Neetel Inside ニートノベル
表紙

車輪の唄
澗潟が来る!

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「新入部員、連れてきましたあ!!」
 数週間後。俺は丸宮に手を引かれ聖麻高校競技麻雀部の扉を叩いた。
 おおっ……!
 俺は言葉にならない感嘆を上げた。教室の中にはおおよそ校内であるとは到底思えない光景が広がっていた。二つ並べた机の上に手積みの麻雀卓を置き、それを四人で囲む。そんな卓がここには四つも展開されている。さながら雀荘かと見紛う世界である。
 ふと目をやると、壁には『全国制覇』や『レート厳禁』と書かれた紙が貼られていた。『レート厳禁』の紙の方が『全国制覇』よりも大きく目立つ場所に貼られているあたり、過去に幾度も問題を起こしているのであろうことが容易に想像できる。
「お、来たな丸宮。そいつが噂の新入部員かや」
 教室の奥に一人で座っている男がこちらを見て言った。
「はい! 転入生の茶竹(さたけ)くんです」
「茶竹クンか。ワイは三年の澗潟(まがた)や。ヨロシク」
 机の上に腰を下ろした男は、そう名乗って右手で俺達を手招いた。緊張しながら傍に近付くと、急にその長い右腕を俺の肩に回し体を引き寄せた。
 手足もずいぶんすらりと長いが、横に立つと上背の高さもよくわかる。恐らく……180後半はありそうだ。
「ワレ、フリー雀荘通っとるんやってのお。ここだけの話、ワイもちょこちょこ通っとんねん。どうなん? 上手いこと立ち回っとるん?」
 先輩は俺の耳元で囁くように小声で話した。
「は、はあ。一応、トータルプラスではあるんですけど」
 飛行機事故の日以来の不ヅキについては話さなくていいだろう。俺は口を濁した。
「ホンマに?! フリーでプラスにまとめるって相当やるやん。ワイはどーにも、今どきのルールは肌によう合わんくてなあ。小遣いスッてばっかりやわ」
 俺は煮え切らない返事ばかり返していた。初対面の人間、それも先輩となるとフレンドリーに接するのはどうも苦手だ。ただまあ、この澗潟という人は少なくとも悪い人ではなさそうだ。笑顔で自分の負け話を語る澗潟さんを見て俺はそう思った。
「やっぱり、麻雀部の人って結構フリー行ったりするんですか? あの……、丸宮も通ってるみたいですが」
 俺は丸宮の方をちらりと見た。
「ああ、アレはちゃうで。二年の部員にフリー雀荘デビューさせるんは聖麻の伝統行事やねん。“裏の”、やけどな。今日は来とらんけど部長にバレたら殺されるからな。喋ったらアカンで」
 そう言うと澗潟さんは丸宮をも胸元へと抱き寄せた。同じ部の仲間とはいえ、女の子なのに……。俺はあっけにとられていた。
「勝っても負けても金は先輩が持つことになるんやけどな。こいつ、しっかりトップ獲ってきよった。ホンマにできた後輩やわ」
 満面の笑みで胸元の丸宮の頭を撫でている。
「でもそのお金、そっこーフリーでスッてきたんですよね?」
 丸宮は苦笑しながら言った。
「ああ……。まあ、めちゃくちゃツカんくての」
「いつもじゃないですか」
 澗潟さんは口を閉じて拗ねてしまった。
「まあ、ワイのことはええねん! せっかくの新入部員やんか!! 卓囲みや!!」
 ちょうど半荘の終わった卓の部員を捕まえ、半ば強引に席を空けさせるとそこに俺を座らせた。
「ワイが後ろで見たる。打ってみ」
 澗潟さんは俺の後ろの机に腰を下ろした。
「おっ、やったあ! 私も打ちまーす」
 俺の対面に丸宮も座り、面子が決まった。
「ペアはどうします? 赤門分け?」
「いや、とりあえず実力が見たい。個人戦でええやろ」
 そう言うと、澗潟さんは俺の両肩に手を置いた。
「“高校麻雀”は赤・裏ドラなしの競技気質や。ワレの業前を思う存分発揮してみ。あ、それと洗牌は完全伏牌やからな」
(完全伏牌か……。面倒臭いな)
 フリー雀荘にこそ通ってはいたが、前の学校で仲の良い友達もいなかった俺は手積み卓の経験自体がほとんどなかった。いつもフリー雀荘の全自動卓かネット麻雀である。
 少したどたどしい手つきで山を積み、東一局の配牌が配られた。

