第1話 パンドラの箱

 深夜。とある会社の一室で、男がひとりごちていた。
「あれっ、おかしいな……あれっ」
 コピー機に向かって悪戦苦闘しているスーツ姿の男、高橋。彼は男でありながら短大を卒業し、地元の中小企業に就職して十余年のキャリアを築いてきたサラリーマンである。
「このままだと即売会に間に合わないぞ!」
 あわてて引き抜こうとするもむなしく、詰まっていたエロ同人誌のコピー二ページ分がコピー機というパンドラの箱に吸い込まれたまま千切れてしまった。
「くっ……なんてことだ、もしこれを女子社員に見られたら……いや女子社員でなくてもほかの社員に見られでもしたらどうするんだ!」
 部屋中に響き渡る独り言とともに高橋のこぶしがパンドラの箱に叩きつけられたが、それで詰まりが解消されるはずもなかった。
 高橋は茫然自失としゃがみこんだ。即売会に間に合わないどころか、部下、同僚、果ては上司から変態の烙印を押されてしまう自分の姿を想像した。高橋の精神が奈落の果てへと転がり落ちていくのが、変態紳士の皆さんにはよくお分かりいただけるだろう。

 なぜ、ふたなり娘アヘ顔触手陵辱などというジャンルに手を出してしまったのか――

 今となっては悔やんでも悔やみきれない。壁を殴っても殴り返してくれる者すらいない。
 これが、残業だと嘘をついてまで会社のコピー機を使ってしまった自分への報いだとでもいうのだろうか。確かにコンビニでコピーをとればこんなことにはならなかっただろう。もし詰まったとしても、コンビニの店員に見られるだけだ。深夜におっさんが店番をしているコンビニならなおよい。
「畜生……ちくしょおぉー!」
 高橋の行き場のない怒りはコピー機へとぶつけられた。
「コピー機! お前は俺のすべてを奪った!」
 何を思ったのか高橋はコピー機の業者さんにしか空けられない部分をバカッと空けた。普段の冷静な高橋であればまずすることはないであろう暴挙である。

 ――私の封印を解いたのはあなたか?

 コピー機の中に体を半分ほど入れた高橋の耳に、奇妙な声が聞こえた。いや、聞こえたというよりも直接脳内に響いている感じがした。
 まさか、本来業者さんしか開けてはならない場所を開けたことでコピー機の怒りを買ってしまったのだろうか? それともまさか、社員が残っていたのであろうか?
「誰だっ、誰かいるのか?」
 まさかエロ同人誌をコピーしていたところを見られてはいまいかと高橋は半狂乱になって叫んだ。しかし部屋には高橋以外の人間は見当たらない。
「これは悪い夢だ、エロ同人誌がコピー機に詰まるなんて悪夢だ。夢なら覚めてくれ」
 がっくりとうなだれる高橋。恐怖と羞恥心のあまりついに幻聴まで聞こえ始めたかと考えたそのとき……
「夢ではありません。これこそゆるぎなき証拠」
 凛と響く女性の声とともに、高橋のエロ同人誌の原稿がコピー機からするすると落ちてきたのである。
「俺の同人誌が何の証拠なんだよお! もう勘弁してくれ!」
 高橋は一連の出来事にすっかり精神を消耗していた。残業すると嘘をついて同人誌をコピーしていたこと。コピーしている途中で紙が詰まってしまったこと。詰まったページがちょうど一番エロいページであったこと。エロ同人誌のジャンルがふたなり娘アヘ顔触手陵辱であったこと。そしてパンドラの箱から不気味な声が聞こえること。
「あなたは私の封印を解いた。あなたこそ私のマスター」
 美しき声とともに光り輝くパンドラの箱から飛び出してきたのは銀髪碧眼の見目麗しい美少女だった。純白のブラウスと海を思わせる蒼のスカートをはためかせ、手には銀の剣を携えている。高橋がネットで見てきたどの美少女外国人コスプレイヤーよりも完璧な、二次元からやってきたとしか思えない完璧な美少女だった。
「マスター、ともに参りましょう。この世界の平和は今も脅かされているのです」
 少女は高橋の手をとると、立ち上がらせた。
「世界の平和が脅かされている?」
 高橋は同じ言葉で聞き返した。
「そうです。あなたも私もこれからいくつもの過酷な戦いをくぐり抜けていくことになりましょう。それがわかっていながらエロ同人誌の原稿を詰まらせ、私の封印を解いたことを……私は心から感謝します」
 少女はひざまずき、高橋に忠誠を誓った。そして高橋もまた、よくわからないが流れに身を任せて少女とともにこれから幾多もの死線をくぐる覚悟を決めたのであった。