Neetel Inside ニートノベル
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第八話

「──っ!」
 気が付くと、見覚えのある部屋の中で、仰向けに寝そべっていた。
(俺の……、部屋?)
 見間違う事無く、ここは俺の部屋だ。
 脳裏に、先程の惨劇の情景が浮かんだ。床にごろごろと転がった、クラスメイト達の死体、死体、死体……。そして、俺の前に佇む『イチナナサン』。俺は、あの地獄から逃げ出せたというのか? あの状況から? そんな幸運が起こりうるのだろうか。確かに気絶したその時、『イチナナサン』は別の教室にいたようだ。少なくとも、目の前にはいなかった。とはいえ、俺は気絶した際に間違い無く目を閉じたはずだ。そうすればいずれ、『イチナナサン』は俺を殺しにやって来ただろう。それとも死んだふりが通用するのか? まさか……。殺される前に誰かが助け出してくれたと考えた方が可能性は高いだろう。しかし、誰が、どうやって……。
 ……タローは、リナは、どうなったのだろう。俺が助かったのだ。生きている確立はゼロじゃないはずだ。もちろん、あの状況で生きているとは思えないが、死体を実際に確認したわけじゃ無いし、気絶して、俺のように標的から外れた可能性だってある。
 ポケットに手をやり、スマホを探した。連絡を……。しかし、制服を着ていたはずの俺はいつの間にか私服に着替えさせられており、ポケットの中にスマホは見当たらなかった。誰が、着替えさせたのだろう。
 痛む頭に顔をしかめながら、俺はゆっくりと立ち上がった。そして、自分の服装を確かめる。模様の少ない白いTシャツに、くたびれたジーンズ、かかとの擦れてきた靴下……、これらは間違い無く俺の服だ。
 ──自分の置かれた状態を改めて見ると、おかしい事が沢山ある。俺は、自分の部屋の真ん中に寝かされていた。俺達兄弟は二人で一部屋、寝る時は床に布団を敷いている。しかし、今床に布団は敷かれていない。俺は床の上に直接寝かされていた。タオルケットの一枚も掛けられていなかった。学校の、あの状況から救出されたのだ、布団くらい敷いてくれても良いだろう。それに、着替えさせてくれた事は良いが、靴下をはかせる必要はあっただろうか。ジーンズというのも解せない。
 部屋の中を見渡してみる。時計は午後四時過ぎを示している。という事は、俺は三時間以上気絶していたわけだ。その間に、一体何があったのだろう。
 何か手掛かりは無いかと、部屋の中を探る。スマホも、カバンも見つからない。脱がされた制服も部屋の中には無かった。もしかしたら、警察に押収でもされているのだろうか?
 窓の外を見る。まだ暮れ始めてはいないが、闇を含み出した重たい日光が部屋に射し込んでいる。
「あれ? 兄貴起きたんだ」
 ノックもせずに部屋に入って来たのはユタカだった。片手に飲みかけのコーラのペットボトルを持っている。……気絶して運び込まれた兄が起きたのだ、もう少し、感動めいたものがあっても良いのではないのだろうか。
「休みだからって寝てばっかいて良いのかよ」
 部屋に入って右手に並んだ兄弟の机、その奥、窓側がユタカの机だ。椅子を引き、腰掛けようとしながらユタカが言った。
「……休みって、何が?」
「何って、学校に決まってんじゃん」
 学校が、休み?
 ……そうか、あんな事件があったのだ、学校が休みにならないはずが無い。
「今日は何日だ?」
 もしかしたら、俺はもう何日も意識を失っていたのかも知れない。あるいは、少し頭がおかしくなって、数日分の記憶を失ってしまったのかも知れない。どちらもありそうな話だ。
「……○日だけど?」
 しかし、俺の予想に反し、日にちは経っていなかった。『今日』は『今日』であっているらしい。
「……お前の学校も休みなのか?」
 気になって聞いてみた。
「じゃなきゃ朝から家にいないだろ?」
「……何で、休みなんだ?」
「え?」
「何で俺の学校もお前の学校も休みなんだって聞いてるんだよ」
 思わず、語気が強くなる。ユタカは訝しげに眉を寄せた。
「何でって……。あれ? そういえば、何で休みなんだっけ?」
「いつ休みって決まったんだよ」
「いつって……、前から?」
「違う!」
 思わず叫んでしまった。
 違う。
 何かがおかしい。
 いや、全てがおかしい。
 俺の頭がおかしいのか、この世界がおかしいのか、それはわからない。
 何にせよ、何もかもつじつまが合わないでは無いか。
 納得のいく答えがあるとすれば、あの惨劇は全て俺の妄想だった、という答えだけだ。
 しかし、それは断じて無い。
 あの出来事が、現実で無かったわけが無い。
 俺は、見たんだ。
『イチナナサン』を。
 クラスメイトの死体を。
 今も鼓膜に刻まれている、あの悲鳴を!
 あれは絶対に夢では無かった。
 俺が気絶した後に、一体何があったというのか。
 一体、何が……。
「──兄貴さあ」
 ユタカが自分の机の上に置かれたPCの電源を入れた。ちなみに俺の机の上には本が並んでいる。アナログとデジタルの綺麗な対比だ。
「寝ぼけてんのか知らないけど、大きい声出すなよな」
「……悪い」
「ま、良いけど」
「──そうだ。ユタカさ」
「何?」
「俺の携帯鳴らしてくれない?」
 この部屋にあれば着信音が聞こえるだろうし、無ければ今所持している誰かが出てくれるかも知れない。
 しかしユタカの返事は、予想だにしなかったものだった。
「携帯? 兄貴、携帯持ってないじゃん」