 東一局 親:茶竹 ドラ:中
 <配牌>
 一二三四七八九②③④289 ツモ中

 悩ましい配牌とツモで、聖麻高麻雀部での記念すべき初半荘は始まった。

     

(第一ツモがドラの中か……)
 無論、牌効率で言えば中切りでその後の受け入れが最も広い。
(が、赤ドラ・裏ドラの無いこの麻雀でいきなり中ドラ放流というのもな……。純チャンと234の三色が見える以上、マンズのターツと2索にも手をかけられない)
 言わずもがな、起家の配牌イーシャンテン。まったく申し分のない巡り合わせだが、しかし一歩間違えれば堂々巡りへと迷い込む危うさをこの手は内包している。
 俺は模索していた。赤ドラ・裏ドラなしという“高校麻雀”でのセオリー、戦い方を。
「すいません」
 そして俺は少考ののち、8索を河へと切り出した。
(この時点で下の三色を見切るのはナンセンス。マンズ一通にしろ三色にしろターツはもう足りていて、ペン7索のストレート引きには魅力を見出せない。ソーズの上に求めるのは9索引きの雀頭だけで充分だ)
 背中で澗潟さんがほう、と頷くのが聞こえた。しかし次巡、俺はよりにもよって7索を持ってきた。少しの後悔の後に、静かに8索の隣へと並べる。
 それでも。
 更に次巡、俺は指いっぱいにざらつくソーズの感触を得た。
(――これで、いい!)

 一二三四七八九②③④299中

(ドラ打ちに、必要なのは“納得”だ。この形なら切って鳴かれても納得、それがあればドラの中なんかにヒヨる必要は何もない)
 俺は自信を持ってドラの中を強打した。
「ポン!!」
 やはりというか、当然のように対面の丸宮からポンの発声がかかる。
「甘いよ、茶竹くん!」
 丸宮は嬉しそうに中を手元に引き、引き換えに1索を切った。
 丸宮とのツモの交換となった次巡、俺は①筒を手牌へと引き入れた。
(完璧な手応え)
 純チャン三色とマンズ一通との両テンビンに受け、①筒と④筒とを振り変える。

 一二三四七八九①②③299

 丸宮も順調そうに手出しを繰り返していたが、二巡後、俺は3索を手牌に組み込むとノータイムで四萬を横に曲げた。
「リーチ」
「勝負!」
 親のリーチ一発に対し、丸宮もド本命の五萬を強打してきた。
(あいつもテンパイか。それにしても……)
 リーチ前にはド高目の1索を処理し、六萬引きでのリーチなら一通のアタリ牌になっていた五萬を一発目に強打する。丸宮という人間がどれだけ“もっている”のかがよく分かる。……恐らく、そういう星の下の生まれなんだろう。
「ツモ」
 俺の手元に、一撃で1索が寄せられた。
「8000オール」
 げぇっ、と丸宮が嗚咽を漏らす。
「や、やるねえ、茶竹くん」
 めちゃくちゃ悔しそうに8000点を支払う丸宮が可愛らしかった。
「今の一局だけでよう分かるわ。ワレ、やるやん」
 澗潟さんがそう言いながら俺の両肩を揉んでくれた。俺は誇らしくなって少し頬を赤らめながら次局の洗牌を始める。
「あァ、アカン。こんなん魅せられたらワイも打ちたくなるやん」
 そう言うと澗潟さんはすっと立ち上がって教室の隅へと歩いていった。
「もうその半荘やらんでエエで。32000差ーついたしコールドゲームやコールドゲーム。茶竹クンがよう打てるゆうんも充分わかったしな」
 教室に入った瞬間から気になっていた。教室の隅で毛布をかけられた大きなシルエット。
(あれは……やっぱり)
「特別や。ワイが麻雀教えたる」
 澗潟さんが毛布を取っ払うと、全自動卓が姿を現した。

