第二十七話
《ユキオ、大丈夫!?》
独房を出て、待機室に戻る。
背後で扉が閉じると同時に、アルバートの声が聞こえた。
《急に、無くなったんだよ。脳波が。いや、脳波の信号がね、読み取れなくなったんだ。故障かな? 故障だよ。そうじゃなきゃ大事だ!》
《ユキオさん、何か、体調について感じる事はありますか?》
メディカルスタッフのヴィクトールの声だ。
「いえ、特には」
《心拍数が高いですね。自分でもわかりますか?》
「そうですね。少し、驚きました」
《もちろん、そうでしょう。しばらくその部屋に留まって下さい。そのまま簡易的なスキャニングを行わせていただきます》
「よろしくお願いします」
備え付けのソファに腰を下ろす。
まだ少し、息苦しさを感じる。
「ヘッドギアを外しても良いですか?」
《……、うん。うん、良いよ》
アルバートの声だ。
ヘッドギアを外し、傍らに置く。
部屋の何処からか、機械の作動音が聞こえる。俺の体に異変が無いか、調べているのだ。
(実験は……、当分中止かな)
先程起こった事を思い出す。
彼女は──『ちいさな魔女』は、俺に対して、明らかに『魔法』を使用した。魔法の使用は、財団から禁止(少なくとも『制限』)されており、彼女もそれについては理解しているはずだ。何故、禁止されている能力を安易に使用したのか。理由によっては、これは正常に収容が行えていないという事になるだろう。
テレパシーについては『本当はダメって言われてるんだけど』と言っていた。寝起きで普通に喋るのがつらいようだったから、魔法を使用してしまった理由については納得出来なくはない。
しかし、ヘッドギアを壊した──故障させた件についてはどうか。これについては、彼女は何だか誤魔化すような態度を取っていた。故障させた理由が、わからない。
俺の体調を気遣って?
確かに「元気?」と訊かれた際、決して絶好調というわけではなかった。緊張もしていたし、実験に対して不安も感じてはいた。だが、それとヘッドギアとは何の関係も無い。
もし、彼女が俺の心を読んだのだとしても、ヘッドギアが原因とは思わないだろうし、実際に原因では無い。
では、何故?
(何か、理由があるのか?)
理由……、それとも、誰かの『意図』が?
ギデオン博士……、トニー……、様々な顔が浮かぶ。
そう、そもそもこの実験自体にいくつもの疑問を感じている。
何故、彼女は目覚めたのか。
何故、またすぐに昏睡状態にしないのか。
昏睡状態に出来ない理由があるとして、何故、実験を行う事にしたのか。
そして、何故、今回の様な実験内容なのか。この実験は、どちらかといえば彼女に対する実験というより、俺に対する実験ではないか。それに、危険を冒してまで行うべき実験内容かどうかという事にも疑問がある。俺の頭の中のテレキル様金属がテレキル製ヘッドギアと同じ働きをしたから、どうだというのか。今まで行ってきた様々な実験は、対象と接触させる際、俺自身を『SCPそのもの』として扱ってきた。そうするべきだと思うし、そうしなければ実験を行う意味が無い(他の人間の頭にも、テレキル様金属を埋め込もうと考えているならば別だが)。
しかし、今回の実験はそうでは無い。別に、俺から実験の意義や意味に対してとやかく言うつもりは全く無いのだが……、言ってしまえば今回の実験は『どうでもいい』実験では無いだろうか。
それに、今回の様な事態が起きた時、どうするのかという対策について、そういえば何も聞かされていなかった。……何故、今まで疑問に思わなかったのだろう。
何故、何故、何故……。
やはり、間違い無く、何か別の意図があるに違いない。
誰かの、意図が。
《ユキオさん、外されたヘッドギアを正面のボックスへ入れて下さい》
ソファの向かいの壁には抽斗が付いていて、その中のボックスを介して、モニタリングルームと物品の受け渡しが出来るようになっている。
指示された通り立ち上がり、ボックスにヘッドギアを入れた。
