Neetel Inside 文芸新都
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エントリーシートの正しい書き方
学歴

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 さて、この世の中で、「辛そうで辛く無い、でもちょっと辛い」と来れば、それはほぼ百パーセント、ラー油である。
 同様に、「簡単そうで簡単で無い、でも簡単」なものと言えば、学歴欄しかないというのは、就職戦線を生き抜く諸賢であれば零コンマ三三秒で出て来なければならない。……余談だが、この0・33秒というのは欽ちゃんファミリーが師匠萩本欽一によって身体に教え込まされる反応速度である。流石はしのえみ。

 閑話休題、学歴というのも、さらさらとペンを走らせる学生が多い、いわば落とし穴のひとつだと言えよう。私の論調はだいたいこういう風に、一見すると常識だと思しき点を無駄にあげつらってくどくど私論を展開していくものだから、ここまでの流れはこれまでの読者から見れば容易に想像できたと思う。しかしながらと言うべきか、だからこそと言うべきか、やはりそれが大事である。負けないこと逃げ出さないこと以下略と同様に大事である。我々は常に常識に揺さぶりをかけていく立場なのである。

 学歴、と聞いて高校名やら大学名やらを書いてしまう浅はかな君たちに次ぐ。いったい君たちは大学やら高校やらで何か学んだと言うのか。「学歴」を代表させて紙面に書き下すことができる程の人生にとって大切なことを、国語やら数学やらに還元させてしまえるのか。甚だ疑問である。
 私は大学入試の潜り抜け方、つまり大学に入るための方法なら高校で存分に学ぶことができるだろうとは思うが、まさか人生をより善く、まっとうに生きるための方法が学べるなどとは夢にも思わない。実際こんな質の悪い豚肉の灰汁にも似た気狂い文章を書いている人間がまっとうになど生きられるものか。



 では、そんなお前の履歴書にはどんな崇高な「学歴」が書いてあるのだとお思いだろうから、私の学歴欄をお見せするのだが、やはりここが「簡単そうで簡単で無い、でも簡単」である所以なのであろう、書いてあることは君たちのものと変わらない。
「◯◯高等学校 入学/卒業」
憤慨するにはまだ早い。君たちの学歴と私のそれは、外見非常に似たものだが同じには非ず。つまり内実が異なるのだ。
 私が学歴欄に先頭切って高校の学歴を書いた理由、それは、高校で初めて天命を知ったからである。

 孟母三遷とばかりに営業職のサラリーマンの倅として各地を転々とする幼年時代、できた友達も数年経てば年賀状のみの付き合いとなり、現在ではほとんど連絡も途絶えてしまった。そんな私を案じたのか、父親は私が小学校高学年の頃に一軒家を建てた。中学校に入ってもクラスメイトの半分が小学校の同窓であったことに感動した私は、大学に行くまでこの関係は続くものだと思っていたし、そうした絆は失われにくいのだとも勝手に思っていた。
 それが、高校入試である。元はと言えばアイツが悪い。全部悪い。……私の中学はその昔悪行でその名を轟かせた極亜久高校であり、長らく管内の進学競争でめでたくドベを突っ走っていた。その年、市内一の進学校に入ったのは私含めて十二名。昵懇にしていた女子は涙に暮れ、自らをボーイッシュと言い張り無駄な相槌で会話に割り込んでくるキレたナイフのような女子がなぜか受かった。何故だろう。
 不条理だと思いながらも、学年で六クラスのところに同級生は十二名。例年に無い大豊作だったらしく担任団は喜んでいたが、私も少なくとも一クラスにふたりは同窓生が振り分けられるのだと一安心であった。とりあえずどこに分けられても話し相手がいる状況だったのである……私のクラスを除いては。

 子曰く、五十にして天命を知る。私としては十五にして天命を知ったことになる。



 そのすぐ下の欄には、大学名なぞ書いちゃいない。
 そこには、ある映画館の名前が記されている――世人の耳には馴染まない、すすきのの、あるポルノ映画館である。
 映画好きが明後日の方向に高じ、興味本位からあるポルノ映画館を訪れたのは、分厚い雲が「雪降らすぞ」と脅しかけるような十二月のある夕方のこと。大通りを一本裏に回った小汚い雑居ビルに入り、如何にも時代がかった裸の女たちに手招きされて地下へ続く階段を降りた。顔から上のガラスが黒布で覆われた受付から手が伸びて、私が出した二千円をすっと掠め取っていった。まるで自動化された何かの機構のように、ぬっと出てきた二百円と半券。私はそれを手に、開きっ放しの映写室にいる皺だらけの爺に一瞥食らわせたのち暗室のドアを開けた。
 ざらつくスクリーンに、ピアノを弾く女が写っていた。緩いワンピースを着ていて、時折乳首が見えそうになる。私は十列あるかないかという座席の中程、通路寄りに腰かけて、情事を待った。
 と同時に、暗室後方の席で見ていた、半壊したバラックのような五十絡み共が一斉にそわそわし始めた。――これから何か始まるのだろうか。まさか、ここで自涜行為でも始めるつもりか? 奇しくも目の前の席の背中に白濁した跡が残っていた。全身が粟立つのを覚えた。

 そうしてコトは起こった。通路側に座っていた私の前をわざわざ跨ぐようにして、五十絡みのうちの一人が隣に座って来た。見ると「きたろう」に似ている。シティボーイズのきたろうである。
 そのあとのことは余り良く覚えていない……となったら完全に掘られている訳だが、生憎こうして書き表すことができる程度には明晰に思い出せる。実際に私がピンク映画をゆっくり観ることができたのは三分も無かったはずだ。このあとすぐに「きたろう」が私の太腿を優しく触れてきたのである。
 ノンケの私には、これ以上暗室内には居られなかった。無論、情事は始まってもいなかった。



 かくして私の学歴欄の二行目には「◯◯シネマ」と書かれている。私はそこで、「人生のかなしみ」を立派に学んだのである。

 さて、どんなに些細でも、人間の数だけドラマはある。「学歴」欄は学閥を見るのでは無い。まっとうな人事担当者は、あなたの人生のドラマを見るのである。
 さあ、筆を持ち給え。

       

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