Neetel Inside 文芸新都
表紙

昨日の世界
風に吹かれて

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「私が最初に示したことは、市民社会なき人間の状態は、
『万人の万人に対する闘争』でしかなく、その闘争に於いては、
万人が全てについての権利を有するということである――」

 寂れた公園のベンチに座り、頭上に掲げた携帯端末を見上げ、男は呟いた。
表示された画面には時折ノイズが走り、電波状況は圏外であることを表す。
如何に優れた情報処理端末とて、使用者を失えば鉄のガラクタに過ぎない。
彼が手にした機械がその街に与えた物は、一つの惨劇だった。

 沈黙を続ける画面を暫く眺め、
男は手にした端末の電源を切ってジーンズのポケットに収める。
辺りに目をやれば、窓の割れたビル郡、燃え尽きた自動車の残骸、
舗装が捲れ、大きく抉れた道路。
その景色はとても生活を営めるような物ではない。

 男はそんな周りの景色を眺め、片眉を持ち上げる。

「何が切っ掛けで、こんな有様になっちまったのかねぇ」

 誰に語るでもなく男はそう呟き、
公園の出入り口に面する背高のビルに目を向ける。
男の視線の先、片側の壁は黒く焦げ、
ガラス製の自動ドアが半分砕け落ちたその玄関口から、
丸縁眼鏡を掛けた一人の男が現れた。
ベンチに座る男はビルの中から現れた眼鏡の男を見やり、彼に向けて声を掛ける。

「よぅ、ラリー。手がかりは見つかったか?」

 ラリーと呼ばれた眼鏡の男は一つ首を振り、ベンチの男に向けて言葉を返す。

「此処も空振りだな」

 ベンチの中央から脇に身体を移し、男は此方に歩み寄ったラリーに席を空ける。
譲り渡された座面に腰を降ろすと、ラリーは深く溜息を吐いた。

「唯一見つかった物があるとすれば、これ一枚さ」

 黒いジャケットの胸ポケットから一枚の写真を取り出し、
ラリーは傍らの男にそれを手渡す。

「……女、か」

 渡された写真を眺め、男が呟く。
写真の中に映し出されたものは、一人の女性。
白黒のフィルムで色合いは判別付かないが、
その女性の背後には何かしらの研究施設を思わせる建造物が見て取れる。
誰とも知らぬ女の写真を掲げ、男は口の端を釣り上げる。

「……ふーん、中々好みだわ」

「遊んでるのか、フレッド?」

 ラリーの返しに、男は肩を竦めて立ち上がる。

「そりゃ冗談の一つも言いたくなるぜ? こっちは休日返上してるってのに、
上はロクに給料も出しちゃくれない。俺だって女の子とお喋りぐらいしたいさ」

「あー……言ってくれるなよ、俺だって泣きたい気分なんだ」

 フレッドと呼ばれた男は呆れとも皮肉とも付かない笑みを浮かべそう言った。
そんな彼の傍らでラリーは腕時計の日付を見やり、眉根を寄せて言葉を返す。
無機質な秒針に温情などあるわけもなく、組み込まれた歯車は正確に一秒を刻む。

 捜索を始めて早一ヶ月、未だに大した手がかりも得られず、
定時報告の期日は無慈悲にも近づいてきている。
進展ありません、などという報告が許される筈もなく、
今の二人は正に八方塞がりな状況に立たされていた。

 ラリーは溜息と共に懐から携帯端末を取り出し、その画面を見て舌を打つ。

「よう大将、言い訳を飛ばす電波はねえよ」

 鉄箱と睨めっこに興じるラリーを笑い、フレッドは皮肉を交えて彼に言う。
ラリーは彼の言葉に睨みを返し、端末を乱雑に懐へ仕舞いベンチを立った。

「次の定時報告はお前に任せても良いんだぞ、フレッド?」

「それはご勘弁願いたい」

 フレッドの傍らに歩み寄り、そう言ってラリーはぎこちない笑みを浮かべる。
対してフレッドは背筋を伸ばし、
至極当然と言わんばかりに口許を引き締め彼に答えた。

 彼の反応にラリーは首を振り、公園の出口へと体を向ける。

「そういう軽口は仕事の後にしてくれ。無駄足と解れば長居をする事もない、
さっさと街に戻ろうじゃないか」

「……あぁ、そうしよう。此処には何もない」

 フレッドはラリーの言葉に頷き、彼に続いて公園を後にする。
そうしてフレッドは去り際に再びベンチの方を見やり、一度だけ首を振った。

“此処には何もない”

 彼の言葉を響かせるように、
吹き抜ける風は真新しい足跡を砂塵の下に埋めていく。
其処には寂れた街が一つ、何者にも振り返られる事はなく、静かに佇む。

       

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