 その後、俺は自分に何が起こったのか詮索する事を一旦諦め、一階へと降りた。下の階には母がいるはずだ。何だか、無性に恋しく感じた。
 俺の頭がおかしくなったのでも何でも良い。今はまず、この世界に、俺を守ってくれる存在がいるのかどうかが知りたかった。守ってくれる存在──、親の愛情が、欲しかった。
 母は、リビングのソファに座り、テレビのワイドショーを見ていた。その後ろ姿を見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。思わず、涙が滲む。
「母さん」
 俺の声を聞いて、母はゆっくりと振り返った。間違い無い、俺の母親だ。おかしな事があり過ぎて、もしかしたら別人に入れ替わっているかも、と想像してしまっていた。
「あら、起きてきたの?」
「……うん」
「お昼も食べずに寝てたけど、大丈夫? 夕飯まで我慢出来る?」
 どうやら俺の腹具合を心配してくれているらしい。
「うん、大丈夫」
「そう」
 言って母は、再び顔をテレビに向けた。
 ──これで良いじゃないか、と頭の中の誰かが言った。
 ──これ以上詮索しない方が身のためだ、と声は何度も繰り返した。
 だけど……。
「母さん」
「何?」
 今度は振り向かずに応えた。
「昨日、俺、何してた?」
「何って……、学校でしょ?」
「今日は?」
「朝ご飯食べてからずっと寝てたじゃない」
「学校は、休みなんだよね?」
「……何か、用事でもあったの?」
「ううん。そうじゃないんだけど……」
「どうしたのよ」
 母がこちらを向いた。心配そうな顔だ。
「母さん」
 わけもわからず、涙が零れた。
「何……、泣いてるの? どうしたのよ」
「母さん、俺……」

 ──頭がおかしくなったのかも。

 言おうとしたその時、
 母の後ろに佇む、
『イチナナサン』の姿が見えた。

「かあ──」
 逃げて、と言うより早く、ヤツは姿を消していた。
 ──幻覚、だったのか?
 例の石臼を碾くような音は、聞こえない。
「ユキオ……?」
 母が俺の顔を覗き込んでいる。心から、心配しているのがわかった。
「ごめん、母さん」
 俺は、恥ずかしげも無く、母を抱き締めた。
「ごめん、母さん。ちょっと、怖い夢を見たんだ」
 いつの間にか、俺よりずっと小さくなった母が、俺の背中を抱き返した。
「……もう、驚いたじゃ無いの」
 そっと背中を撫でられる度、目から涙が零れた。

 ──怖い夢を見た。

 そう考えようと、強く思った。

       

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