     

「おいで、茶竹クン」
 澗潟さんが自動卓の前で手招きをしている。
「わっ、澗潟さんに打ってもらえるんですか?! 私もお願いします!」
 俺より先に丸宮が澗潟の元へと駆け寄った。よっぽど上下関係の良い部活なのか、それともアイツでも分かるほどの実力者なのだろうか。
 “あーあ。澗潟さん、また勝手に自動卓使おうとしてるよ……”“また部長に怒られるぞ”という話し声が向こうから聞こえてくる。……この人が部内でどういう立ち位置の人なのかが良くわからない。
「ん? どしたん。ワイに麻雀教えてもらえるなんて新入部員の役得やで」
 ――前から、薄々感じてはいたことだが……。
 澗潟さんが部内でどれだけ勝ちを積み重ねてきたのかは知らないが、俺にもフリーで戦い抜いてきたという誇りがある。まだなんの格付けもされていないのに、ただただ上級生というだけで上から目線で麻雀を語られるのは癇に障った。
「……よろしくお願いします」
 どうやら俺は、麻雀に関しては人一倍自尊心が強いらしい。

 個人戦半荘一回勝負 アリアリ、赤・裏ドラなし
 東家:茶竹 南家:丸宮 西家:澗潟 北家:松浦(1年)

 東一局 親:茶竹 ドラ:9索
 <配牌>
 二四六八⑤⑥45779中中 ツモ④筒

 俺は、逡巡ののちに二萬を選択し河へと置いた。
(マンズに2面子を求めるのは都合が良すぎる。ギリギリまでリャンカンの形で引っ張り、できれば高目456の三色。なるべく面前を狙うが進行具合によっては中の一鳴きも辞さない)

 ツモ 打牌
 ④筒 二萬
  → 北
  → 一萬
  → 2索
 6索 八萬
  → 東

 配牌リャンシャンテンなのだから仕方のないことだが、なかなか入ってこないツモにやきもきしながらも五巡目に6索を引き入れるとここで俺は三色確定の打八萬とした。
(この形になったなら最後まで面前狙い)
 そして俺は九巡目に7索を暗刻にしてのテンパイを入れた。
(最安目だが……。まあ良いか)
「リーチ」
 俺はドラの9索を横に曲げた。

 四六④⑤⑥456777中中

 <茶竹捨て牌>
 二北一2八東
 ⑦東9

「あァ、きっついわ。親リーかい」
 対面の澗潟さんがお手上げといったように手牌の右端を伏せた。
(さあ、澗潟さん。まさか中筋なんて言って一発で五萬を振るようなことはないですよね?)
 その澗潟さんは丸宮の合わせ打った9索をチーすると初牌の白を切ってきた。
(初牌の白か……。手牌の右3番目から出てきたからにはまさかの暗刻落とし? 随分弱気じゃないですか)
 そんな風に澗潟さんにばかり目が行っていると、北家の一年生・松浦があっさりと手出しの五萬を河へと置いた。
「あ……、ロン。7700」
(ちぇっ。澗潟さんのチーがなけりゃ親満だったのに)

     

「またかい。よう三色作る子ォやなあ」
 澗潟さんはまるで感心でもしたみたいにそう言ってくれたが、どうせ心の中では見下されているというのがひしひしと伝わってくる。
「たまたまです。フリーで打ってたって、こんなに三色が入ることはありませんでした」
 あまり反応しないように手牌を伏せ、牌を落とす投入口を開こうとしたその時、ふと澗潟さんの顔を見て俺ははっとした。軽口を叩きながらも、その目はじっと俺の捨て牌を見つめている。
(この人……)
 俺の手牌の7索暗刻と最終形の嵌五萬。八萬と9索の切り順を見て、この人は何を思うのだろう。
 自然と口角が上がった。身の引き締まる思いだ。
「一本場です」
 
