Neetel Inside 文芸新都
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クソ小説アンソロジー
障害物競走

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 スタートから30分もかけてようやくたどり着いた最初の障害物は、パン食い競争のアレだった。見るだけで金物の酸化したすえた匂いが想像できる錆だらけの物干竿に、これからジャンプして食いつかなくてはいけないモノが麻紐に頼りなくぶら下がっている。
 クソ小説なので早めに明かしておくが、ぶら下がったものは明らかにウンコだ。お約束であるコーンの混じったウンコ、ご丁寧に黄色のシミまでついたブリーフウンコ、物理法則を無視して麻紐の先端にたゆたう下痢ウンコ等々、ざっと見渡す感じ20種類程度の古今東西ウンコオールスターズが、いざ競技者の口に入らんと20cm程頭上で待ち構えている。

 直立不動のままウンコに対峙する。漂うねっとりとしたウンコ臭は体と脳を分断させるのに十分だ。体操着の下で脇から汗が腰の辺りまで流れ、自分の体が冷えきっているのを実感した。これから僕らはぶら下がるウンコを受け入れねばならない。それも口で。ジャンプで迎えに行ってまで。どれほどのカルマをもってすれば現世においてこれほどの試練を与えられるのであろうか。
 今しがた息を切らせてやっとこの場に到着した吉田さんなんて、到着するなりウンコ食競争に気がつき凝視しながら愕然とした表情を見せている。ここに着くまでは赤く紅潮していたであろうその顔は青ざめ、目に沢山涙を溜めたあと、膝をついてむせ込んだ。悲しみの涙からの嗚咽なのか臭いからなのかは僕に判断しようもない。
 気がつくと障害物競走の出走者ほぼ全員がクソ障害の前で立ちすくんでいた。

 「競技者のみなさんは早く競技を進めて下さい」

 実行委員の無慈悲で抑揚のない放送が、この上なく澄んだ秋空に吸い込まれていく。畜生、いい天気だ。
 
 一向に進行しない運動会にしびれを切らせた怒りやすい教頭が、実行委員からマイクを奪い一喝する。

 「ふざけているのかおまえら! これは遊びじゃなく授業の一環なんだ! 真面目にやらないなら帰れ! もしくは食え!」

 競技者の心は今まさに一つになる。ふざけているのはどちらなのだと。全員がボイコットをしようとクソ釣りギミックに背を向けたとたん、観客が突然怒声を発しだした。
 早く食え! ノロマが! 食わねーと面白くねーぞ! シネ! タカシがんばれえ! 時として焦れた観客の熱狂というのは競技者の情熱を上回り、それに呼応する声が多ければ多い程、暴走に近い形で発露するものだ。理不尽だろうと判断力が低下した僕たちをその場に留まらせるには十分だった。同級生の怒号とクソの匂いが充満する校庭の中心で正気を保つには、僕らはあまりにも若い。普段すがるべき教師や同窓達に否定を示されてしまっては、自らの判断など簡単に翻ってしまう。
 食糞と言うアブノーマルと運動会という青春の一ページのコントラストは、もしかしたら大人の階段を上る通過儀礼としては悪くないのかもしれない等と思い始めた時、観客からざわめきが起こった。

 「よ、吉田だ! 吉田が行った!」

 僕が振り返ると、吉田さんは肩をいからせ、上半身を固定する様にウンコに向かって疾走していた。まるでASIMOを2倍速で再生した様なその変に洗練された走りに誰しもが目を奪われた次の瞬間、彼女は高飛び競技の様に飛び上がった。奇麗な踏み切り、助走も完璧。踏み切りと同時に背面跳びとは逆側に体を伸び上げて……あれはそう、ベリーロールだ。横並びしたウンコと錆びた棒の間をすり抜ける様に放物線を描こうとする。当然その間にはウンコを吊った麻紐がある。吉田さんの体に触れた麻紐は先端のウンコ達を吉田さんの体に誘う。幾つかのウンコは雫をまきながら、また幾つかのウンコは愚直なまでに固まったまま……各々が吉田さんと一体化し、糞田さんを形成した。
 これはパン食い競争のアレなので当然マット等ない。地面に叩き付けられた糞田さんは受け身をとれていないにもかかわらず、何事もなかったかの様に立ち上がった。
 茶色く染まった体にのぞく擦りむいて血が滲んだ膝頭が眩しく感じられる。だれも何も声に出来ないまま彼女を見つめていた。ゆっくりと、そして堂々と動き出した彼女は、自分が体に引っ掻ける事が出来なかった、まだぶら下がった状態のウンコの前にいき、おもむろにそれを手で鷲掴みにした。
 そして彼女はそれを食らい尽くした。一つ残らず全て。食べ終わった後彼女は糞まみれ笑顔で言ってのけた。

 「ごちそうさまでした」

 彼女の糞まみれの顔はこの世のものとは思えない程輝いている。美しい。というかやりたい……。
 この日一番の歓声がわき起こった。観客は新たなるウンコウーマンの誕生に沸きに沸いた。校長と教頭などは手を取り合って涙を流している。

 皆が今しがた目の前で繰り広げられた伝説の余韻に浸っていると、急に雨が降り出した。雨は全てを流して行く。校庭の砂粒も、ウンコも、僕の強ばっていた心も。
 強くなる一方の雨に、我先にと撤収をはじめる面々を尻目に僕は一人校庭に佇んでいた。さっきまであれだけ晴れていた空はすでにどす黒く荒れた空だ。ついさっきまで涙を流し震えていた女子もまた今では立派な糞戦士だ。なるほど、女心と秋の空か。
 明日のHR、朝のお通じの時間に吉田さんに告白しよう。 僕は密かにポケットにつめたウンコに付いていたコーンに誓った。

       

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