朝。ソファーで寝ていた高橋は香ばしい香りで目を覚ました。顔をこすりながら台所へ向かうと、銀髪の乙女アンリエッタが朝食の準備をしているところだった。
「おはようございますマスター。目玉焼きの焼き加減はどういたしますか?」
まるで何事もなかったかのように、アンリエッタは微笑んでいる。これが昨日コピー機から出てきたばかりの少女の余裕だろうか。
「固焼きで頼む。カッチカチの固焼きだ」
高橋は目玉焼きは固焼き派だった。半熟など許せたものではない。あのどろりとした食感ほど高橋を震え上がらせるものはなかった。
「わかりました、カッチカチですね。もう少しかかりますのでトーストと紅茶をお召し上がりになっていてください」
「牛乳とバナナも頼む」
高橋の朝は牛乳に始まり牛乳に終わる。とにかく牛乳を飲まなければ気のすまない男だった。牛乳を飲めば身長は伸びるし筋肉は付くし男子力アップ間違いなしのパーフェクトな飲み物なのだと信じていた。
「はい、かしこまりました」
ここで高橋は首をかしげた。はて、この少女はメイドとして自分の元へやってきたのであったのだろうか。否、世界の平和がどうのこうのとかそういう話だったはずである。
「そういえば俺たちの敵は一体どこにいるんだい?」
「敵はいずれ向こうから姿を現します。今日にでも」
「なるほど、気合を入れていかないとな」
高橋はアンリエッタが運んできた牛乳を一気に飲み干した。全身に牛乳がいきわたり、力がみなぎってくる。恐るべし牛乳の力。ここで牛乳が飲める男とそうでない男との差がついてくるのだ。牛乳を飲めない男はその人生において三割、いや五割を無駄にしているといっても過言ではない。
テレビのニュースを見ながら高橋は朝食をすべて平らげ、サラリーマンの鎧であるスーツに腕を通した。
「じゃあ、会社に行ってくる」
玄関に向かう高橋を、アンリエッタが慌てて追いかけた。
「マスター! 私は常にマスターのおそばに!」
「いやいや、会社に連れて行くわけには行かないよ。ものすごく白い目で見られた挙句首になってしまうじゃないか。さすがに留守番していてくれ」
「そうですか、それではいたしかたありません……これをお持ちになってください」
アンリエッタは悔しげに首を振ると、一枚の紙を差し出した。
「こ、これは! 俺が昨日会社のコピー機に詰まらせたエロ同人誌じゃないか! こんなものを会社に持っていけというのか!」
不意打ちにうろたえる高橋。心地よい目覚めと朝食のせいか、エロ同人誌のことなどすっかり忘れていたのだ。
「はい。もし敵が襲ってきたときは会社のコピー機でこの原稿をコピーしてください。私が即座にマスターの元へと転送されます」
「なんだって?」
「敵に襲われた際は必ず原稿をコピーしてください」
アンリエッタの再度の言葉に、高橋はその場にがっくりと膝をついた。会社で襲われたらエロ同人誌の原稿をコピー……
「自分自身を公開処刑しろというのか!」
「そうしなければマスターの命が危ないのですよ」
狂乱する高橋をアンリエッタが諭した。
「電話じゃだめなのか?」
「時間がかかりすぎます、ここから西武池袋線とJRを乗り継いでいる間にマスターが殺されてしまいます」
「くそおっ……!」
こぶしを床にぶつけるよしのぶ。少し遅れて下の階の住人が床ドンを返してきたがそんなことはどうでもよかった。今はただ、自分の描いたエロ同人誌と池袋でJRに乗り継がなければならないひばりが丘のアパートが許せなかった。
「マスター、気を確かに」
アンリエッタはしっかりと高橋の両肩をつかんだ。
「私は好きですよ、マスターの描いた漫画」
その言葉にはっとして高橋は顔を上げた。
「マスターの漫画……『ふたなり娘アヘ顔触手陵辱~ひょっとこフェラは許さない~』からは、マスターの純粋な心が感じられます」
アンリエッタは恥ずかしそうに微笑むと、かばんにエロ同人誌の原稿を入れて高橋に手渡した。
「いってらっしゃいませ、マスター」
高橋はかばんを受け取ると、決心したように力強くドアを開けた。