Neetel Inside 文芸新都
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思い出のムーニー
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 なぜ薬局なのか。思ったと同時にそれが口に出ていた。
「スーパーよりこっちの方が安いんだ」
 安藤はそう答えながら迷うことなく薬局内を進んでいく。やつの家から近いこともあり、ここには何度も足を運んでいるのだろう。俺たちはすぐに酒のコーナーへとたどり着いた。
「酒は……まあ、適当でいいよな。つまみはどうする?」
「それも適当でいいよ。面倒だしここで全部済ませよう」
 安藤はビールやらチューハイやらをカゴいっぱいに入れる。二人で飲むのにそんなにたくさんの酒が必要なのだろうか。缶が山積みになったカゴにはつまみを入れるスペースがない。
「佐々木、悪いけどもう一つカゴを持ってきてくれ」
「酒はそんなにいらんだろう」
「少ないよりはいい。金は俺が出すんだ、気にするなよ」
 そういえば今日はこいつの奢りだった。普段は人に奢るような男じゃなかったからか、そのことがすぐ頭から抜け落ちていたようだ。
「確かに俺が気にすることじゃないな」
 俺は酒のコーナーを離れカゴを取りにいく。
 途中、オムツのコーナーを通る。目に飛び込んだのはムーニーマン。今では大学生の俺だが、こんなものを履いていた時期もあったんだよな、なんてどうでもいいことを考える。
 新しいカゴを手に再び安藤と合流するとスナック菓子や乾き物をさっきの酒のようにカゴへ放り込む。
「これくらいでいいか」
「お前がいいならいいよ」
 金を出すのは安藤だ。買う物の内容に余計な口は出さないことにする。
 さて会計を済ますかというところで、安藤はレジがある方向とは別のコーナーへと進んでいく。俺がさきほどカゴを取りに通った通路だ。少し歩くと、そこには棚にしきつめられたオムツの山。
「まるでオムツの壁だな」
 安藤は突拍子もないことを言って笑う。
「オムツがどうしたっていうんだ」
「なあ佐々木、お前ガキの頃どののオムツを履いてた?」
「覚えちゃいないよ」
「俺は覚えてる。ムーニーマンだよ。俺はムーニーマンを履いてた」
 すこぶるどうでもいい情報だった。なぜ前途ある若者二人が昼間から薬局内でオムツを懐かしまねばならないのか。それもわざわざオムツのコーナーに立ち寄ってまで。
「ああ、どうでもいい話だったな。悪い」
 俺が怪訝な表情をしていることに気づいたのだろうか。こいつにしては珍しく申し訳なさそうな表情をする。意味が分からなかったが、オムツの話もこれで終わりだろう。早く会計を済ませて酒を飲みたい。
「でもさ、オムツっていいよな。俺はすごく素敵な道具だと思うんだ」
 終わらなかった。お前なんなんだよ。
「オムツってのは幼少期で卒業するもんだよな。ちょっと大きくなれば使うことなんてなくなる」
 安藤による謎のオムツトークが続く。
「ガキの頃は散々お世話になったっていうのに、俺たちはそのことをすぐに忘れちまう。俺はそうだった。お前もそうだろう」
 俺はなんでこの話に付き合わなければならないのだろう。嫌な気分だったが今日に限って安藤には酒の恩がある。しょうがないと思い、形だけでも聞いてやることにする。
「確かにそうだな。普段はオムツのことなんて考えもしない」
「だけどな、最近ふとしたことでオムツのことを考えるようになった」
「漏らしたりでもしたのか。汚いな」
「馬鹿言うな。大学生にもなって誰が漏らすか。……だがオムツと向き合うきっかけは俺がクソを我慢しながらここで買い物をしているときだった。漏らしてはいないがその一歩手前までは追い詰められていたんだ」
 聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい。酒だ。酒が飲みたい。
「会計をしてるとき、この場で全てを漏らしたらさぞかし気持ちいだろうなと思ったよ。その瞬間、俺の脳みそはこの場で脱糞したときのことをシミュレートし始めたんだ」
 そう言うと安藤はゆっくりと歩きだし、レジが見える位置で立ち止まった。そして別の客の会計をしている店員を指さした。
「その時の店員もあの子だったよ」
 歳は俺たちと変わらないくらいの女の子だった。アルバイトの子だろう。黒いおさげ髪、大きな目と綺麗な肌が特徴的だ。接客も丁寧ですっと通るような声をしている。一見派手さはないが可愛いか可愛くないかで言えば間違いなく可愛い部類に入る。
「可愛いだろ」
「まあ悪くないな」
 正直に言うと完全に俺のタイプだ。
「あの子の目の前でクソを漏らすところを想像してみろ。あの子に見られながらクソを漏らすところを想像してみろ。うまく言えないが、その……良いんだ……すごく良い」
 バイトの女の子を見ていい気分にだったが安藤の汚い話に引き戻される。こいつ、こんな気持ち悪いことを言うやつだったか。
「漏らすことができるのならこの場で漏らしたいって思ったよ。だけど、無理だろ。この薬局はうちの近所だからよく利用するけど、漏らしたらもう行けなくなる。それにあの子にも軽蔑されてしまう」
「当たり前だろう」
「だが、オムツを履いていたら、どうだ?」
「お前まさか」
「オムツさえ履いていればあの子の前でもクソを漏らせるんだ。すげえよなオムツって。ここだけじゃない。どこでも漏らせるようになるんだぜ」
「なるんだぜ、じゃねえよ」
「オムツには夢があるよ」
 力強く語る安藤の目は、今まで見たことないほどに輝いていた。気のせいだろうか、その瞳に少年のような無垢さを感じてしまう。俺は疲れているのかもしれない。
「漏らしてえよ、あの子の目の前で。きっと忘れられない思い出になるよ」
「そんなのを思い出にしたくないよ俺は」
「でもよ、お前は大学に入ってからのいい思い出ってあるか?」
「そら思い出の一つや二つ……」
 サークルや部活には入っていない。友達も積極的に作らなかったからか普段からつるむような人間は安藤だけ。面倒だという理由でアルバイトもしていない。故に遊ぶ金もなく暇なときは安藤と大学でうだうだと喋っているか互いの家でゲームをしているだけ。
 何もない。あいつに言われて、気づいてしまった。なんて空っぽなんだろうか。
「だからよ、佐々木」
 そのときだけ、安藤の声が妙に優しく聞こえた。
「作ろうぜ、忘れられない思い出を」
 そういって安藤は自分のシャツの裾を持ち上げた。露わになったジーパンのベルト部分、その下から白い紙製の何かがはみ出ていた。
 ああ――そうだ。
 オムツってこんな色をしていたっけな。

       

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