Neetel Inside ニートノベル
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第二十二話

「ユキオ」
 食堂で休んでいると、ハビエルが声をかけてきた。
 彼とは歳も近く、同僚の中でも一番親しくしている。
「どうした?」
 座ったままの俺を見下ろす彼の身長は190センチ弱。横にも若干広めな体は、こうして見上げるとまるで壁の様だ。
「トニーさんが呼んでたぜ」
「ああ」
「昨日の実験についての話かな? 大成功だったんだろ?」
「もちろん」
 昨日──、俺は『イチナナサン』との接触実験を行った。実験内容は非常にシンプル。ヤツを目の前にしてまばたきをするだけだ。
 結果は、成功。
 俺は『イチナナサン』と二人きりの部屋で、何度まばたきをしても殺される事は無かった。まばたきをする度に、俺の目の前までは来るのだが、決して攻撃はしてこなかった。
 この結果は、俺にとってはわかりきった事だったが、周囲の人間を非常に驚かせた。その驚きの大きさは、即ちどれだけ俺が疑われていたかという証明だった。実験終了後、俺と入れ替わりにDクラス職員で再度試したというから、全く信用が無い(Dクラス職員はもちろん、死んだ)。
「俺は信じてたぜ、ユキオ」
「調子良いな」
「何言ってんだよ。俺がいつお前を疑った?」
「さあね。で、トニーは何だって?」
「メディカルチェックが終わったらトニーさんの部屋に来いってさ。飯食ってるって事は、チェック、終わったのか?」
「終わったよ」
「どうだった?」
「どうって……、別に、何も変わらないよ」
「そりゃ良かった」
 ハビエルがほっとした表情で俺の肩を叩く。
「──っ、痛いな。あー、骨、折れたかも。これじゃまたメディカルチェックしなきゃだ」
「何だって? ユキオは勉強ばっかじゃ無くて、もっと体を鍛えないとダメだな」
「うるさいな」
 食器の乗ったトレイを手に立ち上がる。立ったところで、ハビエルを見上げる構図に変わりは無い。
「なあユキオ」
 歩き出した俺の後ろをついてハビエルが言う。
「何?」
「夕食が終わったら、俺の部屋に来いよ」
「またポーカーか? 賭けるならパスだぜ」
「そうじゃねえよ」
「酒なら少しくらいだったら──」
「いや、まあ酒も飲むだろうけどさ。たまにはちょっと語ろうぜ」
「何を?」
「何をってわけじゃねえけど……。ま、良いから来いよ」
「……わかった」
 俺が首を縦に振ると、ハビエルは「じゃあ後で!」と去って行った。
 ──ハビエルの意図はわからなかったが、悪い気はしなかった。
 彼は、俺の事を友達だと思っている。……もしかしたら親友とも。
 確かに、俺も彼を友人だと思っているし、親友と言って良い程に余暇の大半を共に過ごしている。
 しかし、俺は何処かで心にブレーキをかけてしまっている。
 何処かで、あまり親密になり過ぎないようにしてしまっている。彼も、きっとそれには感づいているだろう。
 これではいけない事はわかっている。何より彼に失礼だ。
 ……今夜、彼は俺と何を語りたいのだろう。
 俺は少しもやもやとした気持ちで、トニーの部屋へと向かった。

