Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

第二十五話

「『カイン』? ああ、彼は、そう、SCPだよ。SCP―07……3、だったかな」
 昼食、チームとの顔合わせ、と済ませた俺は、自室に戻るその途中でチームメイトの男に声を掛けた。小柄で眼鏡でボサボサの髪型。見るからに研究者タイプの男だ。若そうに見えるが、幾つくらいなのだろうか。彼は顔合わせの時、アルバートと名乗っていた。
 俺は彼に昼前に廊下で会った男について訊ねた。
 トニーに聞こうかとも思ったが……、何となく、憚られた。
「彼は、有名だから。調べれば、すぐわかるよ。確か、閲覧制限は無かったと、思うから。あれ? どうだったっけな……」
「ありがとう」
 俺はついでにファイルが何処で読めるかを訊ねた。後で読んでみるとしよう。
「彼のファイルは何処で読める?」
「ああ、ほら、それ」
「それ?」
「そう、それ」
 そう言って俺の服を指さす。
「服が、何か?」
「それ、ポリエステルだろ? 君、サイト15から来たなら、支給されてるシャツは木綿のはずだ。あれ? ポリエステルのもあったっけ?」
「両方あるよ」
 舌足らずで歯切れの悪い彼の口調は、普通であれば苛々させる様な喋り方だが、彼は何だか憎めない。むしろ──滑稽と言ったら失礼だが──個性的で、魅力的に思える。恐らく生まれ持ったものなのだろう。
 思わず、頬が緩み、初めて自分が緊張状態にあったのだと気付く。
「でもここに来る前に、木綿のシャツは置いてけって言われたから、今持ってるのはポリエステル100%のシャツだけだよ」
 サイト17に来る前には必ず義務づけられる事であるが、理由までは気にしていなかった。この財団で働く上で、無知でいる事は時に博識よりも身を助けると、経験的に知っているからだ。必要な事であればトニーが教えてくれるはずである。その、はずだ。
「後、本や紙媒体は全てデータに置き換えるように言われて来たけど……。それと、彼──カインと何か関係が?」
 俺の言葉にアルバートが嬉しそうに頷いた。
「そうなんだよ。だからね、紙のファイルはこのサイトには無いんだ。基本的にはね。だから、ええと、何が言いたいかというと……」
「──『カイン』のファイルはネットワーク上のデータベースにある、と?」
「そう! でも、部屋の端末からは見れないからね。ちゃんと、別に、部屋があるんだ」
 そう言って彼は手に持っていたタブレット型の端末をおもむろに操作する。
 間もなく、俺の持っている端末へとメールが届いた。画面を見ると、どうやらこのサイトの地図を送ってくれたらしかった。
「ありがとう」
 既に案内図のデータは持っていたが、素直にお礼を言った。気遣いが嬉しかった。まるで転校生の気分だ。
「良いんだよ。僕等はチームだからね。チーム……いや、違うな……。そう……、そうだ! 僕等は騎士団だよ」
「騎士団?」
 思わぬ単語に首を傾げる。
「そうさ。僕等は小さなお姫様を護る騎士団さ!」

