得して宮原は体勢を元に戻して再び弁当へ箸を進めた。そんな宮原に市原は照れ隠しの意味も含めてぶっきらぼうに言葉をぶつけた。
「いきなり何だよ、何が言いたいんだよ。」
「私はね、市原君を読んだの。心とか運命とかじゃないよ?市原君の人格を読んだの。」
この女は何をいきなり突拍子もない、ライトノベルにでも出てきそうな台詞を言うのか。
市原は再び彼女を腐った食べ物を見るような目で見た。そんな市原に宮原は微笑んで言った。
「そうそう、その目。その目が読みたかったの。へぇ、そんな風に私の事見てたんだ。」
「だから読むって何なんだよ。俺の目に何か書いてあるってのか?」
「たとえるなら、そうかな。私ね、先生を演じて授業を代わりにやったりするけど演劇って苦手なの。演劇部なのにね。ト書きも含めて台本が全然覚えられなくって。みんながやってる演劇を記憶力と演技力とするなら、私のは観察力と演技力。だからフィクションがほとんどの演劇部でもあんまり大きな役は出来ないんだ。この前は木の役やったよ。木はそこらで見れるから。」
「じゃあなんだ、見た物ならさっきの授業の時みたいに見た目も何もかも完全に真似られるっていうのか?寝言は死んでから言えよ。」
棘のある市原の言葉に機嫌を損ねたのか、宮原は少しだけ市原を睨んだ後彼の目をふさいだ。数秒の後、宮原が手をどけると市原の目の前にはもう一人、自分がいた。
彼は驚きの余り座ったまま後ずさった。弁当がこぼれそうになって視線をそちらにやる。なんとかこぼさずにキャッチしてもう一人の自分に目を戻すと、そこには何も変わらない宮原がただ笑ってこちらを見ていた。
「これでわかったでしょ?別に手品でも特殊能力でもないの。ただ雰囲気を真似するのが誰よりも上手いだけ。」
「う、上手いって……。限度があるだろ。明らかに異常じゃないか。そんなの聞いた事もないぞ。」
「何でわかってくれないかなぁ。じゃあさ、市原君サッカーの才能ある?」
市原は無言で首を振った。彼は小さい頃から運動が好きでなく、体育の時間は何とかサボろうと努力をし、小学校の頃から文化部所属を貫いてきたのだ。サッカーどころか蹴鞠すら上手く出来ないだろう。
「才能がない、でもそれは実証されたわけじゃないでしょう?市原君が小さい頃からサッカーをやっていたら凄い選手になっていた可能性がある。今そうでないのは才能がないからじゃなくてやってこなかったから。人間誰でも何か得意なものはあるんだよ。それは例えばペットボトルの蓋を閉めるのが上手いなんてくだらない物かもしれないし、ファウルのないサッカーなんていう現実的に有り得ない物かもしれない。」
「ファウルのないサッカー?例えが異常に非常にわかりづらい。」
「サッカーだって人間が作ったルールでしょう?でも人間は自然から生まれたもの。人間が作った器に全ての自然が収まるわけじゃないの。何百人も切って刺して殴って殺して勝利を掴んだ大昔の戦争の英雄だって、今の時代ではその力を国を救うためには使えないの。」
「大昔のただの土器が今では凄く貴重な文化遺産となっているのと似たようなものか。」
宮原はやっとわかってくれたかと満面の笑みを浮かべた。
つまるところ、「自分のやりたい事」と「自分の才能」が一致するか、「社会の価値観」と「自分の才能」が合致するか、そしてそれがぴったり見つかったのが宮原優子である。
もしかしたらここ十年内にも宮原以上に優れた人がいたのかもしれないがその人はその才能を発見出来なかった、または日の目を見る事はなかった。そういう事なのだ。
「待て待て、そこまでの話はわかった。それで昼飯時に呼び出してまで俺を読みたがる理由はなんだ?俺と二人で飯を食うなんて事をしてでも読まなきゃいけないのか?」
「さぁ……。特にないかな。私にとっては挨拶みたいなものだし。もちろん、薄っぺらい人は読みやすいから教室で目を合わせただけでも大体読めるけどね。でも少なくとも、市原君とご飯食べるのは読むのを止めるほど苦痛じゃないっていうか、むしろ楽しいよ。」