   ***

「昨日はお疲れ様でした」
 俺が腰掛けるのを待って、トニーは口を開いた。
「予想通りの結果となって安心しました」
「反応は予想以上の大きさでしたけどね」
 俺の皮肉にトニーは苦笑いする。
「で、今日は何の話しでしょう。次の仕事についてですか?」
「はい。ただ、すぐにというわけではありません。先程、改めて脳内の金属片を採取させていただきましたが──」
「検査結果が出るのにひと月くらいかかると聞きました。驚きましたよ。頭の中の物をあんなに簡単に採取出来るんですね。全く痛く無かったですよ」
「上層部も改めて、あなたの価値について見直したようです」
「『俺の』じゃなくて『俺の頭の中の金属の』じゃないんですか?」
「……否定は出来ませんね。それで、その検査結果を踏まえて、次の実験を行いたいと思います」
「結果が出るまでの間は?」
「一ヶ月間、休暇をとって下さい。ここへ来てから、まとまった休暇を出せませんでしたから」
「休暇なんて、俺……」
 働いている時の方が、色々余計な事を考えなくて済むから良い。一人になると、今でも時折『イチナナサン』や『ゼロキュウロク』の顔がちらついて──、眠れない夜もある。
「時には休む事も必要ですよ」
 優しくも強い口調でトニーが言う。
「……命令ですか?」
「そうとらえていただいても結構です」
「……わかりました。で、休暇明けの仕事内容は何です?」
「はい。少し、言いにくいのですが……、しばらく別のサイトへ移動していただきます」
「何処へ?」
「サイト17です」
「そこで、何を?」
「あくまでまだ予定段階ですので、検査結果を踏まえて、決定した内容をお話しします」
「秘密ですか」
「現段階では」
 今まで、こんな事は無かった。大きなプロジェクトなのだろうか。
 俺の気持ちを汲み取ったのか、トニーが少し声のトーンを落として言う。
「実験内容自体は、決して難しい事ではありません。ただの対話実験です。期間も非常に短時間のものとなる予定です」
「……相手が、特殊なんですね」
「はい。一歩間違えれば……、世界が滅びかねません」
「世界……」
 これは、思った以上に大事だ。いや、大事なんてもんじゃない。
「ですから、検討の結果中止となる事も大いにあり得ます」
「……残念なような、嬉しいようなですね」
「もし実験が中止となった場合はサイト17への移動も中止となりますので、安心して下さい」
「わかりました。以上ですか?」
「はい。本日はもうお休みいただいて結構です」
 俺はいったん腰を浮かせたが、思い直して再び腰を下ろした。
「まだ何かご質問がありますか?」
「サイト17には、トニーさんも来ますか?」
「ええ、もちろんです」
「安心しました。人見知りじゃ無いですけど……、知らない人ばっかのとこに行くのも不安だったんで」
 俺の言葉に、トニーの表情がふっと緩む。
「……私がこの施設へ来たのは、五年前の三月五日の事でした。五年前の三月五日です」
「……はあ」
 トニーが自分の事を話すのは珍しい。もしかしたら、出会って初めてかも知れない。
「来たばかりの頃は──当然と言えば当然ですが──親しいものもおらず、また、私自身も周囲と打ち解けられずに、半年くらいはとても辛かったです」
「ここに来る前は、何処に?」
「……別の、施設です」
 歯切れが悪いが、詮索は止めた。
「一年近くの間、私は独りぼっちでした。しかし、この財団の仕事は決して明るく楽しいものではありませんが、働いている職員は優しく気の良い人間ばかりです」
「たしかに、その通りだと思います」
「私にも、何人かの友人が出来ました。彼等は、今の私の心の支えです。彼等がいるからこそ、この先の……、どうなっていくのか想像もつかない未来だって、楽しみに思えるのです。ユキオさん」
「はい」
「移動する事になったとしても、このサイトにいる友人と永遠にお別れというわけではありません」
「わかっていますよ」
 そう答えたが、正直不安だった。
「この休暇は是非、友人達とお過ごし下さい。二名程度であれば、ご使命の職員に休みをとらせます。さすがに、一緒に一ヶ月というのは無理ですが」
「有り難うございます。でも、俺……」
「ユキオさん、これは私なりのプレゼントなんです。受け取って下さい」
 そう言われると、辛い。
 俺も休みが嬉しく無いわけでは無いのだが……。
 この胸のもやもやは、何と説明すれば良いのだろう。
「有り難うございます」
 立ち上がり、頭を下げた。
 嬉しい顔ひとつ作れないのだから、情けない。
 退室し廊下へ出る。
(休暇、か……)
 休暇と言っても、サイトの敷地内からは出させてもらえないだろう。敷地内には森やちょっとした湖などもある。ハビエルを誘って、そこでキャンプでもしようか。二名程度なら休みを合わせてくれると言っていた。もう一人は誰を誘おう。いくら仲が良くても、男二人のキャンプは寂しい。ダリオでも誘おうか。あいつは確かボーイスカウトをやっていたと自慢していたっけ。
 ──、こうして考えていると、少し休暇が楽しみになってきた。
 高校時代の夏休みの思い出が頭を過ぎりそうになったが、慌てて打ち消す。
 せっかくの休暇だ。楽しまなくては、トニーに申し訳ない。
 俺はキャンプの計画を練るために、小走りに自室へと向かった。

       

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