第三十一話
サイト19へと向かう車の中、俺は目隠しされたさらに奥──目蓋の裏に昨日までの出来事を映している。
──。
ちいさな魔女との対面が終わり、メディカルチェックもすぐにクリアした俺は、名残を惜しむ余裕も無くサイト19へと移動する事になった。サイト15へ戻るのではなくサイト19へ移動となった理由は聞かされていない。トニーは「手続き上」と言っていたが、博士が「手を回しておいた」と言ったのはこの事だろうか。
「今夜は、ささやかですが、あなたとのお別れパーティーが開かれるそうですよ」
メディカルチェックが終わった後、トニーが俺に言った。
お別れ──。
その言葉が妙に切なかった。
せっかく仲良くなった人達と、あっという間にお別れ。
いや、もうその人達の事さえ信じられなくなっている自分がいる。
こんな事が、いつまで続くのだろう。
一生?
それとも……。
パーティーは宣言通りささやかなものだったが、それでもチームの全員が集まっての食事会はなかなか賑やかだった。
俺も、ほんの一瞬ではあるけれど、心から笑う事が出来た。
アルバートは潤んだ目で、ずっと俺の手を握っていた。「また会えるよ」と俺は言ったが、たぶん、それは嘘になるだろう。
マリーヤも、別れの言葉を言う時、少し瞳を潤ませていた。
「明日、見送る事は出来ないの。ごめんなさい……」と俺の肩を抱き寄せてくれた。何となく、母が抱き締めてくれているような感覚がして、ぎゅっと唇を噛んだ。
──。
パーティーの後、俺の部屋に思いもよらない客が来た。
「失礼します」と言って入って来たのは、カインだった。
俺が声をかけるより早く、勝手に部屋の中へと入り込んだ彼は言った。
「ギデオン博士は私にも、SCP―55について調べるように依頼しました」
「……?」
「一年以上前の事です。私は断りました。SCP─55については良く知っていますが、彼には教えない方が良いと思ったからです」
彼の言葉の意味がわからず、俺はただ黙って聞いていた。
「あなたは受けるのでしょう。それは仕方の無い事です。しかし、全てのものに思いやりを持つべきです。あなたが人間ならば」
一方的に話して部屋を出ようとする彼に、俺はようやく振り絞った声をかけた。
「……でも、SCP―55に会えば、博士に会える。そうだろ?」
「いいえ」カインは首を横に振った。「博士達に、です」
***
「トニー」
目隠しの裏で眼を開けて、俺は暗闇に声をかけた。
「はい?」
すぐ近くから声がする。「俺は一人じゃ無い」と、意味も無く感じる。
「サイト19に着いたら、すぐ仕事ですか?」
「いえ……、すぐサイト15に戻る事になるでしょう。そうしたら……、良ければ、またしばらく休暇を取っていただこうかと考えています」
「……そう」
「ええ。今回はずいぶん、お疲れでしょうから」
「そうだね。カインのせいで、炭水化物も恋しいしね」
「私もです」
そんな軽口を叩きながら、俺は必死に涙を堪えていた。
何故だかはわからない。
しかし、俺のひとつの冒険が、今終わろうとしているのだと云う事がわかった。
「サイト15のみんなは元気かな?」
「ええ。誰一人欠ける事無く、ユキオさんの帰りを待っていますよ」
誰一人欠ける事無く……。つまり、誰も任務で死んではいないと云う事か。安心した。
「会いたいな……、友達に」
「もうすぐ、会えますよ」
「そうだね……」
暗闇の中、ふいに手に温もりを感じた。
「もうすぐ、です」
トニーの手が、俺の手を握る。
──、強いくらいだ。
少し、痛い。
でもその痛みが、自分が生きているって事を、教えてくれていた。
***
サイト19に到着すると「本日はこちらにご宿泊下さい」と部屋に通された。俺は荷物を置くと、廊下に人がいなくなった事を確認して廊下に出た。
SCP―55のところに行く為だ。
SCP―55がこのサイトの何処にいるのかは誰も知らない。調べる術も無い。居場所を教えてくれたのはカインだ。部屋を去る間際に「念の為」と教えてくれた。念の為も何も、彼が教えてくれなかったら、俺は55に辿り着く事が出来ないだろう。
教わった居場所は『しっかり覚えている』。この意味するところが、俺の心臓を締め付ける。本来なら、覚えていられるはずが無いのだ。SCP―55は『そう云うSCP』なのに……。
『君は僕が作ったんだ』
博士の言葉がまた聞こえる。
幻聴なのはわかっているが、耳を塞ぎたくなる。
俺は、今この時の為に作られたのだろうか。
目の前にひとつの小さなドアが現れる。カインの言葉が正しければ、SCP―55はこの中にいる。
ノックしようとして伸ばした手を、下ろす。
深呼吸をして、ドアの取手に手をかける。
そして、俺は
だった。それはまるで
と思ったが、
は、
そして、
俺は 。 を持って、
部屋を出る時、 が
俺は、 を
──。
部屋に戻り、ソファに腰を下ろす。
「お疲れ様」
博士の声が頭上から振ってきた。
俺は、あえてそちらは見ないようにする。
「いや、君がSCP―55の事を調べてくれるとは」
「……依頼した事を、忘れているのか?」
「……まさか、そんな、覚えているさ。心から感謝しよう」
「そんな事より──」
「いや、報酬はまだだ。先程君が見聞きしたものをレポートにまとめたまえ。ワープロはダメだ。手書きで頼むよ。ちなみに、レポートの提出期限は明日だ」と、まるで学生に宿題を言い渡すように言う。
「レポートに? 無駄じゃ無いのか?」
「無駄……。そう、確かに確実な方法では無い。しかし、明日のただ一瞬、『会議』の間だけでもそれが存在していれば充分だ。紙の上にも、我々の頭の中にも」
「『会議』?」
「それでは、また明日会おう」
俺の質問には一切答えず、博士は気配を消した。ゆっくり、部屋の中を見渡す。誰もいない。
ほっと息を吐く。
SCP―55が言っていた事は正しかった。それだけで、全身の緊張が解けていく。
後は──、
(後はレポートをまとめて、明日の『会議』に出るだけだ)
それで、全て終わる。
いや、始まり、だろうか。
俺は重たい体を無理矢理立たせ、レポートを書くために机に向かった。
これで、全てが終わり、全てが始まる。
嬉しくも哀しい感情が、ペンを握る俺の手を震わせた。