『むしろ楽しいよ。』
そして笑顔。
市原はまたも胸の高鳴りに苦しめられる事になった。
困惑し混乱し混濁し、顔に熱が篭る。

「まーた市原君真っ赤になっちゃって。彼女出来た事ないでしょ?」
宮原が意地の悪い流し目でこちらを見てニヤニヤしている。
今俺が抱いているのは敵意なのか殺意なのか一体この女をどうしてくれよう。そんな事を市原は考えていたが、このまま黙っているというのも気が引ける。
「あぁないよ。そりゃ性格悪い部に入るような奴に彼女なんて出来るわけないだろ。」
情けないな、そう思った。黙っているのは気が引けると吐いた言葉が反論でも何でもなく屈服だなんて。
そんな屈辱がすぐに驚愕に塗り替えられるのは誰も予測していなかった。
「性格悪い部は関係なくない?部長の桃井先輩だって彼女いるよ。」
「はあっ!?」
市原は大声を上げて驚いた。自分でも驚く程の大声であったのでまたそれにも驚いた。
宮原はそんな市原を見てまた意地悪そうに笑う。
「知らなかったんだ、同じ部なのに。桃井先輩の彼女は三年の八五郎丸蛟先輩。」
「え……え?なんて?」
「やごろうまる、みずち、せんぱい。」
「凄い名前だな……。」
「みんなにはみずちーって呼ばれてる。」
「可愛い名前だな……。」
「それどころか驚く程綺麗な人なんだけど……聞いた事くらいあるでしょ?『敵意のない悪意』。」
市原は薄っぺらい学校生活を必死に繰り返し巡らせてみるが彼女に関する記憶は一切ない。敵意のない悪意というのも聞いた事がない。
市原が必死に考え込んでいるのを察した宮原は勝手に話を続けた。
「性格悪い部の人ってただ性根が腐ってるだけじゃなくて、存在が腐ってるじゃない。」
「お前それは俺を馬鹿にしてるととっていいのか?宣戦布告なのか?」
「ごめん、そうじゃないの。でもこういう事だよ。周りの人が悪意がなくても敵意を向けてしまうの。」
そういわれてみると何も不思議は感じなかった。市原はそんな人生を十数年間経験してきたのだ。同級生の誕生日会には呼ばれず、遠足等のイベントにいけば必ず雨が降り、帰り道の方向が同じ女子にストーカー扱いされ、自転車に乗れば八割方警察官に止められてきた。そんな人生。
「それに対して蛟先輩は周りに対し敵意がないのに悪意を向けてしまう。蛟先輩はそれを悪意とは思ってないけれど、周りの人から見たらそれは悪意でしかないんだ。さっきの才能の話に少し通じる部分があるね。周りから見れば存在そのものが悪意なの。」

八五郎丸蛟。その名を聞いて一歩退かない者はこの学園において彼女と交際している桃井、そして彼女をそもそも知らない市原の二人くらいだろう。
彼女は今まで出会う人全てに悪意をぶつけてきた。好意的に悪意をぶつけてきた。彼女には何が悪いのか一切わからなかったが、小学校に入って間もない頃に彼女はクラスどころか学校単位でいじめられる事となった。
朝登校すれば上履きが隠され机が廊下に置かれていた。しかしただいじめられていたわけではない。全て、その先には学校に来ないようにという加害者側の悲痛な願いがこめられていた。
学校に来て欲しくなかっただけなので別に机に落書きをされたり体操着をゴミ箱に入れられたり暴力を振るわれたりという事はなかったため、蛟は彼等の悲痛な願いに気付く事もなく、ただのちょっとしたいじめだと認識し我慢して生活してきた。
二年生に進級したある日、一人の男子児童が堪えかねて蛟を殴ってしまった。それが幼い蛟にはショックだった。みんなのために好意的に生きてきたのに、その結果が痛い目を見せられる事であった。
それでも蛟は諦めなかった。「みんなでたのしくしあわせに」。子供らしい幻想を実現するべく、彼女はその男子を殴り返した。
「これでおあいこ、握手でなかなおり。」
彼は女子に殴り返された事に驚いて放心していた。その隙にもう一発殴った。
「これで彼はもう一度私を殴れる。彼の怒りもそのうちにおさまるはず。」
女子小学生の拳でも綺麗に入ってしまったのか、彼は鼻から血を流して泣いていた。その隙にもう一発殴った。
「これで私の方が悪い子。彼はただの被害者。」
殴った。あふれ出る理由が枯渇するまで殴った。その間、怒りも敵意も覚えなかった。ただただみんなの幸せのために殴った。蛟自身、何発殴ったのかは全く覚えていない。ただ落ち着いた時、自分の拳からも血が流れていたのだけは覚えていた。
男子児童は泣きじゃくりながら必死に訴えた。
「もう許してください。もういじめたりしません。何でもいうこと聞きますから。」
その日蛟は先生からも親からもこっぴどくしかられた。完全に蛟が悪い子になった。それは蛟がはじめて経験した「好意の成立」であった。そしてその成功は思いもよらぬ効果を彼女にもたらした。
翌日学校に行くと驚く事に上履きにも机にも何の細工もされていなかったのだ。
普通の生徒同様登校し、普通の生徒同様着席し、普通の生徒同様隣の席の子におはようと声をかけた。隣の生徒は今まで目も合わせようとしなかったにもかかわらず、その日は蛟の目を見ておはようと返した。少しおびえた様子ではあったが。
その日、八五郎丸蛟は小学二年生にして「人を支配する事」を覚えたのであった。
彼女も女の子である。あれ以来今に至るまで暴力は封印してきた。それでも何とかして周囲を支配するべく努力してきたのだ。
今ではこの学園には不良生徒ですら蛟に逆らう人間はいない。

「だから桃井先輩と蛟先輩のカップルは結構有名なんだよ。悪意の塊と敵意の塊ってことで厄介だー、なんてね。」
「あらあら、随分な言い様ね。仲良くお昼ごはんはいいけれど、人の陰口はよくないわよ?一年生。」
階段の下から聞こえてきた聞き覚えのない女性の声。威圧感を孕んだその声に宮原は顔を青ざめて振り返った。

       

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