 東一局一本場 親:茶竹 ドラ:九萬

 <茶竹捨て牌>
 北一西9南二
 北⑧⑤中

 <澗潟捨て牌>
 北西八六四⑤
 ④⑦發

「澗潟さんの捨て牌が怖いなあ。茶竹くんはまだ時間かかりそうだけど……」
 そんなことを言いながら丸宮は俺に合わせて中を切る。俺は自分の手牌に視線を落とした。

 八九⑦⑧⑨13789東東東

 ダブ東暗刻のチャンタ三色イーシャンテン。
 もちろん、テンパイ時の入り目によってその様相は大きく変わってくる。が、いずれにしても高打点を望める構えである。
(最高形は1索を重ねてのダブ東チャンタ三色ドラ。ダマでもツモれば8000オール。が、3索・九萬を縦に重ねても充分形な上に嵌2索が入るなら東暗刻を崩しても構わない)
 あの8000オールから、憑き物が落ちたように俺の手は快調に伸びるようになっていた。
(フリーでこれが来てくれればなあ……。ノーレートでいくら叩いたってな)
 そんな思いも、頭をよぎらない訳ではない。俺は苦笑を隠すように右手を口元にあてた。
「リーチや」
 十巡目。対面の澗潟さんが俺を見下ろすように千点棒を少し乱暴に卓へと置いた。
(あの捨て牌でリーチかよ……。索子のメンホンくらいしか見えないが……)
 “見える”というより、競技気質の高校麻雀では“警戒すべき”役が捨て牌から限られる。裏ドラや赤ドラがないのでは、手なりのリーチドラ3などというアガリ形はそうそう見られない。この場合であれば、大本命の索子メンホンでないなら澗潟さんのリーチは怖くない。つまり、索子以外であれば振ることを恐れる必要がないのだ。俺は高校麻雀のことを少しずつ理解してきていた。
(俺だってこのイーシャンテンだ。降りるつもりはない)
 気合いを入れ、ツモ山へと腕を伸ばそうとしたその時――。
「どうにも、引っ掛かってんねんなァ」
 澗潟さんが口を開いた。
「茶竹クン、さっきゆうたやろ。“フリーでもこんなに手ェ入らへんかったて”。それって、どういう意味なん?」
「え……?」
 俺は……、突然の問い掛けに言葉を返すことができなかった。
「ワレ、ノーレート馬鹿にしとんのやろ」
 冷え切った、氷のような空気が卓上に奔る。
「ちょ……ちょっ、澗潟さん……!」
 丸宮が慌てて澗潟さんの口を閉じようとする。
「あァ、ええねんええねん。実際、フリーで金賭けて打っとった子ォならそう思うのもしゃーないやろ。ワイは別に怒っとるワケとちゃうで」
 先程までの、顔に張り付いたニヤケ顔に戻っていた。が、さっき一瞬見せた表情は……。俺は右手にじっとりと汗が流れるのを感じていた。
「どや。サシウマ握らんか?」
 予想外の提案だった。
「この半荘、ワレが勝ったら一万やる」
 澗潟さんは財布を卓の横の机へと放り投げた。
「その代わり……そやな。ワイが勝ったら、“高校麻雀”を馬鹿にしたことを謝ってもらおか?」
 それは、涎の出るような甘い条件だった。
 ただでさえ現在俺が7700点リードしている上に、俺は決め手のイーシャンテン。その上、万が一負けても実質ノーリスクときた。
「プライドや。ワイらは、プライド懸けて打っとんねん。このサシウマ、まさか断らんやろな?」
「澗潟さんが本当に良いのなら……。断る理由はありませんが」
 よっしゃ。澗潟さんがそう言って両手を合わせると、それが半荘再開の合図となった。
(この手で一気にトバしてやる)
 気合いを入れ、再びツモ山へと右手を伸ばす。
 ――が。
 俺が持ってきたのはよもやの八萬であった。

