Neetel Inside ニートノベル
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第十話

「──お目覚めかな?」
 気が付くと、見知らぬ、薄暗い部屋の中にいた。俺はその部屋の真ん中で、椅子に座らされていた。霞む目で、声の主を探す。全面を本棚に囲まれた部屋の奥、まるで大統領が使うような大きな机に男は肘を乗せてこちらを見ていた。
「出来れば、暴れたりはしないで欲しい。君にはこれから、きちんと説明をさせてもらうから」
 男は四十代か五十代くらいだろうか、白髪の混じった髪を後ろに撫でつけており、正に紳士といった風貌だ。縁の細い眼鏡の奥には、青みがかった大きな目。日本人のようには全く見えないが、日本語はひどく流暢だ。
「キシダ・ユキオ君、だね?」
「……はい」
「君に何が起こったのか、覚えているかい?」
「……はい」
 当たり前だ。忘れられるはずが無い。
「なるほど。やはり……」
 そう言って男は組んだ両手を解いて、こちらを改めて見た。
「さて、何から説明しようか」
「……僕の家族は、死にましたか?」
「ああ……、済まない。真に残念だよ」
 やはり俺が見た『イチナナサン』は、現実だったようだ。
 哀しかったが、不思議と涙は出なかった。
 おかしな事がありすぎて、もう感情がついていかなくなったのかも知れない。
 こんな事、現実味がなさ過ぎる。
「……最初から、説明しようか」
 彼は深く息を吸い込むと、ぽつぽつと語り始めた。
 俺は、俯いたままそれを聞く。
「そもそも、君住んでいたあの街は、しばらく前から我々の監視対象だった」
「……いつから?」
「一年程前だ。君は自分の街の市長の名前を知っているかい?」
 少し考えてみたが、思い出せなかった。首を振って答える。
「サトウサイトウ、というんだ」
 サトウサイトウ?
 全く聞き覚えが無かった。それに、おかしな名前だ。何かの間違いでは無いだろうか。
「実は『サトウサイトウ』は、SCPなんだ。『SCP─095─JP』と分類されている」
「市長が、SCP?」
 思いも寄らぬ展開に、俺は顔を上げた。男と目が合う。何て、優しい目をしているのだろう。こんな状況にもかかわらず、少しだけ心が落ち着く。不思議と、彼の言葉を信じよう、という気になる。
「そう。本来であれば、気付いた時点で即解任させるつもりだったが、財団は、しばらく様子を見る事にしたんだ」
「何故?」
「もちろん、ヤツの事をよく知るためさ」
「俺達を、実験台にしたのか?」
「いや、確かにヤツは時に住民に対して暴行や拷問を行うよう働きかける事がある。しかし、そうなる前には対処出来るよう、我々は極めて厳重な監視体制をひいていたんだ。君が会ったあの刑事もうちの職員だ。そして『グッドラック』の店主もね」
「『グッドラック』の店主もだって? 嘘だ。だってあの人は俺が子供の頃からあそこで……」
「君は、この一年のうちに、店主の顔を見たかい?」
「……いえ」
「事件後も、ニュースなどに顔写真は出なかったはずだ。つまり、君は店主がうちの職員と入れ替わっていた事を知らなかったんだ」
「入れ替わって?」
「そうだ。そんなの、気付かれるだろうって? 我々の記憶操作力を甘く見てはいけないよ。まあ、君には無効なようだが……。いや、それはまた後で話そう。ええと、どこまで話したかな? ……そう、我々が君の住んでいる街を監視していた、というところか。『サトウサイトウ』は特別問題を起こさないまま、時間が過ぎていった。そんなある日、『グッドラック』の店主──うちの職員のもとに、荷物が届いたんだ」
「『イチナナサン』……」
「そうだ。これは完全に我々の失態なのだが……、受け取った職員はその荷物を不用意に開けてしまったんだ」
「……いったい、誰が?」
「誰が、何処から、どんな方法で『イチナナサン』を送りつけて来たのか。それは未だ不明だ。あの街の荷物の出入りは全て監視していたのだが……。何にせよ、そうしてあの惨劇は起こった」
 惨劇、という言葉に悪夢がフラッシュバックする。込み上げるものを感じ、思わず彼から目を背けた。彼は気にせず、話を続ける。
「『グッドラック事件』が起こった時点で『イチナナサン』による殺人と気が付いた。君の友人の証言も、とても役に立ったよ」
 カシマ──。友人の顔が、脳裏に浮かんで、消えた。
「『イチナナサン』の事を、我々はよく知っている。過去の捕獲経験だって少なくは無い。しかし、それでもヤツの捕獲は非常に困難なのだ。結果的にヤツは君の学校へ侵入。生徒数百名が犠牲になった。君は……、あの学校にいた、唯一の生存者だ」
「唯一……」
 それはつまり、タローもリナも死んでしまったという事だ。
「学校にもうちの職員はいたのだが、ここでもヤツを捕獲出来なかった。君を見つけたのは処理班の人間だ。とても驚いたよ。まさか『イチナナサン』と対峙して、生き残った一般人がいるとは思わなかった。我々は、君がどうやって『イチナナサン』から逃げおおせたのか、学校に設置してあったカメラの映像から、すぐさま調べた」
「カメラが、あったんですね」
「ああ……。映像を見ると『イチナナサン』が気絶した君の前を素通りしていく姿が見えた」
「……死んだふりが通じるんですかね」
「いや、それはあり得ない。我々は悩んだ結果、君に記憶処理を施し、自宅へと帰す事にした」
「俺も観察するつもりだったんですね。実験動物みたいに」
「人権は尊重したつもりだよ。確かに、自分本位なやり方かも知れんがね。さて、ここでまた一つ問題が起きた」
 問題……。うちに『イチナナサン』が来た事だろうか。
「どうやら君には、我々の記憶処理が効かないようなんだ」
「え?」
「君が思う以上に、我々のもつ記憶処理の技術は強力だ。一つの国の住民全ての記憶を書き換えたり、ニュース等のネット上の記録を改竄したり事は容易い。しかし、君にはその記憶処理が効かないんだ。ここへ連れてくる間にも、とびきり強力なやつを行ったんだがね。その結果は……、君が一番わかっているだろう」
「……」
 自分では、その処理が上手くいったのかいってないのか確かめようも無い。「わかっているだろう」と言われても、答えようが無い。
「君が家に帰ったその後、何が起こったのかは言うまでも無いね」
 答えない。考えないようにした。
「そこでもまた、驚くべき事が起きた」
 何か、あっただろうか。
「君は気付かなかったかも知れないが、君は……」
「……俺、何かしました?」
「『イチナナサン』に背を向けて、逃げたんだ。いや、逃げ延びた、と言った方が正しいか」
「……つまり?」
「どうやら君は、『イチナナサン』の視界にいながら、攻撃対象にはならないようなんだ」
「まさか……」
「さらに、『イチナナサン』は君を追いかけているようにも考えられる」
 何だって?
 それは、つまり……。

 俺が家にいたから、

 家族は、

 俺の家族は……。

 家族との思い出が、浮かんでは消えた。

 いつの間にか俺は、声を上げて泣き出していた。

       

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