《ありがとうございます。マリーヤとジュリアが扉の外で待っていますので、彼女達と一緒にメディカルルームへ移動して下さい》
「了解」
扉を開けると、二人が心配そうにこちらを見ていた。
「ユキオ、大丈夫?」
「怪我はなかった?」
「大丈夫だよ。少なくとも、外傷は無い」
外傷は、と言ったのは、先程立ち上がった時に軽い立ち眩みがあったからだ。
「とにかく、さっさとメディカルチェックを受けてしまいましょう」
「そうですね。……、実験は、中止ですかね?」
俺はマリーヤに訊ねた。
「いいえ。中止にはならないわ」
「でも、次の接触までにはずいぶん時間がかかるでしょうね」
もとより三ヶ月の間に三回の予定ではあったが、ヘッドギア故障の原因を調べて、メディカルチェックの結果や周囲への影響を調べて、と考えると、当初の予定よりインターバルが空く事になるだろう。
しかし、俺の問いに対して、ジュリアが意外な返事をした。
「いいえ、あなたには、またすぐ彼女と接触してもらうわ」
ブルーの瞳で、上目遣いにこちらを見て言う。冗談を言っているわけではなさそうだ。
「え? でも……」
《代わりのヘッドギア、代わりのちゃんとしたやつを用意するよ! そう、すぐに……、明日にでも!》
アルバートの声が耳元で聞こえた。スピーカーを入れたままだったか。
「そう、アルバートの言う通りよ。明日にでも、再実験を行いましょう」
「そうね」
ジュリアが言い、マリーヤが頷く。
「ちょっと待ってください。まだ、今回の実験の影響もわかってないし、ヘッドギアが何で壊れたかもわからないのに、明日にでも再実験だって? 予定とも違うし、危険じゃ無いんですか?」
何か、様子がおかしい。
三ヶ月の間に三回としか聞かされていないから、確かに明日二回目の接触でも良いのかも知れないが……。先程の実験は、失敗か成功かはともかく、少なくともトラブルにより中止となった。それなのに、明日にでも、なんて……。
『また、すぐに会おうね』
はっとして、息を飲んだ。
『また、すぐに会おうね』
俺が、彼女に──『ちいさな魔女』に言った(正確には『テレパシーで伝えた』)言葉だ。
(まさか……、彼女の能力か?)
背筋に寒気が走った。
たった、あれだけの会話で、こんな影響が……?
いや、まだ決めつけるのは早い。俺が聞かされていないだけで、トラブルがあった場合は逆にすぐに再実験を行う事になっていたのかも知れないし……。
「ユキオ、大丈夫?」
小柄なジュリアが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
マリーヤが俺の手をそっと握る。
いつの間にか、手が震えていた。
「え、ええ、大丈夫です」
「本当に?」
「もちろん」
そう言いながらも、震えは治まる気配が無い。
今更ながら、この実験の恐ろしさを──、Keterクラスの恐ろしさを実感していた。
もしもあの時『まだここにいたい』と念じて、それに彼女が同調したら、実験は中止にならなかったのだろうか。恐らく──、ならなかったのだろう。
もし俺が『死にたい』と念じて、彼女が『いいわ』と応えたら?
『世界よ滅べ』と念じて、彼女が『そうね』と同調したら?
わかっていた事だが……、恐ろしい。
(……ちょっと待てよ)
そういえば、俺が『また、すぐに会おうね』と念じたのは、トニーの言葉があったからだ。
『退室するまで、余計な事は考えないで下さい。例えば、そう、『またすぐに会おう』とか』
確かにトニーはそう言った。
その言葉に何か意味があるような気がしたからこそ、俺は彼女に『また、すぐに会おうね』と言ったのだ(今思えば浅はかな行動だったが……)。
……やはり、黒幕はトニーなのか?
いや、待て。黒幕といったって、何の黒幕だというのか。
何の目的が?
トニーは俺の……、
トニーは俺の敵なのか?
わからない。
(後で、トニーに会いに行こう)
そう、決心した。