 八九⑦⑧⑨13789東東東 ツモ:八萬

 ……すいません。
 消え入りそうな声で、俺は呟いた。

     

(チャンタも三色もドラも、全てが消える八萬ツモ……)
 俺はツモってきた八萬を静かに眺めた。
(これでもリーチにいけばリーチ・ダブ東で7700。ツモれば親満。申し分ない打点だが)

<澗潟捨て牌>
 北西八六四⑤
 ④⑦發東

(あの捨て牌。怖いのはソーズの染め手だが、マンズのリャンカン落としがあまりにも光っている)
 俺は頭の中に思い浮かべた。ドラの九萬がチートイツに一発で刺さる光景を。
 一度捉えたそのイメージを、そう簡単に振り払うことはできない。
(これは……これは逃げのテンパイとらずではない)
 俺は、打九萬のテンパイとはせずにツモってきた八萬をそのままツモ切った。
(九萬は澗潟さんに危険牌だし、いくらなんでも八萬を重ねてのテンパイは値段が落ち過ぎる……ここはテンパイとらずが正着。それに、ソーズの染め手ならさすがにあそこまで露骨な捨て牌は作らないはずだ。あのリャンカン落としは、染め手に見せたチートイツの証拠)
 そんな言い訳を自分に言い聞かせていると、勝負! の声とともに丸宮は2索を強打した。俺は思わず顔を歪める。
「ツモ」
 澗潟さんの一発ツモが、静かに手元に寄せられた。

 11123445678白白 ツモ:3索

「3000・6000の一本場」
(捨て牌から匂う通り、そのまんまソーズのメンホン……)
 丸宮の強打した2索を恨めしく見つめる。九萬さえ切れていれば俺のアタリ牌だった2索……。
(親の……親の二軒リーチが入っても、その2索は強打してくれたのかよ)
「“まるで染めてるかのように染めず、ちっとも染めてへんかのように染める”ってのが基本やが、ワレみたいに捨て牌読める子ォが相手やとその裏もあるってことや」
 澗潟さんはそう言うと、ツモってきた3索を卓上へと放り投げた。3索はガシャンガシャンと他の牌とぶつかりながら跳ね、俺の手元まで転がってきた。
(このままじゃ……。このままじゃ終わらせない)
 しかし、その後は思うようにペースを掴めず、なんとか澗潟さんに突き放されないようにするのが精一杯……。やっと逆転のきっかけが来たのは南3局のことだった。

 南3局11巡目 親:澗潟 ドラ:三萬

 東家:澗潟 46300点
<捨て牌>
 西19⑦二四
 北東⑨七5

 西家:茶竹 35900点
 四五④⑤233456888
<捨て牌>
 西北⑨七南八
 白東9(⑧)二

 北家:丸宮 16200点
<捨て牌>
 二八67九西
 北白北⑨五   鳴き(⑧・⑦⑨筒)

(345・456三色の好形リャンシャンテン!!)
 かなり手応えのあるリャンシャンテンに構え、俺はアガりにいける感覚を得ていた。
(下家の丸宮はピンズの染め手一直線って感じだが……もう南3局だ。まっすぐいく)
「ポン!」
 11巡目、松浦の切った⑥筒に丸宮から声がかかる。
(チッ……⑥筒が枯れたか)
 この煮詰まった場況でツモを飛ばされたことに少し苛つきつつも、12巡目に1索を引き入れるとテンパイ気配の澗潟さんに危険な6索を静かに河へ置いた。
(⑥筒が枯れた以上は345一本。必ず、アガってみせる……!!)
 更に次巡。俺は祈る気持ちでツモを引き寄せた。
 斜めに刻まれる盲牌の感触――。
(丸宮が中毒になるのも少しは分かるぜ)
 ⑥筒の枯れたド高目“辺③筒”を俺は見事引き当てて見せたのだった。
「リーチ」
 微塵の躊躇いもなく、俺は8索を横に曲げた。