 夕食へ向かう前に、俺はデータルームへと向かった。
 アルバート曰く『カイン』はこのサイト17で自由に暮らす事を許されているそうで食事も他の人間と同じ様に食堂で摂っているらしい。と、するとまた食堂で会う可能性は高い。それならば先に情報を知っていた方が良いだろう。
 彼は俺の名前も、博士からの依頼の事も知っていた。注意するべきなのは明らかだ。
「やあ、ユキオ!」
 データルームに入ると、アルバートが待ち構えていたかのように声を掛けてきた。
「アルバート? 君も調べ物かい?」
 笑顔で、しかし何処かで緊張しながら彼の下へと近付く。
 彼はテーブルのモニタを前に座っている。その隣に誰か……、あれは確か……。
「こんばんは、ユキオさん」
「こんばんは。ええと……」
「マリーヤよ」
 そう言って彼女は微笑んだ。
 歳はたぶん俺より一回りは上だろう。銀色に近い銀髪に、薄いグリーンの瞳が印象的だ。
「こんばんは、マリーヤ。どうしてここに?」
「アルバートが、あなたが調べ物に来るだろうから一緒に行こうって……。ごめんなさいね」
「いえ、謝る事は無いです」
「ここのデータベースは、調べるのに、コツがいるから、ね」
「ありがとう」
 モニタの前を二人が空けてくれたので、椅子をずらして腰掛ける。
 正直、調べ物は一人でしたかったが、それはまたの機会でも良い。何となく、人恋しかったのも本当だ。
 椅子に座ると、右隣のマリーヤの方からふわっと良い香りがした。別に俺は年上の女性が好みと言うわけじゃない。良い香りというのは、そうじゃなくて……、母親の様な、懐かしい香りだ。
「ファイルはね、うん、もう開いておいたよ」
「助かるよ」
 確かに、モニタには既にSCP―73『カイン』に関するファイルが開かれている。
 オブジェクトクラスは……、Euclidか。てっきりSafeかと思っていたから、意外だ。
「……なるほど」
 途中まで読んで、ちらりとアルバートの方を見る。
「だから木綿のシャツはダメだったんだね」
「そう。そして、だから、ここの食堂にはパンも、パスタも、クスクスも無いんだ」
「ピロシキもね」
 がっくりと俯いた彼の肩を、マリーヤが微笑みながら優しく叩く。
 まるで親子の様なその光景に……、少しだけ、胸がざわついた。
「『彼の周囲20メートル範囲内に存在する、土で成長する全ての生命は死に絶える』……。けっこう、恐ろしいね」
「恐ろしいよ。パスタが食べたいよ」
「それに『はるか昔のことから現在まで起きた出来事を詳細に説明する事が可能。また、滅んだものも含め世界中で使われている多種多様な言語を話すことが出来る』って、これすごいね」
 なるほど。
 だから俺と博士の事も知っていたというわけか?
 という事は、俺の知らない事も──。
「確かに使い方を間違えれば恐ろしい能力ね」
 マリーヤが俺の顔を覗き込んで言う。
「だけど、彼は私達にとても友好的だわ。彼の財団への貢献度は、たぶん、どの研究者よりも高いんじゃ無いかしら」
「それは、言い過ぎだよ。僕も、彼の事は、そうだね、嫌いじゃ無い、けどさ」
 アルバートは複雑な表情で肩を竦めた。
「──、ユキオは、どうして彼の事を調べたいと思ったの?」
 彼女の瞳が俺を真っ直ぐに見つめる。その表情は穏やかだが……、まるで、母親に怒られている様な気分になる。
「廊下で、会ったんだ。それで、初対面なのに俺の名前を知ってたから、気になって」
「そう。私も同じ経験をしたわ」
「あなたも?」
「ええ……」
 ふ、と彼女の表情が曇る。何か、言われたのだろうか。
「ところでユキオ、そう、『砂糖』……。うん、そう、『砂糖』の事は、調べなくて良いのかい?」
「『砂糖』?」
「『シュガー』と言っても食べ物じゃ無いわよ」
 マリーヤが笑顔に戻って言った。
「『ちいさな魔女』の事よ。勝手な名前やあだ名で呼ぶ事は禁じられているんだけどね……」
「だって、そうだろ、『Sigurros』なんて呼びづらいよ。『シュガー』の方が、うん、ほら、可愛い」
 そう言って彼は、勝手に『ちいさな魔女』のデータベースへとアクセスした。
 間もなく、少女の写真が画面に現れた。
「シュガー……。僕等のお姫様……。彼女の能力は、そう、まさに神の力だよ。そう、そう! 彼女は女神様だ!」
「いつもこうなのよ」
 マリーヤが困った様に笑った。
 俺も同じ様に笑った。
 ……学校のクラスにも、こういうちょっとおかしなヤツっていたよな……。
 また少し、胸がざわつく。
「ねえ、ユキオ」
 唐突に、彼女の表情が真面目になる。
「今回の実験ね、私……」
 そこまで言って、黙る。
 気付けば、アルバートも黙ってマリーヤを見つめていた。
「……ううん、ごめんなさい。何でもないわ」
 自分に言い聞かせる様な口調だ。
「ただね、ユキオ、これだけは覚えておいて」
 そう言って彼女は、俺の右手を両手で握った。
 温かくて、柔らかな手だ。
「あの子の事、実験動物の様には扱わないでね」
「そんな事、俺……」
「ユキオ」
 囁く様な、だけど厳しい声で彼女は言う。まるで、誰かに聞かれる事を警戒しているかの様だ。思わず辺りを見渡す。部屋の中には、俺達三人しか、いない。
「どうして彼女が今目覚めていて、どうしてこんな実験が行われる事になったのか、私にはわからない。ユキオ、あなたを責めてはいないの。でもどうか、この実験に何の意味があるのか、それをしっかり考えてちょうだい」
「意味……」
 この実験の結果、財団がどんな情報を得ようとしているか、という『目的』の事を言っているのでは無さそうだ。
「そう、意味。きっと、こうなった事には、何か意味があると思うの」
 いつの間にかマリーヤの後ろに立っているアルバートも、こちらを真っ直ぐに見て頷いた。
(意味……)
 心の中で繰り返す。
『目的』では無く『意味』。
『何の為に実験を行うのか』という事では無く『何故実験が行われる事になったのか』という事か?
 誰か……。
 博士はこの実験はトニーのほぼ独断で決まったと言っていたが……。
 いや、違う。
『誰かが何かの為に』という事じゃないんだ。
 意味……、それは、『運命』という事か?
 わからない……。
 そんなの、わかるわけが……。
(意味……)
 マリーヤの淡い瞳に、俺の姿が映っていた

       

表紙
Tweet

Neetsha