第十一話
「──君が意識を失っている間に、我々は君を色々と調べさせてもらった」
俺が泣き終わるのを待って、彼は話を再開した。
「もちろん、外科的な検査はしていないよ」
どうでも良かった。
「調べた結果、ある事がわかった」
「俺が、SCP、とか?」
「少し違う。君の頭の中に、既知のSCPが入り込んでいる事がわかった」
「頭の、中?」
「そう。それは我々がSCP─148『テレキル合金』と呼んでいる物質だ」
「どうして? いつから?」
「それはまだわかっていない。しかし、これが我々の記憶処理を阻害していた事は間違い無いと思う。『イチナナサン』の標的とならない事が『テレキル合金』の作用によるものなかは不明だ。今のところ、そういった実験記録も無いしね」
「頭の中に、金属が……。大丈夫、なんですか?」
「おそらく、としか言いようが無いね。少なくとも、不用意に取り出すよりは安全だと判断して、今はそのままにしてある」
いったい、いつ、どのようにして俺の頭の中にその『ナントカ合金』が入り込んだのだろう。生まれてこの方、大きな事故や病気になった事は無い。入り込むなんて、考えられない。
「……ここからが、本題なのだが」
彼は小さく咳払いをして、話し始めた。
「俺に、モルモットになれ、というんですね」
「否定はしない。しかし、もちろん人権は尊重するし、生活は保障する。それに……」
「それに?」
「もし君が我々の実験に協力してくれるのなら……、100%成功する保障は無いが、君の家族の蘇生を試みても良い」
何とも、頼り無い駆け引き条件だ。
「やってダメだったら、俺は協力を辞めるかも知れませんよ?」
「もちろん、かまわない」
「では、まず、蘇生を試みて下さい。成功したら、協力します」
「良いだろう」
机の上の電話を手に取り、彼は何処かへ連絡した。何を話したのか、聞き取る事は出来なかった。
「しばらく、待っていてくれ」
「……はい」
今までとは違う緊張感が、襲いかかってきた。
蘇生の成功確率はどれくらいなのだろうか。
家族は生き返るのだろうか。
それとも……。
「良かったら、少し散歩しないか?」
彼が不意に話し掛けて来た。
「ここでこのまま待っていても退屈だろう。君の部屋へ案内して、休ませてあげたいところだが、まだ準備が出来ていなくてね。どうだい? 少し、一緒に歩かないか?」
少し迷ったが、俺は首を縦に振った。ここでじっとしているよりは、幾らか気持ちも楽だろう。
「それじゃあ決まりだ」
妙に嬉しそうに彼は立ち上がった。俺もつられて立ち上がる。軽い立ち眩みがしたが、倒れる程では無かった。
「じゃあ、行こうか」
彼の後ろについて、俺は部屋の外へと出た。
出た後に何気なく振り返ると、部屋の扉に小さなネームプレートが見えた。
『Dr.Gideon』
プレートにはそう書かれている。『ギデオン博士』と読むのだろうか。
「さあ、何処へ行こうか……。うん、まずはこっちへ行こう」
そう言って、博士が歩き出す。俺はその後ろをゆっくりとついて行った。
「ここは、何処なんですか?」
歩きながら、ずっと気になっていた事を聞いてみた。
目的地があるのかどうかわからないが、博士は特に会話するでも無く、廊下をすたすたと歩いて行く。
それにしても、他の職員はいないのだろうか。部屋を出て数分経つが、まだ誰ともすれ違っていない。
「取りあえず、日本では無い、とだけ言っておこう」
博士は振り返りもせずに答えた。
「SCPの施設なんですね?」
「そう。もちろんそうだとも」
「……他の職員はいないんですか?」
思い切って、聞いてみた。
「もちろんいるさ」
「……」
何となく、不安な気持ちになってきた。いや、冷静になってきたというべきか。
先程まではめまぐるしい状況の変化に、頭の中は非常に混乱していたが、冷静になってくるにしたがって、現状の異様さに気付きだしたのだ。
俺は……、騙されているんじゃないだろうか?
「……ここには、たくさんのSCPが収容されているんですか?」
「いや、そこまでたくさんでは無いね」
「今、何処へ向かってるんですか?」
「ちょっとした、暇つぶしにね、見てもらおうかと思って」
「何を?」
「さあ、到着したよ」
博士が立ち止まった。目の前には、大きなシャッターが閉まっている。
「ここは……」
厭な予感しかしない。
「少しだけ、ここで待っていてくれ」
俺の返事を待たず、博士は右手の部屋の中へと滑り込んでいった。追いかけようとしたが、間に合わない。閉められた扉の向こうから、鍵を掛ける音が聞こえた。
「博士!」
返事は無い。
その時、大きく軋みながら、目の前のシャッターが開き始めた。
倉庫のような、だだっ広いコンクリートの空間が見え始める。
ああ、この光景は……。
「博士!」
この光景は、見覚えがある。
空間の奥、隅に佇むあの姿は……。
『イチナナサン』
「博士!」
叫びながら、もと来た道を引き返そうと振り向きかけた、が……、ダメだ。ヤツに背を向けるなんて自殺行為だ。……いや、俺は、大丈夫なんだったか? 博士が言うには、俺は何故か『イチナナサン』の標的にはならないらしい。それが本当だったら……。
しかし、それを試すのはあまりにリスキーだ。
俺はまばたきを必死に我慢しながら、ゆっくりと後ずさりを始めた。
すぐに背中が壁にぶち当たる。廊下は左手に折れている。そちらへ入ると、ヤツは視界から消える。そうしたら……、どうなるんだ? それはつまり、まばたきした事と同じなんじゃ無いのか?
「博士!」
まばたきを我慢するのはもう限界だ。俺はこれで最後と、思いっ切り叫んだ。
すると、再びシャッターが動き出し、ゆっくりと閉まっていく。
どこからともなく、博士の声が聞こえた。
《やあ、すまないすまない。驚かせてしまったね。いや、別に君を『イチナナサン』に会わせたかったわけじゃないんだ……。おや?》
その時、辺りが突然闇に包まれた。
これは……。
(停電!)
何て事だ、これではゲームと全く同じではないか!
明かりはすぐに復旧した。
しかし、半分だけ閉まったシャッターの向こう側に、すでに『イチナナサン』の姿は無かった。
《ああ、何という事だ!》
博士の声が聞こえた。
《大変だ『イチナナサン』が逃げ出してしまった! この施設には他にも数体の『イチナナサン』がいるのだが、こちらのモニターで見る限り、全て逃げ出してしまったようだ。それに、君に会わせたかったあいつも……》
「ふざけるなよ!」
俺は、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
何という茶番だ!
今起きているこの事態は、事故とは思えない。博士が仕組んだ事なのは間違い無いだろう。施設内に職員が一人もいなかったし、今のシャッターの開け閉めだって意味不明だった。
これはおそらく……、俺への実験なのだ。
「畜生!」
今は悩んでいるヒマは無い。いつ何処から『イチナナサン』が現れるとも限らない。博士の言った通り、俺が標的とならないのなら良いのだが……。
俺は、走り出した。
行く当ては無い。
とにかく、この場所から逃げねば。
《『シャイガイ』によろしく……》
博士の声が聞こえたが、俺にはその意味を考えている余裕は無かった。