 四五③④⑤12334588

(ドラの三萬が高目の三色。ツモればハネ満……!)
 が、逆に言えばドラでもない六萬ではただの2000点にしかならない。
(メンチン気配の丸宮も含め、六萬なら誰から出ても見逃しの一手……! 万が一、六萬を自分でツモった時にどうするかだが……)
 ――が。
 そんなことに気を遣う必要もなく。勝負は一巡でついた。
「ロ……、ロン」
 呆気にとられたかのような俺の発声が、卓上を駆け抜ける。
 河に置かれた六萬の上で、澗潟さんは俺を見下すように笑っていた。
 トップ目の澗潟さんからの直撃という、予想外の形でこのリーチの幕は下りた。安目だが、一発がつき3900点。少し驚いたが、一発もつくトップ目からの直撃なら見逃す手はない。
 5000点のお釣りの1100点を先回りして用意し、澗潟さんの手元に置こうとしたその時。澗潟さんはゆっくりと口を開いた。
「……こら、少しズッコいかなァ。解答つきのリーチみたいなもんやったんや」
 くっく、と静かに笑う。
「なんやかんや言うても、ワイはワレのことを評価はしとる。この点差の南3で、必ず勝負手を組んできたはずや。その捨て牌で高打点言うたら、下に寄せたお得意の三色が匂う。が、ワイ目線やと捨て牌と合わせて二萬が4枚見える。つまり123・234の三色は有り得ない」
 澗潟さんはゆっくりと、的確な俺の捨て牌読みの解説を始めた。
「リーチの一巡前。丸宮の⑥筒ポンを見ての手出し6索は345・456両テンビンの名残りや。そのリーチにソーズの受けはない」
 ⑥筒が枯れたからと6索を切った、あの時の自分の心境をそのままに見抜かれ俺は動揺した。
「問題はマンズかピンズかの入り目やが、ドラ三萬を引き入れてのテンパイなら万が一のワイ直撃を狙ってダマにするはずや。ピンズを引き入れ、待ちがドラ筋になったからこその鉄リーチ。そして、」
 澗潟さんはゆっくりと立ち上がった。
「ピンズ一直線の丸宮は論外。松浦も、役牌トイツ落としからドラのないメンピン系と読める。ドラを固めて持ってりゃ、役牌を食ってアガリに行きたいはずやからな。ま、三萬はあって一枚ってとこやろ。そして、残念なことにワイもドラは持っとらへんねん。――つまり」

 澗潟さんは体を卓へと乗り出すと、俺の一発ツモのあたりをまとめてひっくり返した。
「ド高目三萬は、ここに群れとったんよ」

 澗潟さんが捲った6牌の内、3枚が三萬――。
「ちゅーことで、身ィ切るつもりで安目差し込みに行ったってワケや。三萬ツモりゃあハネ満の手。ワレは逆に、ワイに8000点差をつけてのトップやった。いやァ、8000点差つけられてのオーラスは、そらあワイかて難儀なもんになったやろなァ」
 俺は……、何も言うことができなかった。
「それにしても……。ワレはきっと、リーチをかける前に決めたハズや。安目なら誰から出ても見逃すと。それが、一発がついたから? トップ目から出たから? いやァ~……、」
 澗潟さんが、細めた瞳の奥から俺を嘲笑った。
「ホンマ、茶竹クンが意志の弱い子ォで助かったわ」
 ――何もかも。
 何もかもが、俺の麻雀を超えている…………!!

     

(これが、この人の実力……!)
 この人の見下した物言いなど、もうどうでもよくなっていた。
 苛立ち? それどころか、今はむしろ……。

 オーラス4巡目 親:松浦 ドラ:西
 東家:松浦 6800点
 南家:茶竹 39800点
 西家:丸宮 11000点
 北家:澗潟 42400点

 8000点差のトップ目なら、どれだけ楽だったろう。
 2翻40符なら脇からの出アガりでも澗潟さんとは同点となり、その場合着順で俺がトップになる。それは分かっている。分かっているんだが……。
(4巡目でこの形か……)

 三五九九③④⑨⑨268南北

 逆に、2翻30符ならツモっても澗潟さんに100点足りない。この手でトップを狙うなら、九萬か⑨筒を暗刻にしてのリーヅモ。両面待ちならテンパネしないが、嵌張のままなら700・1300ある。もしくはダブ南を暗刻にしての出アガリ2600。ダブ南ポンなら九萬か⑨筒を暗刻にしての出アガリ2600か、暗刻にするのが叶わず九萬か⑨筒ポンならカンチャンヅモ限定。それかここから鬼のように345三色のパーツを引き、かつ面前テンパイ。あるいは九萬・⑨筒を両方ポン・嵌張ヅモ条件の純チャン。
 この状況に追い込まれても、俺の頭はトップへの条件をひたすらに追いかけていた。それはいずれにしろあまりにも細い道筋。
(それでも、もう諦めないって決めたんだ……!!)
 
 ツモ 打牌
 9索 6索
  → 東
 九萬 2索
  → 八萬
 四萬 南
 7索 北

 テンパイ――。

 三四五九九九③④⑨⑨789

 あれから俺の手は好ヅモに恵まれ10巡目でのテンパイを果たした。が、こんな時に限って両面でなく嵌張や辺張を先に引くという間の悪さ。このままではリーチを掛けてツモっても500・1000にしかならない。
(嵌張変化を待つしかない……!!)
 11巡目、俺は⑧筒をツモ切った。
 普段の麻雀で、両面変化を待つなら分かるが嵌張変化など待ったことがない。いつもなら裏ドラ一枚条件でリーチをかける場面だ。
 一筋縄ではいかない。なんて重苦しい麻雀だ。
(だけど、面白い……!!)
 自然と笑みが零れる。手役のみで100点差を競うシーソーゲーム。こんなの、フリーの雀荘では味わえなかった感覚だ。
 さらにツモ切りを重ねての13巡目。親の松浦が澗潟さんから二萬をポンすると、そのポンによって俺に①筒が流れてきた。
「リーチです」
 力強く④筒を横にする。

 三四五九九九①③⑨⑨789

(よく、テンパってくれた……)
 チャンタにこそならなかったが、ツモれば澗潟さんを逆転する。
(あとは、②筒を引き当てるだけだ……!!!)

「純カラやで」

 ――ふいに、澗潟さんが口を開いた。
 俺は、つい河へと視線を落とした。当然何度も確認したが、やはり②筒は場に0枚。
(澗潟さんに惑わされるな……!)
「きっと、山にいますよ」
「いやいや、だから純カラやて」
 澗潟さんは確信を持ってそう言い切る。
「茶竹クンのテンパイ気配はもちろん全員が気付いとった。ダマで2翻40符を作ったのかと思ったが、ここでリーチに来たということは、単にその段階ではトップ条件を満たさんかったということや。つまり、ピンフにしろ2翻40符にしろ、最終形はツモって700・1300……!」
 この人は――。
 俺は息を呑んだ。
「問題は最後の手出し④筒や。この局面でまさか空切りする為だけにダマで数巡回したってこたあらへん。ピンフ変化の場合、④・⑥筒に⑦筒を引いてきたってワケやが、これやとその前の⑧筒がフリテンや。フリテンリーチ・ノーテンリーチの認められていない高校麻雀ではこれはできん。つまり、最終形は①筒を引き入れての嵌②筒――」
 澗潟さんは手牌の右4枚を倒してみせた。
「純カラや」
 それは、紛れもなく②筒だった。
 一度ならず、二度までも――。

 強過ぎる。

 俺は言葉が出なかった。全てが俺の麻雀を超えている。
 いくら手役が重視される高校麻雀だからって、ここまで他人の手牌を読めるものなのか?
「まあでも、茶竹クン強いで。このオーラスもよう逆転手を作ったな」
 見下される物言いも、もはやなんの苛立ちももたらさない。
 苛立ち? いや、それどころか……。
 俺ははっきりと自覚した。これはもはや、尊敬――。
「……完敗です」
 俺は手牌を伏せた。
「こんなに強い人がいるなんて知りませんでした。ノーレートを軽んじた発言、申し訳ありませんでした」
「あァ、そんなことまだ気にしとったんか。そんなん別にええねん。茶竹クンを焚きつける口実や」
「……もし良かったら、これからも是非俺に麻雀を教えてください」
 そう言うと、澗潟さんは困ったように唸った。
「ん~……。さっきも言うたが、ワイは後輩の指導なんかに熱注ぐ方やないねん。自分本位やからな。まァ、それでももしどうしてもワイに麻雀教えて欲しいんやったら……、“レギュラーメンバー”になりや」
「レギュラー……!」
「せや。各校6人のレギュラーメンバー。茶竹クンが聖麻のその枠に入るんやったら、ワイと麻雀打つ機会もでてくるやろ。そしたら、ちょっとは麻雀教えたる」
 澗潟さんはそう言って、口角を大きく上げた。
「……わかりました。がんばりま」
 そう言い掛けた時、澗潟さんが卓を大きく揺らした。
「マズイ!!! 今すぐ卓を片付けェや!!!」
「えっ? どうしたんですか、急に……」
「あいつが帰ってくる!! ……部長や!!」
 あっ……。そう言えば、自動卓使ってるの部長にバレたらマズイんだっけ。
「牌はとりあえずこのままでええ!! 布かぶせて元の場所に戻すで!」
「はっ、はい!」 
 慌てて四人で自動卓を運ぶ際、右手が丸宮の左手に触れた。
「ナイスゲーム」
 丸宮はいつもの笑顔で俺にそう言ってくれた。
 澗潟さんにボコられた俺を嘲笑うでもなく、気を遣って言い繕うのでもなく。
(……なんかいいな。こういうの)
 俺は赤らむ頬を悟られないように顔を逸らした。
「よし。とりあえずこれで誤魔化すで。皆も口裏合わせェよ!」
 澗潟さんが必死で布を綺麗に掛けている、その様子を俺は背後で眺めていた。
 こちらに気が付くと、澗潟さんは「お疲れ」と言った。
「二年の夏から入ってきて、レギュラー獲る言うんは並大抵のことやない。頑張りや」
「はい。ありがとうございます。獲ってみせます、必ず」
 その言葉で、澗潟さんは思い出したように自動卓の布を少しだけ捲った。
「そういや茶竹クンはさっき、こんなに強い人がいるなんて知らんかった言うてたが……」
 試合途中のままになっている卓上の牌。澗潟さんは、丸宮の手牌を開いた。
「アイツはワイより強いで」

 一九⑨19東東南西北白發中

 国士無双、聴牌……。
「アイツは麻雀の神様に愛されてもうとる。松浦がワイから二萬をポンせえへんかったら、茶竹クンの①筒は松浦のツモや。タンヤオ仕掛けの松浦に、国士無双の①筒待ちが止まったかな」
 澗潟さんは面白そうに松浦と丸宮の手牌を眺めていた。
「ワイが南3局で茶竹クンに3900を放銃したせいで、丸宮は松浦からの役満出アガリでもきっちりワイを逆転や。茶竹クンなんて3位やで」
 俺ははっとして点棒状況を見返した。たしかに、それで丸宮は澗潟さんを逆転する……。
 大喜びで国士無双をアガる丸宮の姿。満面の笑み。それがあまりにも容易に想像できて、また想像の中の丸宮があまりにも嬉しそうにするものだから、俺は思わず噴き出してしまった。
「負けませんよ。丸宮にも、そして、澗潟さんにも」
「その意気や」
 澗潟さんは満足げに笑った。
 そして――、数人分の足音が部室の前で止まった。部の扉が開く。



 次章へつづく。

       

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